―シリーズ―希代の悪党! 糸山英太郎 <5> |
教職員有志から送られてきた 糸山が理事長なら“糞尿まみれの豚のほうがマシ” という文書 糸山が理事長と総長を兼務する「湘南工科大学」は元々「相模工業大学」だったが、<1>で記載した“義妹襲撃事件”のあと校名を変更した。「相模工大」は、昭和53年ごろ当時の理事長 竹田恵の乱脈経営で危機的状況に陥っていた。大学の土地が勝手に転売されたり、手形が乱発されたりで、ついには銀行取引停止になり事実上の倒産状態になっていた。そこに乗り込んできたのが“日本のゴルフ場王”と異名をとった糸山の実父である佐々木真太郎だった。竹田と佐々木はたがいに暴力団や右翼を使ってのドロ仕合を演じた。その結果「相模工大」の実権を糸山の実父である佐々木が握った。 あの糸山が“学長”になっちゃった (クリックで拡大) 昭和56年には、教授会が推す候補者を引きずりおろして糸山が理事長兼会長に就任してしまった。こうして糸山は「相模工大」を私物化、この大学の肩書きで選挙に出馬した。“仕置人”が写真を『フォーカス』に提供してこれが掲載され、次は詳しいいきさつを月刊誌『現代』(昭和63年7月号)に16ページにわたって執筆した。 すると昭和63年7月5日付で、新聞社の社会部あてに「学校法人相模工業大学教・職員有志」の名で2枚の文書が送りつけられた。 <前略・・・更に、今年の6月に出された月刊誌「現代」7月号には、現役の国会議員である糸山センセイが、「妹の経営する会社の経営権を“乗っ取る”ために暴力団たちを使って、23歳(当時)の彼女を襲わせ、その姿を写冥に撮らせたと言う極めてショッキングな内容の記事が掲載されました。そして、その時の下着を剥ぎ取られた生々しい写真は、昨年11月に写真週刊誌にも掲載されました。 後者の場合には、私達も半信半疑でしたが、「現代」の記事を読んでからは、糸山が事件に関与したことは、最早疑いの余地はないものと確信するに至りました。何故ならば、『初めは強姦しろという指示を受けていた』と言う襲撃グループ関係者の証言も得られていますし、何よりも糸山サイドからこれだけの記事を掲載されながら、何ら対抗手段が執られていないからです。国会議員ともあろうものがこれだけ名誉に関わる記事を載せられながら、何も反論・対抗出来ないと言うことは、一寸考えられないことです。身に何らの疚しさがないのなら、即刻名誉毀損の法的対抗措置を執るはずではないでしょうか。(後略)> |
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“仕置人”が月刊誌『現代』に執筆 (クリックで拡大) |
当時新聞社に送付された“文書” (クリックで拡大) |
この文書にあることは、至極もっともな意見で、糸山は『フォーカス』、『現代』、そして筆者の“仕置人”に対して何らのアクションを起こしていない。ただ、掲載される以前には『フォーカス』に対して、あの元警察庁長官で衆議院議員・自民党副総裁だった後藤田正晴や元建設大臣
水野清らの“圧力”があったし、“仕置人”の方には、糸山の経営する「東日本学園」の理事、総会屋、茶道の師匠、暴力団、警察らが“圧力”や“脅し”“色仕掛け”などの懐柔策を弄してきた。 そして、もう1枚の文書には<これほど醜悪な人間が神聖な学長の座を泥まみれにしているのを、何故、放置しているのですか。あんなヤツに座らせるぐらいなら、糞尿まみれの豚を座らせるほうがましだ。>とも書かれてあった。 それでも糸山は「この大学から第二、第三の糸山を作るのだ」と言ったというから、もうほとんど正気の沙汰ではない。 “義妹”の父が死亡するや すぐに“糸山”の文字も表札に出した |