―シリーズ―希代の悪党! 糸山英太郎 <4> | |
息子に書いた本「ケンカ哲学」に見るアホ・バカ親父 2004年に糸山は「ケンカ哲学」(河出書房新社)という単行本を出している。ゴーストライターの筆かもしれないが、その本のカバーに誇らしげにあげてある“肩書き”を面倒だが記してみる。 |
●昭和17年6月4日東京生まれ。血液型O型。日本大学経済学部卒業。20歳で外車販売の記録を達成。その後株式相場で数々の大勝負を仕掛け、若くして証券史上に名を残す。 ●昭和49年全国区選出最年少参議院議員に当選。農林水産省政務次官などを務める。昭和58年衆議院議員当選。建設省政務次官を始め、衆議院外務委員会委員長など多くの要職を歴任。平成8年に辞職。 ●現在は、新日本観光(株)代表取締役会長・社長、新日本USA(株)代表取締役会長、ジャパンフードマネジメント(株)代表取締役会長、ジャパンエステート(株)代表取締役会長、(株)日本航空特別顧問、学校法人湘南工科大学名誉総長・名誉教授。ドイツ・カイザースラウテルン大学名誉国際顧問、上海交通大学終身顧問教授などを歴任。また、アフリカ・ザンビア大学糸山英太郎奨学基金の設立などを始めとして国際貢献、社会活動も行う。 ●趣味はゴルフ、テニス、ボクシング、クルージング(150フィートの自家用船で地球3周の経験も)など。愛犬はチワワのグミちゃん。 これほどの“肩書き”を持つエラーイ糸山センセイの書かれた本だから敬意を表して読んでみたら、その内容は次元の低い自慢ばなしばかりだった。 つまり糸山の“ケンカ”というのは“乗っ取り”“株買占め”などのことで、特に「ナショナルフラッグキャリア・JALとの戦い」の項をめくってみたら、現在個人筆頭株主となった理由として次のくだりがある。 |
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<これはもう時効だから書くが、実は当時、私のつき合っていたガールフレンドの1人にJALの客室乗務員がいた。手の内を言ってしまえば、その彼女が5つあるJALの労働組合のうちの一つの幹部だったのだ。もちろん名前を明かすわけにはいかない。 |
あるときその組合幹部の彼女に、 「俺はJALの大株主なのに、どうしておまえのところの社長は俺に挨拶に来ないんだ?」 と聞いたことがあった。すると彼女はこう言ったのだ。 「うちの会社は育ちの良くてお高くとまってるから、先生みたいな人が何を言っても相手にしないんですよ・・・」 この言葉に“カチン”ときた。私みたいな人とは、どういう人だ。 ようし、わかった、やってやろうじゃないか。育ちがいいのか、お高いのかは知らないが、おまえの会社の社長がオレのところに来るようにしてやろうじゃないか、てな具合である。それで当時自分が持っていたマンションや土地、余分な株のいっさい売り払って、そのカネをみんなJALの株に換えてしまったというわけだ。> 口では体裁のいいことばかり言っていたが、これでは女にバカにされた腹いせで株を買い増したようなもので、こういうヤカラに金を持たせると“気狂いに刃物”の類で手がつけられない。それにこんな恥ずかしい出来事を自信満々で本に載せてしまうような“恥知らず”だから、スキャンダラスな記事が出ても“カエルの面に〇〇”で自分が有名人だから取り上げられると思い込んでいる。 糸山の「ケンカ哲学」には自分の都合のいいことしか書いていないのに、“哲学”と呼ぶのはあまりに厚かましいだろう。 以前、糸山がまだ国会議員だったころ、1枚3万円のパーティー券を1000万円分も関西の企業に押し付け、それが黒川紀章(建築家)から右翼のカリスマ的存在だった野村秋介の耳に入り、野村が怒った。 「パーティー券なんて義理で買ってもせいぜい10万円が限度だ。それを1000万円以上も押し付けてくるのはヤクザ以上のワルだ。まして国会議員の肩書きを使ってやるとは言語道断だ」 その後帝国ホテルの一室で、野村側は4人で話し合いに来たのに対し、糸山は警視庁刑事や20人ものボディーガードを連れてきて「私はカタギなのでお手柔らかに」と言い、ペコリと頭を下げた。 数々のスキャンダルも含め 糸山はこんなていたらくなのに「ケンカ哲学」などという本を臆面もなく出版した。(過去には金儲け哲学という本も出版している) この「ケンカ哲学」の「あとがきに代えて」では“我が息子・太一朗へ”とある。この本で一番迷惑しているのは糸山の息子太一朗だろう。 |