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フジモリ引き渡し問題で問われる日本  

  新聞などで報道されているように、早ければ7月中にも、ペルー政府から日本政府に対して、正式なフジモリ氏引き渡し要求がおこなわれる予定である。私は、97年4月22日に、ペルー政府が日本大使公邸事件を武力によって終結を図って以来、あの事件が日本社会に問いかけていることは何かということに関心を寄せてきた。事件では、日本政府を無視するかたちで、すでに交渉のテーブルについていた占拠メンバーのMRTAをフジモリ大統領(当時)の指揮下で軍が全員超法規的に殺害したことに対して、平和的解決を望んだはずの日本政府はペルー政府に対して感謝の意を表した。
 いま、当時の最高責任者でもあり、数多くの人権侵害、不正蓄財、自主クーデターなどによる民主主義の破壊をおこなったフジモリ氏を、日本がかくまっている。国際的には、ドイツやニュージーランドをはじめ15カ国がフジモリ氏が入国したら身柄を拘束すると決定しており、チリはフジモリ氏の政治亡命を認めないと決定している。このようななかで、日本が犯罪者をかくまうかたちになっている。この問題の意味、日本政府と、私たち一人ひとりに問われていることは何かを、「フジモリさん!聞いてください、被害者の声を」(03年7月25日、於:千代田区民センター)の報告でまとめた。

■小倉英敬さん(*)のお話
●フジモリ神話が浸透している日本
 そもそも引き渡し要求は一年前におこなわれるはずだったが、手続きに関して日本側が理不尽な条件をつけるなどして遅れが生じていた。ようやく、ここまでこぎつけた。
 このかん、日本政府は、フジモリ引き渡し問題について「純粋に法律的に対処する」という言い方をしている。日本とペルーの間には、「犯人引き渡し」に関する二国間条約が存在しないので、もしペルー政府からフジモリ氏引き渡し要求があっても、日本政府は引き渡す義務はない。また、外国政府からそのような要求があっても、日本国籍を所有する者を引き渡すことは日本の国内法で禁じられている。引き渡し問題が今後どのように展開していくかはわからない。しかし、フジモリ氏の犯した数々の人権侵害問題と、そのような人物を日本がかくまうという問題について、法という小さな枠組みだけでとらえられてはいけない。日本国籍を所持しているという理由で、人権侵害をおこなった人物が保護を受けるというのはおかしい。日本には「フジモリ神話」があり、ラテンアメリカ研究者の間でさえ、フジモリ氏は悪いこともしたかもしれないが良いこともしたのだからイジメてはかわいそうだという「功罪」論を聞くが、たとえ良いことをしたとしても、それで人権侵害が免責されるわけはない。犯罪者が、国民国家という壁を盾にして庇護されるというのはまちがっている。

●チョロ層を裏切ったフジモリ政権
 ペルー社会の歴史のなかで、フジモリ政権はどのような位置づけなのか。
 19世紀、農村社会にまで貨幣経済が浸透した。1940〜50年ごろから農村社会が崩壊し、アンデス地域に住む人たちが首都リマに降りてくるようになった。先住民は、彼らを主体としたアンデスの文化をもっているが、リマにはもともとクリオーリョ文化があり、このふたつが合流し、チョロという新しい文化を形成した。その担い手となったチョロ層(先住民およびそれに近い混血層の出身でもとは下層階級)が新しくペルー社会の主人公となり、70〜80年代に力をつけ、起業家なども現れるようになった。このようななかで、チョロ層の期待を受けて、フジモリ政権は90年6月に誕生した。
 政権発足当時のインタビューで、フジモリ氏はペルー社会のインフォーマル・セクターによるチョロ化を認識しており、「この層が今後ペルー社会の基盤にならねばならないが、既政党はこれを理解していない」と発言している。しかしその直後から、フジ・ショックと言われる新自由主義経済を導入したため、結果として経済的支配層たちのいっそうの富裕化をまねき、チョロ層からは裏切りとみられる。また、労働法制改革(改悪)をおこない、労働運動が半世紀以上にわたって獲得してきた基本的権利を一掃し、雇用の不安定化と実質賃金の低下をまねいた。
 フジモリ氏は、自分は貧困対策をやったと自画自賛するが、それはきわめて特殊なやり方で特定の貧困層やグループを対象にしたもので(**)、その意味ではたしかに貧困対策はおこなわれ極貧層は減ったが、貧困層そのものは上記のような政策により拡大していったというのが事実である。
 『朝日新聞』(03年7月15日、和泉聡記者)の報道によると、貧困層を中心にフジモリ氏がいまだに支持されているという書き方だが、特定地域の極貧層やグループに対する対策であったという事実がこれでは読者に伝わらない。フジモリ氏の貧困対策や政策とは、そもそも新自由主義の枠組みのなかでおこなわれたのである。

●問われる日本政府の倫理・道徳観
 フジモリ氏は、日本国籍を所有していると公言していながら、06年のペルーの大統領選に出馬するなどと発言している。もしそのつもりなら、そのまえに帰国し、ペルー国民に説明する責任がある。
 日本政府関係者や外務省は、「純粋に法律的に対処する」と発言するだけでなく、(公にはもし無理だとしても)個人的にでもいいからフジモリ氏に直接会って帰国を促し、国民への説明責任があることを言うべきである。
 フジモリ氏は日本への逃亡後、作家の曽野綾子氏の保護を受けて住居を提供されたり、自由連合の徳田虎男氏の援助で千代田区内(その後は目黒区内)の高級マンションに居住したり、特攻隊精神復活をとなえる片岡都美氏の住宅に居住したりしている。また、東郷記念館をたびたび訪れたり、渡邊恒雄読売新聞グループ本社社長との接触や、石原慎太郎東京都知事の紹介で「石原新党」シンパの会合に参加したり、石原都知事の事務所の使用を許可されるなど、日本の保守系人脈や財界との関係をもち、彼らから手厚い経済的支援を受けている。
 この人たちは、日本国憲法改悪やイラク特別措置法などを推進する一派であり、彼らがフジモリ氏引き渡しに反対している。つまり、フジモリ引き渡しについてどのような立場をとるかということは、いまの日本社会において、総体としては思想の選択を迫られているということである。フジモリ問題は、単に法律的側面からとらえられるべき問題ではなく、日本政府の道徳・倫理観も問われている。また、この問題にかかわる個人に必要とされていることは、フジモリ問題だけでなく、別の問題も含めて闘っていくという覚悟である。

■現地を訪問した人たちによる帰国報告
 03年4月末から10日あまりの日程で、「フジモリ氏に裁きを!日本ネットワーク」メンバーを中心に数名がペルーを訪れた。現地で撮影したビデオを流しながらの報告で、現地の様子がよく伝わってきた。訪れた場所は、フジモリ氏が関与した主要な犯罪として知られるバリオス・アルトス事件とラ・カントゥータ事件の現場である。これらの概要は以下のとおり。
 ・バリオス・アルトス事件(91年11月3日)
 リマにある貧困層が多く住むバリオス・アルトス地区の共同住宅で、下水修理の資金集めのためのパーティー(家族構成などによって共同住宅の水道代などの負担額が決まっているが、払えない人は自主的にパーティーを開いてお金を集めている)に、殺人部隊として知られるコリーナ部隊(***)が自動小銃を乱射、15名を殺害した。パーティー参加者がセンデロ・ルミノソの関係者であると誤認して殺害に及んだと見られている(今回のフジモリ氏引き渡し請求で、ペルー政府が訴追しているフジモリ氏の容疑のなかには、91年と92年、左翼ゲリラ協力者とまちがえて特殊部隊が民間人を虐殺した事件も含まれている)。
 ・ラ・カントゥータ事件(92年7月11日)
 当時、軍の支配下にあり、学内に軍の駐屯所があったというラ・カントゥータ大学に、30人の銃で武装した集団が男子寮と女子寮を急襲し、学生10名と教官住宅にいた教授一名を暴力的に連行した。11名は射殺され、秘密裏に埋められた遺体はその後数回にわたって掘り返され、事実隠蔽が図られた。その後、内部告発により、彼らが殺されたことと遺体がある場所がわかった。
 今回の訪問団は、彼らが殺され、埋められたウアチーパとシエネギーカを、被害者の母親とともに訪れた。ビデオのなかで、「日本のみなさん、目をよく開けて、現実を見てください。フジモリは、国民を殺した犯罪者です。そのような人物を、日本はかくまうのですか」と、目に涙をうかべながら怒りとともにその母親は訴えていた。

 「裁きを!」ネットワークは、@フジモリ氏は、人権侵害の被害者と遺族の声に真摯に耳を傾け、ペルーに戻り、正当な裁きを受けるべきである、A日本政府は、フジモリ氏引き渡し要求に応じ、適切な裁きを与えるべく、フジモリ氏をペルーに引き渡すべきである、という二点をポイントにした声明を出している。
 
●質疑応答
Q:ICC(国際刑事裁判所)にフジモリ問題を持っていく可能性は?
A:2000年10月、アムネスティでレポートが出され、フジモリ氏の人権侵害が広範に、組織的におこなわれたことが明らかになった。しかし、02年7月発効の国際刑事裁判所設置条約では、規約発効後の事件しか扱えないことになっているので、この問題はICCへは持っていくことができない。しかし今回の訪問で現地の活動家などにアドバイスされたことは、日本国籍があるという理由でフジモリ氏を日本政府が引き渡さないなら、ICJ(国際司法裁判所、国連内の組織で国家間の紛争を裁く)へ持ち込む可能性もあるということである。

Q:日本政府が引き渡しに応じるのは困難とみられるが、カギとなることは?国際キャンペーンは?
A:まず日本人がフジモリ政権の実態を知り、日本社会に浸透しているフジモリ神話が崩れないことには、日本政府を動かせないだろう。国際的にはすでにフランスの人権団体が、日本政府は引き渡しに応じるべきであるという声明を出すなどしており、国際キャンペーンがはられている。日本はかなり恥ずかしい状況に置かれているが、当の日本人がそれに気づいていない。

*日本大使公邸襲撃事件当時、在ペルー日本大使館一等書記官。事件では人質となり、占拠メンバーであるMRTAとの対話をもっとも真摯におこなった。著書『封殺された対話 ペルー日本大使公邸占拠事件再考』(平凡社、2000年)。
**たとえば、95年11月の統一地方選挙の直前に、ホセ・カミヤ官房長官(当時)から、小倉さんに、前回の地方選挙と大統領選挙のときの地域別の結果を教えてほしいと連絡がきた。その選挙結果をもとに、与党の支持率が低い山岳部や極貧層に、選挙キャンペーンを繰り広げた。
***フジモリ政権の初期に存在した特殊部隊。陸軍情報部メンバーで構成され、国家情報局の指揮下で、超法規的処刑をおこなっていた。

(報告・文責:出口綾子)




 
 
 
 
 
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