北京五輪開幕まで10日を切った。3月のラサ暴動をきっかけに、世界中の聖火リレーで「フリーチベット」が叫ばれ、日本でも逮捕者が出た。平和の祭典に似つかわしくない、物々しい雰囲気の聖火が世界中をリレーしていった。
壊れた商店(撮影:片一也) 壊れた中国銀行に横断幕(撮影:片一也) では、ラサで聖火リレーが行われたなら、どんな雰囲気になるのか? この目で確かめたい。そう思って私は5月末、中国へ渡った。 当時、中国政府当局は、3月の暴動以降、外国人に対して非開放政策をとっていた。報道関係者はもちろん一般旅行者も全く入れない状態。しかし、中国人、香港人、台湾人はチベットに入ることが許されていた。これは、非開放の理由が単に治安の悪化ではないという証拠だ。 中国国内に入ったものの、従来のように成都からの飛行機や鉄道というのは、乗客の身分が乗る前に管理しやすく潜入には向かない。近くまで行けば何か情報なり、方法なりが入手できると思い、僕は青海省ゴルムドまで行った。ここからチベット自治区への入境方法に関しては、私および現地で協力してくれた人の、身の安全を考慮して伏せさせてもらう。 さて、なにはともあれ聖火リレーが行われる前に、ラサ潜入に成功した。外国人非開放とはいえ、私も東洋人である。それほど目立つわけではない。とりあえず町なかを歩いてみた。 バルコル内の焦げた建物(撮影:片一也) 旧市街の中心にあるジョカン。そのまわりを取り囲むバルコルという遊歩道。ここはチベット人にとって聖地ラサの巡礼路でもある。 いつもお供えものやお土産などを売るお店でにぎやかなこのエリアは、おびただしい数の監視カメラが設置される中で、静まり返っていた。 「安いよ、安いよ」 「こっちもちょっと見てってよ」 いつもにぎやかなチベット人にも、全く元気がない。 そして、一番気になったこと。仏教徒の町・ラサで、お坊さんが全く歩いていない。あのえんじ色のチュパ(チベットの伝統的な衣装)が町なかから完全に消えている。 「ここはラサだろうか」 そう思えるぐらいにこの町は変質していた。建物だけラサのようにリメークしたある種テーマパークのような印象を受けた。何か悪い夢でも見ているかのようだった。数えきれないほどの監視カメラと公安と人民解放軍に24時間完全に管理されたラサに、かつての面影を探して私は歩いた。 監視カメラと公安(撮影:片一也) バルコルの監視カメラ(撮影:片一也) 今のラサでは、監視カメラや制服を着ている人間だけを警戒すればよいわけではない。一般の漢民族はもちろんのこと、チベット人の中にもスパイは混じっている。完全に安全な場を提供して話を聞こうにも、その安全な場を作っている最中に感づかれてしまう。 以前から私を知っている人と買い物をしているふりをしながら、少し立ち話をしたりする程度。それ以上は相手にも迷惑がかかる。 ただ、その程度の会話だけでも、チベット人の今の状況に対する不満は伝わる。隣の子供が殺された、親せきが連行された、自分自身が暴行を受けた…… などなど。この手の話はキリがないほど存在した。 すべてを信じるわけにもいかないし、すべてを疑うこともできない。ただ、中国政府があれほどまでに徹底的に管理してしまっていては、何も調べることができない。私は自分自身の限界と、そして中国政府の本気度にがくぜんとした。 そうこうしている間に、配られている新聞が聖火リレーは明日であると伝えていた。
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