2008年07月16日
僕の、世界の中心は、セミだ。
朝、目が覚めると鳴いていた。
いつものことだ。
悲しいからではない。
セミだからである。
幼虫から成虫になるときに、脱ぎ捨てなくてはならない殻があり
それを脱いでしまっては、鳴くことなしに生きることはできないのだ。
8月22日(火)
僕の名はセミ太郎。
成虫になったばかりのセミ、100%セミ。
生まれてすぐ土の中に潜り、七年間をそこで過ごした。
今日、こうして7年ぶりに地上に帰ってこれた喜びを、こうして日記に書きとめておきたいと思う。
地上は空が広い。空気がうまい。
これから一生ここで暮らせるかと思うと胸がジージーと高鳴る。
僕の前途はここからずっと広がっている。
そう、まるでこの山田さんちの庭のように。
8月23日(水)
一日遅れで親友のセミ助がこちらにやってきた。
セミ助は卵の頃からの付き合いで、昔はよく山田さんちの庭に植わった大根を
三人でかじったりしたものだった。
そう、三人。
僕たちには、もう一人友達がいた。
名前は、セミ吉。
最後にセミ吉を見たのは、今から4年も前のことになる。
前日、三人でしこたま酒を飲んだ僕たちは
そのままその辺りの土の中で眠りこけてしまった。
泥酔、土の中だけに。
生まれて三年目ともなると、セミの社会ではもう立派な一人前とみなされる。
ジャニーズで言ったら「嵐」的存在である。
A・RA・SHI A・RA・SHI for dream!なんて歌っていたのも今は昔のことで
焼酎、お湯割りで!
などと夜遅くまで飲んでいたのだった。もちろん梅干は忘れない。
そして、朝。
セミ助の突然の叫び声がそこかしこに響き渡り、僕は目を覚ました。
周りを見渡すと、セミ助が口を大きく開け、その体をぶるぶるを震わせている。
失禁でもしたのだろうか、最近は若年性痴呆が問題となって久しいが
まさかここまで魔の手が忍び寄ってきているとは。
老人介護のあり方が問われる。
が、どうやら様子がおかしい。
僕はセミ助の目線の先に目をやった。
するとそこには、己の目を疑うような光景が広がっていた。
セミ吉の背中から
キノコが生えていた。
キノコだ。
決してピーコではない。それはそれで大問題だ。
もしかしたらおすぎも生えてくるかもしれない。そうなれば事態は深刻を極める。
常にファッションチェック&辛口トークでは気が休まる暇もない。
「冬虫夏草」という言葉を知ったのは、つい最近のことだけれど
セミ吉はこれにやられたと見て間違いない。
とにかくその瞬間、僕とセミ助は、恐ろしさのあまりセミ吉を置いて逃げた。
あのときの、セミ吉のうつろな目を、僕は忘れることができない。
そしてあのときの、セミ吉のうめくような声を、僕はこれからも忘れることはできないだろう。
「セミ太郎ぉぉ、背中に何か生えてるよぉぉ
おいおいキノコだよ拙者もとうとう菌類の仲間入りですか
拙者もとうとう鍋の具材とあいなりましたか…」
そう言えば、あいつはちゃんこ鍋が大好きだったことを、今思い出した。
あれから、セミ吉がどうなったかは知る由もなかったが
そのことをセミ助に話すと、少し悲しげな目をしたあと、こう言った。
「それじゃあ、セミ吉探しに八百屋にでも行ってみますか、おまいさん」
え、喰うの?という言葉は、決して僕の口から放たれることはなかった。
8月24日(木)
何の前触れもなく、彼女ができた。
木にとまってジージーと鳴いていたら、声をかけられた。
セミの世界って、ステキだ。
名前はセミ子。ありきたりな名前、ありきたりな出会い。
出会ってから数時間後には、彼女は服を脱いでいた。
でも、肝心なところだけは決して見せようとはしない。
セミヌード、セミだけに。
8月25日(金)
このところ、セミ子の体調がおもわしくない。
ことあるごとに「体が重いの」と言っては木にとまり羽根を休めている。
でも、このときはまだ、セミ子の体調についてあまり深刻には考えていなかった。
夏風邪か何かだろう、と高をくくっていたのだ。
そう言えば、ここへ来る途中、カマキリに食べられるバッタを見た。
カマキリの大きな鎌に捕らえられ、身動き一つできないバッタは
口から黒い液体のようなものを吐きながら、その体を震わせていた。
「うわー、口から何かうんこみたいなの出てるやん…」
そう言ったバッタのつぶやきを、僕は聞き逃しはしなかった。
8月26日(土)
セミ子が目に見えて痩せてきている。
僕は思い切って彼女を入院させようとしたのだけれど
それを言うと決まって彼女は「大丈夫だから」と笑顔で答えるのだった。
その笑顔が逆に僕を不安にさせる。
悪い予感がする。
8月27日(日)
悪い予感とは往々にして的中するものである。
昨日の夜からセミ子は入院することになった。
「もうすぐ誕生日なのに、ついてないわ」
セミ子は痩せ細った頬をジージーと揺らしながら笑った。
セミ子は日に日に衰えているというのに、相変わらず医者からは何の説明もない。
あの医者、本当にプロの医者なのか。
セミプロなんじゃないのか、セミだけに。
僕はいても立ってもいられなくなり、医者には内緒でセミ子を外へ連れ出した。
こんなところで削られるように生きているなら、あそこへ行こう。
僕が生まれたあの山田さんちの庭へ行こう。
月明かりの下、僕とセミ子は山田さんちの庭を目指して飛び続けた。
途中途中、セミ子のために休憩をはさみながら。
休憩のだびに、僕たちは色々な話をした。
例えばこんな話。
「セミ子の誕生日はあさってだろう?」
「セミ太郎の誕生日は来週ね」
「ということは、僕がこの世に生まれてから、セミ子がいなかったことは一秒もない」
そう、一秒もないのである。
でも、よく考えたら、僕が生まれてからさとう珠緒がいなかったことも一秒もない。
僕が生まれてからずっと、ぷんぷん!とか言っているのだ。
たまらん。
なんてことを話していると、すぐ近くの草むらがガサガサと音を立てた。
そして草むらから、巨大な黒い影が飛び出し、僕たちに襲い掛かった。
二日前に見た、カマキリだ。
僕は即座にその場から飛び去った。
が、一緒にいたはずのセミ子が、どこにもいない。
不安で胸がいっぱいになった。
後ろを振り返ると、そこには鎌に捕らわれたセミ子の姿があった。
僕はともかく、体の弱ったセミ子には
風のように早い鎌から逃れるほどの体力はもはや残っていなかったのだ。
「セミ子!!」
僕はすぐに駆け寄ろうとしたが、カマキリの巨大な鎌の前にはなすすべもない。
間に合わない、と僕は思った。
間に合わない、全てが手遅れになってしまいそうだった。
セミ子がいなくなる。
今までになかった、セミ子のいない世界。
「助けてください」
僕は周りに向かって叫んだ。
「誰か、助けてください」
その声は、誰にも届かなかった。
周りの誰にも、そしてセミ子にも。
次第に小さくなるセミ子の声と僕の声が
僕たちに取って代わった鈴虫の音に打ち消されていった。
8月28日(月)
ここはどこなのか、もう僕にはわからない。
僕はどこにも行くことができなかった。山田さんちの庭にも。
僕は誰も助けることはできなかった。セミ吉も、セミ子も。
結局僕は逃げ出してしまった。
もう体が動きそうにない。
何でだろう、体が言うことを聞かないや。
もう、鳴くことも、できそうにない。
でも、まだ遅くはないかもしれない。
まだ…
--------------------------------------------------
太陽が西へと傾き始めた夕暮れ時。
小学生とおぼしき二人が我が家に急ぎ足で向かっている。
ふと見ると、玄関の門に横たわる、一匹のセミ。
「うわー、何だこれ」
「セミだー、死んでんのかな」
そう言ってセミをつつく二人。
「返事がない。ただのしかばねのようだ」
そう言って小学生たちは玄関の門をくぐった。
山田さんちの玄関の門を。
セミ太郎は、もう動かない。もう鳴かない。
動いたように見えたとしても、それは風に揺られているだけであって
鳴いたように思えたとしても、それは風に舞ってカサカサと音を立てているだけ。
でも、例え一週間だけであっても、一生懸命セミ太郎は生きましたとさ。
自分の生まれた場所に、帰ってこれましたとさ。
(終わり)
へこむわー・・・。
いつものことだ。
悲しいからではない。
セミだからである。
幼虫から成虫になるときに、脱ぎ捨てなくてはならない殻があり
それを脱いでしまっては、鳴くことなしに生きることはできないのだ。
8月22日(火)
僕の名はセミ太郎。
成虫になったばかりのセミ、100%セミ。
生まれてすぐ土の中に潜り、七年間をそこで過ごした。
今日、こうして7年ぶりに地上に帰ってこれた喜びを、こうして日記に書きとめておきたいと思う。
地上は空が広い。空気がうまい。
これから一生ここで暮らせるかと思うと胸がジージーと高鳴る。
僕の前途はここからずっと広がっている。
そう、まるでこの山田さんちの庭のように。
8月23日(水)
一日遅れで親友のセミ助がこちらにやってきた。
セミ助は卵の頃からの付き合いで、昔はよく山田さんちの庭に植わった大根を
三人でかじったりしたものだった。
そう、三人。
僕たちには、もう一人友達がいた。
名前は、セミ吉。
最後にセミ吉を見たのは、今から4年も前のことになる。
前日、三人でしこたま酒を飲んだ僕たちは
そのままその辺りの土の中で眠りこけてしまった。
泥酔、土の中だけに。
生まれて三年目ともなると、セミの社会ではもう立派な一人前とみなされる。
ジャニーズで言ったら「嵐」的存在である。
A・RA・SHI A・RA・SHI for dream!なんて歌っていたのも今は昔のことで
焼酎、お湯割りで!
などと夜遅くまで飲んでいたのだった。もちろん梅干は忘れない。
そして、朝。
セミ助の突然の叫び声がそこかしこに響き渡り、僕は目を覚ました。
周りを見渡すと、セミ助が口を大きく開け、その体をぶるぶるを震わせている。
失禁でもしたのだろうか、最近は若年性痴呆が問題となって久しいが
まさかここまで魔の手が忍び寄ってきているとは。
老人介護のあり方が問われる。
が、どうやら様子がおかしい。
僕はセミ助の目線の先に目をやった。
するとそこには、己の目を疑うような光景が広がっていた。
セミ吉の背中から
キノコが生えていた。
キノコだ。
決してピーコではない。それはそれで大問題だ。
もしかしたらおすぎも生えてくるかもしれない。そうなれば事態は深刻を極める。
常にファッションチェック&辛口トークでは気が休まる暇もない。
「冬虫夏草」という言葉を知ったのは、つい最近のことだけれど
セミ吉はこれにやられたと見て間違いない。
とにかくその瞬間、僕とセミ助は、恐ろしさのあまりセミ吉を置いて逃げた。
あのときの、セミ吉のうつろな目を、僕は忘れることができない。
そしてあのときの、セミ吉のうめくような声を、僕はこれからも忘れることはできないだろう。
「セミ太郎ぉぉ、背中に何か生えてるよぉぉ
おいおいキノコだよ拙者もとうとう菌類の仲間入りですか
拙者もとうとう鍋の具材とあいなりましたか…」
そう言えば、あいつはちゃんこ鍋が大好きだったことを、今思い出した。
あれから、セミ吉がどうなったかは知る由もなかったが
そのことをセミ助に話すと、少し悲しげな目をしたあと、こう言った。
「それじゃあ、セミ吉探しに八百屋にでも行ってみますか、おまいさん」
え、喰うの?という言葉は、決して僕の口から放たれることはなかった。
8月24日(木)
何の前触れもなく、彼女ができた。
木にとまってジージーと鳴いていたら、声をかけられた。
セミの世界って、ステキだ。
名前はセミ子。ありきたりな名前、ありきたりな出会い。
出会ってから数時間後には、彼女は服を脱いでいた。
でも、肝心なところだけは決して見せようとはしない。
セミヌード、セミだけに。
8月25日(金)
このところ、セミ子の体調がおもわしくない。
ことあるごとに「体が重いの」と言っては木にとまり羽根を休めている。
でも、このときはまだ、セミ子の体調についてあまり深刻には考えていなかった。
夏風邪か何かだろう、と高をくくっていたのだ。
そう言えば、ここへ来る途中、カマキリに食べられるバッタを見た。
カマキリの大きな鎌に捕らえられ、身動き一つできないバッタは
口から黒い液体のようなものを吐きながら、その体を震わせていた。
「うわー、口から何かうんこみたいなの出てるやん…」
そう言ったバッタのつぶやきを、僕は聞き逃しはしなかった。
8月26日(土)
セミ子が目に見えて痩せてきている。
僕は思い切って彼女を入院させようとしたのだけれど
それを言うと決まって彼女は「大丈夫だから」と笑顔で答えるのだった。
その笑顔が逆に僕を不安にさせる。
悪い予感がする。
8月27日(日)
悪い予感とは往々にして的中するものである。
昨日の夜からセミ子は入院することになった。
「もうすぐ誕生日なのに、ついてないわ」
セミ子は痩せ細った頬をジージーと揺らしながら笑った。
セミ子は日に日に衰えているというのに、相変わらず医者からは何の説明もない。
あの医者、本当にプロの医者なのか。
セミプロなんじゃないのか、セミだけに。
僕はいても立ってもいられなくなり、医者には内緒でセミ子を外へ連れ出した。
こんなところで削られるように生きているなら、あそこへ行こう。
僕が生まれたあの山田さんちの庭へ行こう。
月明かりの下、僕とセミ子は山田さんちの庭を目指して飛び続けた。
途中途中、セミ子のために休憩をはさみながら。
休憩のだびに、僕たちは色々な話をした。
例えばこんな話。
「セミ子の誕生日はあさってだろう?」
「セミ太郎の誕生日は来週ね」
「ということは、僕がこの世に生まれてから、セミ子がいなかったことは一秒もない」
そう、一秒もないのである。
でも、よく考えたら、僕が生まれてからさとう珠緒がいなかったことも一秒もない。
僕が生まれてからずっと、ぷんぷん!とか言っているのだ。
たまらん。
なんてことを話していると、すぐ近くの草むらがガサガサと音を立てた。
そして草むらから、巨大な黒い影が飛び出し、僕たちに襲い掛かった。
二日前に見た、カマキリだ。
僕は即座にその場から飛び去った。
が、一緒にいたはずのセミ子が、どこにもいない。
不安で胸がいっぱいになった。
後ろを振り返ると、そこには鎌に捕らわれたセミ子の姿があった。
僕はともかく、体の弱ったセミ子には
風のように早い鎌から逃れるほどの体力はもはや残っていなかったのだ。
「セミ子!!」
僕はすぐに駆け寄ろうとしたが、カマキリの巨大な鎌の前にはなすすべもない。
間に合わない、と僕は思った。
間に合わない、全てが手遅れになってしまいそうだった。
セミ子がいなくなる。
今までになかった、セミ子のいない世界。
「助けてください」
僕は周りに向かって叫んだ。
「誰か、助けてください」
その声は、誰にも届かなかった。
周りの誰にも、そしてセミ子にも。
次第に小さくなるセミ子の声と僕の声が
僕たちに取って代わった鈴虫の音に打ち消されていった。
8月28日(月)
ここはどこなのか、もう僕にはわからない。
僕はどこにも行くことができなかった。山田さんちの庭にも。
僕は誰も助けることはできなかった。セミ吉も、セミ子も。
結局僕は逃げ出してしまった。
もう体が動きそうにない。
何でだろう、体が言うことを聞かないや。
もう、鳴くことも、できそうにない。
でも、まだ遅くはないかもしれない。
まだ…
--------------------------------------------------
太陽が西へと傾き始めた夕暮れ時。
小学生とおぼしき二人が我が家に急ぎ足で向かっている。
ふと見ると、玄関の門に横たわる、一匹のセミ。
「うわー、何だこれ」
「セミだー、死んでんのかな」
そう言ってセミをつつく二人。
「返事がない。ただのしかばねのようだ」
そう言って小学生たちは玄関の門をくぐった。
山田さんちの玄関の門を。
セミ太郎は、もう動かない。もう鳴かない。
動いたように見えたとしても、それは風に揺られているだけであって
鳴いたように思えたとしても、それは風に舞ってカサカサと音を立てているだけ。
でも、例え一週間だけであっても、一生懸命セミ太郎は生きましたとさ。
自分の生まれた場所に、帰ってこれましたとさ。
(終わり)
へこむわー・・・。