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「ジェンダー広島」と言う会があって私はこちらの会合に時々参加しています。
フルタイム女性で生活されている人、
ハーフタイム女性でおられる人、
普段は男性姿でいるけど自分の性について悩んでいる人。
各々の悩みを持っている方々が時々集まって情報交換したり自分の気持を聞いてもらったりしています。
この中には何人か岡山大学医学部歯学部付属病院のジェンダークリニック(以下、岡大病院)で診察を受けておられます。
この岡山大学医学部歯学部付属病院は埼玉医科大学付属病院に次いで日本で2番目にGID(性同一性障害)の
治療を行っています。
私は「貴方も診察を受けてみたら?、心が軽くなるわよ」と勧められていました。
私は「どうしたものか」としばらく考えていましたが意を決して岡大病院で診察を受けることにしました。

2003年8月9日 (初回)

岡大病院では曜日によって担当する医師が代ります。
広島から岡大病院へ通院している人達に聞いてみると「私は○○曜日、△△先生よ」と皆さんまちまちです。
私は色々考えた末、今日にしました。
診察を受けるには紹介状があった方が良いです。
紹介状がないと別途3千円が余分に徴収されます。
私は既に広島市内の医院に掛っていましたのでそちらで紹介状を書いていただきました。

朝、岡大病院へ着き受付を済ませて「精神科神経科」で順番を待ちます。
この「精神科神経科」と言うのが気に入らないけれど仕方がない。
すると「○○さんこちらに記入してください」と1枚の紙を渡されました。
これは初診の人は必ず書かされるもので、医師が最初に聞く「どうされましたか?」のようなもので適当に書いて渡します。
すると「○○さん、貴方にはこちらも書いていただきます」と渡されたのが、「ジェンダークリニック 問診用紙」です。
これを見て私は「ウー!」とうなってしまった。
これには今までの悩み始めた時期、学生時代はどうだったか、家族のこと、友達のこと、仕事のこと等全て書かなければならない。
正直言って書きたくない、あまりにプライベートなことに踏みこんでいる。
しかし、書かなければ次に進めない。
重い鉛筆を走らせながらひととおり書いて渡します。

しばらくすると「○○さん、こちらへどうぞ」と呼ばれたのが予備診察室。
こちらでは医師による本診察の前に助手による簡単な診察が行われます。
先程問診用紙に書いた事柄を見ながら1つ1つ詳しく聞かれカルテに記入してゆきます。
私はプライベートなことを突かれると益々うつむいて声が小さくなってゆく・・・。

ようやく予備診察が終って本診察が始まります。
今日の担当は診療科長の黒田医師。この方が私の主治医になります。
当ジェンダークリニックのしくみやスケジュール(頁の最後にあります)等を説明され、
「診察を進めながらホルモン療法を検討するのだけど、貴方のような既にホルモン療法を受けている人も受け入れてゆこうとしています」と。
現在当クリニックに通っている人は500人近くいること。
こちらでは日本精神神経学会発表のガイドラインに沿って患者をじっくり診察するので手術に至るまで2年以上掛ること。
中には待ち切れずに外国に行かれる人もいること。
等々を言われました。

先生はカルテをみながら、色々質問されます。
自分の性に違和感を抱き始めたのはいつ頃?、学生時代の制服についてどう感じたか?、自殺を考えたことはあるか?、
女装を始めたのはいつ頃?、親兄弟は貴方のことを知っているか?、子供達は貴方のことを知っているか?、
何故結婚したのか?、結婚に抵抗はなかったか?、奥さんに告白したとき奥さんの反応は?、等々。
この言いたくないことも言わされる、プライバシーにズケズケ踏みこまれる。これが嫌で外国に行かれる人も多いんだなぁ。
私は答えたくない質問ばかりなので最初は言葉を濁していましたが、
段々と「もうどうでもいいや」と思うようになって聞かれるままに正直に話すようになりました。
そうなると気分が楽になって、自分でも驚くくらいに自分からペラペラと。
先生はうなずきながらカルテになにやら書き込んでいます。
「今日はこれくらいにしましょう」と。

GID(性同一性障害)は心と体が一致しない心の病気。
この病気の治療には心の中を全てさらけ出さなければならないのですね。
来たときの重い気持が嘘のように晴々と、長い1日だったけれど来て良かったなぁ。
次回は9月8日の診察です。

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2003年9月8日 (2回目)

カウンセリングは11時半の予約でしたが始まったのは午後1時半。
前回も待たされたので週刊誌を買って行きましたが全部読み切ってもまだ待たされる。
カウンセリングはそこそこに終って今日のメインは泌尿器の検査。
そこでまた待たされる。
ようやく呼ばれて受診が始まる。
先生から「これから診察を始めますが、診察にあたる医師は男性と女性どちらか希望がありますか?」。
私は「どちらでも構いません」。
問診では「ホルモンはいつから?、薬の名前は?、普段はどんな格好を?、髭はどうしてるの?、家族はご存知?」等など。
これは初診の時話したじゃん、診療科が違うと同じ質問をするのね。データの共有化を計って欲しい。
「胸を診ますから上半身裸になってください」
・・・ えー、聞いてないよぉ。 ・・・
・・・ 泌尿器の検査だからオチンチンの検査だろー?。 ・・・
今日は上半身の検査はないと思っていたからブラジャーをしているしウエストニッパも着用している。
ブラの跡が丸見えじゃん。
仕方なくカーテンの陰で上半身裸に。
周りをカーテンで仕切って外から見えないようにしてくれる。
外には助手が待機している。
検診では「大きくなっていますねぇ」と、私の胸を触ったりつついたり乳輪や乳首を測ったり。
・・・私の乳房で遊ぶなよぉ。・・・
カーテンの外にいる助手に記入を指示している。
「上は良いです、着てください」。
今度は下半身の検査です。
オチンチンを摘んだり引っ張ったり握ってみたり、そして睾丸を握って、
「ホルモンによる性器及び精嚢の萎縮が診られます」。
・・・ そんなこと解っているよぉ、早く終ってくれ。 ・・・
「周りは剃ったの?」。
今日の検査のために剃って行ったのです。
すると助手に「周囲剃毛」って言っている。
そんなこと大きな声で言うなよぉ。
「終りました、次は血液検査と心電図検査です」。
・・・ へ?それも今日するの?。 ・・・
・・・ また上半身裸になるの?、嫌だなぁ。 ・・・
心電図検査では若い女性の検査技師さんが私の胸を見ても何も言わず淡々と事務的にこなしている。
後から皆で話の種にされるのだろうか。
やっと終りました、時間は午後4時。
長い1日でした、次回は10月7日です。

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2003年10月7日(木) (3回目)

前回の泌尿器科での血液検査の結果を聞いただけです。
「男性ホルモン値は0.5以下、完全な女性体質ですね。染色体はXとYで男性です。」
「それでは女性ホルモン値は?」。
「えーと、それは書いてありませんね、泌尿器科へ行くとわかると思いますが…。」
・・・ なんじゃい、これなら電話で聞けば十分だね。 ・・・
それから他のMTFの方々の話を聞いたり、世間話をしたり。
内容のない1日でしたが、病院へ行かなきゃ次へ進めないものね。
次は11月17日、心理テストがあります。

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2003年11月17日(月) (4回目)

今日は心理テストのある日です。
岡山行き高速バスに間に合わなくて新幹線で行くことに。
午前11時からの予約でしたが診察が始まったのは12時過ぎ。
定例の診察が終って心理テストは午後1時半から。
先ず絵を書かされました、「実のなる木を書いてください。」
その絵に対して色々な質問をされます。
「これは何の木ですか?」「この実はどんな状態ですか?」「他には木はないのですか?」
「この木はどこにあるのですか?」「周りには何がありますか?」次から次へと質問されます。
こんな質問するくらいなら最初から「実のなる木を題材とした風景画を書いてください」と言えば良いのに。
「最後にこの絵にタイトルをつけてください。」
軽い気持で書いたのですがドツボにハマってしまう。
次は色んな設問に対して自分はそれに当てはまるか当てはまらないかどれかに○をします。これが60問ばかり。
次は出だしの文章が書かれていて、「それに続く短文を作ってください。」
例えば「私が」とか「もしも父が」とか「友達は」とか書いてあればそれに続く文章を書きます。これが40問ばかり。
時間がないから思ったことをどんどん書いてゆきます。
そしてその文章の背景とか意味を尋ねられます。完全に自分を裸にされてしまう。
次は色んな絵を見せられて「何が欠けているかを答えてください。」これが20問ばかり。
次は一般知識を質問されます。例えば「歴代の総理大臣を4人答えてください。」とか、
「福沢諭吉について知っていることを述べてください。」これが20問ばかり。
次は共通点を聞かれます。例えば「鷹とライオンの共通点を答えてください。」とか、
「船と自動車の共通点を述べてください。」「蝿と樹木の共通点を述べてください。」これが20問ばかり。
終ったのは午後4時過ぎ。
いやぁ、緊張しました。ほんと、疲れました。
「なんのためにこんなことをするのか?、ジェンダー療法には関係ないと思うが。」と尋ねると、
「貴方のことをもっと知りたいから、これで貴方と言う人物が見えてこなければまた行います。」
もう勘弁して欲しい。
おかげでその夜ノボセができてしまった。
次は11月27日、黒田先生の診察です。

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2003年11月27日(木) (5回目)

今日はどんよりとした曇り空、今にも雨が降り出しそう。
10時半診察の約束なので広島を7時30分発の高速バスに乗ります。
新幹線で行くのが一番速いのだけど片道5,000円かかる。
その点、高速バスだと時間は倍以上かかるけれど回数券を買えば片道2,000円で済む。
大学病院へ到着し順番を待っているとすぐ呼ばれたので人違いではないかと思う程ビックリした。
前回から10日しか経過していないので心理テストの結果は不明。
今日は大学の学生さんが2人(男性と女性)見学に来ていた。
先生は「今日は学生が見学に来ているが構わないか?」と。
「別に私は構いません」と答えました。
すると先生は私のことを学生達に説明。
「GIDの人達には色んな人がいるがこの人の場合は…」。
カルテを見ながら今までのいきさつを学生さんに説明している。
「精神状態は如何ですか?」。「はい、すこぶる良好です」。
学生さんは私と先生とのやり取りをメモをとることも無くじっと聞いていた。
それから他のMTFの方々の話を聞いたり、世間話をしたり。
話をしているうちに私より年上の患者さんが居ると聞いて嬉しくなってしまった。
12月分の診察を11月にやってしまったので12月は飛ばして次回は1月8日となりました。

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2004年01月08日(木) (6回目)

 今まではMモードで病院に行っていましたが、
 同じく病院に行っている友達が「女性姿で行ってもいいんだよ」と。
 また、先生も「普段はどんな姿をしているの?」と言われていたので
 Fモードで行きました。
 私の姿を見るなり先生は「ほほう!」と。
 私は「この姿でいる方が一番気持が落ち着きますね」。
 今日も大学の学生さん(女性)が見学に来ていた。
 先生は「今日は学生が見学に来ているが構わないか?」と。
 「別に私は構いません」と答えました。
 すると先生は私のことを学生に説明。
 「GIDの人達には色んな人がいるがこの人の場合は…」。
 カルテを見ながら今までのいきさつを学生さんに説明している。
 それから他のMTFの方々の話を聞いたり、世間話をしたり。
 
 先生が「あなたは若い頃男性に恋したことがありますか?」と聞かれて、
 「はい、胸キュンとなったことはあります。でも告白はできなかった」と答えました。
 先生は「そのとき自分はホモではないか?とは思わなかったですか?」。
 私は「私は違います。ホモの人は男の人が男性を好きになること。
 私は女性の心で男性を好きになる。しかし、私から積極的にアタックすることはしません」。
 
 診断書を書いていただきました。
 病名は「性同一性障害」。手に持っているのが診断書です。
 
 帰りがけに受付に寄り、診察券の性別欄にMとなっていたのをFに書き替えてもらいました。
 これが出来るのはGIDの人に限られるそうです。

次回はガイドラインに従って別の医師による診察を受けることになり、1月23日に県立岡山病院に行きます。

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2004年01月23日(金) (7回目)

 今日は県立岡山病院の中島医師による診察です。
 着いて「え?これが県立病院?」。
 私が描いていた県立病院のイメージと随分違っていました。
 広島の県立病院は総合病院で大きな病院です。
 駐車場も広くて何百台も駐車できます。
 岡山の県立病院は精神科神経科のみの病院でした。
駐車場も車が20台停めれば満車状態。
決して卑下しているわけではありません、あまりにイメージが違っていたので…。(^_^;)
岡大病院の精神科神経科は総合病院の中の科目なので患者さんも見た感じ普通の人とあまり変らない。
こちらは専門病院なので患者さんも、
何やらブツブツ訳の解らないことをつぶやいている人、
訳も解らずニヤニヤしている人、
同じ所をグルグル回っている人等、一般社会から見るといわゆる「気の毒な人達」を数人見かけました。
 
岡大病院の黒田医師による紹介状と私のこれまでを記した文章を持って訪問しました。
黒田医師から「訪問する際には今までのことを纏めて行った方が良いです」と言われていました。
私は幼児期の頃、児童の頃、学生の頃、思春期の頃、学校を卒業した頃、 青年時期、
結婚した頃、子供が大きくなって…等。
自分の性について、体の違和感、女装について、またホルモン使用の経緯などをしたためました。
中島医師は文面を見ながら「解りました、長い間苦しんだんだね」。
私は文面に書いたことを補足説明しながら和やかな雰囲気で医師と会話しました。
医師は「良く解りました、結構です。結果を岡大病院に報告しておきます。
支障なくセカンドオピニオンに移行できると思います」。
「ところで、貴方はどこまでの治療を望んでいますか?」。
私は「この世に思いを残して死にたくない、身軽になって死にたい」と。
医師は「そうすると戒名は女性名で?」。
私は「それは…、大勢の人が見るからそれは出来ないでしょう」と、2人で大笑い。(^o^)
医師の診察時間は約1時間でした。
私は今までのことを文章に纏めて行って良かったと思っています。医師に最初から説明しなくて済むし、
理解してもらうのも早い。

次回は2月17日に岡大病院に行きます。

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2004年02月17日(火) (8回目)

今日は精神科と産婦人科で診察です。
精神科は11時の予約で呼ばれたのが11時半頃。
黒田医師と色んな話をしました。
その中で「世の中には色んなGIDの人がいてね…」。
男性も女性も好きになれない、性欲だけが強くて困っている人。
早くからホルモン治療しているからどこから見ても女性にしか見えないけれど声を聞いてズッコケてしまった話等。

11月17日におこなった心理検査の結果がでていた。
私はそれを見て吹出してしまった。

・・・・・・・・ ストレス コーピング イベントリー (SCI)
ストレス状況においては立ち向かっていくよりも自らの感情の高まりを鎮めようとする方向での対応がなされるようである。
つまり、自分の気持をコントロールしていくのではあるけれども、なるべく自分が関与しないようにして問題から逃げてしまう傾向が強く見られている。

自我態度スケール(EAS)
自己を主張していくようである。しかも、自分の思いのままに振舞っていく事も示されているだけに、独り善がりになってしまうことが懸念される。
社会的な配慮の乏しさもみられ社会との関わりは未熟なように思われる。

SCT(接頭語があって続きを書いて文章をつくるテスト)
≪私はよく人から≫ 『いいかげんだと言われる』。
≪私が羨ましいのは≫ 『スターがチヤホヤされるのを見たとき』。
≪もし私の母が≫ 『生きていたらこんなに苦労はしなかっただろう』。
≪もし私の父が≫ 『生きていたらもっと楽をしていた』。
≪≫内が接頭語で『』内が続いて書いた文章です。
結果、表層的な記述が殆どであり防衛的でもあったであろうが、やはり貧弱さが考えられる。・・・・・・・・

・・・ なによ、私の思ったことをそのまま書いただけじゃないの。貧弱で悪かったわね。 ・・・

・・・・・・・ BaumTest(絵を書くテスト)では「細いラインで折れそうなほど細い幹に黒くぬりつぶされた実がたくさん描かれている。
地面は波打ち、幹の上端は不自然に左方に曲がり、ついで右方へ枝として伸びている。自信なく不安定で外界との接触に繊細さが見られ、
状況に応じて感情を表出し難いこと、にもかかわらず、自己顕示的であることがうかがわれる。 ・・・・・・・・

・・・ あのねぇ、先生は実のなる木を書いてくれって言ったじゃないの。 ・・・
・・・ だから私は柿の木をかいたのよ。すると木は1本だけか、回りはどうか、ここはどこですか、 ・・・
・・・ お天気はどうかなど聞くから、それなら最初から風景画を書けって言えば良いじゃないの。 ・・・
・・・ それに先生は実のなる木を見たことないの?、杉や松みたいに天に向って立っている実のなる木なんてないよ。 ・・・
・・・ それに私は小さいときから絵は下手だったよ、だからスケッチ風に書いたんじゃないの。 ・・・
・・・ それを自信がない、不安定だなんて。だったらどう書けばいいのよ。 ・・・

総じてあまり良い評価はされていなかった。
私はこれのコピーを頂いて読み返してはニヤニヤしています。

午後から産婦人科で検査があります。
すると午前から順番待ちの人が多く遅くなるから先に食事をしてきてくれと。
食事を済ませて帰ってみるとまだ順番待ちの人が大勢。
検査の前に問診票に記入します。
そしてスリーサイズを計測、私は裸になり看護師さんが計測。
自分で計るより緩く計るから2Cmばかり大きくなってしまう。
診察が始まったのは午後4時過ぎ。
先生は中塚医師です。
岡大病院を紹介していただいたタナカクリニックのことを話すと「あぁ田中先生ね」とよくご存知でした。
そしてホルモン治療している人は半年に1回は血液検査しなければ。
前回の結果を見ながら説明していただきます。そしてコピーを頂きました。
前回血液検査したのは昨年の9月だから今回しておきましょうという事になり採血を。
終ったのは午後5時頃になりました。

次回の診察はは3月16日です

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2004年03月16日(火) (9回目)

前回採血してもらった検査結果が出ていました。
それをコピーしてもらって説明していただきました。
「女性ホルモン値が前回に比べ下がっていますね。」 ・・・ 最近は錠剤だけでデポーを抜いているからかな? ・・・
「ちょっと低血圧ぎみですね、これはホルモンによって体が女性化しているから仕方ないですね。」 ・・・ うんうん ・・・
「γGTP値がちょっと高いですね。」 ・・・ お酒飲むからなぁ ・・・
全体的には問題ありません。」 ・・・ 良かった、良かった ・・・

「あなたはA経験がありますね。」
「A経験がある人はHIVの検査をしておいた方が良いです。」
「いずれSRSをする前にはHIVの検査をしますから念のため今日しましょう。」
私はエイズの心配はしていないけれど検査をすることになり、また血液採取されました。
「実はね、ある患者さんがいてね、その人の彼がHが好きで会う度にするんだそうな。
何度かHIVの検査をするんだけどその都度陰性で安心して帰っているよ。」 ・・・ へぇ〜! ・・・

「えーっと、これで第一段階でやらなければならないことは終わったね。」
「4月に入るとジェンダー委員会があります、貴女のことを委員会に提出します。」
「他の医師の意見も聞かなければならないから、貴女の切なる気持ちは伝えておきます。」

次回はジェンダー委員会の結論が出た後の4月22日に伺います。

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2004年04月22日(木) (10回目)

HIVの検査結果では「陰性です、良かったですね」と。
私はA経験はあるけど、外国の人とはしたことはない。
そしてプロの人とは性交渉したことはないので陽性にになるはずはないと思っていましたが、
やはり結果が出るまでは心配なものですね。^^;

「G症例検討会議ではあなたのことが承認されました」と。
第2段階のホルモン療法に移行するために同意書が必要ですが、
私は認印を持ってきていなかったので、後から郵送することにしました。。
そしてホルモン療法についての注意点、留意すべきことなどを説明されました。
しかし、私は既にホルモン療法をしており、それは私が認識している範囲内のものでした。

医師から耳寄りな話を聞きました。
厚生労働省から「SRS(性適合化手術)を国庫補助の対象にするよう要請したらどうか」と話が来ているそうです。
これはSRSをしている各大学病院にも話があったのではないかな?。
現在、手術には多額の費用がかかっておりこれがネックになって手術をためらっているGIDも多い。
これが実現すると費用が半額になる可能性も。早い実現が待たれます。

精神障害者には各自治体が医療費の補助を条例で決めているところが多いです。
普通、医療費は保険適用でも患者は30%負担ですが医療費の補助を申請すると5%負担になります。
GID(性同一性障害者)も精神障害者にあたるということで私も申請することにしました。
医療費が25%も免除されれば助かりますね。
そのことを医師に話すと、
「それは構わないが貴女の場合、あまりメリットが無いのではないか?」。
「精神療法はほぼ終り第2段階のホルモン療法に移る」。
「ホルモン療法は婦人科が担当しておりこちらは補助の対象にならないよ」。
うーん、時期が遅かったか。
でも、これからも何回か精神科にお世話になるかもしれないので申請することにしました。
一度申請すると3年間は有効だそうです。
岡大病院では医療福祉係で全て手続きをしてくれます。
医療福祉係へ行ってみると各自治体への申請用紙が揃えてあるのにはびっくりしました。
それから他の自治体は知りませんが、
広島市の場合、精神障害者には窓口で支払った金額をも補助しましょうという制度がありまして、
つまり残りの5%も補助しましょうと、結局医療費が無料になります。
しかし、こちらは別に申請書があってその都度申請しなければならない。
こちらも認印を忘れたため一旦持ち帰り後から郵送することにしました。

次回は提出した同意書に精神科の各医師が査印するのに時間がかかるので、
2ヵ月後の6月24日に伺います。

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2004年06月24日(木) (11回目)

 今日は医学部の学生(女性)が2人来ていた。
 学生の同席に同意を求められ私は「構いません。」
 今回の学生さんは今までと違ってGIDについて興味があるらしく
 積極的に質問してくる。
 「自分のことをどう思っているか?」、
 「自分の性について違和感を感じたのはいつごろか?」、
 「カムアウトした時  の家族の反応は?」、
 「家ではどんな格好をしているのか?」など等。
 私は質問に対して素直に答え、黒田医師がそれに補足している。
 
 第2段階のホルモン療法に移行するために同意書に各医師の
 査印が必要なんですが2ヶ月経ってもまだ下りていない。
 黒田医師は「なんでかなぁ、全然問題ない筈なんだけどなぁ」と。
 私は第2段階に移行できるかと思って楽しみにして来たのにガッカリ。
 「誰かのところで留まっているのかもしれない、
 確めてみましょう。下りてきたら家の方へ連絡します。」
 残念だけど待つしかないよね。
 
精神障害者には各自治体が医療費の補助を条例で決めているところが多いです。
普通、医療費は保険適用でも患者は30%負担ですが医療費の補助を申請すると25%は自治体が負担してくれます。
既にこの申請が承認されていて今回の本人負担は自動販売機で売っている缶コーヒーの半額以下でした。(助かるわぁ。)(^^♪
広島市の場合、精神障害者には窓口で支払った金額をも補助しましょうという制度があります。
缶コーヒーの半額以下の費用をも補助してもらおうと申請書を提出すると切手代の方が高くついてしまう。(^_^;)

次回は7月22日に伺うことになりました。
それにしても早く第2段階に移行したいわぁ。

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2004年07月05日(月) 

本日夕方、岡大病院の黒田医師からTelがありました。
「適応判定委員会で承認されました、良かったですね」と。
待ちに待った連絡でした。
「あなたの場合、年齢的なものがあってそれに引っ掛っていたみたいですね。
しかし、本人の意向を尊重しましょう。と言うことで承認されました。」
確かに現在岡大病院のジェンダークリニックに通っているGIDの中では高齢者の部類に入るからなぁ。
7月22日にはルンルン気分で岡大病院に行けそうです。(^^♪

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2004年07月22日(木) (12回目)

予定通り午前11時頃岡大病院に着きました。
今日から第2段階、ルンルンです。♪
すると尼崎から来ておられた方が私に声をかけてきました。
その方の名前は「まさ」さん、三原のYUKIさんから紹介されていましたが会うのは初めてです。
まささんはどこから見ても純女さん、うっとりと見とれてしまいました。
先に精神科の診察は済まされていました。
私の名前が呼ばれ黒田医師の待つ診察室へ。
私の近況、精神状態を話し良好であること。
「GIDにもいろいろあってね」と、他のGIDの方々の状況などを話していただきました
「独身であれば改名や性別変更ができるようになったけれど、あなたはそれができないね」。
「そうですねぇ、私は結婚しているし子供もいるから」。
GID(性同一性障害)は病気なんです、心の病気なんです。
単なる女装趣味とは違う、これが原因で離婚される方がいます。
性格の不一致と言えばそれまでですが、その話を聞くと私は心が痛む。
「いよいよ第2段階だね、これからは産婦人科がメインになって、こちらは顔見せ程度になるけど頑張ってください」と。
診察を終って外に出るとまささんが待っていました。
2人揃って産婦人科へ。
すると「しばらく待つようになるから食事を先に済ませてください」と。
聞くところによると1時間半ばかり診察が遅れているそうです。
私は午後1時の予約ですがいったい何時になるのかな?。
病院内の食堂で食事をしながらお喋り。
まささんの目標は勿論SRS(性同一化手術)。
フルタイム女性で生活され職場にも女性の格好で行かれるそうです。(私にはできないなぁ)。
午後1時過ぎたので産婦人科に戻り、待つことしばし。
しばらくしてまささんが呼ばれ診察室へ、私はまだ先になります。
まささんの診察が終わり、待合室でまたお喋り。
そのうち電車の時間があるからとまささんが先に帰宅されました。
私は・・・待てども、待てども、お呼びかからず。
やっと呼ばれたのは午後3時20分頃。
中塚医師とホルモンについていろいろお話。
オバホルモンデポー10mg/月、プレマリン5mg/日、プロベラ5mg/日にしました。
そして体重、身長を測り、服を脱いでバスト、ウェスト、ヒップ測定。
検査とはいえ、純女の看護士さんに裸の私を測定されるのってなんか恥しい。(^_^;)
しばらく血液検査していないので血液採取を、結果は次回来院したときに。
岡大病院で初めてのホルモン注射をして本日は終わり。
時刻は午後4時前。
高速バスの時間までしばらくあるので鬱病で入院している友達を見舞いに行きました。
友達は元気でいました。鬱病も大分良くなり外出もOKだそうです。
「月末には外泊して久しぶりの広島に帰ってみようかな」とも話していました。
やはり友達は元気な方がいいですね。
午後5時40分発の高速バスで帰路につきましたが家にたどりついたのは午後9時前です。(ハァー)

次回は8月12日に伺います。

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2004年08月12日(木) (13回目)

岡大病院に着いてみると結構人が多いなぁ。
精神科神経科の前の待合ベンチには待っている人でいっぱい。
そうか、夏休みだからなんだ。
見ると日頃見ることの少ないお子様の数が多い。
思春期で自己のコントロールが出来なくなった子が親族や友達に連れられて来ているのかな。
着いて1時間近くなるけど呼ばれそうな気配はない。
看護士詰所に行き「あのぉ、私はあとどれくらい待たされそうですか?」。
すると「今日は患者さんが多くて10時頃来られた方がまだ待っているんですよ」と。
「へ?、すると私はまだまだ先ですね」。
「貴女の場合、予約ですからまもなくです。もう少しお待ちください」。
待つことしばし、やっと呼ばれました。
黒田医師「やぁ、今日は。精神状態はどうですか?」。
私「すごく安定しています。こちらに来ると本当に気が休まります」。
7月下旬にFTM(女性→男性)だけど沖縄で性別変更の判例が出たそうです。
名前の変更は今までに何例かあるけど性別の変更は国内初の判例になります。
「貴女の場合は結婚しているからそれはできないね」。
「そうですね、それは諦めています」。
以前、話の出ていた厚生労働省からのSRS(性同一化手術)費用の一部補助の話は、
「16年度の国庫補助の予算の中にはそれは入っていないね」。
残念ですねぇ、これで来年3月までは本人負担が軽減されることはないんですねぇ。
それから他の患者さんの話等。
「中には彼がいる人がいてね、でもSRS(性同一化手術)が済むまでは絶対性行為はしない。と言う人もいるよ」。
「そうなんですか、身持ちの堅い人ですね」。
薬は地元のクリニックで処方してもらった方が安いことなど色々お話しました。

次は産婦人科での診察です。
カルテを受け取って産婦人科へ持ってゆきます。(この方が送ってもらうより少しでも早く順番が回ってきます。)
産婦人科に行き看護師さんに「どれくらい待たされそうですか?」。
「きょうは多くてねぇ、かなり遅れています」。
私は「別に驚きません、前回は12時の約束が3時20分まで待たされたのですから」。
ちょっと嫌みだったかな。(^_^;)
「すみませんねぇ、先に食事をしてこられますか?」。
と言うわけで院内食堂で食事をすることにしました。
ふと思ったのですが医師や看護士さん達はいつ食事を摂っているのだろう?。
食事をしていると三原のYUKIさんから電話、YUKIさんも岡大病院に来ておられます。
一緒に食事をすることになりました。
YUKIさんと話をしていると周りの人が時々こちらを見ています。
服装は女性なんだけど・・・、声がどうもねぇ。(^_^;)
ゆっくり食事をしてYUKIさんはちょっと外出、私は産婦人科へ。後でまたおち合うことに。
産婦人科の看護師さんに戻ってきたことを告げると「貴女は予約されていますからもうすぐですよ」と。
しばらく待っていると呼ばれました。
中塚医師は、前回の血液検査の結果を見ながら、
「異常ありませんね、肝機能も正常です、血糖値がちょっと高いけど食事をした後だからでしょうね」。ブイだわ。(^_^)v
私が前回の血液検査で費用が¥13,000近くかかってびっくりしたことを告げ、
「ホルモン濃度を一緒に測ると全額自費になると聞いたけど本当ですか?他の科で検査した方が安くつきますか?」と聞くと、
「適応判定委員会で承認されるとGID(性同一性障害)扱いにされ岡大病院では血液検査には保険は効きません。」ですと。
「地元のクリニックで血液検査をした方が安く済むかもしれません、こちらには結果を見せてもらうだけでも良いですよ」。
今度からそうしましょう。
そしてオバホルモンデポー10mg注射して今日は終わりです。
時間は午後3時前、今日は早く終りました。
これからこちら(岡大病院)に鬱病で入院している友達を見舞いに行きます。
友達は随分元気になっていました。これからは度々外出や外泊もされるそうです。
YUKIさんも来ていました、3人でお喋り、お喋り。
午後4時10分に岡山駅前を出る高速バスに乗るためYUKIさんに車で送ってもらい帰途につきました。

次回は私の都合もあって9月はパス。10月14日に伺います。

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2004年10月14日(木) (14回目)

今日は朝から晴天の秋晴れ。
白のブラウスにベージュのスーツ姿で出かけました。
病院に着くとすぐに呼ばれました。
婦人用トイレでお化粧を直していた私はビックリ。
慌てて黒田医師の診察室へかけつけ、「お久しぶりですー」。(^^♪
少しばかり世間話をして、
私が「早くSRSにスケジュールに乗りたいです。」と言うと、
黒田医師は「今、SRSの順番を待っている人達は随分前からこちら(岡大病院)で治療されている人達で、
SRSを受けるにはホルモン治療を1年以上続けなければならないことになっています。」
「貴女の場合、ホルモン暦は長いけどこちら(岡大病院)では始めたばかりになっているからねぇ。」
「貴女は今年度(H17年3月迄)は無理じゃないかな。」
うわぁ、ちょっとガッカリ。
「それから先は?と言うと判らないけれど貴女の年齢とホルモン暦を考慮されると良いですね」。
私は「それなら形成外科の診察はどうなりますか?」と尋ねると、
「そちらは木股医師の担当になるけど、受け付けてもらえるかどうか・・・、行って相談してみてください」。
「そして受け付けてもらえるなら院内紹介状をすぐ書きますと伝えてください。」と言われました。

私は形成外科に行く前に産婦人科での診察をうけます。
カルテを受け取って産婦人科へ行くと、中塚医師は本日不在で、鎌田医師が代理ですと。
看護師さんの話では「中塚医師は学会出席とか授業とかで不在の日が多いですよ」と。
「あらぁー、それなら注射だけでも」と、オバホルモンデポー10mg注射してこちらは終り。
注射だけだからすぐに終りました。

それからカルテを受け取って肝心の形成外科へ。
「黒田医師に言われて来ました、これこれしかじか・・・」。
看護師さんが「ちょっと待ってください」と木股医師のスケジュールをパソコンで確認しながら、
「木股医師は水曜日なのよね、11月10日で良いですか?」と言われ、
私は「えー、水曜日ですかぁ、木曜日はダメですか?。」
「木股医師は水曜日だけなんですよ。」
それで11月10日にお願いすることにしました。

精神科の黒田医師の元へとって返し「11月10日の診察になりました。」と伝えると、
「解りました、すぐ紹介状を書きます、それでこちら(精神科)はどうします?」。
「僕は11月11日は授業に出なければならないからそれ以外の日に。」と言われ、
精神科と産婦人科は11月18日に受診することになりました。

今日は産婦人科での診察がなかったから午後1時半には帰路につきました。
「こんなに早く帰れる日もあるんだなぁ。」(^_^)
11月は10日の水曜日に形成外科へ、18日の木曜日に精神科と産婦人科に伺います。

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2004年11月10日(水) (15回目)

予約した時間の11時に形成外科に着きました。
こちらは受付が皮膚科と同居なんですね。
受付で来た旨告げて「どんな状況ですか?」と聞くと、
「ウーン、まだ10時前の患者さんが待っているのよね、1時間半以上遅れているのよ」。
私は持ってきた週刊誌を読み始める。
やがて12時になり、看護師さんが「先に昼食を食べて来たらいかがですか」と。
それで病院内食堂で昼食を摂る事にしました。
ここの食堂は職員食堂ではなく一般の方も対象にしているのでメニューが豊富で好きです。
私の好きな焼肉定食にビール。ここでビールを飲みながら食事をしている人はあまり見かけませんね。(^_^;)
出来るだけゆっくり食べて戻ると午後1時前。
看護師さんに戻ってきたことを告げ「どの位待つようですか?」。
「まだ10時半の予約の人が待っています、何時頃になるか分りません」。
そして「今日の貴女、素敵よ!」と言われ嬉しくなってしまう。(*^^)v♪
持ってきた週刊誌を読み切って、何もすることもなくボーっとしています。
待つことしばし、やっと呼ばれました。時間は午後2時40分。3時間40分の待ち時間は記録です。

木股医師とは初対面ですが診察と言うより手術に関する説明が殆どでした。
「貴女の場合、手術はいつになるか分りません、待っている方が多いので」。
「手術は形成外科、泌尿器科、産婦人科が共同して行います」。
木股医師は紙にペニスの図(かなりリアルです)を書きながら(松茸を思い浮かべてください)、
「ここを切り裂いて(松茸の茎の部分)裏側にめくって突き合せて筒を作ります」。
今、見えている側が内側になるんですね。
「これを中に押し込んで膣にします」。
「亀頭の一部を切り取ってクリトリスにします」。
「尿道はここで切ります」。
今はおしっこは前に真っすぐ飛んで行きますが術後は周囲に飛び散ってしまうんですね。
私が「膣は大腸の一部を切り取ってつくるのかと思っていました」と言うと、
「そんなことすると手術が大変です」と。
「麻酔は全身麻酔をします」。
「入院期間は1週間から10日前後くらいです」。
「最初は膣のなかにガーゼをつめます、しばらくするとそれを取って麺棒を小さくしたようなもので膣を拡張します」。
「手術の前になるともっと詳しく説明します、その時にはご家族の同意も必要になります」。
私は妻には既に話をしていることを告げました。
「何か質問がありますか?」と聞かれ「いや、よく解りました」。
「それではこれにサインしてください」と先程図を書きながら説明してくださった紙を渡されました。
それにサインすると、それは2枚複写になっていて1枚を私に、1枚をカルテに閉じられました。
「これを黒田医師に返します、そして倫理委員会で承認されれば手術ということになります」。
「以上で終ります」。
冗談を交えることもなく、笑い顔をすることもなく、淡々と説明されました。
私が冗談を言ってもなんか素通りしてしまう感じ。
最後に木股医師に「2ショットお願いしても良いですか?」と言うと「いや、遠慮します」と。
なんと言うか、本当に生真面目な先生だわぁ。
時間は午後3時、3時間40分待たされて約20分の面談でした。はぁ〜(ーー;)。
次にこちらに伺うのは倫理委員会の承認が出てからになりそうですね。

次は11月18日(木)に精神科と産婦人科に伺います。

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2004年11月18日(木) (16回目)

朝から今にも泣き出しそうな天気です。
岡山に着く頃には降りだしてしまいました。
市内電車で終着駅の清輝橋まで行き、そこから5分余りで岡大病院に着きます。
バスの便もあるのですが私は電車の方をよく利用します。
11過ぎに精神科に行き、待合室で待っていると程なく呼ばれました。
今日も男性と女性の学生さんが2人実習に来ていました。
今日の学生さんは無口で何も質問してこない。
黒田医師から「あなたのことを教えてやって欲しい」と言われ、
私の子供のときから学生、社会人になるまでの心の葛藤、そして結婚、家族のことなどを説明しました。
「何か聞きたいことがありますか?」と聞いても何も聞いてこない。
時々黒田医師が補足説明していたけど理解できたのかな?。

黒田医師は
「形成外科からの結果が届いています。申し訳ないが手術はいつになるか分りません。
今、患者さんが525人位いてその殆どがSRS(性同一化手術)を希望されています。
中には6年も待っている患者さんもいます。2000年に申し込まれた方が20番目くらいかな。
ベッドの問題もあって、形成外科と泌尿器科の病室を使うことになると思うがこれから調整しなければならないし・・・」。
私は「はぁ〜、気の遠くなるような話ですね」。
それから黒田医師と色々世間話をして次は産婦人科へ行きます。

カルテを持って産婦人科へ行って受付で「どの位待つようなですか?」。
すると「今日は割りと患者さんが少なくてねそんなに待たなくて良いと思いますよ」。
へぇ〜、珍しいことがあるもんです。
待合室で待っていると程なく呼ばれました。
中塚医師は「どんなですか?」。
私は「順調です、精神的に安定しています」。
見ると髭面の外国人の姿が見えない。
中塚医師に聞くと「彼はchekir(チェキー)と云う人でチュニジアから研修に来ていますが今帰国しています。」
なるほど、それで姿が見えないんだ。
それと、広島の皆さんがお世話になっていたタナカ小児科の田中医師が逝去されたのを中塚医師は知っておられました。
「ある人から電話で教えてもらったんだけど、広島の人たちはどうするんだろうと心配していたんです」。
私は「週1回のペースで診察されるらしいです。だから薬はそちらで手配できることになりました」。
「それは良かった、じゃぁ今まで通りですね」。
それからオバホルモンデポー10mg注射して今日は終わりです。
今日は待ち時間が短くて午後1時過ぎには終りました、いつもこんなに早ければ嬉しいですね

次は12月16日(木)に精神科と産婦人科に伺います。

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2004年12月16日(木) (17回目)

今日は曇り空ですが雨の心配はなさそうです。
いつものとおり11時過ぎに岡大病院に到着。
しばらくして名前を呼ばれ診察室に向かいます。
いつも思うことなんだけど、呼び出しを受けるときに本名で呼ばれるのはなんだかなぁ。
私の場合、同名で女性の方も居るので良い様なものの出来れば俗称で呼ばれれば嬉しいんだけど。

黒田医師と話をしていると、
「患者さんの中に50近い人なんだけどその人は既にSRS手術をタイで済ませている。
産婦人科で対応しているんだけど医師の話では穴(膣)はあるにはあるけれど小さいし奥行きもあまり無い。
あれでは女の喜び(性行為)は出来ないね。」
という話題になりました。
「カルーセル麻紀(平原麻紀)さんも改名も性別変更も認められたんだからその人も認められたんだそうな。」と。
私は「私もカルーセル麻紀さんのことはTVで見ました。パスポートにメイクした写真を載せることができたと喜んでいました。」
そして「そろそろセカンドオピニオンに行っても良いのでは?」と尋ねると、
「そうだねぇ、貴女の気持ちも分るがどうしても受付順になってしまうから。
貴女は県立岡山病院の中島医師だったね。しかし手術となるとまだまだ先だから
手術の前になってセカンドオピニオンに行っても遅くはないよ。」
「それもそうですね」とセカンドオピニオンはしばらく先になりました。

次は産婦人科です。
カルテを持って産婦人科へ行くと今日は患者さんが少なく30分位で呼ばれました。
中塚医師の処へ行くと先月は帰国していたchekir(チェキー)さんが戻っていました。
先ずは中塚医師とchekirさんに挨拶。
chekirさんは研修でこちらに来られています。流暢な日本語で会話をされていました。
それにしても2人とも髭が濃いですねぇ。(^'^)
私の状況を聞かれ「精神的に落ち着いています」と言うと「それは何より」と言われました。
それから来月あたり血液検査をと言われこちらで検査するとメッチャ高くつくことを伝えると、
「それはこちらでホルモン注射をするとこれには保険が効かないから、それに血液検査をすると費用はそちらに集約されてしまう。
地元の医院で検査してもらって結果を教えてください。」
「そうですね、そうしましょう。」
それからオバホルモンデポー10mg注射して今日は終わりです。
今日も午後2時発の高速バスで帰ることができました。

次は1月13日(木)に伺うことになりました。

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2005年1月13日(木) (18回目)

予定通り岡大病院に到着。
看護師さんから「良ければ(TS・TGを考える会)からのアンケートをお願いします。」と用紙を渡されました。
これには「性同一性障害についてカウンセリング」や「ホルモン療法について」、
医療機関の対応などをアンケートするものです。

黒田医師と新年の挨拶を交わした後、SRSの順番待ちの話になり
「患者さんの中に、ここ(岡大病院)では手術がいつになるか分らないし、
タイでは費用が70万円位で出来るらしいので気持ちが殆どタイの方へ傾いていた人がいるんだけど、
年末に起きたスマトラ沖の地震による大津波でタイのプーケットが大被害を受けた。
おかげで手術のためにタイに行くことができなくなったと嘆いていたよ。」ですと。
私は「へぇ〜、津波の影響がこんなところにも出ているんですね。」
「それに、向うの技術を悪く言いたくはないんだけど、産婦人科の医師の話ではタイで手術した人を診察して
まぁ膣はあるにはあるんだけど指が入らないほど小さいし浅いし、あれで手術をしたと言えるのかねぇ。」
「それでも結婚していないし子供もいないからここ(岡大病院)の証明で性別変更できたと喜んでいたそうだよ。」
「僕は同じ手術するんだから費用は少々高くついてもちゃんとしたものにしてあげたいと思うんだけどねぇ。」
私も「同じ手術をするんだからねぇ」と頷いてしまいました。
「手術をすれば2週間は個室が必要になる、だからいくら頑張っても月2人が精一杯なんです。
1年でよく出来て24人というところかな、順番待ちが多いからねぇ。」
私も「もっと早く来れば良かったと思っています。
それでセカンドオピニオンは手術の日程が決まってからも遅くはないと言うことなんで、
これからは只の顔見せになってしまうんでしばらく間を明けようと思います。」
黒田医師は「そうだね、毎月顔を見せてくれると僕は嬉しいけれど費用もかかるしね。」
私は「次は4月にしようかと思います。」と言うと、
「分りました、3ヶ月先は予約が出来ないから、そのときにまた電話してください」と。

次に産婦人科へ行き、
中塚医師に「次回は4月にしたいです。薬は地元の医院で処方してもらっているから別に困らないから」と伝えました。
中塚医師は快く了解してくださいました。
しばらくおやすみになりなすが来たついでにオバホルモンデポー10mgを注射しました。

これからは医療費の主たる支払いはホルモン剤を処方していただく地元の医院になりますから
岡大病院に保管してある「通院医療費公費負担受給者証」を返していただき転院届けを市の方へ提出します。
これで診療費の70%は保険で、25%は公費で負担していただけるので残り5%を負担すれば良いことになります。
公費負担が複数の医療機関でも認められれば嬉しいのにねぇ。

次回の診察は4月7日になりました。

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2005年4月7日(木) (19回目)

朝方は雨が降っていましたが岡大病院に着く頃には止んでいました。
もう桜が咲いている時期なのに岡大病院の敷地の中には桜の木が1本も見当たりません。
1本くらい有っても良いと思うんですけどねぇ。

黒田医師に会うのは3ヶ月ぶりです。
今日も医学部の生徒さんが2人研修に来ておられました。
私が今年度のSRS(性適合化手術)の予定を聞くと、
「今年度のSRSの予定者の中にはあなたは入っていないね、どうしても順番というものがあるから。」
「平成13年に受け付けた患者さんがSRSを受けるくらいの順番になるね、あなたは平成15年だからね。」
私が大阪の病院の動きを尋ね、「早く大阪の方でも出来るようになればこちら(岡大病院)も楽になるのに」と言うと、、
「大阪医大は未だ未だのようだね、関西大学病院ではやっと3ヶ月に1人という割合のようだね。」
「一旦大阪のほうへ移った患者さんもまたこちらへ戻っているようだよ。」
すると岡大病院の患者さんの数は減らないんですね。
「そう、益々増えてきている、うち(岡大病院)が頑張るしかないね。」
「それに広島の患者さんも増えているよ」。 へ〜。
「それで患者さんの中には待ちきれずに外国で手術をする人もいるみたいだから、そうなればあなたの順番も繰り上がってくるんだけどね。」
他力本願だけど早く順番が来て欲しいです。

次は婦人科の中塚医師のところです。
カルテを持って婦人科へ行き順番を待っていると三原から来ている友達と会いました。
この方はSRSの予定が決っているそうです。私より早くから岡大病院に通っておられます。私ももっと早くから通院すれば良かったなぁ。
中塚医師のところへ行き地元の医院で受けた血液検査の結果を渡し、カウンセリングを受けます。
そしてオパホルモンを2アンプル注射してもらいました。
久しぶりにホルモンによる体の変化を測っておきましょうということになり、
上半身裸になり3サイズの測定。結果はナ・イ・シ・ョ。
でも元男性が…女性化した体を測定するために裸になるのはなんだか恥しい。(^_^;)

血圧も測定することになりました。
普通、血圧測定と言えば片腕に測るものを巻きつけて測りますよね。
ところが今回は血圧脈波検査といって
ベッドに横になり、胸にはセンサーを、両足・両手に測定するものを巻きつけて、喉にも測定するものをつけます。
そして心電図や血圧、動脈の詰り、動脈の硬さなどを測定します。
今までこんな検査、したことがない。便利な機械ですね。
ところが機械の調子が悪いのか、使い方が悪いのか、なかなか測定値がでません。
友達と一緒に食事をしようと言っていたのに行かれない。「まだ〜?」と言いたくなる。
やっと結果が出ました。
それによると「あなたは動脈が同年齢の平均より硬いです。塩分控えめに、適度に運動して、野菜を沢山食べましょう」と。
私は適度に運動はしているつもりなんだけど・・・。野菜も結構食べているんだけど。
味付けは濃いほうが好きだからなぁ、自粛しなきゃ。
結局友達との昼食は出来ませんでした。

友達に車で岡山駅まで送ってもらい、午後3時10分岡山駅前発の高速バスで家路につきました。

次回は7月7日(木)に伺います。

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黒田医師から「7月7日は大阪へ行かなければならないから日を変えて欲しい」と電話があり検討した結果7月5日に伺うことにしました。

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2005年7月5日(火) (20回目)

昨日まで4日間続いた土砂降りの雨が止んで今朝は青空まで見えていました。
「これなら雨傘はは要らないかな」と逆に日傘を持って行くことにしました。
ところが今は梅雨の真っ最中、見事に外れてしまいました。
夕方には雨が降り出してしまいました。
結局使わなかったけれど、日傘は防水されていないから雨傘の代りにはならないだろうなぁ。

岡大病院に着いたのは午前11時過ぎです。
真っても待っても名前は呼ばれない。
用意していった週刊誌は殆ど読んでしまいました。
仕方がないからめぼしい記事を読み返しています。
呼ばれたのは約2時間後の午後1時半頃です。

黒田医師は「7月7日は学会に出席しなければならなくなったので失礼しました。
おまけに7日に予定していた人が今日に集中したのでますます遅くなってしまいました」と。
「先程来られていた方も広島から来られたんだけど知っていますか?」と聞かれ、
私は「全然面識がないから判りません」と答えました。
「その人は40過ぎの人でお母さんと一緒に来ていて、お母さんが「この子がホルモンに手を出して頭がおかしくなった」と。
息子さんは「それは違う」と言っているんだけど、お母さんは思い込んでいるようだねぇ。」
「お母さんにしてみれば息子が急に「女になりたい」と言い出せば頭がおかしくなったと思っても不思議ではないけどねぇ。」
「これから先どうしたら良いか相談に乗って欲しいと言われたんだけど、僕はカウンセラーではないから・・・と断ったんだけどね。」
私は「ホルモンの副作用で体調がおかしくなっても頭がおかしくなることはないですがねぇ。
ただ、お母さんにすれば晴天の霹靂で頭がおかしくなったと思うかも知れませんねぇ。」と言いました。
黒田医師は「今日、あなたが来るから話を聞いてみたら?って言えれば良いんだけどね。それができないから。」
「でもお母さんの思い込みが解けたら一番の理解者になるかも知れないんだけどね。」

また黒田医師は「こんな人もいてね、その人は40代だけど見るからに男性的な人でね、
奥さんも求めてくる、自分もやりたい。日に2回くらいはやっている。と言われてやりすぎではないかと言ったんだけどね。」
「これでホルモン治療したいと言って来てるんだけど、僕はどうも違うんじゃないかと思うんだけどなぁ。」
私も「普通GIDの人はあちらの方は殆どない方が多いんですけどね。そういう人もいるんですかねぇ」と。

私は「ところで私の順番は未だ見えてきませんか?」と聞くと、
「うーん、この前タイで手術すると言う人が2人いて紹介状を書いたんだけどね。
それにもう1人、大阪の堂島の○○整形クリニックで手術をする予定だったんだけど、例の事故でこちらに代ってきていた人がタイで手術するからと。
こうしてドロップアウトする人達が出てくるとあなたの順番は上がってくるんだけどね。まだわからないねぇ。」でした。

続いて婦人科に寄り中塚医師に近況を話して「順調ですね」と。
そしてオバホルモンデポー10mgを注射して今日は終わりです。

次回は9月8日(木)に伺います。

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2005年9月8日(木) (21回目)

台風14号の余波を受けて若干の風があるものの良い日になりそうな朝です。
私の悪い癖で支度がいつも遅い。
おかげで予定していた高速バスに乗り遅れてしまった。
仕方が無いから新幹線で岡山まで行くことにしました。
新幹線は確かに速い。
しかし、料金はバスの2.5倍もする。
バスは新幹線に比べ時間は2.5倍も掛かるけれど時間の制約が無ければバスで行くほうがはるかに安いです。

 岡大病院に着くと程なく呼ばれました。
 今日も医学生が2人研修にきていました。
 黒田医師から「自分のこと2人に説明してくれ」と言われ、
 私の小さい頃から今までのことを説明しました。
 すると黒田医師が、
 「ちょっと待って!、今の話とカルテに書いてあることと少し違うんだけど。」
 「えー?、嘘は言っていないはずなんだけど。」
 「カルテではこうなっているんだけど、今の話ではこうなるよね。」
 私はゾーっとしました。
 刑事の取調べで[言わすに堕ちずに語るに堕ちる]ってやつと同じでちょっとの矛盾をついてくる。
 結局言葉のニュアンスの違いと言うことで片付きましたけど、これでは話すことに口が重くなってきます。
 
 黒田医師の話では「GIDの人達は暗い人が多いけれどあなたは明るいから他の人とはちょっと違うね。」
 私は「はい、よく言われます。おかげで私はGIDには見えないとも言われます」。
 
 私がSRSの順番のことを聞くと、
 「この前、5年前に来られた人を手術したと聞いている。
 中にはもう順番がきているのに待ちきれないでタイに行った人もいる。
 今、3年前に来られた人が判定委員会に名前が載ったところです。
 あなたはまだ2年だからね。」
 私は「まだまだ光の見えないところにいるんだなぁ」と実感した次第です。
 
続いて産婦人科へ行くと、三原の友紀さん、明石の由美さん、小倉から来られたかおりさんがおられました。
小倉のかおりさんは今回初対面です。
かおりさんは深夜バスで朝早く着かれたそうです。それで全ての診察は済まされています。帰りは新幹線で帰られると。
私達は交通の便と費用についてひとしきりお喋り。
そして各々を取り巻く環境についても。

私達の診察はまだ先なので、もうすぐ診察の始まる友紀さんを除いて昼食を摂ることに。
1階の食堂で昼食を済ませ戻ってくると程なく順番が来ました。
中塚医師に先日広島の医院での血液検査結果を渡し、「今は精神的に安定しており順調に推移しています」と伝えました。
医師は「それは良いことです。それでは半年経ちましたので3サイズを測りましょう」。
ガーン、今食事してきたばかり。
3サイズの測定があると分っていれば食事を控えていたのに、ヤバイなー。
逃げるわけにはゆかないのでパンツだけになってサイズ測定、やっぱり太めに出てしまった。
おまけに血圧も高めに。
今日は血液検査はしないけど、血糖値は高いだろうなぁ。
測定が終わりホルモン注射をして今日は終わりです。
友紀さんとかおりさんは先に帰られたので私と由美さんは連れ立って岡山駅へ。
高速バスの時間まで少し時間があるので喫茶店でコーヒーを飲みながらしばしお喋り。
3時になったので私はバス停へ、由美さんは少し後の新幹線で帰られるそうです。

次回は11月10日(木)に伺います。

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2005年11月10日(木) (22回目)

以前、近くの駅の(送迎用)駐車場に車を停めていたらバッチリ張り紙をされてしまいました。
折角JRを利用してやっているのに・・・。
仕方がないから高速バスの駅まで路線バスを利用します。(JRのやつめ、お客を1人逃がしたな)
前回、高速バスに乗り遅れて新幹線を利用するハメになったので今日は早めに支度を始めます。
おかげで今日は余裕で間に合いました。

岡大病院に着くと精神科の待合室は何故か閑散としている。
今日はすぐに呼ばれました。
今日も男子医学生が2人研修に来ていました。

黒田医師は「先程はFTMの子が来ていてね、手術はもう済ませているんだけど。」
「その子は他所の病院で手術していて、ここ(岡大病院)に来ても断られるのではないかとすごく心配していたらしい。」
「だから、それはそれで仕方がない。ここ(岡大病院)にはフライング(先に薬を始めた)した人達が沢山来ているよ」と。
・・・・・・私もその中の1人なんだなぁ。・・・・・・・
「その子は胸はバッサリ取っちゃっているし、男性ホルモンで口の周りには髭が生えてきているし、頭は角刈りだし、背の低い男の子って感じだね。」
私は「わぁ、胸をバッサリ、もったいなーい。私なんかお金を出してでも欲しいものなのに。」と言ってしまいました。

「こんどはMTFの人なんだけど、その人は175Cm位の背の高い人でね、20歳過ぎと中学生の女の子が居る。」
「中学生の女の子はその人のことを「お母さん」と呼んでいるんだそうな。それもごく自然な感じでね。」
私が「それでは本当のお母さんは何と呼んでいるの?」と聞くと、
「本当のお母さんの方は「ママ」と呼んでいるんだそうな。」
私が「無理やり「お母さん」と呼ばせているのでは?」と聞くと、
「いや、そうではないらしい、自然にそう呼んでいるらしい。」
「僕もよく解らんのだよ、中学生の娘さんの心理がね。こんなことができるもんかねぇ。」
私が「世の中には色んな人がいるから、20歳過ぎてもお父さんと一緒に風呂に入ると言う娘さんがいるくらいだから」と言いました。
黒田医師は「それはそうだけど、そんなもんかねぇ。」と。

精神科が終ったのは12時前です。(早い早い)

今度は産婦人科、中塚医師の診察です。
こちらの待合室も閑散としている、なんか気持悪いくらい。
看護師の1人にそのことを言うと、「今日は休んでいる医師がいるからかなぁ、でも、中にはこんな日があっても良いよね。」と笑っていました。
おかげですぐに呼ばれました。
今までは待ち時間の間に食事をしてくるように言われていたのに今日は本当に早い。
中塚医師に精神的に安定していることを伝えると、「別に問題ありませんね」。
あとオパホルモンを2アンプル注射して今日は終りです。
時間は12時ちょっと過ぎ。
次の高速バスの時間は14時発だから少しゆっくりして帰ることにします。

次回は来年1月12日(木)に伺います。

            −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−2006年1月12日(木) (23回目)

天気予報では、今日は寒の中休みで暖かくなるそうです。
それを信じてコートは必要ないかも。
今日の服装はタートルネックのセーターにブラックレザーのスーツです。

岡大病院に着いたのはいつもと同じ午前11時20分頃。
今日はなかなか呼ばれません。
やっと呼ばれたのは12時半ころです。
先ず黒田医師に新年の挨拶をして私の近況は順調であることを話しました。
そして「こちら(岡大病院)にお世話になっている人がSRSはいつになるか分からないから先に去勢をされた人がいますよね。」
「私もSRSを希望していますがいつになるか分からないんだったら先ず去勢をしたいと思いますがいかがでしょうか?」と質問しました。
黒田医師は「あぁ、佐藤医師のところの患者さんね、先日手術されましたね。」
「確かに去勢手術は入院の必要はないし、精神科は問題ないし、泌尿器科も対応できると言っている。」
「ただ・・・、あなたのSRSの順番はいつになるか分からないと言いながら、遠い先ではないと思うんだけどねぇ。」
と言いながらパソコンの画面を私に見せながら、
「今、これだけの人が受付されています。あなたの受付番号はここ、そして今この人までSRSの順番が来ています。」
と画面をスクロールさせながら説明されました。
ちょっとばかり個人情報を拝見させていただきました。
内容は受付番号、初診日、名前、年齢、住所、Etcです。
受付番号は680人余まできています。女性の名前も結構多い、100人位かな。女性の年齢は20代が殆ど。
圧倒的に京阪神の人が多い、兵庫、大阪、京都の人で約半数を占めている。
中には長野の人もいる、九州の人もいる、私と同郷の人も何人かいました。
「こんなに人数はいるけれど、全員が手術するとは限らないし、この人は待ちきれないと言って昨年タイで手術されました。」
「この中には既に順番が来ているのに、いざとなったら躊躇している人もいます。」
「あなたの場合、今まで待ったんだからもう少し待っても損はないと思うんだけどねぇ。」
私は「そうですか、去勢するにも費用は掛かるしもう少し待ってみます。」

黒田医師に別れを告げて次は産婦人科、中塚医師の診察です。
医師に順調である旨を告げると、
「そうですか、よろしいですね。」
「また半年経つので次回は血液検査をしましょう、こちらで検査をするとお金も要るのであなたの方で検査して結果を持って来られても良いです。」
私は「それでは地元で検査して結果を持ってきます。」
そしていつものとおりオパホルモンを2アンプル注射して今日は終りです。
終ったのは午後1時半過ぎでした。

今日は天候も良いのでこちらの地方では有名な吉備津神社に初詣して帰ることにしました。
こちらは桃太郎さんで有名な吉備津彦命を祭っている神社です。
岡山駅から吉備線で4つ目の吉備津駅で降りて徒歩10分のところにあります。
  

この吉備津神社は吉備地方(備前、備中、備後)の総元締めの神社として信仰を集めています。
今日は木曜日だというのに参拝客がかなりいました。
人がカメラの前からいなくなるのを待つのに結構時間がかかりました。
家内安全、無病息災などをお願いして帰路につくことにしました。
日中は暖かだったんですが夕方になるとさすがに寒い、やはりコートを着てくればよかった。

次回は3月9日(木)に伺うことにします。

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2006年3月9日(木) (24回目)

日に日に春めいています。
ブーツを履いて出掛けるのもそろそろ限界かなと思いつつ出掛けました。
岡大病院について待合室で待っていると「あ、この人は私と同じ?」、しかし知らない人だから声を掛けるわけにもゆかない。
しばらくすると医師に呼ばれ「さっき、MTFの人が来てね・・・」。
「あ、やっぱりGIDの人でしたか」。
私が「家庭の事情でホルモン療法はできない、ましてやSRSはもっての外という人がいますが、それでもお金と時間を費やしてこちらに来る価値があるでしょうか?」と聞きました。
すると黒田医師は「数は少ないけれど確かにそういう人はいます。しかし、ホルモン療法やSRSだけがGID治療ではない。人それぞれの価値観の違いでこちらに来て心が癒されるなら銭金は惜しくないという人もいます。」とのことでした。
カウンセリングを受けて心が癒されるなら、これもまたGID治療なんですね。
私が「そろそろセカンドオピニオンを受けたいです。」と言うと、
「症例検討会議で検討され判定委員会で承認されればSRSの日程が決ります。日程が決ってもすぐ手術がおこなわれるわけではありません。こちら(岡大病院)では判定委員会で承認されてからセカンドオピニオンを受けてもらうことにしています。だからもう少し待ってください。」
やれやれ、待つしかないですね〜。

次は産科・婦人科での診察です。
地元の医院で血液検査をした結果は女性ホルモン値は190、男性ホルモン値は4以下でした。
その他の結果は概ね基準値の範囲内でした。
この結果を持って中塚医師を訪ねます。
ホルモン療法をしている人は半年に1回体の変化を調べるために身体検査があります。
身体検査がある日は脱ぎやすい服装で行かなければなりません。
そうしないと服を脱ぐときに衣類にファンデーションなどがついてしまうからです。
まず身長、体重、体脂肪、血圧を測り、それから衣服を全部脱ぎ(ショーツは着用)、4サイズ(トップバスト、アンダーバスト、ウエスト、ヒップ)を測定します。
これは女性の看護師が測ってくれるのですが軽くメジャーを当てるだけですので自分が測るときより太めに測定してしまう。
アンダーバスト、ウエストなどは自分で測ったときより3Cmばかり太めに測定されてしまう。これは嫌ですね〜。
自分の思っていた数値と違う数値を告げられると思わず聞き返してしまう。
再度測ってもらっても数値は同じ、本当に嫌になってしまう。
その後、オパホルモンを2アンプル注射して今日は終りです。

  
今日は気候も良いので帰りがけに岡山城へ寄ってみました。
姫路の白鷺城と違ってこちらは黒い漆を塗った板が貼り付けてあり色が黒いので烏城とも言われています。
城内では籠がおいてあり、写真OKだったのでちょっとお姫様気分です。
河原におりてみました。後方は後楽園になります。

4月になると岡大病院でも医師の移動があるらしく中塚医師は今まで火、木曜日が担当だったのですが、
4月からは火曜日のみの診察となりました。
次回は5月9日(火)に伺います。

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2006年5月9日(火) (25回目)

今日は朝から今にも泣き出しそうな雲行き。
しかし、岡山に着く頃には天気は回復してきました。折角傘を持ってきたのにムダでした。
いつもと同じ11時過ぎに着いて待合室で待っていましたが、なかなか呼ばれない。
通りかかった看護師に「今日は黒田先生、多いの?」と聞いたら「今日は多いのよ」ですと。
待つことしばし、やっと呼ばれたのは午後1時少し前。
医師と挨拶を交わし、私が「何か良い話はありませんか?」と尋ねると、
「うん、何時からになるか分らないけれど曜日を決めてSRSを進めてゆこうかと言う話が出ている。
4人部屋位の病室を使って順次患者さんをこなしてゆこうかと、そうすれば待っている患者さんを少なくすることができるのではないかと。
これは病院長の意向なんだけど、これから検討するんだけど、ただ・・・。」
私が「ただ・・・ってなんですか?」と尋ねると、
「今、SRSを希望している人はあなたのようなMTFよりFTMの方が多いんだよね。」と、医師は笑いながら言われました。
「MTFの人は待ちきれんと言ってタイ等へ行っちゃうから、FTMの人は何処へも行かずに待っている。」
「それにFTMの人は手術を受けたくて此処(岡大病院)へやってくる。MTFの人は全員が手術を受けたいわけでもないし・・・。」
「そういうわけで割合としてはSRSを希望している人はFTMの方が多い。」
「病室の方もFTMの人とMTFの人と一緒にするわけにゆかないし、第一向う(FTM)が嫌がるよね。」
「あはははー。」二人一緒に笑ってしまいました。
「どちらにしてもこれが決ればSRSのピッチはあがると思います。」

「30台の人でタイで手術してきた人がいる。今までは男の人をなんとも思っていなかったんだけど、
ある日、男の人に言い寄られてその男の人が好きになったんだそうな。
それでその人が「これが恋っていうものなんでしょうか?」と聞いてきた。」
「そんなこと聞かれても僕に解るわけないよなぁ。」またまた2人で大笑い。

黒田医師に別れを告げて今度は婦人科の中塚医師のところです。
私が中塚医師に質問。
「ホルモン療法は婦人科の管轄だけど、ホルモン療法を希望しない人は婦人科は関係ないですか?。」
中塚医師は「確かにホルモン療法を希望しない人は専ら精神科の診察になります。
中にはホルモン療法をするか止めるか迷っていて、ホルモン療法のメリット・デメリットの話を聞かれる人、
或は肝臓が悪くてホルモン療法はできないけどSRSは受けたいという人がこられます。」
すると婦人科はあながち関係ないとは言い切れないのですね。
その後オパホルモンを2アンプル注射しました。

終ったのは午後2時半頃。
帰りがけに日本3名園の1つ、後楽園によって帰ることにしました。
よく手入れがゆきとどいていていつ見てもきれいです。
特にこの時期、つつじが満開できれいでした。

  

今日は天気が良かったので少し日焼けしました。
家に帰っても顔が火照っています。

次回は7月11日(火)に伺うことになりました。

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2006年7月11日(火) (26回目)

今日は朝から雨模様。
天気予報では「朝晩雨で日中は曇りでしょう」と。
着いたのは11時過ぎ、精神科神経科の受付で「今日は多いから待ってもらうようになりますよ」と言われました。
待合室で待っていると隣に20代前半と思われる若者とそのお母さんが座っていました。
若者はお母さんに怒って何やらブツブツ言っていました、静かになったなと思っていると今度は大粒の涙を流しながら泣き出しました。
お母さんは心配そうに若者の顔を覗き込みながら涙を拭いてやっていました。
私は「え?なに?どしたの?」とその若者を見ていましたがその内気持ち悪くなって別の席に移りました。
考えてみれば此処は精神科神経科だから予測できない人がいても不思議ではないんだけど・・・。

しばらくして名前が呼ばれました。
思っていたより早かったです、やはり予約のおかげかな。
「私が岡大病院に来て来月で3年になります」と言うと、
黒田医師は「そう、早いもんだねぇ」と。
続けて「今年の6月で判定会議(倫理委員会)がなくなりました。これからはG(ジェンダー)委員会のみとなり手続きが簡素化されました。」
私は「それは良いことですね」と。
そして「先月こちら(岡大病院)で心理検査を受けられた人がいますが、以前この心理検査は今後廃止する方向にあると聞きましたが?」と問うと、
「以前は全員この心理検査をしていました。患者さんの中には色んな人がいます。例えば、自分の主張ばかりまくしたてて人の意見を聞かない人、言っていることが支離滅裂で要領を得ない人、鬱状態がひどい人等・・・。現在は医師が必要と認める患者さんにおこなっています。」とのことでした。
「あなたは結婚しておられますよね、SRSをおこなう前に奥さんに承諾を得る必要があります。次回来られるときは奥さん同伴で来て下さい。」
「そしてSRSを受けるためのセカンドオピニオンを受けてください。」
あぁ、ついにこの時期が来たんですねぇ。

その後、婦人科の中塚医師のところへ行き精神的に安定していることを告げました。
「前回の血液検査から半年経つので血液検査の結果を持ってくるように」と言われました。
いつもの通りオパホルモンを2アンプル注射して今日は終わりです。

診察が終わったのは午後2時前。
先日TVで「岡山の吉備津神社の紫陽花が綺麗」と放送していたので行ってみることにしました。
JR吉備線の吉備津駅で下車。
駅から歩いて10分位のところに吉備津神社はあります。
こちらは桃太郎で有名な吉備津彦命(きびつひこのみこと)を奉ってある神社です。
肝心のあじさい園は境内の山の斜面にありました。
紫陽花の見ごろはちょっと過ぎた感じでしたがけっこう咲いていました。
記念写真を撮って帰ることにしましたが、それにしても暑い。
メイクに気を配りながらそっと汗を吸い取るようにしますが、本当に暑い1日でした。


次回は8月11日(金)にセカンドオピニオンのため「県立岡山病院」に、
     9月12日(火)に妻と同伴で岡大病院に伺うことになりました。

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2006年08月11日(金) (27回目)

 
 SRSに向けていつもの岡大病院の精神科医師とは別の精神科医師による診断
 「セカンドオピニオン」を 受けるため県立岡山病院へ伺いました。
 前回(2年前)伺ったときは「えー?、これでも県立病院なの?」と
 言えるようなみすぼらしい建物でしたが。
 今回伺ってみると、「なんとまぁ、立派な建物になって。これが病院なの?」。
 外観だけ見ると何処かのマンションか有料の老人ホームと見間違う程の立派な
 建物に代っていました。
 聞くと外観はほぼ出来上がっているけれど、内装は未だ工事中だそうです。
 工事が完成して囲いが取り除かれると立派な建物の全容が見えてくると思います。
 
 診察していただくのは中島豊爾医師です。
 この方は「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン」を執筆された
 性同一性障害に関する委員会のメンバーで、しかもリーダーです。
 嬉しいではないですか、こんな立派な先生が地方都市の病院におられる。
 なにも東京だけが日本の中心ではないんだぞ・・・と。
 
 岡大病院の黒田医師からの紹介状と、私の今までを記した書類を提出しました。

 中島医師はとても気さくな方で、ホルモンにより精神的に安定していること、
 家族や生活のことなど色々お話をすることができました。
 中島医師は「問題ありませんね、結果を岡大病院の黒田医師のところへ送っておきます」と。
 
 折角の中島医師との面談ですから「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン」を
 プリントアウトしたものに サインをお願いしたところ快く応じてくださいました。
 
 本当に2年ぶり2回目とは思えないほどに和やかに応対していただきました。
 中島医師とは前回も今回も「セカンドオピニオン」のためだけにお会いしたわけですが、
 帰り際に今後の私を気遣ってくださり、丁重に見送りまでしていただき、本当に恐縮です。
 もう中島医師とはお会いする機会はないんですね。
 ちょっと寂しい気もします。
 
 
 
 
 
 
 

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2006年09月12日(火) (28回目)

SRSに向けて家族の同意が必要だからと言うことで妻と同伴で岡大病院へ向います。
始めの頃は気軽に応じていた妻ですが、日が近づくにつれ時々「行きたくない」と言い出し私をハラハラさせています。
楽しいことで行くのなら嬉しいけれどそうではないから、私も立場が逆だったら同じことを言うだろうなぁ。
何とか妻のご機嫌をとりながら今日は車で行くことにしました。
私1人で行くときは高速バスで行きますが2人の場合車の方が安くつく。
11時過ぎに受付を済ませ待合室で待機していると程なく呼ばれ2人で診察室へ。
挨拶をして黒田医師に妻を紹介。
私が「先月県立岡山病院の中島医師にお会いしたこと、ガイドラインを作られた有名な医師が地方都市の病院におられることが嬉しい。」
などと話すと。
「中島医師は以前はこちら(岡大病院)にいたんだけど今はあちら(県立岡山病院)に移って頑張っているようだね」と。
私が「ガイドラインには「SRSについてそれぞれの医療チームが依頼した場合に限り他の医療機関でもおこなうことができる。」とありますが、
実際問題として他の大学病院などから依頼されてもこちらで受け入れる余裕がありますか?」と聞くと、
「ガイドラインにはそう書いてあってもこちらも満杯状態だし、それにGID診療はまだ試験的域を出ていない。
他所の患者さんを受け入れることができる状態ではないですね。」
私は「なるほど、大阪の関西医科大学のGID診療では受け付けてもらうために手紙で予約をしなければならない状態ですしね。」と言うと、
「関東の方で、病院で断られてこちらに来られる人がいます。こちらで門戸を閉ざしたら患者さんの行き場が無くなってしまう。
今では埼玉医大と連絡をとりあって患者さんの救済に頑張っているところです。」

それでは奥さんと話をしたいからと私は席を外すことにしました。
何やら中で話し声が聞こえる。SRSに同意するだけの筈なのに30分近く掛かっている。なんか心配です。
やがて私が呼ばれて黒田医師から、
「あなたがこちらに来られてから今までを奥さんに説明しました。奥さんの気持が未だ固まっていないようだからもう少し話し合ってください。」
・・・ えー!、納得してくれてたんじゃなかったの? ・・・
私は妻の顔をじっと見てしまう。
「奥さんが同意されるようでしたら同意書を提出してください。」と言われ書類の書き方の説明を受けました。
後で妻に問い正すと、
「黒田先生が優しい人だから、私の心に思っていることを全部話したのよ。私が手術に納得しているわけではない。
私が嫌だと言ってもあなたが聞かないから仕方なく同意するんだってね。」
・・・ うーん、妻の気持、わからないでもないなぁ ・・・
妻も心のわだかまりを吐き出してさっぱりしたみたいです。
結局、あとから同意書を作成して提出することになりました。

朝、精神科でもお目にかかり、また婦人科でもお目にかかり、ちょっと気にかかる人がいました。
私がその人を初めて見たときに「あっ、この人は私と同じ血が流れている人ではないかな?」と思った人です。
「あのぉ、MTFの方でしょうか?」と恐る恐る訊ねました。
「そうですよ」と答えてくれて、「あぁ、良かった。」外したらどうしようかと思っていました。」
聞けば私と同郷だという、私は嬉しくなって妻を放っておいてしばしおしゃり。
私は岡大病院に来て3年になること、SRSはこちらで受けるつもりでいること、今日は妻同伴で来ていること等を話しました。
その人は岡大病院に来て1年余りでこの度タイでSRSを受けるために英文の紹介状を書いてもらうために来られたそうです。
そういえば私もと「タイでSRSを受けるなら英文の紹介状を書いてあげるよ」と1年半前に言われていたんですよね。
私はタイに行けばとっくの昔に手術は完了していたんですよね。
言葉の不安もあったし、1人で行くのも不安だったし、国産にこだわったから今まで待たされてしまった。
その人は「英語は少しできるし、タイにも日本語ができる人がいるからなんとかなるでしょ。」とのことでした。
そして同意書が必要なのは日本の制度であって、タイの病院では同意書は必要ないという。
これもSRSを受ける人がタイに行ってしまう理由の1つなんですね
同郷の人だから話が弾む弾む。
もっと話したかったけれど、診察の順番が来てお喋りは終わり。

婦人科の中塚医師のところへ行き精神的に安定していることを告げて、広島の医院でうけた血液検査の結果を提出しました。
また前回の身体検査から半年経ったので血圧、身長、体重、4サイズの検査をしました。
いつもの通りオパホルモンを2アンプル注射して今日は終わりです。

今日は渋々ついてきてくれた妻へ心と体を癒してもらうために、竹原市にある湯坂温泉に1伯の予定です。
こちらは久しぶりの温泉旅行ですから妻は喜んでくれるでしょう。

次回は9月20日(水)に形成外科で話を伺うことになりました。

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2006年09月20日(水) (29回目)

今日はSRSについて形成外科で話を伺いました。
木股医師に代わって長谷川医師が色々と話をされました。
先ずSRSとはどんなことをするのか・・・、これは以前(15回目)に伺っているのでそれは省略して。
医師は「膣の形成ですが、どんなものを希望されていますか?」。
私は「それは使えるものが欲しいです。」と言うと、
医師は「誤解があるといけないので言いますけど、女性のそれと同じものはできません。」
「皆さんはどうせなら女性の膣に近いものを、と言われますが深いものにすればするほどリスクが大きくなります。」
「折角深いものを作っても使わなければどんどん浅くなってきて、意味がありません。」
「気持は解りますが新婚さんではないのだからそんなに使う人はいませんよ。」
「今まであったものが無くなった、それだけでも満足されている人もいます。」
「いくらなんでも、ツルリンコではさえないので3Cmくらいの穴で満足される人もいます。」
「深くなればなるほど感染症や腸への圧迫や膀胱への圧迫など好くない方向へリスクが広がります。」
「今まで最大限の手術をした人もいますが、「そんなにリスクが大きくなるなら・・・気持だけ膣があれば良い」と言われる人が多いです。
「あなたにパートナーが居るなら、女性と同じものはできないんだ。と説得した方が良いです。」
「相手の持ち物の大きさによるけれど、普通の男性を相手にするようなわけにはゆきません。」
ここまで聞いて私の「使えるものが欲しい」という気持が揺らいできました。
私が「それでは今まで一番深い手術をした人は何Cmですか?」と聞くと、
「深いのは11Cm位の人がいます、あなたにそれができるかどうか判りませんが。」
「何度も言いますが3Cm、5Cm、7Cmと深くなればなるほどリスクが増大します。」
「大きい膣を作るのは問題ありません、深さが問題なんです。」
「若い人なら手術痕も早く治癒しますが、歳をとればとるほど時間がかかりますから。」

・・・・・・ 病院としてもリスクの高い手術はやりたくないんですね ・・・・・・

「可能な限りのものを・・・と、言われれば努力はします。但しリスクのことも考えておいてください。」
「次回来られるときまでに、パートナーとも相談されて、ジックリ考えておいてください。」
・・・・・・ なんかリスクの話ばっかり聞かされた感じです ・・・・・・
・・・・・・ 私にはパートナーはいないけれど、ウーン、困ったなぁ ・・・・・・

 
 
 
 
 
 今日は形成外科だけですから11時過ぎに着いて12時には終りました。
 先日、宿題になっていた同意書を提出して終わりです。
 
 時間が早いので岡山県立博物館へ寄ってみました。
 こちらには岡山県で発掘された鉄器や土器が多数陳列してあります。
 備前焼の土器なども多数ありましたが、重要文化財と言われても、
 私には骨董に興味がないから普通の土器にしか見えませんでした。

 博物館に向う途中、鶴見橋の上で。
 日差しが強い日は日傘が必需品です。

 次回は11月14日に伺います。

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2006年11月14日(火) (30回目)

今日は午前中時折雨が降るという天気予報でしたが、出掛けるときには降っていなかったので折畳み傘を持って出掛けました。
バスに乗っているとザーッと雨になりましたが岡山に着く頃には止んでくれてひと安心。
岡大病院では2時間近く待たされてやっと診察です。
私のネットでの友達は、岡大病院に通院を始めて1年にもならないのに友達が3人くらい出来たとか。
私は元々臆病なせいか、話しかける勇気がないから、なかなか友達が出来ない。

黒田医師は開口一番「検討会ではあなたのことは保留になりました。問題になったのはあなたの年齢です。」と。
私は「えー、保留ですかぁ。」とガックリ。
「と言うことは前には進まないってことですか?、確かに歳はとっていますがね。」
医師は「いや、進まないのではなく一旦立ち止まったということです。」

私は形成外科で、リスクをやたら強調されて暗い気持になったこと等を報告。
「で、次回形成外科に来るときどのような手術をしたいか決めてきてくれと言われているんだけど・・・。」
「先に進めないのなら形成外科へ行ってもしかたないですか?。」
黒田医師は「いや、話は進めてよいです、報告はしておいてください。」と。
私は熟年の部類に入るからどんどん先へ進みたいのに、これでは「なんだか、なんだかなぁ」って感じです。

それから産婦人科の中塚医師のところへ行き、
前回の血液検査で女性ホルモン値が異常な数値を示していたので、再検査の結果を提出しました。
中塚医師は「問題ありませんね」と。
その後オパホルモンを2アンプル注射して本日は終わりです。

次回は11月22日(水)、形成外科へ伺います。

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2006年11月22日(水) (31回目)

予約の時間(11時半)に形成外科の受付を済ませましたが、前回(9月20日)のとき長谷川医師に目一杯リスクのことを言われ、
気分が落ち込んでいたので是非木股医師にとお願いしました。
前回はすぐ呼ばれたのに今日はなかなか呼ばれません。しかも待合室には沢山の人が並んでいます。
診察室は1時間以上閉じられたまま、今日は診察が長引いているようです。
隣に座っていたお婆さんが話しかけてきておしゃべりを。
「私は乳がんで左胸を切り取ったんじゃがその後左手がむくんで仕方が無い、それで診てもらいに来た」と。
「あんたは何を診てもらいに来たん?」と問いかけられ、
私は「今度手術を受けるんだけど、その話を聞きに来たんです。」と答えました。
すると「ほう、何処を手術するんの?」。
「それは・・・・・、ちょっとしたところです。」私は言葉につまってしまいました。
いくらなんでも「おちんちんを取る話です」とは言えないよねぇ。(^_^;)
お婆さんがしつこく聞いてこなかったので助かりました。

2時間位待たされてやっと呼ばれました。
私は長谷川医師とのやりとりを木股医師に伝え、「気分が落ち込んでしまった」と言いました。
「できるなら長谷川医師はパスしたいくらいだ」と言うと、
木股医師は「いや、長谷川医師はいい人ですよ。言葉の行き違いはあったかも知れないけれど、彼を慕って来る人は大勢います」と。
私は手術内容について「この歳になって男性と性交渉するわけではないので浅くても良いから凹のものにして欲しい」と言いました。

私は「話は進めて良いです、と言われて来たんだけど、できるなら手術の日程も決めて帰りたい。」と言うと、
「いや、ちょっと待ってください、あなたは保留になっているので今日それを決めることはできません。それをやるとフライングになってしまう。」
私は「話を進めて良いと言われたから来たんです、それができないんなら今日此処へ来た意味が無い。」と少し強く言いました。
・・・・・・ 言いたくはないけれど此処に来るための交通費だってバカにならないんだ。 ・・・・・・

「GOサインがなければ進まないのなら日程だけでも仮に押えておきたい」と申し出ました。
「ちょっと待ってください」と携帯電話で黒田医師と話を始めました。
このとき隣の診察室から長谷川医師が顔を覗かせました。
・・・・・・ さっきの話、聞かれたかな? ・・・・・・

しばらくして、
「11月24日に次の会議があります、その結果を待って日程の話をしましょう。」
ということになり、次週(11月29日)の形成外科の診察日に電話で会議の結果を聞くことになりました。
会議の結果を聞くためだけに来院するのは交通費がもったいないですからねぇ。

話が終ったのは午後2時半になりました。先程のお婆さんに挨拶をして帰路につきます。
・・・・・・ もう会うことはないと思いますが、お大事にね。 ・・・・・・

2006年11月29日(水) 電話にて

岡大病院の形成外科に会議の結果を電話で聞きました。
応対に出た長谷川医師は「結果はOKでした。」
私は「嬉しいです。で、手術のの日程を仮に決めて欲しいですが。」と言うと、
「それは出来ません、本人と直接お会いしてからでないと、こう言う大事なことは決められません。」ですと。
私は「だから仮にでも日程を決めておいて後から正式に打ち合わせしましょうと先日木股医師と話をしたじゃないですか。」
「こうしている間にも出来る日がどんどん後にずれてゆく、だから仮にでも押えておきたいんです。」
長谷川医師は「私が聞いていたのは会議の結果について連絡することだけです。」と。
私は「そちら(岡大病院)に行くのに交通費もバカにならないんです、だから電話で済むことなら電話で済ませたい。後からそちらに伺いますよ。」
すると「あなたの言うことはよく分かります、あなたの気持もよく分かります。しかし・・・。」
「以前、違う病気の方と電話で日程を決めていて、その日が来たときに事務手続きが出来ていなくて患者さんに大変迷惑をかけたことがあります。」
「それ以来大事なことを決めるときは必ず直接会って決めることにしましょう。となったのです。」と。

私はこれ以上食い下がってもムダだと判断しました。
「それでは1日でも早く日程を決めて頂きたいから来週伺います。」と言って電話を切りました。
・・・・・・ なんだか長谷川医師とは気持が通じ合わないね。 ・・・・・・ 

次回は12月6日(水)に形成外科に伺います。

当初長谷川医師との接見を予約(午前11時)していたのですが、やはり木股医師の方が話し易いので変えていただきました。
木股医師は忙しくて午後2時からの予約となりました。

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2006年12月6日(水) (32回目)

今日は久しぶりの小春日和です。
いつもは午前中に病院に到着するのですが午後になって着くのは初めてです。
午後からの受付は予約患者だけなんですね。
待っていると間もなく呼ばれました。
木股医師に先日の電話のやりとりのことを伝え、私は「やっぱり木股先生の方がいい」と言いました。
すると木股医師は「実はね・・・、今FTMの患者さんが多くてね、私がその方たちを専属に診ることになったんです。」
「MTFの方は長谷川医師と海外(ベルギー)研修中の難波医師が診ることになっています。」ですと。
・・・・・・・ アリャー、木股医師はダメなんだ! これなら変えてもらった意味がないね。・・・・・・

それから長谷川医師が登場。
「検討会議の結果はOKでしたね、それでは日程の話をしましょう。
「先週から今週にかけてバタバタバタと予定が入ってしまいました。」
・・・・・・ だから仮にでも押えておきたいと言ったのに。プン!。 ・・・・・・
「現在、来年の8月まで詰まっています。殆どがFTMの方なんですね。」
今さら恨み言を言っても仕方がないから
「9月までは私の方で予定がありますからそれ以降にしてください。」
「それでは10月の23日が空いていますからそれで宜しいですか?。」
私は「はい、それで良いです。」と言いました。
良いも悪いも私の都合も含めて最短でお願いできる日がそれしかないんだから仕方がないですね。
「それでは入院の1ヶ月前に諸々の検査がありますから、9月19日(水)にこちら(形成外科)に来てください。」
それから手術の対象となる性器の写真を撮られました。
・・・・・・ できるものなら隠したいものの写真を撮られるのは嬉しくなーい!(-_-;) ・・・・・・

そして手術に関わる形成外科、泌尿器科、産婦人科の窓口になってくれる看護師を紹介されました。
縦割り社会の典型である夫々の診療科の窓口になってくれる人がいるのは有り難いです。
その方は『高馬 章江』(たかうま あきえ)さんで副看護師長さんです。
長谷川医師が「これからは高馬さんが窓口ですからなんでも高馬さんに言ってください。」
そして入院に関する手続きやら注意書き等々、書類をいただきました。(入院は来年10月なのに、無くさない様にしなきゃ。)

帰る前に高馬さんが「ちょっとお話をしましょう。」と。
私が「今まで、こんなことがあった、あんなことがあった。」などと世間話やら雑談などをしました。
高馬さんに「あなたは年齢の割には若く見えますよぉ。」と言われ、お世辞にしても悪い気はしないですね。
木股医師は年の功というか穏やかに話されるし、私の話もジックリと聞かれる。話をしていて気が和む。
それに引き換え長谷川医師は若いから・・・、皆さんは「とても良い先生ですよ」と言うけれど・・・。
それで気持が凹んでいたところへおだてられるとコロッとひっくり返ってしまう。←単純な性格ですねぇ。(^_^;)
・・・・・・・ 高馬副看護師長は人を乗せるのがうまいのかなぁ。 ・・・・・・
いずれにしても長谷川医師にお願いするしかないのだから。マ、しかたないですね。

泌尿器科の検査をおこなうことになり12月20日(水)に伺うことになりました。
また以前の検査と同じように、おちんちんをいじくりまわされるんでしょうか。
いずれ無くなるものとはいえ、あまりいじくられるのは・・・、ヤだなぁ。

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2006年12月20日(水) (33回目)

今日は性器検査があると思い、ひときわ綺麗にして泌尿器科に臨みました。
担当は石井和史医師です。
私が「今日は検査のつもりで来ました。」と言うと、
石井医師は「検査は来年9月に形成外科の検査がありますね、その後にしましょう。今日は手術の説明をします。」
・・・・・・ え?、今日は検査はしないの? ・・・・・・
なんか拍子抜けの感じです。

石井医師は病状説明書を取り出して、
○ 両側精巣摘出
○ 陰茎切断
○ 陰核(クリトリス)形成
○ 造膣
○ 外陰部形成
と、図を描きながら説明されました。
ここまでは形成外科で聞いた内容と同じものでした。
そして「男性特有のもの”前立腺」”は残ります。女性(FTM)の場合、女性特有のもの(乳房、子宮)は全て切除しますが、男性(MTF)の場合は前立腺は残ります。
だから前立腺癌の可能性は残ります。しかし、この前立腺癌の治療に女性ホルモンを使用しますがMTFの方は既に女性ホルモンを使用されているのでこの病気にかかることはまずないでしょう。」
続いて「膣をあまり深くすると直腸損傷の恐れがあります。そうなるとそちらの方を先に治療するので膣はつぶれてしまいます。」
・・・・・・ フムフム ・・・・・・

一通りの説明を聞いて病状説明書に「以上のように説明を受けました」とサインをして1枚を私に、1枚をカルテに綴じられました。
今まで色々な医療科で説明を受ける度にこうやってサインをしてきましたが、後でトラブルになっても「聞いていない」とは言えないですね。

精神科と産婦人科へは年が明けて1月9日(火)に伺います。

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2007年1月9日(火) (34回目)

あけましておめでとうございます。

今日は2007年初診察です。
いつものとおり11時過ぎに精神科へ、待つことしばし、やっと診察室へ。
黒田医師へ新年の挨拶をして、
私が「前回から2回も無駄足を踏んでしまいました。」と切り出しました。
「11月22日には、話を進めて良いと言われて形成外科に行ったんだけど教授会でOKが出ていないから日程を決められなかった。」
「これでは何のために形成外科に行ったのか分からない。」
すると医師は、
「未だ教授会での承認は保留になっていたけれど、話を聞くだけなら良いかなと、話を進めて良いと言ったのです。」
私は、
「手術内容の話は以前聞きました。おまけに日程を決められなかったのだから、何のために来たのか分からない。」
「私は1日も早く日程を決めてもらいたいから教授会でOKが出たのを確認して12月6日にまた来たのですよ。」
「泌尿器科でも検査を受けてくださいと言うから12月20日にも泌尿器科に来たんです。」
「すると検査は9月19日の形成外科の検査の後にしましょうと言うことになり手術内容の説明を受けました。」
「形成外科で受けたことと同じ内容のことを聞かされサインをさせられました。」
「まるで縦割り社会の典型ですね、こちらではカルテの持ち回りはするのにデータの共有はしないんですね。」
と、今まで感じていたこと、思っていたことを全部吐き出してしまいました。」
すると黒田医師は、
「うーん、データの共有はしないことはないんだけど・・・、診療科毎に独自の診察をするからね。」
「複数の科を受けられる患者さんには不満が残るかもしれないけれど・・・、これはこれで仕方ないかもしれませんね。」
「不愉快な思いをされたことには私から謝罪します。」
私は「いやいや、そんなつもりではないんです。」とかえって恐縮してしまいました。

黒田医師が「すると9月まではもう来ないですか?」と聞かれたので、
「いや、産婦人科には来なければいけないので3月に来ようと思っています。」と答えました。

カルテを預かり受付へ持って行き、「産婦人科へ持って行きます」と伝えると、
看護婦さんが「今月からカルテは患者さんに託さないことになったの、こちらで送っておきます。」ですと。
以前、何かトラブルでもあったのかな?。

産婦人科ではなんとなく妊婦さんの姿が多いです。
以前も妊婦さんは見かけていましたが今日は特に多いような。
こちらでも2時間位待たされました。
やっと中塚医師の診察室へ。
「今日は今年初めての診察日なんで随分待たされたと思います。ごめんなさいね。」
そういえば今日は第2火曜日とはいうものの、第1火曜日の1月2日は正月休みだから実質1月初めての診察日なんですね。
それで患者さんが多いんだ。
中塚医師へ順調である旨経過報告をしてオパホルモン5mgを2アンプル注射していただきました。

今日は診察が早く終れば吉備津神社に初詣して帰ろうかと思っていましたが、
診察が終ったのが午後3時半頃になり止めて帰ることにしました。

次回は4月3日(火)に精神科と産婦人科に伺います。

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2007年4月3日(火) (35回目)

当初3月20日に病院に行く予定だったのですが、もう少し暖かくなってからと思い今日に変更しました。
予約変更の電話を入れるといつもの時間帯は既に予約があり1時間早い10時でないと空いていないと言われました。
1時間早く支度をするのはかなりしんどいです。
午前10過ぎに岡大病院に到着、待合室で待っていると11時過ぎに呼ばれました。
「お久しぶりです。」と挨拶を交わし、黒田医師と色々話しました。
今日は岡田医師が同席されていてカルテへの書き込みは岡田医師がされていました。
黒田医師は「形成の難波医師がベルギーでの研修から帰って来て彼の話では、向うでは80歳のMTFの人がSRSをしたんだそうな。」と話されました。
私は「私が若し80歳だったらSRSは諦めていますね、80歳だったら余命はいくらもないじゃないですか。でもすごいなぁ。」と言って感心しました。
「ところであなたはどうしても手術はしたいの?」と聞かれたので、
「どうしてもかと聞かれると返事に困るけれど、この歳になっても手術ができると分かった以上目的に向って進みたいです。」
と答え、手術の予定日が決ったこと、その1ヶ月前に全検査を受けることになっていることを伝えました。
私が「今にして思えばもっと早く此処(岡大病院)へ来れば良かったと思っています。でも此処へ来る最初の第一歩が恐かったんですよ。」と言うと、
医師は「皆そう言うね、でも来て見ると本当は怖くはないんだけどね。」と。
「これからMTFの人が2人、新患さんが1人来るんだよ。」
「そうですか、新患さんの後でなくて良かったです。」と言い2人で笑いました。
黒田医師に別れを告げて今度は産婦人科へ向います。

診察の前に血圧測定と体脂肪測定をしておきます。
体脂肪測定では素足にならなくてはなりません。生足になるのはちょっと恥しい気もします。
何回もやっているのでやっているので慣れたものです、自分で勝手に機械を操作して測っておきました。
最近、血圧が高めに出るんです。ちょっと心配です。

中塚医師に呼ばれ、先日地元で受けた血液検査の結果と先程測定した血圧と体脂肪の結果を渡し、
「ちょっと風邪をひきましたが他は異常ありません。」と報告。
中塚医師は「そうですか、ちょっと血圧が高いですね。動脈硬化の程度を調べてみましょう。」
別室へ移動し『血圧脈波検査装置』で、血圧、血液の流れ、動脈硬化度を測定されました。
この機械は両足首と両腕に血圧を測るときに使うようなものを巻きつけ首のところにもセンサーをとりつけて体の中の血液の流れを測定するものです。
その結果、
血圧はやっぱり高め。
ABI(動脈の流れ)は正常、いわゆるドロドロ血ではない。
baPWV(動脈の硬さ)は高い。←これが問題です。
看護師さんから結果を見せられながら説明を受けました。
「動脈硬化は加齢とともに進みます。このグラフは年齢と動脈硬化の進行具合を表したものです。」
「これによると、あなたは平均を大きく逸脱しています。あなたの血管年齢は90歳に近いですよ。」
   ギョエ〜、キュウジュッサイ!!、ジョウダンジャナイヨ (・・;)
これから看護師さんから質問責めです。
Q「あなたはタバコは吸いますか?」、A「いや、タバコは吸いません。」
Q「あなたはお酒は好きですか?」、A「たしなむ程度です。」
Q「たしなむ程度ってどれくらいですか?」、A「缶ビールなら1〜2本程度/日、焼酎お湯割り1〜2杯/日程度です。」
Q「あなたは好き嫌いはありますか?」、A「私は好き嫌いはありません、なんでも食べます。」
Q「あなたは脂っこいものが好きですか?」、A「いや、最近はあまり食べなくなりました。」
Q「あなたは肉が好きですか?」、A「いや、たまに食べる程度です。魚のほうが多いです。」
Q「あなたは塩辛いものが好きですか?」、A「いや、そんなに好きではありません。」
Q「あなたは野菜は好きですか?」、A「はい、野菜は好きですからよく食べますよ。」
Q「あなたは外食はよくしますか?」。A「たまにするくらいで殆どしません。」
Q「あなたは味付けは濃いほうが好きですか?」、A「はい、味は濃いほうが好きです。薄いと味気ないです。」

看護師さんはおもむろに、
「わかりました、問題は味付けですね。あなたは塩辛いものは好きではないと言いましたが、醤油やソースにはかなりの塩が入っています。その蓄積がこの結果になっているのだと思います。これからは意識して薄味に努めてください。他は問題ないと思います。」
「はぁ、薄味ですか。味気ない食生活になりますね。」と私。
看護師さんは「急に極端に薄味にすると食欲がわかないかもしれませんが徐々に薄味にされたほうがあなたの体のためです。」と。
「わかりました。意識してですね。」と私。
「そう、意識してです。」と看護師さん。

それから半年振りに身体測定をします。
すると形成外科の高馬看護師さんがやってきました。
「へ?、高馬さんは形成ではなかったの?」
「こちらへ応援に来てるのよ。」
「なるほど!」
別室で衣服を脱いで、TB、UB、W、HIP周りを測定、依然と変わらずでした。
それからオパホルモン5mgを2アンプル注射して今日は終わりです。

 前回、初詣できなかったので、
 桃太郎さんでお馴染の『吉備津神社』へ
 今日お参りしましょうと。

 JR吉備線で吉備津駅下車。

 徒歩10分と言われるけれど、けっこう距離があります。


 参道の松並木を抜け神社に到着。
 遅い初詣(この時期は初詣とは言わない?)をしました。




次回は9月18日(火)に精神科と産婦人科に伺います。
そして翌日手術前の全検査を形成外科と泌尿器科で行います。
そのため9月18日は岡山市内で泊ろうかと考えています。

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2007年4月18日(水) (臨時)

形成外科の長谷川医師から電話がありました。
「助教授の難波医師が研修から帰ってこられたので顔合わせをお願いしたい」とのことでした。
これからは難波医師と長谷川医師とでMTFのSRSを行うそうです。
今までは水曜日の診察でしたが4月から金曜日になるそうです。
それから当初10月23日に手術を予定していたけれど、その日は難波医師の都合が悪いので予定日を変えたいとのこと。
7月に空いている日があるそうですが、10月以降でないと今度は私が都合が悪い。
それで再度日程について話し合うことになりました。
そのため5月18日(金)に形成外科に伺います。

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2007年5月18日(金) (36回目)

形成外科には色ん患者さんが来られます。
幼児を連れた夫婦の方や、年配の方、いったい何処が悪いんだろうと思えるような青年とか学生さん達。
中には携帯のゲームに熱中したり、メールを一所懸命打っている若い女性もいます。
今まで私が行っていた精神科や産婦人科とは違う光景です。

やがて長谷川医師に呼ばれ診察室へ。
隣の診察室の難波医師も来られて初対面。優しい感じの方でした。
私が「土産話によると80歳の方の手術をされたとか」と聞くと、
「いえいえ、90歳ですよ」と。ビックリですね。
「私はこの歳でまだ手術ができると知って踏み切ったんですけど、70歳を超えてたら諦めていますよ。」
難波医師は「そうですか?」。
私は「だって70歳過ぎてたら余命が残りすくないじゃないですか、掛けた費用がもったいないですよ。」と。

今後の予定について長谷川医師と難波医師と打ち合わせを。
私は「10月以降でないと都合が悪い」と告げ、手術は11月13日(火)に決りました。
実は7月でも良かったんですが私の都合が悪いため仕方がないです。

難波医師が「ちょっとあそこを見せてください。」と。
下着を脱いでベッドで横にななると私のあそこをシゲシゲと。(なんか恥しい)
聞けば私の陰茎はかなり小さいらしいです。
そういえば私の友達(GID)の陰茎も小さいと言っていた。(小ささを競い合っても仕方ないのですが) (^_^;)
ニューハーフの方々のあれはデカイのが多いそうですが、GIDのそれは小さいのが多いのかな。
ホルモンによって玉は縮むけれど竿は縮むことはないそうなので生まれつきなんでしょうか。

話が埼玉医大のことになり、
埼玉医大の教授が定年になり後継者がいないので手術を中止することになりました。
予約していた30人が手術を断られたそうです。
手術にこぎつけるまで最低3年はかかります。それまでじっと待っていた方々の気持を思うと本当に気の毒です。
新聞の記事によりますと、形成外科の手術を担当していた原科孝雄教授は定年後も特任教授として治療を続ける予定だったが大学側と折り合いがつかなたったんだそうです。
長谷川医師は「埼玉医大のSRSは終ったね」と。
1998年に国内で初めて正当な医療としての手術を実施し、今まで350例以上の実績があります。
予約していた30人以外にも通院している患者さんも数多くいます。
このことによる影響は大きいと思います。
1日も早い再開が望まれます。

難波医師が「膣を作るのに陰毛が邪魔だから陰嚢の周りの脱毛します。」
と言うことで午後からレーザー脱毛することになりました。
一回では完全に脱毛できないので手術までに3回レーザー脱毛します。
私は「ついでに顔の脱毛もしたい」と言いましたがそれは叶いませんでした。^_^;

次回は2回目のレーザー脱毛のために8月17日(金)に形成外科に伺います。
なんか交通費がもったいないような気がしますが仕方ないですね。

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2007年8月17日(金) (37回目)

朝、時計代わりにTVを見ながら出かける準備をしていました。
すると本日の運勢というのがあって私の星座の運気が最低でした。
私は占いというものは信じないのですが「最低」と言われるのは気分の良いものではないですね。(^_^;)

このところ35度以上の猛暑日が続いています、仕度を済ませて出掛けますが朝からじりじりと暑い。
高速バスに乗って30分位すると、バスがガクンとスピードを落としそのまま止まってしまいました。
「なんだぁ?」と前方を見るとズラーっと車の列です。
何事かと電光掲示板を見ると「事故、3Kmの渋滞」と表示していました。
それからはちょっと動いては止まり、ちょっと動いては止まり・・・です。
運転手も車内放送で「渋滞のため到着時間が遅れそうです、ご了解ください」と言っている。
40分位ノロノロが続いたでしょうか、やっと事故現場までやって来ました。
事故車両を見ると単独事故のようで、乗用車が走行車線にあお向けにひっくり返っていました。
それにしても高速道路での事故って凄いですね、車の破片が100m近くにわたって散らかっていました。
これが複数の車が絡む事故だったら通行止めだったのでしょうが車が1台だったので追越車線での通行です。
事故現場を過ぎると順調に走りましたが岡山駅前に到着したのは11時半を過ぎてしまいました。
病院での予約時間は10時半から11時までとなっていたのにとうに過ぎてしまっています。
2時間位待たされることがあるので大丈夫であることを願いながら病院に着いたのは1時間遅れでした。

受付で「遅れてすみません」と言いながら診察券を出すと、
「あら、何時の約束だったの?。先生は診察を終って手術の方へ行かれたからもう診察はありませんよ。」
あちゃー、やっぱり。
・・・・ あっさり通行止めになっていれば諦めて新幹線で来るのに、それなら遅刻することもなかったのに。 ・・・・
「実はバスが遅れて・・・、今日はレーザーだけなのでなんとかなりませんか?」
看護師さんが「レーザーだけなら他の先生にお願いしてみましょう。」と。
やれやれ助かりました。
これでだめだったら今日なんのために岡大病院にきたのかわかりません。

レーザーを3回受けることになっており、今日が2回目であることを告げレーザー照射を受けます。
2回目であるためか1回目より出力が強いようです。
パチン、パチンとゴムを弾くような衝撃ですが、陰嚢の股間側になると痛い。
特に陰嚢の縫い合わせ状態の付近は特に痛く感じます。
そこをパチンとやられると悲鳴をあげてしまい、思わず身をよじってしまう。
すると「我慢よ、ここが膣になる大事なところだから、膣に毛が生えてたらまずいでしょ。」
「はい」と言いながらも「痛いよぉ。」 (~o~)
そんなことを繰り返しているうちに「はい、終りました。」
「陰嚢がちょっとした火傷状態になっているからこれで冷やしてください」と凍った保冷剤をいただきました。
これを股間にあてるとひんやりして気持が良いです。

医師に「このレーザー脱毛機は顔の髭の脱毛には使えないのか?」と聞くと、
「此処(岡大病院)では美容外科はやっていません、この機械はSRSのために必要だから置いてあるのです。」
「それを希望されるならそれをやってくれる病院かエステサロンに行ってください。」と言われてしまいました。 (はぁ〜 -_-)

今日はこれだけのために来たのですから早く終りました。
暑いので何処にも寄り道する気になりません、このまま帰ります。
高速バスの停留所に行くと、「今コンピュータが故障していて座席の割り当てができない」という。
座席は運転手に決めてもらうことになりました。
それでも乗客は皆座ることができましたのでやれやれです。

帰りのバスは何事もなく順調に帰ることができました。
高速バスを降りて自宅方面に向うバスに乗るためにバス停に向っていると目の前をバスが通過して行きました。 (ア〜!)
次のバスをこの暑いのにしばらく待たなければなりません。
・・・・ 今日は朝から運勢通りのついていない日だったなぁ。 ・・・・ 

次回は9月18日(火)に精神科と産婦人科に伺います。

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2007年9月18日(火) (38回目)

前回、高速バスが遅れたため遅刻してしまいました。
それでなくてもギリギリの時間に着いていたものですからちょっと異変があると即遅刻につながってしまいます。
それで1時間早いバスに乗車すべく早めに仕度をしました。
しかし、この「1時間早く」と言うのがけっこう辛いんですよね。(^_^;)

おかげで予約時間には余裕で到着することができましたが病院で待たされる。
だから少々遅く来ても大丈夫と思ってしまうんですよね。

今日は医学生が2人実習に来ていました。
私が黒田医師に「埼玉医大病院で担当医師が5月に退職したために性転換手術(SRS)が中止になったけれど、患者さん達がこちら(岡大病院)に流れてきたということはありませんか?」と尋ねると、
黒田医師は「僕も心配したんだけど、そんなことはないようだねぇ、手術の依頼もないようだし」と。
それでは10月までに予定されていた手術を中止された患者さん達はどうされたんでしょうか、他人事ながらちょっと心配です。
黒田医師が「ところでいつ手術をすることになったの?」と聞かれ、
「11月に決りました、来月手術のための全検査を受けます」と答えると、
「あなたは通院を始めて4年経ったねぇ、他の患者さんを見ても4年はかかっています。中にはそれ以上かかっている人もいますよ。」
「それが待ちきれなくて外国に行かれる人も多いんだけどね。」
「いよいよだね、頑張ってください。」と激励されました。
今日の実習生達は何も発言せず、医師も実習生達に何も説明しなかったけれど、後で説明するのかな?。

次は産婦人科です。
今日は前日が祭日だった影響でしょうか、赤ちゃんを抱いたお母さんやお腹の大きい妊婦の方が多いです。
中塚医師の診察室の前には、30分刻みの時間が書いてある紙が貼ってあります。
私が産婦人科に着いたのは11時前、その紙には9時半のところに赤い印がつけてありました。
・・・・ ははぁ、今9時半の予約の患者さんを診ているところか・・・、私の予約時間は11時半だから、うわぁ〜。 (・・;) ・・・・
13時になっても赤い印は11時のところです。
14時前になってやっと看護師さんが11時半のところに印をつけてくれました。
・・・・ そろそろですね ・・・・
やっと、やっと名前が呼ばれました。
中塚医師に地元の医院で受けた血液検査の結果を渡し、精神的に異常のないことを告げました。
それから赤血球数が若干少ないから鉄分の多い食事を摂るように、血圧が高めなので必要なら血圧降下剤の服用を指示されました。
それから半年振りなので、ホルモンの影響を調べるため全身検査です。
身長、体重は前もって測ってあるので、TB、UB、W、HIPを別室で衣服を脱いで測定されます。
だからこの日は着脱しやすい服装で行かないと、スタイル重視の服装で行くと後が大変です。(^○^)

その後オパホルモンを2アンプル注射して本日は終わりです。

11月13日手術のため入院し、回診のときお会いするので精神科、産婦人科の予約は取りませんでした。

次回は9月26日(水)手術前の検査で泌尿器科へ伺います。
これって担当医師の診察日が違うとその都度病院に行かなければいけない、縦割り診療の典型ですね。
遠方から通院している人は交通費が大変なんですよ。
検査だけなんだからついでのときでもやってくれないかなぁ。

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2007年9月26日(水) (39回目)

前々回、形成外科を受診したときに「泌尿器科での検査を受けておくように」と言われたので伺いました。
今日は泌尿器科の待合室には患者さんはあまり多くありません。
10時半の予約でしたが、程なく呼ばれました。
私が 「今日は手術前検査を受けるようにと言われて来ました。」と言うと、
「形成外科での検査は?」と聞かれ、「それは10月5日に受けることになっています」と答えると、
石井医師は「形成外科の検査があればそれで良いでしょう。今日は手術の説明をします。」
「説明なら12月20日にお聞きしていますが」と私が言うと、
「そうですね、折角ですからおさらいをしましょう」と。
・・・・ へ、おさらいだけ? それなら何のために今日此処へ来たんだ! ・・・・
それから12月20日に聞いた内容と同じことの説明を受けました。(内容は↑の33回目を見てください。)

縦割り診療の典型ですね、形成外科では泌尿器科の診療内容を関知していないのかしら。
カルテを見れば私の診療履歴が分かるはずなのに他診療科の履歴を見ようともしない。
説明を受けたことを証明する書類にサインしているんだから見れば分かるはずなのに。
段々腹が立ってきた、また無駄足を運ばされてしまった。
石井医師は悪くないよ、私が来たから説明してくれているんだから。
石井医師は一所懸命説明してくれているが同じことを2回も聞かされれば気分は乗ってこない。
おまけに腹が立ってきて気分がムカムカしているから、表向き熱心に聞いているようにしているけれど気持はいい加減になってしまう。
再び説明を受けたことを証明する書類にサインして今日は終りです。

今日は説明を受けただけだから早く終りました。
11時50分発の広島行高速バスがあります。これを逃がすと14時まで無いから急いで岡山駅前に向います。
昼間に家に帰れるとは今までなかったことです。
空は晴天ですが心はモヤモヤが残ったままです。

次回は10月5日(金)手術前の検査で形成外科へ伺います。
手術前ですから医師の心証を悪くしたくないから我慢できることは我慢しなければと思うけれど・・・。

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2007年10月5日(金) (40回目)

いつもなら料金の安い高速バスで岡山まで行っていたのですが、
「今日は色々検査があるから9時半には来て欲しい」と言われ、新幹線で行くことにしました。
8時40分広島始発新幹線に乗りましたがやっぱり新幹線は速い、38分で岡山に着きました。
料金が安ければ新幹線にするんですけどねぇ、高速バスはその半額で済むから。

形成外科へ行くと診察まで時間があるから、先に心電図と肺機能の検査を受けてくるように言われました。
しかし、大学病院は広い、何が何処にあるのかさっぱり分からない。
看護師さんにその旨伝えると一枚の図面をくださいました。
それを見ながら、あっちへうろうろ、こっちへうろうろ。

心電図検査では上半身裸になり素足で検査台に乗り、足と胸にセンサーのような物をつけられて測定されます。
肺機能検査では吸気、排気、肺活量が画面で見れるんですね、そして記録もとれる。
昔、学校などで水を張ったドラムで肺活量を調べていたのとは全然違う、時代は進歩しているんですねぇ。

まだ採血と放射線撮影が残っていますがひとまず形成外科へ戻ります。
長谷川医師に「まだ手術前の説明書にサインはいただいていないですよね」と言われ、
「はい、説明は何度も聞きましたがサインはしていません」と答えました。
「それでは手術前の説明をします。しつこいように思われるかも知れませんがこの手術は普通の手術とは違うんです。」
「普通の手術では現在存在るものを治療したり矯正したりするけれど、この手術は現在無いものから有るものを形成するんです。」
「だから言った、聞いていない、忘れたでは済まされないのです。頭の中に覚え込んでいただく必要があります。」
私は同じことをくどくどと言われ、いいかげん頭にきていたけれど、これも仕方ないのかなぁ。

それから手術前の説明では、
T 現在の症状、診断。
U 予定している手術の名称と内容。
V それによって期待される効果と限界。
W 他に選択可能な治療法。
X 予測される合併症と危険性。
Y その他の偶発症の可能性と対応策。
Z 説明方法。
と、各項目についてまたまた説明を受けました。
T では性同一性障害。
U では造膣術(形成外科担当)、陰茎・陰嚢切除(泌尿器科担当)。膣が癒着しないよう経過観察(産婦人科担当)。
      造膣は一般的には6〜7Cm目安、陰茎・陰嚢共大きい程深い膣形成が可能。
V では女性に近い形態に近づく(女性と全く同じにはなれない)。
W では他に治療法はない。
X では出血、感染症、直腸損傷等。
Y では予期せぬトラブル。
Z では口頭による説明。
と説明書に書かれ長谷川医師と私が署名し、本紙を私に渡し写しをカルテに綴じられました。

まだレーザー脱毛があるんだけどスイッチを入れたばかりで使えるまで時間がかかる。
先に採血と放射線撮影に行ってくるように言われ、また図面を持ってうろうろ。
やはり大学病院ですね、採血するのに順番待ちです。
放射線撮影では上半身裸になるのだろうと思っていたら不織布でできたような上着を着るように言われ面食らってしまいました。
ブラジャーをしてこなければ良かったな、これなら全部脱がなくても良かったのにと思いましたが後の祭り。
不織布でできたような上着は持って帰って良いと言われたけれど、こんなもの持って帰るのもねぇ。
途中のゴミ箱へ捨ててしまいました。

形成外科へ帰り、今度は陰嚢のレーザー脱毛です。
パチン、パチンとゴムを弾くような衝撃ですが、陰嚢の股間側になると痛い。
特に陰嚢の縫い合わせ状態の付近は特に痛く感じます。
そこをパチンとやられると悲鳴をあげてしまい、思わず身をよじってしまう。
「特別色の黒いところは痛いからね」と言われ変に納得。

これで今日の予定は全て終わりです。
もっと時間がかかるかと思っていましたが案外早く終りました。
今は12時過ぎですが高速バスは14時ですから、昼ごはんでも食べて帰りましょう。

次回はいよいよ手術のために入院します。
11月12日に入院し、色々手続きもあります。
そして13日に手術の運びとなりました。
なんか期待と不安で一杯です。

          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

2007年11月12日(月) (41回目)

朝、受付で入院手続きをとり病室に向いました。
看護師さんに病室に案内されました。
そこは、冷蔵庫、電話、洗面台、シャワー、トイレまでついているかなり広い個室でした。

そして麻酔医から説明をうけるため麻酔科へ向います。
すると麻酔医から意外なことを聞かされました。
「10月5日の検査で見過ごすことができない事柄がある。それはあなたの腎機能に異常がある。」ということでした。
「他の医師たちと協議するから部屋で待機していてください。」と言われ部屋に戻って待機していました。
しばらくして形成外科の医師がやってきて「再度調べてみましょう」と採血されました。
やがて看護師さんがやってきて「今、協議中なの、しばらく待ってね」と。

2時間位待ったでしょうか、形成外科の難波医師と長谷川医師がやってきて
「今日の検査結果でもあなたの腎機能の数値が悪い、今回の手術は見送って腎臓の治療を優先することを勧めます。」
私は折角その気になってここまできたんだから手術を強く切望しました。
医師は「ここで手術を強行すれば腎不全を起こす危険がある、腎臓を治療して手術はそれからでも遅くはない。」
私は「平行して治療はできないのか?」と食い下がりましたが、
「混合治療は保険が効かない、手術を強行することにより腎不全になるとその治療にも保険が効かない。」
「人工透析まで全額自己負担になると金額は膨大なものになる。」
これには反論できなくなりましたね。
結局、医師たちに説得され今回は延期とすることになりました。
今後腎機能の改善がみられなければ手術は取り止めということも考えられます。
私はここまで来て足元をすくわれるとは思ってもいませんでした。
愚痴になるけど、前回の検査で分かっているのならなんで早く知らせてくれなかったのか。
来るときは意気揚々とやってきたのに、泣きの涙で帰ることになろうとは。
情けなくて、辛くて、切なくて、泣き出したい気持ちです。
(-_-)

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2008年2月1日(金) (42回目)

前回、手術が中止になって腎機能の治療に努めてきましたが、順調に推移しています。
手術が中止と言っても延期になっただけで2月26日に予定はされていますので、
腎機能の治療状況報告を兼ねて形成外科を訪ねました。

今日は長谷川医師は不在で難波医師が応対されました。
「此処(岡大病院)では麻酔医が絶対の権限を持っていて、麻酔医がNoと言ったら何もできないんだよ」と。
「一応、2月26日手術で予定しましょう」。
「しかし、前回の術前検査から3ヶ月経過しているのでどうかな?」と、関係医療科に電話していただきました。
私は出来るだけ出費を抑えたいので前回の検査でOKと言って欲しかったのですが・・・。
残念乍ら「日が経ち過ぎている」と言うことで再度術前検査をすることになってしまいました。
Ah・・・ また無駄な出費が ・・・ (-_-;)

「あなたはいわゆる高齢者の部類に入るんだけど、ノルウエーに研修に行っていた際に、
 92歳になってシリコンを入れた女性の胸を見せてもらったんだが」、
「これが92歳のシリコンをいれた女性の胸なんだ・・・と触りながら感心したね。」ですと。
・・・・・ すごいですね  ・・・・・

帰りがけに難波医師から「こういう書類が届いていないだろうか?」と。
それは、「手術費用を前納していただきたい」という書類でした。
私は「あぁ、届いています。それで「この書類はこちら(岡大病院)で出したものに間違いないか?」と先日確認したところです。」と答えました。
難波医師は
「じつは、悪意ある不払い者が7人いるんです、手術を受けていながら費用を払わない。その被害額は1,000万円にも及びます。」
「いずれこの方達とは裁判で争うことになると思うんだけど、恐れているのは病院側が「GID診療を止めてしまえ」と言い出さないかと心配している。」
「そうなると、今まで診療を受けてこられた患者さん、これから診療を受けようとしている患者さんに多大な迷惑がかかる。」
「そのため今年から手術を予定されている方には費用を前納していただくことにしました。」
「費用が用意できない方にはローンを組んででも前納していただきます。」ということでした。
私は「はぁ、よく解りました。で、私には○○○円の前納請求が来ましたが。」と聞くと、
「それは、今までかかった費用の平均です、直腸に穴が開いた人にはそれよりもっとかかっているし、順調に回復した人はそれより下回っている。退院されるときそれは精算します。」と言われました。
私は「ごもっともな話ですね」と言いました。

私は難波医師の「悪意ある不払い者」と言う言葉にちょっと引っ掛かりましたが、本当に悪意をもって費用を払わないんだろうか。
それにしても、費用を用意しないで手術を受けている人が居るとは思わなかったなぁ。(^○^)

次回は術前検査(採血、肺機能、心電図)のため2月18日(月)に訪問します。

          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

2008年2月18日(月) (43回目)

今日は11時から肺機能検査があります。これは時間指定なので遅れるわけにはいかない。
その前に採血を済ませておかないと9時半からの内科診察に血液の検査結果が間にあわない。
そのためには9時には岡大病院に着かないといけない。
高速バスのほうが安いんだけどバスでは間に合わないので新幹線で岡山へ行くことにしました。
少しでも安く済ますために早めにチケットショップで切符を購入して・・・。
やっぱり新幹線は速い。これで料金が安ければ言うことはないんだけどなぁ。(^_^;)

9時前に到着、すぐに採血場に向います、既に採血場は行列ですよ。
私の後からも次から次へと受付に来ています。
採血を済ませ内科の受付で順番を待ちます。
9時半の予約なのに10時になっても10時半になっても名前を呼ばれない。
11時近くなったから看護師さんに「約束の検査時間なので離れます」と伝えて心電図及び肺機能検査の受付へ。
こちらでも行列が出来ていた、これならもっと早く来ればよかったかなぁと。
それからX線写真を撮って内科に戻ります。
私は何度も岡大病院を訪れていますが何度行っても病院内の地図がないと迷子になってしまう。
方向を間違えて「ここは何処?、私は誰?」ってね。

内科の受付に戻ってきたことを告げて待つことしばし。
医師から検査結果を聞いて一喜1憂。食事制限など注意事項を守っていないと注意され恐縮。

診察がおわり会計へ。
前回の術前検査は形成外科からの検査だったので自由診療になり、かなり高額だったのですが、
今回の検査は内科診療の流れでの検査となり保険適用となったため安く済みました。
それにしてもこのGID診療が早く保険適用にならないかなぁ。

次回はいよいよ2月25日(月)に手術のために再度入院手続きをします。
前回の手術中止ななった時は、本当に切ない想いをしましたが今回は気分はすっきりしています。
色んなことを勉強しました。今回また他に異常がでたらキッパリ諦めようと思っています。

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2008年2月25日(月) (44回目) (入院)

朝10時、岡大病院到着。

 すぐに採血に向かう。しばらくして麻酔科外来で受付を済ませ、
 順番待ちの間に入院手続きをおこないます。
 受付で手続を済ませ麻酔科へ戻ると未だ順番は来ていなかった。
 麻酔科の医師は前回と違って優しい対応だった。
 多分腎臓の治療を岡大病院で行っているので安心したのだろう、
 麻酔の方法を詳しく説明されました。

 「麻酔は全身麻酔で手術が終ると一気に覚醒します。パッチリと目が覚めますよ」と。
 
 それから病棟へ向かったのは昼前でした。
 ナースセンターに行き病室に案内してもらう。
 聞けば昼食が出てるという。私は昼食は間に合わないと思っていたのでちょっとビックリ。
 腎臓病食になると聞いていたのに普通食が出てきたので「良いのかいな?」。
 確認すると食種変更が間に合わなかった、
 夕食も普通食が出るから塩辛いものは食べないで欲しいと。
 仕方ないね。それから必要なものを買ってくるように言われ、
 パンフレットに載っていないものも。
 3時になり腎臓内科へ、血液検査の結果順調であると言われ安心。
 
 夕方、形成外科の医師による手術内容をメモをとりながら詳細に説明がありました。
 夜10時以降は水を含め何も飲食してはいけない、
 翌朝8時15分頃手術室へ向かう事などなど。

 2008年2月26日(火)

朝、素裸に手術衣を着て待機していると8時10分過ぎに看護師さんが迎えに来られました。
タオルやT字帯等を渡し歩いて手術室へ向かいました。
手術前の簡単な打ち合わせをして台の上へ。
看護師さんや医師たちが支度しているのが見える。
8時45分頃迄は覚えているけどそれから先は記憶がなくなりました。

・・・・・・・ 手術中  意識はありません  ・・・・・・・

覚醒したのは午後5時15分、一気に目が覚めました。
麻酔医師の言った通り自然に目が覚めるのではなく一気に目が覚めました。
病室に戻りベッドの上で横になっていると股間に鈍痛が走ります。
ズキンズキンとした痛みではなくズーンズーンとした痛みです。これから3日間ベッド上で安静です。
足には血栓防止の為マッサージ器を装着されました。
市販の足マッサージ器と構造は違うけど効果は同じようなものです。体を動かせないのは辛い。
30分もすると腰が痛くなってかなわない。
寝返りをしても良いかと聞くとそれは構わないと言うので、
心電図や脈拍、呼吸等のモニターのセンサーのコードや抗生剤の点滴チューブがついている体をなんとかしながら寝返りをする。
これで寝返りも不可ならまるで拷問だ。
鈍痛はする、腰は痛い、自分の意思に関係なく足のマッサージはされる。これでは眠れない。
鈍痛と高熱と息苦しさでナースコールを。うとうとしかかると足のマッサージで目が覚める。
痛み止めの注射を打ってもらう。これが腕の皮下注射だから痛い。おかげで少し眠ることができました。
私はつくづく「国産でよかったなぁ」と思いました。
深夜に体調を崩したとき、日本語で意思疎通ができる。これが言葉が通じなければこんな不安なことはない。

2008年2月27日(水)

昨夜は殆ど眠れなかった。腰は痛いし股間の鈍痛は続いている。
形成外科医師の検診があり「少々出血があるけど、大丈夫ですね」
と言いながらガーゼを変えていただきました。
今朝から水を飲むのはOKになりました。昼には食事が出ました。
てっきりお粥と思っていたら普通のご飯でした。
今回から腎臓病食だから漬物はついていません。それより食べるのが大変。
ベッドで安静状態だから寝たままで食べなければなりません。
付き添いはいないから食べさせてくれる人はいないのです。
おまけに食事用の箸は持ってきているけれど、これでは食べることができない。
看護師さんに「お願い、スプーンを買ってきて」。
昨日から今朝迄食事をしていないのだから完食してしまいました。
それにしても寝たキリは辛い。

今日は泌尿器科医師が診察に来て「順調ですね」と。
やはり術後の経過が気になるようだ。
私も「ありがとうございます。痛みがだんだん薄らいでいます」と答えました。
鈍痛は薄らいではきているけれど、替りにチクリ、チクリとした痛さが思い出したようにやってきます。

2008年2月28日(木)

不思議なことにあれほど痛かった腰の痛みが薄らいできている。
30分以上同じ姿勢で寝ていてもさほど苦痛ではなくなってきた。
寝たきり老人が何時間も同じ姿勢で寝ていられる理由が解ったような気がする。
・・・・・・  身体が慣れるんだ   ・・・・・・
反面、これは恐ろしいことだなぁと思いました。
体が慣れてきて同じ姿勢でいることができるなら楽なことだけど、これが見るのも痛々しい『床づれ』のもとではないだろうか。

今日、形成外科のMTF−SRSを担当している難波医師が来られて手術時の模様を話していただきました。
若干の前立腺肥大があり直腸と癒着していて、それを引き剥すためにかなりの出血があって輸血をしたこと
今、傷跡が腫上がっていて腫れが引くまでしばらく時間がかかること。
深さが11p位の膣ができているんだが・・・、
この膣を使うかどうかなんだが・・・、
3通りの選択肢があって・・・、
1、このままで良い。
2、実質8cm位の膣だけど、もう少し奥行きが欲しければ、張り形で少しづつ奥へ押していけば11cm位まで可能。
3、3ヵ月後位に奥行きを拡げるためにもう一度手術を行うか。
退院までに考えることにしました。

今日からトイレ歩行が許可になりました。
昼過ぎから下腹部がシクシク不快な感じがします。
そういえば食事を始めて3日になるのにまだトイレに行っていません。
小の方はカテーテルで排尿しているからトイレの必要はありませんが。
夕方になると下腹部の不快感はだんだんと強くなってくる。
その時「あ、これは便秘のときの不快感かな?」とは思ったのですが。
私は便秘というものをしたことがない、おまけに便意は催してこないし。
しかし、一応トイレに行ってみようと看護師さんを呼びます。
実はふくらはぎにマッサージ器がついているのでこれを外さないとトイレに行けないのです。
トイレ歩行が許可になったと言っても看護師さんの手助けが必要なのです。
カテーテルから伸びている管と排尿袋を移動式の台につけてノロノロとトイレへ。
しばらくトイレに座っていると、出ました出ました硬い大きなやつが。
ベッドからトイレまでほんの3mですが、3日間ベッドで安静していたせいで歩行がつらい。
本当に病人のような歩き方になってしまって疲れて生汗が出てくる。
再びベッドに横になり看護師さんを呼ぶ。
「マッサージ器をつけてぇ。」

2008年2月29日(金)

今日から座ってからの食事が許可になりました。
しかし、椅子に腰掛けると手術跡に圧力がかかり痛くて座れない。
ベッド上で体を起こしてテ-ブルで食事をします。
寝て食べるより楽なので嬉しいです。

2008年3月1日(土)

今日から自由に歩行してもよいと言われましたが、
カテーテルから伸びている管と排尿袋を移動式の台につけてノロノロと歩くの嫌だから今日もベッドの上で過ごします。
後から看護師さんに言うと、
「格好悪いと言ってられないのよ、身体を動かさないと益々体が衰弱してしまう。リハビリの意味からも無理やりにでも歩行してもらっています。」ですと。

午後、岡山の友達が面会に来てくれました。
この友達は既にSRSができる時期にきているのだけど奥さんの反対でずっと保留になっています。
奥さんは単身赴任で別生活をされている夫に頼らず、娘の結婚式次第を取り仕切った才女だそうです。
友達はカミングアウトしてから奥さんとの仲がギクシャクしているとこぼしていました。
ウーン、
妻から見て夫が夫足り得なくなったとき、夫が居なくてもやっていけると判断したとき、
妻に愛情が残っていれば夫婦の危機は乗り越えられると思うけれど・・・・。
私は友達に「ゴマをすれ、ゴマをすれ、奥さんの気持を繋ぎとめるように」としか言えませんでした。(それしかないよね。)

2008年3月2日(日)

「そろそろ傷口覆っているのをガーゼからナプキンにしましょうね」と言われ
私は「こまったな」と、
ナプキンは用意することは用意していたんだけど普通用のナプキンしか用意していなかった。
医師や看護師さんに日ごろのガーゼの汚れ具合を見たらこれは普通用では間に合わないことが分りました。
私は単身で入院しています。付き添いなんていません。
仕方なく看護師さんに生理用品を買ってくるようにお願いしました。
それも『特に多い日、夜用』を。
看護師さんは快く引き受けてくださいました。

2008年3月3日(月)

精神科の黒田教授がお見舞いに来てくださいました。
「久しぶりだね、あなたが手術をしたと聞いて来てみました。」
「此処(岡大病院)でSRSを受けた人の年齢でTOPだよ。」
私は「はは・・記録ですね」と。
「でもベルギーでは90歳でSRSをした人がいるそうな。これではギネスには遥か及びませんね」。
二人で笑いました。

今日は腎臓内科での診察があります。
医師は「腎機能がちょっと悪いですね、これは手術で腎臓に負担を与えたためかな」
「食事は腎臓病食にしているから問題ないはずだが・・、薬は切らさないで服用してくださいね」と。

病室から内科外来までかなりの距離があります。
歩いて帰ってくるだけで生汗が出るほど疲れる、体力が落ちているのがよく分ります。

今朝からカテーテルの先の尿を溜めるものは外してあり、管の途中で栓をしてあります。
もうオシッコは垂れ流しでなく膀胱に溜まるようになっています。
夕方尿意を模様したのでトイレに行き、管につけてある栓を抜きトイレにジョロジョロ〜。

夕方、不思議なことにあれほどしんどかった歩行が、痛みはあるけどスタスタ歩けるのです。
「え?、え?、え?」って感じです。
「わぁ、歩ける、歩ける・・・嬉しい、嬉しい。」
脳が普段の歩き方を思い出してくれたのか、嬉しくなって病棟内を歩き回りました。
このことを誰かに言いたい、早速看護師さんに報告しました。
喜色満面で「普通に歩けるようになったよぉ」と。
看護師さんも一緒に喜んでくれました「良かったねぇ」と。

今日は雛祭り。
夕食にはバラ寿司とイチゴが出た。
まるで女になった私を祝ってくれているようだ。
腎臓病食には塩は制限されるが酢は制限されないようで酢で味付けしたものが副食としてよくでてくる。
そのかわり漬物はご法度のようだ。

2008年3月4日(火)

一日まったりと過ごしています。
昨日から普通に歩けるようになった(歩行するたびに足元からの衝撃は傷口に伝わってきますが)ので
院内にある図書室へ本を借りに行ったり病棟内を歩いてみたりしています。
此処の図書室にはかなりの蔵書があり時間を忘れさせるにはもってこいです。(さすがにコミック誌はなかったなぁ)

2008年3月5日(水)

朝、食事前に形成外科の医師が来て傷口の消毒および抜糸をしていただきました。
そして、いつ退院するかの話になり「もう処置は全て済んでいるのだから、あとは傷口が自然に治癒するのを待つだけだから、
入院を伸ばしても1日2日で好くなるものでもないから金曜日退院で話をしてみましょう」ということになりました。
実はこれまでにも「退院の話は聞いているか?」と入れ替わり立ち代り看護師さんから質問を受けていたんです。

午後、広島の友達がやってきた。
1人は古くからの友達、もう1人は最近友達になった人。
古くからの友達は、新人さんの教師的役割をしている。
2人はGID診療をしているサトウクリニックへ行ってから帰りがけのようだ。
ひとしきり世間話の花が咲く。
手術の状況、術後の状況、外国へ行って手術したらどうだっただろうか、等など。

そこへ形成外科の高馬副看護師長がやってきて話の輪に加わる。
高馬さんは手術をする上で、関係する形成外科、泌尿器科、産婦人科などがバラバラに対応していたら
患者が面食らってしまう。
だから関係する医療科の枠を超えてパイプを1本に纏めて患者との間に入って行動できる人を病院が設定した看護師さんです。

そうするとGID論にまで話が広がって、
障害者の悩んでいること、考えていること等、意見続出の場になりました。
高馬さんは形成外科の看護師だから精神的な話などかなり興味を示されました。

高馬さんは用事があるからと、席を外されましたが、
私たちはそれからもわいわいがやがや時間を忘れて話しました。
夕方になり2人は広島へ帰って行かれました。

2008年3月6日(木)

明日退院するということで形成外科の難波医師ともう1人の医師がやってきました。
「今回は、粘膜帯をを少し残すという今まではしなかったことを追加してみました」
「写真を撮らせてください。手術前の写真は以前撮っているので今回は手術後の写真を。」
「もしかしたら学会で発表するかも知れないから、顔は写さないから。」
「経過は順調で尿管は抜いても良いでしょう」と。

後から看護師さんが尿管を抜きにやってきました。
しばらくはナプキンを換えても換えてもオシッコが漏れているようでナプキンがベチョベチョ。
5時間くらい経ってやっと尿意なしでオシッコが漏れるのは収まりました。

  

夕方、泌尿器科の石井医師がやってきたので明日退院する旨伝えると、
「それではちょっとこちらへ来てください」と。
私は、「いよいよ手術の成果を拝見できるんだな」とわくわくしながら医師の後ろをついて行きました。
私を処置室へ連れて行き「これが手術で取り出した睾丸とペニスです。」
とホルマリン漬けになった睾丸とペニスを差し出されました。
「先の白いのが睾丸でそれに続いているのが神経とか血管が束になっていて精索といいます」。
「これがペニスで先端が亀頭です、亀頭の一部が切り取られてクリトリスとして使用しています」。
「ペニスの胴部分はこのように海面状になっていてここが充血することによって勃起するんです」。
見るとヘチマを小さく圧縮したようで海面状なっているのが分りました。
そして「他の医師とも相談したら、持ち帰りは駄目だろうとなったので見るだけにしてください」。
私は当初「良いでしょう」と言われていたので「えー、駄目なの!?」。
「それでは写真だけでも撮らせてください」と部屋に携帯電話を取りに戻りました。
医師がシートの上に広げてくれたものを何枚か携帯のカメラで写しました。
私は戦利品?を持ち帰り、皆さんに披露できると思っていたのに・・・・残念です。(見る気もないかな)

2008年3月7日(金)

今日は退院の日です。
医師は「もう少し滞在しても良い」というような口ぶりでしたが、
滞在を伸ばしたところで、劇的に傷口が治癒するかというとそうでもない。
時間をかけてゆっくゆっくり治癒してゆくのを待つしかない。
と、なると1日につきン万円の費用が発生しているのだから、此処(岡大病院)に長居する必要はない。

荷物を纏めて旅行バッグに押し込んでいます。
慌しく退院するのも嫌だから昼食を食べて病院を後にすることにしました。
看護師さんたちにお礼を言って会計へ向います。
「ほう!」。世間で噂されている金額よりも若干安くすみました。
これも早めに退院を決意した結果でしょうか。
精算を済ませ病院を後にしました。

高速バスに乗ってみて驚いた。
「なんだこれは!、満席ではないか。」
私は何度も高速バスに乗っていますが、殆どが乗車率50%が良いところ。
時には「これで採算がとれるのだろうか?」と心配するときもあります。
2人掛け座席に1人ずつ座ってゆったりしている、私はそのつもりでいました。
前もって分っていれば新幹線で帰るのですが、既に高速バスのキップも買っている。
今日は団体客でも入ったのか、私の隣にも人が座っています。
バス会社としては嬉しいことかも知れませんが、今日の私にとっては辛いことです。
真っ直ぐ座れば傷口が痛む、ゆったり出来ないまでも体をずらしながら我慢しなければならない。

疲れた、本当に疲れた。
体力が落ちているので、家にたどり着くのに本当に疲れた。
やっと家に着いて、何もかも放り出してドター。
何をする気力も起きない、何もかも明日からです。明日から。
とにかく休みます。

2008年3月8日(土)

家での生活が始まりました。
体がすごく重い。このまま2,3日養生します。
ナプキンはすぐ汚れるので4時間毎に交換しています。

次回は4月4日(金)
術後の診察のため形成外科、産婦人科へ伺います。

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2008年4月4日(金) (45回目)

岡大病院の受付窓口が様変わりしています。
4月から制度が変ったようで再来窓口も会計窓口も、場所は同じなんですが雰囲気が全然違う。
受付を済ませ形成外科の外来受付へ行くと、難波医師が出てきてすぐに産婦人科まで連れて行かれました。
産婦人科の診察椅子(妊婦を診察する椅子です)に座らされ術後の診察です。

 新しく造った膣に造膣用プロテーゼ(写真)を挿入しようとするが入らない。
 どうやっても入らない。
 
 形成外科の難波医師と産婦人科の中塚医師が何やら話をしている。
 「穴が小さいから入らないね」
 
 このプロテーゼはSサイズなんだけど最大30mm、最小20mm、長さ70mmです。
 私は指を挿入してみたことはあるけれど、やっと指が入るくらいの大きさの穴だもの。
 太さ30mmのものが入る訳がない。
 
 私は思ったんだけど2月26日に手術して4月4日まで5週間経過している。
 難波医師が「外国では挿入して退院させることがあるらしいが手術直後は恐ろしくてできない」と
 言っていたけど、5週間って長すぎないですか?。

難波医師が「皮膚は伸びるから朝夕15分以上抜けないように挿入してください。ガードルを使用すると良いですよ」と。
このプロテーゼを購入して帰ることになるんですが、27,300円します。(高いねぇ(゜.゜))

帰りがけに入院時にお世話になった看護師さん達にお礼を言おうと病棟に向かいました。
するとこちらも変っている、変っている。
3月までは南病棟だったのが西1病棟になり工事中だった処が西2病棟になっている。
看護師さんに聞くとナースセンターも分かれて看護師も分散してしまったとか。
以前は入院受付が玄関外来受付横にあったのが病棟の方に移っている。
それでなくても病院内は迷いやすいのに、益々「私は何処へ行けば良いの?]となりそう。

次回は5月2日(金)
診察のため形成外科、産婦人科へ伺います。
「それまでにプロテーゼが入るようにしておいてください」と言われたけれど、できるのだろうか。

追記
 自宅でプロテーゼの挿入を試みてみましたが、全然受け付けない。
 まるで壁に押し付けているようです。
 
 「なんとかならないか、どうすれば入るようになるだろうか?」
 あれこれ考えた挙句、いきなり3cmの穴に拡張するのは無理?と。
 思いついたのが『大人のオモチャ』のミニバイブ。(持っていたのですよー(^_^;))
 「これで少しずつ拡げてゆき、入るようになればプロテーゼの挿入も可能になるかな?」。
 
 コンドームを被せて挿入してみると皮膚が切れて血が流れる、ショーツが汚れる。
 抜けないようにガードルを穿き、押し込むようにします。
 これでしばらく我慢して膣を拡張します。
 
 皆さん、手術された方々はどうされているのでしょうか。 情報が欲しいです。

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2008年5月2日(金) (46回目)

皆様、沢山の情報ありがとうございました。
私もかねがね疑問に思っていたこともあり医師に尋ねようと岡大病院に伺いました。

形成外科の前で待機していると難波医師が出てきて一緒に産婦人科へ行きました。
そして妊婦さん用の診察台に乗り、形成外科の難波医師と産婦人科の中塚医師に膣の状況を診察されました。
私は診察を受けながら「購入したプロテーゼではまるでことにならないです。」と言いました。
これから私のウップンが爆発です。
「私は色んな方から色んな情報をいただきました。」
「手術を終ってから5週間も経ってから膣の拡張に入るのは遅くないですか?」
「外国ではこんなに遅く始めることはないと言われます、これが岡大病院のやりかたですか?」
すると形成外科の難波医師が、
「貴女は前立腺が炎症を起していて直腸と癒着していました。膣は前立腺と直腸の間に造ります。
それで前立腺をを剥がさなければならない。その際、輸血しなければならない程の出血をしました。
手術は成功しましたが膣を若干浅めに造らざるを得なかった。」
このことは手術直後に聞いています。
「高齢だからと言って膣を浅く造るということはありません。貴女は特別なんです。」
「普通だったらもっと早く始めます。貴女は退院するときにも膣から出血がみられた、それで大事をとって1ヶ月後にしたんです。」
「3週間後でも5週間後でもそんなに違いはないですよ」と。
私は一瞬「?」と思いましたが大事をとってのことなら仕方ないかな。

今度は産婦人科の中塚医師に不満をぶつけることに。
「このプロテーゼは直径が3cmもあって指が入らないようなところに入れようとしても、
壁にあてているようなもので全然話にならない。それでたまたま家にあったミニバイブを使いました。」
「おかげですこしづつ膣が広がっています。」
持ってきたミニバイブを医師に見せました。
「色んな人に聞きましたが、指が入らない処に3cmのものが入るわけがない。医師は何を考えているのかと言っています。」
私はここまで言うつもりはなかったのですが、言い出したら止まらない。(^_^;)
「こちら(岡大病院)では『ダイレーション』という考え方はないのですか?」
外国とこちら(岡大病院)のやりかたは根本的に違うんですか?」
中塚医師は私の言いたいことをひととおり聞いてから、
「基本的には同じです。普通だったらダイレーションをするんです。
貴女の場合、膣の奥に出血がみられるので先端が細いと傷をつけてはいけないと思い、
先の丸いものの方が良いかなとプロテーゼにしたんですが無理だったですね。」
「このミニバイブは正解でした。これでも問題ありません。」
私は外国のサイトからプリントしたダイレーターの写真を見せながら、
「外国ではこんなダイレーターを使っているそうです。こちら(岡大病院)では使わないんですか?」
すると「日本ではダイレーターを作っているメーカーがないんです。どこかの商社が輸入販売してくれれば良いのですが。」ですと。
 それなら病院が輸入すれば良いのではと思いましたが、
 国立大学病院では物を買うにも上層部の許可が要るからままならないのですね。
 「うち(岡大病院)ではこれを使っています。」
 「2号から12号まであって使い分けています、院内薬局で買ってください。」
 私は最初からこれにしてくれれば、あんな高いものを買わなくて済んだのにと思いながら
 4号〜7号までの4本にしました。12号はそれはもう立派な太さのものでした。(多分使うことはないでしょう)
 4号=14mm だいたい指の太さです。
 5号=15.5mm 6号=17mm 7号=19mm
 値段も 4号=¥950 5号=¥1,070 6号=¥1,200 7号=¥1,350。 合計=¥4,570
 品名は『エボナイト棒』と言います。
 エボナイトでできているからエボナイト棒ですか。(そのまんまですね)
 外国サイトのダイレータは$50前後だからそん色ないですね。
 これなら7号が入るようになれば順次大きいのに替えていっても問題ないと思います。
 
医師から「でも最後はプロテーゼを使うんですよ。」と言われましたが、なにも高いプロテーゼを買わなくても
安いエボナイト棒で良いジャンと思うのは私だけではないと思います(私は買わされてしまったけど)。

最後に両医師から「頑張ってください」と激励されてしまいました。
結局は医師の配慮が私に伝わっていなかっただけのことなんですが、(ちゃんと教えてくれればいいのに)
でも、医師にも1mm拡げるのも大変なんだと解ってほしいです。(解っているとは思いますが)

私がお世話になりました精神科の黒田医師が定年で退任されました。
お礼の一言も言わずにお別れするのは残念です。
これでGID担当の精神科医師は1人になってしまいました。
全国のGID患者が殺到している今日(こんにち)、よそ事ながらちょっと心配です。

次回は6月6日(金) 経過診察のため伺います。

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2008年6月6日(金) (47回目)

形成外科の前で順番を待っていると、看護師さんが「○○さん、こっち、こっち」と手招きしている。
すると産婦人科の前で形成外科の難波医師が待っておられました。
「産婦人科の医師と一緒に診察するのでこれからはこちらで待っていてください」ですと。

産婦人科の診察台に上がり、医師が膣の状況を診察されます。
私が「造膣用プロテーゼが入るようになりました」と伝えると、
「それは良かったね、もうちょっと奥まで入るように頑張ってください。」
「夜は装着して寝るように努力してください、上から強めのガードルを穿くと良いですよ」と。

私が「大陰唇が大きすぎて気になっている、これでは肥大陰唇だ」と難波医師に伝えると、
「そうだね、小さくすることを含めて今度検討しましょう」と。
最初から「不具合があれば後で修正すれば良い」と医師は思っていたのだろうか。
外国では医師の技量が問われるようなことはしないはずなんですがねぇ。

「ところで、あなたは性別変更は済ませているの?」と聞かれ、
「いや、していません」と答えると、
「性別変更ができていれば保険が効くんだが」と。
へー!?、女性になっていれば保険対象になるんだ!。
でも、私には妻が居るから無理ですね。

帰りがけに『エボナイト棒』10号(直径23mm)を買いました。
これで膣の奥行きを開発します。
しかし、ダイレーターを使われた方もそうですが、これってずっと持っていなければならないですね。
私はこれよりも『ミニバイブ』の方を重宝しています。
これは小径20mm大径25mm長さ110mmで、これを差し込んでその上からショーツ、ガードルを穿けば、
両手が自由にできる、ちょっとした散歩もできます。
じっと手で持っているより楽ですから、これはお勧めですよ。

次回は8月8日(金) 経過診察のため伺います。

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GID診療スケジュール

T段階   精神療法

      精神科
      婦人科
      泌尿器科
      心理検査  1回または2回、医師の判断でおこなわれます。
      セカンドオピニオン
      G症例検討会議
      同意書 (本人,乳房では本人と家族)
      適応判定委員会(倫理委員会)    2006年6月廃止になりました。
           ↓

U段階   ホルモン療法 (婦人科、泌尿器科)、乳房切除

      ホルモン療法 (婦人科、泌尿器科)
      形成外科
        (心理検査)
      セカンドオピニオン
      G症例検討会議
      同意書 (本人、家族、パートナー))
      適応判定委員会(倫理委員会)    2006年6月廃止になりました。
           ↓

V段階   手術 (SRS)

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                  おわり