特許事務所を共同経営する弁理士が、日常を語ります。
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8月1日の日経新聞の広告に、是本信義著「誰も言わなかった海軍の失敗」(光人社刊)が見られました。その広告文章には、
日中戦争の和平を壊したのは米内光政。陸軍をだまして、太平洋戦線へ引きずり込み、多大な犠牲を強いたのは海軍! 海軍善玉論の裏側に秘められた数々の誤謬と錯誤を直視して、歴史の定説に挑んだ異色作。」
とあります。
米内光政の名前を見て、「おや」と目を留めました。

実は現在、「広田弘毅―「悲劇の宰相」の実像 (中公新書 1951)」を読んでいるところです。ちょうど盧溝橋事件から日中戦争が拡大していく時期の部分を読んでいます。

1937年6月4日、近衛内閣が成立します。
首相:近衛文麿、外相:広田弘毅、陸相:杉山元、海相:米内光政・・・
そしてそのわずか1ヶ月後、7月7日に盧溝橋事件が勃発します。
支那駐屯軍の第一連隊の中隊が北京郊外の盧溝橋で夜間演習を行っているとき、中国軍陣地から射撃音を聞きます。集合してみると、一兵士が行方不明となっていました。この兵士はほどなく帰隊したものの、連隊長の牟田口廉也は第三大隊に出動を命じ、日中両軍は戦闘に入ります。
それでも現地では、7月11日に停戦協定を成立させます。
ところが近衛内閣は、同日に5個師団の動員を決定するのです。
その後、まず3個師団が現地に派遣され、7月28日に日本軍が攻撃を開始し、支那事変が拡大の一途をたどることになります。
現地では停戦していたのに、支那事変拡大の責任は内閣にあったのです。書籍「広田弘毅」は、このときの外相としての広田弘毅にスポットを当てて話が進みます。

ところで今の注目点は、広田外相ではなく、米内海相です。

8月9日、上海海軍特別陸戦隊の大山中尉ら2名が中国保安隊によって射殺され、この事件をきっかけに戦線は華北から上海へと拡大することになりました。近衛内閣は8月13日に内地2個師団の上海派兵を決定し、それまでの北支事変が支那事変へと変貌します。
この上海派兵は、すぐ後の南京大虐殺につながる重大な政策決定でした。その点は、このブログでも去年の8月に上海での第百一師団として取り上げました。

日中両軍の全面衝突が避けられなくなると、近衛内閣は8月15日に声明を発表します。日本は「支那軍の暴戻を膺懲し以て南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとるの已むなきに至れり」
「この『膺懲』声明は、杉山陸相が前日の閣議で提案したものであった。その閣議で広田は杉山案に否定的だったが、いまや米内海相が南京占領を提起するまでになっていた。このため広田は、杉山案の『共産主義勢力』を『赤化勢力』に直すのが精いっぱいであった。」

そう、ここに米内海相が、支那事変を拡大する急先鋒に変貌したことが書かれているのですね。

米内光政といえば、この後の1939年の平沼内閣時代に海軍大臣として、山本五十六海軍次官、井上成美軍務局長とともに、日独伊三国軍事同盟に徹底反対したことで有名です。また、終戦時の海相として終戦を導きます。まさか支那事変拡大の急先鋒になっていたとは・・・。
最初に挙げた「誰も言わなかった海軍の失敗」で「日中戦争の和平を壊したのは米内光政」と書かれているのはこのことでしょうか。

ところで米内光政といえば、阿川弘之著「米内光政 (新潮文庫)」を思い出します。
そこでこの本を紐解いてみました。日華事変勃発当時の部分です。しかしこの本では、上海派兵前後の米内海相の発言については一切触れられていません。一体著者の阿川氏は、当時の米内海相の行動について知らなかったのか、知っていて書かなかったのか、非常に気になるところです。

もう一点、盧溝橋事件当時の第一連隊長の牟田口廉也、例のインパール作戦を主導した人物です。日華事変勃発の口火を切ってしまったことは反省していたらしく、その反省から、インパール作戦でお役に立ちたいと考えたようです。同じ反省するのならおとなしくしていて欲しかったです。

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