今日は少し長いので宜しくお願いします。
9月1日、ちゅうた君の命日です。
耳が不自由だったちゅうた君が逝った日。
まだ残暑厳しい日でした。
ちゅうたは、19年前我が家の近くに捨てられていた猫。
1ヶ月くらい近くでにゃーにゃー鳴いていた。
始めは、現在いるつっちゃんが遊びにきたのがきっかけ。
ひょいと姿を現したのだ。
少しだけと思い、家に入れて洗ってやった。
ご飯も少しあげて休ませて、心を鬼にして外へ出してやった。
しばらくしてつっちゃんまた現われた。
今度は別の子も連れて・・・。まだ子猫で小さくてかわいかった。
つっちゃんとちゅうただ。
どうかお願いしますとばかりのその目を見て
「うちの子になる?」と質問してみた。
うちの子になった瞬間だった。
ちゅうたはとてもやんちゃで、一日くらい帰ってこない日は
普通だった。
でも、ある時2日たっても、3日たっても帰ってこなかった。
近くへチラシ配り、新聞広告、動物管理センター、全てやったけど情報は入ってこなかった。
一週間たった早朝、窓の外から「にゃ・・にゃ・・」と
枯れんばかりの声が聞こえてきた。
私は一瞬にして飛び起きた。
ガラガラ・・・
戸を開けると、そこにやせ細ったちゅうたがいた。
ちゅうたーーーー!!
思わず抱きかかえて、まず台所に行った。
水とご飯をやったらむしゃむしゃと食べ始めた。
でも、何かおかしいことに気付いた。
後ろ足がだらんとしたいたのだ。
動けなくなった後ろ足を引きずりながら帰ってきたのだ。
たぶん、事故にあって、身動きできず、でも静かな時間帯に
頑張って這いつくばって帰ってきたのだ。
すぐ病院に連れていくも、レントゲン検査で異常なし。
不幸中の幸いだった。
その後、ちゅうたは耳が聞こえなくなっていることがわかる。
あの時は老化現象だと思っていたことを許して下さい。
ちゅうたは、その後も色んな病気にかかり
九死に一生を得ながら生き続けました。
私の中では、ちゅうたは不死身。
あらゆる困難を乗り越えてきた猫。
そんな思いでいた矢先。
あれは5年前。ちゅうた14歳。
私は家から近い勤め先からお昼休みで戻ったとき。
家にいた父母が、さっき外に出たらすごい量の血が
うちの前にあった。と。
え?は??
私達は、不吉な予感を振り払うように、色んな想像をめぐらせた。
父は、あまりに不気味なので、すぐ洗い流したというのだ。
なにせ、死体もなく毛もなく大量の血だけがあったというから。
今思えば、何で通報しなかったのか・・・うちの親ったら。
ちゅうたはいつも昼間どこかに行っていたけど
この日はやっぱり気になった。
私が仕事から帰ってきても、ちゅうたは帰ってこなかった。
夜8時になっても帰ってこなかった。
闇夜に向かって私は叫んだ。「ちゅうたーーー!」
「にゃおう〜〜」いた!ちゅうた、いた!大丈夫。
少し安心しながらも、ちゅうたは帰ってこなかった。
夜10時、仕事から帰ってきた主人が、うちの前に花束が
あったけど・・・と言った。
私は涙が溢れてきた。
嫌な予感が確信に変わった瞬間だった。
朝になってもちゅうたは帰ってこない。
少したって、電信柱に張り紙をしてあった。
「ここで事故にあった猫を動物病院に運びました。思い当たる方は〇〇病院へ連絡して下さい」と。
その方の携帯も書いてあったので連絡してみた。
姿格好はやはりちゅうただった。
すぐ病院にいって面会した。変わり果てたちゅうたが
ダンボールに入って眠っていた。
まだ血が結構ついていた。
うちに連れて戻ってきれいにしてやった。
頭が半分つぶれていた。
ごめんね、ごめんね。
耳が聞こえないのに、外に出していた私を許して下さい。
血だらけでふらふらしていたちゅうたを運んでくれたのは
クロネコヤマトのお兄ちゃんだった。
御礼とともにご挨拶に行った。
彼の家も大の猫好き家族だった。
深々と頭を下げて帰ってきた。
会社に休みをいただいて、一日ちゅうたと一緒にいた。
ダンボールの中のちゅうたの顔を何度もなでた。
不死身のちゅうたが死んだ。
あの日、私が仕事にいくとき、にゃーって鳴いて玄関まで
来てくれたね。ありがと。
次の日、どしゃ降りの中、ペット斎場に向かった。
冷たい雨は、ちゅうたの涙だったのかもしれない。
家に帰ってしばらく経つと、ふに、もんじゃ、つっちゃんの
声が出ていないことに気付いた。
どうしたの?声どうしたの?鳴いてみなさい。ほら、ふに。
三人は、ちゅうたの死をわかったかのように声が出なくなっていた。涙こそ出ないけど、泣いていたのかもしれない。
ちゅうたが亡くなった家の前の道路を何度も何度も見た。
そしたら、道路の端っこに、少し曲がったちゅうたの首輪の
鈴を見つけた。
悲しかった。私は鈴を握り締めた。
かわいかった、茶トラのちゅうた君。
いつか会える日まで、天国で待っていてね。
命日まで少しあるけど、今日は思い出していまいました。
思い出すことが供養なのかな・・・。