4)追記1
3)は8/1までに記したものなのですが、8/2のたんぽぽさんの
「業務連絡その後」コメント欄のjabberさんの書き込みを見て考えが変わりましたので追記しておきます。3)と多少矛盾する点もあるかと思いますが、「あれもこれも同列にと私は考えず、程度の問題があると見ている」とお考えいただければと思います
jabberさんへ
あなたは本物の暴力というものがわかっていない。沖縄県名護市辺野古では国からの暴力行為に対し体当たりで文字通りの命がけで阻止活動を行っている人たちがいます。阻止活動というのは根本的に何かを解決することは出来ないので彼らは時間かせぎをしてくれているわけです。何のためかというと、かせいだ時間枠の中で、各方面の専門家や市民団体がそれぞれの方面からのアプローチができるようにです。私もその責任の一端を担っています。今、
dr.stoneflyさんが喜八さんに感じた怒りと同質のものを私はあなたに感じます。
優劣をつけるという話をしているのではなく、ネットを切ればそれで終わる(***)ような被害はどう考えてもリアルの暴力(例:
少女暴行事件、
辺野古での自衛隊による市民に対する暴力)と同等には扱えません。リアルでの活動は、公的機関に車のナンバーや住所までも控えられ、仕事を見つけにくくなったり職場での立場が悪くなったり、近所の人や身内からいつ裏切られるかわからない側面を内包している、そういった心が休まる暇がない状態を指しています。いったん関わったらそう簡単にはオフにはできません。
***多少のフラッシュバックはあってもリアルとは全く異なります。
#ですので、私は私の友人であるごんさんにもあまりショックを引きずることなく、もっと強くなって欲しいとたびたび言っているわけです。
喜八さんの場合はdr.stoneflyさんを罵倒したわけではありませんので、私の方がdr.stoneflyさんを少々いさめるような形になりましたが、あなたは私の運動の信頼性まで持ちだして罵倒したのですから同列には扱えないことをご了承ください。その上で、よくご検討いただければ幸いです。
勝手に引き合いに出して申し訳ありません>喜八さん
5)追記2
環境保護運動についてご発言いただいた方々へ:
いろいろとご心配いただいているようですが、別に私が展開している沖縄の片隅でのほんの小さな面積のサンゴ礁保護にそれほど共感やご心配をいただかなくても結構です。
・・・と終わらせてしまうと多くの環境運動家に失礼かと思いますので多少補足します。
運動の性質が、「都会ベース vs 地元ベース」、「短期(目標)vs 長期(目標)」、環境教育主体、子供相手、調査主体、政治活動を含むかどうか、などによって団体の性質もリーダーに求められる資質もかなり異なります。都会で子供相手に長期にわたって環境教育に取り組むような団体のリーダーは聖職者的な要素を持ち合わせる方が良いのかもしれませんが、現場で厳しい政治活動や調査活動を含む活動をする団体のリーダーにはむしろ精神的な強さや根気強さの方が重要であると思います。
またNPO法人など団体格を持ちリーダー及び職員に給与が出る団体と、そうでない任意団体とでもずいぶんと様子は異なります。はっきり書きますと、うちは時間もお金もスキルもメンバーの持ち出しで活動している団体ですので、何の関わりも持たない方々に、活動に対する信頼性に関しなぜそこまで言われなければならないのかと大変不快に思います。好意をもって成り行きを見ていただいている方々には業績をもって、私の後姿を見て、評価いただきたくお願い申し上げます。
jabberさんのエントリに関してですが、大切なものに優劣をつけるという話ではなく物事に優先順位をつけなければ限られた時間の中で何も成し遂げられません。世の中の人はもっと器用な人生を送っているのかもしれませんが、私は大変不器用なので何事にも時間がかかります。10年ほど前に人生をかけて成し遂げたいことを見つけて以来、起きている時間のほとんどをその目標達成のために用いるようにしています。ですので、ネット上での議論にはこれ以上の時間は使いたくありません。上術の通り、時間の捻出に誰のどんな犠牲があるのか考えてみればおわかりになるでしょう。
何かご批判等がありましたら、ここにいただくのは結構ですが、あまりお返事に割く時間はないことを先に記しておきます。
誤解なきよう最初に申し上げておきますが、水伝騒動及びその後の騒動に関する詳細についての過去ログは読むつもりはありません。またdoxさんの居酒屋セクハラ疑惑については「存在しなかった」と思っており、その認識を改めるつもりはありませんので、その辺りのご質問はいただいても徒労となります。やつらだ兄さんの絨毯爆弾及びその後のたんぽぽさんへのアプローチに対しては批判的であるものの(ご本人にも言いました)やつらだ兄さんの人生のあり方は好ましく思っています。
以上本日のエントリの全て文面において、「わたしの切実なもの」(byなめぴょんさん)を傷つけられたという方がいらしたら申し訳ありません。私は私の切実なものに優先順位を置きたいだけであり、他の方が何に夢中になろうとそれを見下す意図は一切ありません。
長文失礼いたしました。
【さらに追記】
このようなことを書くと、では同じ共感派のあの人のことはどう思うのか、注意をしたかと必ず聞く人が現れるのですが、いい年した大人の場合は他人から言われてもなかなかその行動は変えられないものです(家族や友人がマルチ商法などにハマった場合、周囲の人がいさめるのが非常に困難なのはお聞きおよびかと思います)。また、注意等する場合も必ずしも騎士団の方々に見える方法を取っているとは限らないということを知っておいていただければ幸いです。
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平和と共生を願うなら
この間、たんぼぼさんのブログを中心に展開されてきた「議論」を注視してきましたが、私自身、こうした「議論」が苦手なもので、今まで口を挟むことはせずにきました。しかし、さめさんのこの「議論」にかかわるご発言が、さめさんが取り組んでいらっしゃる大変貴重な運動(おそらくそれは、珊瑚保全だけに限らない、もっと大きな、平和と共生を願う運動へと連なるものでしょう)に、大きなマイナスイメージを付与することになりはしないかとの危惧を抱き、慣れないコメントなど投降する決心をしました。そのため、以下には、批判点だけを書き連ねることになることをお許し下さい。
まず、今回の3つのエントリーは、一見、自己批判の文章に見えますが、よくよく読んでみると弁解と開き直りに終止したものになっています。セクシャルハラスメントに対する感受性に欠けていたことは、あらゆる生命を慈しむという運動の原点を危うくするものです。もし、自己批判のつもりなら、弁解は一切付け加えるべきではありません。残念ですが、そうではなかったということなのでしょう。しかし私は、潔い反省の弁を開示されることを期待しています。
自分は正しいことを主張していると多くの者は思っています。当たり前のことです。だからこそ、正しいことを主張し、実行しているという理由で免責されることは何もありません。さめさんのお仲間がたんぽぽさんへなした行為が、プロバイダーから迷惑行為として警告を発せられたのなら、そうした「運動」に致命的なダメージを与える可能性のある行為として、(仲間として)誠意を持って諌めるべきでした。「仲間」であっても批判すべきは批判すべきです。批判によって壊れるくらいの絆など運動には何の役にも立ちません。「なれ合い」ほど恐いものはありません。
ネット上での議論が白熱してたくさんの方々が注視する状況になった以上、たとえ個人的なブログの中だけにせよ、公開の場である以上、仲間内だけで通用するようなニュアンスのこもった言葉を多用すべきではありません。普遍性を持ち得ない言葉を用いた「運動」は敗北する運命にあります。
以下は一般論です。
論争は、論理でもってなされるものです。たとえ、「論理より感性の方が大切」と主張したとしても、議論の上でのことなら、それは、そういう論理を主張しているのです。議論する以上、論理だけで勝敗が決します。論理がきらいなら、論争を受けて立つべきではありません。批判されても口をつぐんだ方がまだましです。でも、もっと大切なことは、普遍的論理でもって事に当たらなければ、運動自体に普遍性を付与することができず、勝利が閉ざされることになるということです。
論理で負けたらそれが全てです。相手の論争マナーなど、論理以外の部分にケチをつけるべきではありません。論争を開始する時は、将来、相手を仲間に引き入れるつもりで臨むべきです。例え、議論の相手を説得するのが無理でも、外野に感銘を与えるつもりがなければ、論争に勝ったとしても大した意味はありません。
以上、少々きびしい意見を書かせていただきました。「騎士団関係者」? でもない外野の私が差し出がましいことですが、どうか冷静に、その意をお汲み取り下さい。
(拍手ボタンを押したお仲間の方にも読んでいただきたく、公開とさせていただきます)
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はじめまして
>この日午後、海中で作業をしていたダイバーがタンクの空気を吸うため口にくわえたレギュレーターを反対派と見られるダイバーから外されたことが分かり、第11管区海上保安本部(那覇)が捜査している。ほかにも機器にしがみつき作業を妨害するなどの行為があったとの情報もあり、確認を急いでいる
上記は去年の五月十九日付けで読売オンラインから配信された普天間移設調査に関する記事の一部です。これに関して追加報道があったかどうかは分かりません。したがって事の詳細は不明ですし、ましてやこの件とさめさんが直接の関係があるとは全く考えていません。しかしながら、このニュースが社会的に大きな反響を呼び、ブログで取り上げられたことも多かったことは覚えておられるのではないか、と思います。私にとっても阻止活動をしておられる方々の覚悟に疑問を感じる一件でした。
このような極端な例に学ぶまでもなく、暴力というのはその目的や個人的な体験によって正当化されるものではありません。暴力を正当化することは、その暴力に加担していることに他ならない、と私は思います。
「本当の暴力」という言葉で他者の痛みを貶め、自らを正当化するという行為もまた、ある種の「暴力」には違いありません。さめさんご自身の個人的な体験によって自らの心の痛みが左右されるように、相手もあなたには窺い知れない理由で心の動きが左右されることがあります。それは、そこまで責任を取れ、ということではなく、個人的な理由は相手を責める根拠にならない、ということです。
自分の発したどの言葉が相手を傷付けるか、なんてことは事前に知りようがありません。それにもかかわらず、個人的な体験に基づいて相手を責める人は、感受性が豊かなのではなく、逆に自分が相手を傷付けている可能性について極めて鈍感な人です。
さめさんはご自分で書かれたように、個人的な理由で相手を責める愚行に関してはご理解なさっている、と思います。ですから、それを言い分けにもなさるべきではありません。あくまでも常識的な判断によって自らの行為を省みられるべきです。知らなかったことは言い分けになるかもしれませんが、それを批判されるのは当然ですし、知った上で改めて自分の行為が愚行であったと判断されたならば、素直に謝罪されるべきです。
もちろん、自らの言い分というものは当然おありになるかと思います。謝罪と言い分けというものは両立し難いものです。まず批判を優先されるのであれば、それはそれでかまわないと思います。謝罪されるおつもりがあるのであれば、言い分はこらえて謝罪できることだけを謝罪するべきです。
自らの非を認めながら誠意ある謝罪をしない者の批判が相手に届くことはありません。それは相手の態度がどうであるか、ということとは全く関係がありません。さめさんご自身の問題です。
>個人的な理由で相手を責める愚行
何が愚行なのか?自然な行為です。責め方に問題があるんでなければ。
「個人的な理由で相手を責める愚行」だと「無関係な他人を貶める善行」
これを一方的に繰り返すのなら、その方をまずはプロバイダに訴えるか(笑
>さつきさん
あなたのやっていることは「前科者」を「前科者」だという理由で責め咎め、さらには、それを弁護する意見に不当な言論弾圧を加える行いにほかなりません。
さらにこのようなことが続くのであれば、さめさん及び、ここに言及されているみなさんの実際の社会生活を阻害することになり、法に触れることになりますが。そのことは、ご了承済みですか。
以後、お気を付けて発言なさるよう、お願いいたします。
阻止活動側からの暴力は1度もない。
今でもその権力側からの暴力に対する非暴力の戦いは続いている。さめさんはそのことをよくご存知だ。痛いほど、わが身のように感じておられる
辺野古や高江での出来事は大きなメディアでは取り上げられない。
地元のメディアでさえそうだ。だからこそあらゆる力を用いることが必要になってくる。
本当のことが知りたい方はこういった小さな通信を読んで欲しい
http://henoko.jp/fromhenoko/2007/07/29_000727.html
http://takae.ti-da.net/
あなたの落ち度
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