2008年 8月3日(日) ■I wanted to be a spaceman, that's what I wanted to be. ■確か暁に目覚めた筈。誰とは無しに、おはようさん。 ■内観する。盆槍した頭が、やがて覚醒へと至り、そしてまた盆槍とする。 ■珈琲を淹れ、飲む。全身に痙攣のようなものが走る。気にしない。 ■本を読む。ノートはつけられない。気にしない。 ■と、自分に言い聞かせていたら、一休さんって、ホンマは凄いんやなと思った。 ■「ホンマは」とは失礼な物言いだが、それは実感として、そう思った。 ■軽食を摂り、一服する。すると、何者かが「ピンポ〜ン」と鈴を鳴らす。 ■外の様子を伺うが、誰も居ない。ま、これは気の所為だろう。気にしない。 ■大冊を一気に読んだので、少し眩暈がする。でも、それは心地良いものである。 ■気がつけば、夕刻。急いで洗濯に出掛ける。家主である道具屋さんと雑談する。 ■「世の中 一寸先は闇やね 明日をも知れぬ身やね 人間ってもんは」 ■おっちゃんが、急にこんなことを言った。その真意は、計り知れぬが。 ■帰宅し、洗濯物を干す。今は昔。祖母のお手伝いをしたことを思い出した。 ■もう三十年以上も前のことだ。遠い遠い、セピア色の思い出だ。 ■大したことでは無いが、祖母は私に一通りの家事を教えてくれたんだと、改めて思った。 ■田舎の長男坊であり、それなりに秩序は叩き込まれたが、何故か家事だけは教えてくれた。 ■風呂に水を溜めること、焚き付けの火を熾すこと、薪を焼べること。 ■作物への水の遣り方、洗濯物の畳み方、米の焚き方に、鰹節の削り方に、味噌汁の拵え方。 ■どれも大したことは無く、〈生活〉という名で、この身体に刻み込まれている。 ■湯を浴び、身に纏わりついた塵芥を流す。そして、夕餉の支度をする。 ■晩酌をする。いろんなことに、うんざりした。生きていることが、ヤになった。 ■Nilssonの『Son of Schmilsson』を聴く。 『Spaceman』 written by Harry Nilsson
「哲学なんて、もうどうでもいいんじゃないか。」 「それが虚勢としか、他に受け取られないのであれば、もうどうでもいいんじゃないか。」 「闇から光への歩みなんか、信じなくてもいいんじゃないか。」 「どうせ死ぬ身だ。考えたって仕方が無い。」 「今のままで生きろよ、ボチボチでエエやないか。」 己と対峙し、自問自答する、今日この頃。 この歌が大好きだ。 ■浴びるほど、焼酎を呑んで、おやすみなさい。 2008年 8月2日(土) ■Cry if you want. ■何時が覚醒時間なのか、よく判らない。兎に角、何度も目が覚めた。 ■恐らくは、昨夜、珍しく一滴もお酒を飲まさなかった所為だろう。 ■年に一度か二度、あるかどうかのことである。馴れないことは止めておこう。 ■内観する。寄る辺無き人世において在ることを、一切を、放下しようと欲望する。 ■珈琲を飲みながら、本を読む。未だ考えたことの無い領域に入ろうとする。 ■書くことは、未だ後でも良い。今はただ、少しでも考えを深めたい。 ■一書を味読してから、また珈琲を淹れ、飲む。 ■それから、私へのアンチテーゼであることを声高に自称する文章に触れる。 ■事が起こる前に、予め書かれていたような反省文、もしくは総括文だ。 ■何があっても、それで事足れりとしたいとしか思えぬ一文だ。省察が足りぬ。 ■繰り返される、誤れる実体的な自己に基づく、警句めかした立派な言葉が並ぶ。 ■Friedrich Schleiermacher, あるいはその末裔のような、精神成長論者たち。 ■仰る通り、未だに過去の教訓から何某かのことを汲み取れるほど、私は立派では無い。 ■解かっちゃいるけど止められない、そんな自己に翻弄されている。 ■しかし、筆者のような意見には、もう飽き飽きしているというのが、正直なところである。 ■お前の文章は、否定と肯定の真の意味を知らず、その上っ面だけを撫ぜているだけの、タダの駄文だ。 ■方法としての dialektik に盲従し、またその真の意味を考察したことさえ、一度も無い者の駄文だ。 ■あるいはまた、「私は理解している」と装うことで、事足れりとしたがる、お目出度き者の駄文だ。 ■筆者は、文章を読む力が欠けているとともに、自己把握の能力において、劣である。 ■文章の劣なることは、敢えて指摘せずとも、自明の理である。いつも文意がはっきりとしない。 ■これは当の本人も認めることであろうから、敢えて指摘しなくても良いことかも知れぬ。 ■ともあれ、記述されているほどに、また単純に肯定し得るほどに、自己とは容易きものに非ず。 ■自己とは底無し沼のようなものだ。だから筆者お得意の「言った、言わない」論争は無益なことだ。 ■こうした態度は、自己に託して何某かを得んとする、自己頼みの業である、無益だ。 ■筆者の夢想する、Archimedesの定点の如き自己に獅噛み付くことを、私はしない。 ■なぜなら、それは苦しい、非常に苦しい、無益な労苦であるから。 ■気づいているくせに、Friedrich Schleiermacherよ。 ■とは言え、他者を非難することを善しとせず。それによる自己肯定を、私は悪しきものと看做す。 ■これは飽く迄も、論理批判でしかないことに、留意されたし。 ■論理批判よりも、人格批判を得意とする者は、〈自信〉とは何かに思い至らざる者だ。 ■この筆者には、常に他者を自己よりも下位の者、あるいは醜い者と看做したがる癖がある。 ■あるいはまた、途方も無く、上方に存在する者と看做したがる癖がある。 ■Nietzscheをなぞっただけだな。しかし、Nietzscheの本意は、其処には無かったけれども。 ■それもまた、自己に託して何某かを得んとする、自己頼みの業である、〈自信〉の無さの現れである。 ■こうした〈強さ〉よりも、私は〈弱さ〉を自覚する道を歩みたい。 ■Friedrich Schleiermacher, 貴方の自己肯定は、章魚が自分の足を食むようなものだ。 ■Friedrich Schleiermacher, 貴方の感情理解は、磨り硝子に映る赤腹のようなものだ。 ■Friedrich Schleiermacher, 貴方の歴史感覚は、円ではない円を求めるようなものだ。 ■円環する時間に思いが至らぬ限り、在りもしない自己への妄執に囚われるか。 ■私はただ、テクストに沈潜し、影現するイマージュに思いを致らしめる。 ■「本願ぼこり」を善しとせず、また「気づき」無き者を憐れむか。 ■俺は真剣だぜ、全く以て。確固とした覚悟が無いなら、俺に就いて書くな。 ■そしてその下手な論理を自己に対して振り向けた方が良い、お前のために。 ■下手に論理めかして俺を貶めるのなら、俺はお前を殺すぜ、論理で以てな。 ■現成公案 原文(清澤満之「絶対他力の大道」より) 「自己とは他なし、絶対無限の妙用に乗託して、任運に法爾に、此の現前の境遇に落在せるもの、即ち是なり。只だ夫れ絶対無限に乗託す、故に死生の事亦、憂うるの足らず。如何に況んや之より而下なる事頃に於いてをや。我等は寧ろ只管絶対無限の我等に賦与せるものを楽しまんかな。」 現代語私訳 「自己とは他でもない、絶対無限の妙なる働きの上に乗せられて、運に身を任せ、自然有るが儘に、この現前する境遇に落ちて在るもの、これである。それはただ、絶対無限の上に乗せられているものである。だから、死ぬことや生きることは、憂うほどのことではない。〔更に言えば、〕どうしてこれより以下のことについて憂う必要があるというのか。私たちはむしろ、ひたすら絶対無限が私たちに与えてくれるものを楽しもうではないか。」 ■此処から始まる、自己把握。これを読めない者は、この文章を論うべからず。 ■よくよく言っておく、これは貴方を、彼を、汝を非難するものではない。 ■それから、ただ「背後世界」と対峙する文でもない。Caute! ■そういうことに私は、ホトホト疲れ果てた。これはタダの、Friedrich Schleiermacher批判だ。 ■The Whoの『It's Hard』を聴く。 『Cry if you want』written by Pete Townshend
私は泣かずに淡々と金を振り込む、自分が設定した刻限で。他人のことは関係無い。 金を稼ぎ、飯を喰い、酒を呑み、本を読む。 この歌が大好きだ。 ■赤塚不二夫さん死去。 これでいいのだ。 ■やっぱり、浴びるほど、焼酎を呑んで、おやすみなさい。 2008年 8月1日(金) ■Just Like a Woman. ■午前五時に目が開いた。おはようさん、今日の地球よ。 ■大欠伸を一つ噛ましてから、内観する。ダサダサの予感がするな。 ■珈琲を何杯か淹れ、がぶ飲みした。水分がかなり不足している。 ■自転車に跨って、えっちらおっちらと会社を目指す。既に汗だらけだ。 ■仕事の席に着く。多勢に無勢で、電話応対に追われ捲くる。 ■お昼休み。炎天下をものともせず、えっちらおっちらと御飯を食べに行く。 ■チベット仏教研究者さんと一緒にいつもの定食屋さん。そしていつものおかず。 ■喇嘛のようだと言われた。私は喇嘛なんかやないよ、タダの研究するおっさんや。 ■仕事の席に戻る。矢張り多勢に無勢で、営業部門の仕事に従事する。 ■自分の社内での位置に、或る種の戸惑いを覚えつつも、仕事だけは真面目にする。 ■どうなんのかなぁ、将来的には。 ■厄介な揉め事に巻き込まれて、何処にも居場所がなくなるやも知れぬからな。 ■上役さんや同僚さんたちとワイワイ言いつつ、終業時間を迎える。 ■「お疲れさま」と言い合って、職場を後にする。 ■帰りに、いつものお店に寄って、いつものようにライス・カレーを注文する。 ■新しい月が始まり、また一つの週が終わった疲労感に包まれる。 ■えっちらおっちらと帰宅する。湯を浴び、汗を流す。新陳代謝だけは良さそうだ。 ■さて、久方振りに現前した「背後世界」が、私から心を略奪しようと試みる。 ■羅刹は内に在るだけでなく、他者としてこのように、外に現実のものとして在る。 ■貪愛瞋憎愛欲に狂える心によって、確かに私は羅刹となっていたのだと思った。 ■Bob Dylanの『Blonde on Blonde』を聴く。 『Just Like a Woman』 written by Bob Dylan
「Mea culpa, mea culpa, mea maxima culpa(我が咎、我が咎、我がいと大いなる咎).」 この歌が大好きだ。 ■浴びるほど、珈琲を飲んで、おやすみなさい。
阿頼耶識 ↓ |