日本戦略研究所
日本を救うため命をかける片岡都美
2002/07/26 (夕刊フジ)
フジモリもメロメロの美人社長の素顔( 7/26)
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日本滞在中のペルーのフジモリ元大統領(63)が美人社長に一目ぼれし、今週発売の週刊誌で「結婚を前提に交際がしたい」と結婚願望を吐露している。そのお相手が、淑女の憩いの場として知られる「ホテルプリンセスガーデン」(東京)の片岡都美社長(36)。渦中の社長を直撃すると、「結婚はありえません」とアッサリ否定。元大統領をメロメロにさせ、その熱烈求愛をかわした美人社長とは一体、どんな女性なのか。
「元大統領にそう言っていただけるのは光栄。ただ、私には命をかけてやりたいことがある。色恋沙汰にかかわっているヒマはないのです」
フジモリ氏のラブコールをこうかわした片岡社長。その半生は「平々凡々な生き方はしてきませんでした」と言い切る波瀾万丈なものだった。
昭和40年、岐阜県多治見市で、裕福な家庭に生まれ、昨年出版した自伝『愛して止まず』(日新報道)などによれば、中学まで成績と腕力で負け知らずという破天荒なお譲様だったという。
卒業後、約6年間、米ロサンゼルスに留学。当時、同級生だったアラブのプリンスとのロマンスをきっかけに、米社交界の名士との華麗な交遊関係も広がった。
かつて仏社交界で“東洋の真珠”と呼ばれた、あのデヴィ夫人とも「お友達です」。今も人脈は「政財界から裏社会の紳士まで幅広い」(政界関係者)とされる。
21歳で帰国後、ワシントンが本部のロビイスト会社に勤めるかたわら、美人ばかりを集めた通訳会社を設立し、成功をおさめる。
だが、「知人の保証人になって何億円の借金を背負い、自殺まで考えました。そんなとき、他人に助けられ、『死ぬ気でやってみろ』とホテルの再建をまかされた」。
バブル崩壊後、反社会的勢力が群がって経営難に陥っていた高級ホテル(旧ホテル三條苑)の社長に25歳で就任。絡んだ糸を解きほぐし、ホテルに高級エステを設置するなどし、わずか2年で黒字化を図る“離れ業”を演じ、「日本の女社長」として、テレビや雑誌で紹介されるなどスポットライトも浴びた。
こうした苦労を経験したことで「困っている人の気持ちが分かるようになった」という。
今春、知人に紹介され、フジモリ氏と頻繁に会っていることも「日本人にはペルーの大使公邸占拠事件で人質を無事に解放してもらった恩がある。だから、彼が困っているとき、できる限りのサポートをさせてもらっている」と説明する。
そんな片岡社長が冒頭で、フジモリ氏との「色恋沙汰にかかわっているヒマはない」と断言したのは、3年前、太平洋戦争で“神風特別攻撃隊”を創設し、終戦後に自決した大西瀧治郎海軍中将の存在を知ったため。
「運命が変わった。それまでは政界から財界まで色々な男性とお付き合いもありましたけど、なんのため生きているのか考え直して…。事業での成功も朝露のごとく消えていくものと思った」
失業者があふれ、自殺者が3万人を超えても、政治家が景気回復に有効な手立てを講じない現状を「このままでは日本は滅びる」と憂い、「私は日本を救うため命もかける」とまで言い切る。
今年2月、女性経営者らによる「デフレ・不況撲滅決起大会」では、8月15日の靖国参拝という公約を破った小泉首相を「ライオンといわれているが、本当の姿は人に化けたコンコン狐。狐はさっさと山中に帰れ!」と一刀両断した。 「いざとなれば政治家も斬る」と物騒な発言も飛び出したが、そんな女傑に、元大統領もKOされてしまったのか。