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【正論】白鴎大学法科大学院院長・土本武司 取り調べの可視化に疑問
■録音・録画は自白を困難にする
≪犯罪を最もよく知る者≫
現行憲法下で全面改正された唯一の基本法規である刑事訴訟法はその制定(昭和23年)より約60年を経た。同法の目的は(1)真相の解明(2)刑罰法令の適用実現−にある(同法1条)。
流れは当然(1)が達成されて(2)が可能となる。(1)は実体的真実主義ともいうが、しばしば「疑わしきは罰せず」の原理と相まって「10人の真犯人を逃すとも1人の無辜(むこ)を罰するなかれ」という消極的実体的真実主義が強調され、「刑事裁判官は検察官が合理的な疑いを容れない程度の立証をしたかどうかを判定し、それができない以上は無罪にすべきだ」と、裁判官には真実探求義務がないかのような議論すらなされている。
しかし、刑事裁判では、少なくとも理想としては「誤って無辜を1人たりとも処罰してはならない」とともに、「真犯人は1人も取り逃がしてはならない」という積極的実体的真実主義を是としなければならないのである。
その意味の真実を浮き彫りにする捜査上の最良策は「被疑者の取り調べ」(同法198条)である。「犯罪を最もよく知る者は犯人である」との自明の理に立脚して、捜査官は被疑者の取り調べに情熱を注ぐ。故意、目的犯の目的、共謀その他など犯罪の主観的要件において、犯人の供述が最良証拠である場合はなおさらである。その取り調べの結果は、取調官自らか立会官が供述調書の形で記録化している。それは逐語的でない半面、冗長な供述を整理して記載してあるため供述内容を把握しやすい。
≪取調官と親和する心理≫
近時、取り調べの可視化の要請から、この取り調べ内容を全部一律に録音・録画すべきであるとの主張が聞かれる。そして、取調官が被疑者を厳しく追及するという思い込みのもとで、検察や警察は“厳しい取り調べ”の実態が表面化するのを恐れて、録音・録画記録制度の導入に反対しているとみられている。
たしかに最近発生した鹿児島県志布志市の選挙買収事件や富山県氷見市の強姦等事件はいずれも冤罪(えんざい)で、自白獲得に向けた取り調べ方法に問題があった。取り調べ状況を可視化すれば、このような人権侵害的な取り調べは行われていなかったであろう。しかし、このような例外的な事例を引き合いに出して論議すべきではない。
この問題はまず、欧米諸国と異なり、日本人被疑者の場合は、捜査官への自白が罪責感情を軽減させる機能を果たしていることを知るべきである。
犯人が被疑者としての取り調べを受けることになったとき、とくに身柄の拘束を受けたとき、その直後は新しい環境に緊張するが、それに慣れ、取調官と親和する心理状態になれば、取調官との間に感情移入により“悔悟”の心情が芽生えて自白がなされるのである。したがってわが国における取り調べは、欧米でのそれのように、取調官と被疑者の対立闘争関係ではない。
私の体験からしても、自白はむしろ取調官と被疑者が友好的関係になり、心のラポートがかかったとき、すなわち琴線に触れたとき生まれるものであり、対立抗争の関係にある間はそれがないため自白は生まれない。だから怒号とか理詰めの尋問は決して有効でない。
≪真相解明のための手段≫
第2に、取り調べの録音・録画を実施している諸外国では、取り調べ以外に真相解明のためのさまざまな捜査手段が用意されていることを知るべきである。例えば「司法取引」や「刑事免責」は、重大事件の犯人を逸することのないよう機能しているし、「通信傍受」「おとり捜査」「潜入捜査」なども、「取り調べ」方式に代わる真実発見方法としての機能を果たしている。真実発見も適正な手段によることが強調されるわが国では、それらの代替手段は好まれない。
また、録音・録画記録制度を採用した先進国であるイギリスですら、同制度には次のような問題があるとしている。(1)取り調べを形式的・画一的な手続きにしてしまう(2)被取調者は将来その内容が一語一句すべて公開されることを覚悟しなければならず、自白がしづらくなる(3)何らかの理由で録音・録画がなされなかった場合、そのことをもって当該供述の証拠価値が低く見られてしまう−など。
現在わが国では東京地検をはじめ十数地検において、犯罪事実を立証する実質証拠としてではなく、任意性・信用性を立証する補助証拠として録音・録画を試行しているが、この試行の成果を見た上で方向性を探るのが順当であろう。(つちもと たけし)