「ムラヤマ先生、僕はどんなにがんばってもダメなんです。マスコミを目指して、3年も就職浪人しているのに、エントリーシートも筆記も
面接も全く通りません」
ナカタニと書かれたエントリーシートを差し出した、その学生は泣きそうな顔になった。今日は毎年恒例のエントリーシートのチェック
会。この予備校名物の、対面で自分のエントリーシートの診断が受けられるイベントの日である。
「3年もやってるの?じゃ適性がないんじゃない?」
いつも通り、ムラヤマはやる気なさそうにボソッと言った。早く終らせて、いきつけの飲み屋に待たせているおネーチャンと一杯やる
ことしか考えていないようだ。その答えに食ってかかるように、ナカタニは言った。
「確かに適性は乏しいのかも知れません。しかし僕にはマスコミでやるべきことがあるのです。」
ナカタニは半ばなきべそをかきながら、必死に続けた。
「僕は今の世の中が大嫌いなんです。不景気だし、みんな疲れているし。若い奴はみんな切れやすいし。こういう世の中を変えたいん
です。」
ナカタニのヤニだらけの口から、黄色いツバがムラヤマに飛んだ。
「そのためには子供の笑顔しかないんです。世界中の子供の笑顔を写してきて、それを国営放送で流すのです。それも朝イチバン
に。そうすればみんなの病んだ心もきれいになると思うんです」
ナカタニの目やにの溢れた瞳の奥がキラッと光った。ムラヤマは震えていた。
「エライ。君のような人がマスコミに行かないで、誰がマスコミに行くと言うのだ。私は君のような志の高い学生をはじめてみたよ。感動
したーっ!!」
ムラヤマはコイズミのように感動していた。そして続けた。
「それでは君に私のマスコミ必勝法を授けることにしよう。なぜ私がカリスマ講師と言われているかというと、みんなこの方法で内定して
いるからなのだよ。しかし、この方法はめったなことでは教えない。カネを積まれた時か、かわいいおネーチャンがせがんだ時だけな のだ。ひひひ」
ムラヤマは卑しく笑いながら、さらに続けた。
「しかし、君の志には参った。"正義は全てのものに優先する"とドクター中松も言っている。私の大好きな言葉だ。博士に敬意を表し
て、君の志を支援するために、特別"タダ"で必勝法を伝授しよう」
「ほ、ほ、ほんとですか?か、か、感激です」
すでにナカタニの目には涙が溢れていた。ゆっくりとムラヤマは話し始めた。
「それではエントリーシートの必勝法から行こう。まず君はエントリーシートをどのように書いているのか教えてくれ」
ナカタニは即答した。
「はい、まず自己分析します。自分の過去を25年分、全てノートに書き出して、自分がどんな人間なのか。どんなことが得意で、何が向
いているのかを考えます。次に志望の会社を徹底的に調べます。どんな業界なのか。どんな会社なのか。そのうえで自分がやりたい 仕事、僕の場合はテレビのディレクターなんですが、それを徹底的に調べます。こうしてその仕事にどんな能力が必要とされるのかを 考えぬきます。最後に、自分がなりたいと思っている仕事に必要とされる能力に適合するように、自分の自己PRを仕上げます。こうす ることで、志望の会社が望む能力が自分にあるということを証明できるからです」
ナカタニは勝ち誇るように小さく「コホン」と咳払いをした。しかしその姿をバカにするように、小さな声で、ひとことムラヤマが言った。
「まーるでダメだね」
「ど、どうしてですか?どんな本にも自己分析しろって書いてありますし、自分の価値を設計して、それを提示すれば相手には僕の能力
が分かりやすいのではないでしょうか」
ナカタニは興奮して、鼻のアナをカバのように開いて言い返した。
「だーかーら、3年もやって、まるでダメなんだよ」
ムラヤマは、その言葉の後に「バカ」という言葉も付け加えたそうであった。
「ど、ど、ど、どこが悪いんですかっ?」
ナカタニは泣きそうになった。ゆっくりムラヤマがしゃべり出した。
「君の間違いは過去に自分を求めていることだね。だいたいロクでもない人生しか生きてこなかったんだろ?いつも昼まで寝てて、ハラ
が減ったから大学の学食行って、ヤスメシ食らって。ハラが膨れたら、今度はチンコの膨らみを解消するために彼女のとこ行って。そ して飲みに行って、ドライブしてまた寝る。こんな繰り返しをずっとしていたんだろ?」
ムラヤマの言葉にナカタニはギクッとした。さらにムラヤマが続ける。
「そんな奴がどんなにとりつくろったって、過去から価値なんて見つけられる訳ないだろう?」
「じゃ、ど、ど、どーすればいいんですかっっ?」
さすがにナカタニは怒り出した。ムラヤマはナカタニの反応を予測していたように「ケッ!」という口のかっこうをした。しかし音は発さな
かった。そして続けた。
「ポイントは未来だよ。自分が未来にどうありたいかを言えばいいんだよ」
ナカタニの口がぽっかり開いた。言葉は出ない。ムラヤマが続ける。
「君はテレビのディレクターになりたいんだろ?ならば10年後ぐらいならできそうなことをエラそうに言えばいいんだよ。例えば、世界中
のトップスターを別々に撮影して、ひとつのドラマを作り上げたいとか。宮藤官九郎が脚本で、デビッド・フィンチャーが監督。主演がブ ラッド・ビットで、女優はケリーチャン。脇役が阿部サダヲやトム・ファンクスだったらすごいだろ?ましてこれをテレビでやる」
さすがにナカタニが質問した。
「そんなことできる訳な、な、ないじゃないですかっ。こ、交渉するだけでも大変なのに」
ニヤッとムラヤマが笑う。
「だから僕には交渉力があると言えばいいじゃないか」
ナカタニが答える。
「お恥ずかしい話ですが、僕は英語すら満足にできません。ちゃんと話せるのは、メイク・ラブとスラングだけです」
ムラヤマは目の前のアリを踏み潰すような、傲慢な表情になって答えた。
「絵に描いたようなバカだなー。だから将来そうなればいいって言ったでしょ?過去とか今とか関係ないの。将来世界中の役者を口説け
る能力を身につけたいって言えばいいんだよ」
「えっ、それじゃムリでしょー」
"ウソつけっ"と言いたいのがすぐ分かる表情でナカタニは言った。
「ムリじゃないですよ」ムラヤマは続ける。
「将来世界中の役者を交渉するために、英語とフランス語とスペイン語と中国語を猛勉強中だと言えばいいんですよ。こう言えば勉強
中なんだからしゃべってみろとは言われないでしょ?」
ナカタニは愕然とした。しかしにわかには信じられないので、少し突っ込んでみた。
「それでも何かしゃべれって言われることはありますよね?」
ムラヤマはその質問も予期していたと言わんばかりに、ゆっくりと答えた。
「その時はその国の<あいさつ>を話してやりゃーいいんですよ。グッドモーニン!アニォハセヨー!グーテンターク!ってね」
"参った"ナカタニは心で叫んでいた。これじゃ自分のやってきたことはまるで徒労だ。考え方が根本的に異なる。落胆しながら、もう
一言だけ言葉を発した。
「もしかして、筆記も僕のやり方が間違っていたんでしょうか?」
ムラヤマは悪魔がいたらこんな顔をするんじゃないかというような冷淡な表情で言った。
「君のやり方をはーなーしーてみまたまーへ」
(つづく)
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