ルヴィアゼリッタと衛宮士郎のほのぼのな日々
その1〜5
その1
「お嬢様、お茶をお持ちしました」
「ありがとう、ライラ。あら? 今日はスコーンではないのですね? それに、紅茶(ティー)ではなく……緑茶(グリーンティー)ですのね?」
「はい、先日お話しした、東洋の方が先ほど見えられたのですが、その方がお土産にと」
「ああ、何でも紅茶の美味しい入れ方を知りたいという?」
「はい、あ、この食べ物、『栗蒸し羊羹』というのだそうですけれど、これは手作りのお菓子(スィーツ)だそうです」
「そうですか、では早速頂きましょう……あら? 変わったフォークね?」
「はい、日本では、取り分けられた和菓子を、更にこのようなもので口に合うサイズに切り分けて食すそうです。一本で、ナイフとフォークを兼用しているのですね」
「なるほど……」
用途を説明されれば、その使い方も判るのか、危うげなく羊羹を切り分け、優雅に食する様子は、さながら一幅の絵に描いた様……。
しかし、
「少々、甘みが強いのではありませんか?」
「ええ、そこでこの緑茶をお飲み下さい」
やや、眉の間を狭めながらも、言われた様にお茶を飲む。
「少々渋いですわね、ですけれど、この渋みが甘みを洗いながらもどこか引き立てているようです」
「はい、私たちも紅茶とどちらが合うのか飲み比べてみましたが、この組み合わせがやはり自然な組み合わせの様でした」
「そうですわね」
……しばし、無言の時が続く。
お茶を飲み終え、静かにティーカップを受け皿の上に置くと、ルヴィアゼリッタはライラに問う。
「ところで、このお茶もその方が入れたのですか?」
「はい、緑茶ならば自分が入れ慣れているからと」
「なるほど、このような美味しいお茶を入れて頂けたのですし、一言、感謝の言葉を述べなくてはいけませんね。その方はまだいらっしゃいます?」
「はい、実は紅茶の入れ方を教える前に、このお菓子をいただき、そのまま緑茶も飲ませて頂いたものですから」
「あら、でしたら、わたくし、その方の練習の邪魔をしてしまったことになりますわね。困りましたわ。一度お会いして謝意を顕させて頂かないと」
「かしこまりましたお嬢様。では早速呼んで参ります」
「いえ、誰であれ、このようなものを作って頂いた方を、これだけの時間お待たせしたのです、こちらから出向くのが筋というものでしょう」
「かしこまりました。では先に赴き、その旨、お伝えしておきます」
「お願いね。それと、わたくしとしてはなるべく対等に接したいので、そのように」
「かしこまりました」
一礼し、ティーセットをもって引き上げていくライラ。
忠実かつ有能なメイドが下がるのを待ち、おもむろに立ち上がると、まずは姿見の前で身だしなみを確認する。
むろん、そこにはいささかの乱れもないのであるが、万が一にも乱れたところがあり、それを客人に見せるようなことが無いように、念を入れたのである。
次に、お茶を済ませたために剥げ掛けたルージュを引き直すと、ゆったりと部屋から出て行った。
階下にある、厨房に続くメイド達の待機部屋。
通常ならば主たるルヴィアゼリッタが赴くことのない部屋の前までゆくと、そのタイミングを見計らったかのように部屋のドアが開く。
申し訳なげに頭を下げつつ、ライラが小声で話しかけてくる。
「申し訳ございません。衛宮様は、わざわざ足を運んで頂いては申し訳ないと……。もう少しでお止めすることが出来なくなるところでした」
「礼儀正しい方のようですね」
軽く頭を下げると、ドアを大きく開き、部屋の中に向かって頭を下げるライラ。
「お待たせいたしました。私どもの主、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト様をご紹介いたします」
中には、立ち上がり、今にも部屋から出ようとしている赤毛の青年の姿があった。
「わざわざのお越し、まことにありがとうございます。衛宮士郎、こちら風にもうしますと、シロウ・エミヤと申すものです。以後、お見知りおき下さい」
驚きも見せず、まっすぐ伸ばしていた右腕を肘のところで折ると、深々と腰をかがめ、礼儀正しく挨拶をする士郎。
これが二人の初めての出会いだった。
その2
「お嬢様、お夕食の時間です」
「ありがとうライラ、すぐ行くわ」
あら? 今日はいつもよりちょっと遅いのですわね?
「お嬢様、お食事の前に申し訳ありませんが、料理長(エレナ)がお話ししたき議があると……」
「料理長(エレナ)が? 珍しいわね。わかりました。後で時間をとりましょう。ライラ、その旨伝えておいて」
「畏まりました。お嬢様」
「あら? この料理は? そういえば、エレナ、今度日本の料理に挑戦すると言ってたわね」
「……」
何かしら? ライラったら急に押し黙って。このわたくしに隠し事をするとは、よっぽどのことでなければ、許さないと判っているのかしら?
判ってるはずよね、ライラは私が物心ついた頃から仕えているのだから。
……と、言う考えは的はずれなものでした。
なぜなら、もっと困ったことが起きていたのですから。
夕食を終え、お茶を飲んで落ち着いたわたくしのところに、エレナがやってきました。
普段は、気まぐれにわたくしのリクエストを聞くぐらいで、後は自分の思い通りの料理を作るエレナは、あまりわたくしと話をすることはありません。
なぜなら、特に話をせずとも、エレナはわたくしの様子を見るだけで、その日のわたくしにあう料理を決め、そして、それが外れることなど無かったので、不満の述べようがなく、結果的に型どおりのほめ言葉しか、告げることが出来なかったためです。
ライラやエレナたちのように、代々わたくしの家に仕えてくれるものたちは、本当によく気がついてくれます。
しかも、今日の料理のように、常に新たなことに挑戦しては、わたくしにうれしい驚きをもたらしてくれるのですから、常に感謝の気持ちを言葉と態度で示すようにしなければ申し訳ないというもの。
ですから、
「エレナ、今日の料理は本当にすばらしかったわ。いつにもまして素晴らしいくらい。いったい、いつの間にここまで研究していたのかしら? あなたの今までの料理の中でも、上位に数えられる出来でしたわよ。わたくし、日本食は初めて食しましたけれど、このようなすばらしいものだとは知りませんでしたわ。これからもあなたのレパートリーの一つとして、適当なときに出してくださいな」
「お嬢様、実はそのことでお話がございます」
「なにかしら?」
「実は……しばらくお暇をいただきたいのです」
「え!? ……なぜ?」
このこは一体……何を言っているの?
「お嬢様、わたくしはしばらく、料理を基礎から学び直したいと思います」
「どういうことなのかしら?」
「その前に、こちらを食べ比べていただけますか?」
取り出したのは二枚の小皿。
どちらも上に生魚の切り身−−日本食で、刺身というらしい−−が二切れずつ載っている。
「まずはこちらの皿の上のものを食べ比べてください」
見れば片方は切り口が乱れ、切断面から流れた肉汁が皿の上を汚している。
他方はきれいな切り口をし、きれいに角が立っている。
見ただけで判る違いを、しかしわたくしはあえて指摘せず、そのまま刺身をこれまた日本のわさび醤油という調味料に付け、口に運びます。
分かり切った感想を口になどせず、
「次はこちらね」
と、二枚目の皿へ目を移します。
……先ほどの二切れの中間ほどかしら?
どちらも切断面がきれいとは言い難く、角もあまりはっきりとはしていない。
目で見て判る違いはほとんど感じられなかったので、何となく雑な感じのする方を先に口にし、他方を後から……。
見たとおり結果でした。
「どちらも先に食したものの方が後から食したものよりも荒々しいものを感じますわ。
それで、何を確認したかったのかしら?」
「どちらも、お嬢様が先に食されたものはわたくしが切り、他方は衛宮様に切っていただいたものです」
「どういうことです?」
「はじめの皿のものは、わたくしが今までのように普通に切ったものと、衛宮様が持参された刺身用の包丁で切ったもの。
夕食にお出ししたものは、この衛宮様に切っていただいたものです。
次の皿のものは、わたくしの包丁を衛宮様が研ぎ直してくださったものを使って切ったものです。
はじめは、刺身というメニューを考案した日本人が、それ用の包丁を持って魚を切ったのですから、この違いは仕方がないと思っておりました。
しかし、同じ包丁を用いても、これだけの違いがあるというならば、わたくしは包丁という料理の基礎において衛宮様に劣っていることになります。
ましてや、本日お出しし、お嬢様にほめていただいた料理は、総て、日本料理に慣れない私を見かねた衛宮様が作っていただいたものです。どれも、私が作ったものよりも美味でした。ですから……」
「ミスタエミヤに日本食について教えていただいては?」
わたくしは急いで話を止めました。何故って、エレナは身内ですから。
身内のものを失うような愚かな真似など、間違っても犯す気はありません。
「は?」
「ミスタエミヤは日本人ですから日本料理があなたより上手いのは当然です。ならば、そのミスタエミヤに日本料理を教えてもらえないか、頼んでみればよいのでは?」
「しかし、それでは衛宮様にご迷惑……」
「今、ライラがミスタエミヤに紅茶の入れ方を教える代わりに緑茶の入れ方や和菓子の作り方などを教わっているのですから、エレナもミスタエミヤから日本料理を教えていただく代わりに、得意なフィンランドの料理を教えたりすれば問題ないでしょう。Give & Takeです。どうかしら?」
「……畏まりました。今度伺ってみます」
「頑張りなさい」
その一言を汐に、エレナは退出していった。
「……そうですか、あの料理はミスタエミヤが作られた料理だったのですか」
引き締まった体躯を持ち、赤みがかった髪と、意志の強さを感じさせる目の持ち主のことを思い浮かべる。
無骨で荒々しく、それでいて優しさを感じる人でした。
「……なるほど、あの方は、どちらかというと、創る側の人だったのですね。
こちら側のことについてはご存じないでしょうけれど、ともあれ、一度ゆっくりとお話をしてみたいですわね」
これが、ルヴィアが初めて士郎の手料理を食べた日だった。
その3
「お嬢様、エミヤ様がおいでになりました」
「こちらにお通しして」
「はい、少々お待ちください」
……しばしの間の後、再び部屋の扉が開かれる。
テラスへと近づく足音。
「お嬢様、エミヤ様をご案内いたしました」
その声に、立ち上がり客人を迎え入れる。
「このたびは、お招きいただき、ありがとうございます」
この日、士郎は、初めてルヴィアにお茶に招かれたのである。
「こちらこそ、ようこそおいでくださいました」
「詰まらぬものですが、これをお受け取りください」
「まぁ! きれいなお花! ニチニチソウですわね」
受け取った花束を、うっとりと胸元に抱くルヴィア、しばらく花を愛でた後、傍らの侍女に命ずる。
「ライラ、早速これを飾ってくださいな」
「はい、お嬢様」
ライラが花束を受け取り終えるのを待って、改めて声がかけられる。
「それからこれ、手作りのもので申し訳ないのですが……」
遠慮がちに差し出されるバスケット。
「あら、なにかしら? 開けてもよろしいでしょうか?」
「どうぞ、お開けください」
「では失礼して……あら、手作りのクッキーですか。それにスコーンも」
「お口に合えばよろしいのですが……」
「あら、ミスタエミヤの作られたものならば口に合わないはずありませんわ」
「そういっていただけるのは嬉しいのですが……」
言いながら、ルヴィアの後ろに回る士郎。
「それにしてもずいぶんたくさんお作りになったのですね?」
椅子を引き、ルヴィアを座らせる。
「ええ、ライラさんやエレナさんはじめ、皆さんの分もと思いまして」
その言葉を聞くと、嬉しげな顔でライラが花を生けに下がっていった。
「そうですか、皆も喜びますわ。何しろ先日いただいたたまご……たまごぼうろ? は、私が最後の一つをいただいたとき、皆からすごい目でにらまれたくらいでしたから」
聞きながら、向かい合う席に着く士郎。
「は……あ? 作り方は、エレナさんに教えたはずですけれど?」
「未だに、納得のいくものが作れないと言って、私のところには持ってきてくれないのです」
「割と良い味を出していたと思うのですが……」
「あの子は凝り性ですから……」
苦笑するルヴィア、そこに、花瓶に花を生けたライラが戻ってきた。
「お嬢様、花はこちらでよろしいでしょうか?」
「そうね、そこでいいわ。ライラ、このバスケット、ミスタエミヤが作ってきてくださったスコーンやクッキーが入っているの。早速、今日のお茶に出してちょうだい。それと、皆の分もあるそうだから、後であなた達もお食べなさい」
「はい! 畏まりました!」
満面に笑みを浮かべたライラは、抱きしめるようにしてバスケットをテーブルから持ち上げると、軽やかな足取りで退出していった。
見送るルヴィアの口から、優しげな笑い声が漏れる。
「あの子ったら、あんなに嬉しそうに。知ってます? この館のものは皆、ミスタエミヤが作ってくださるスイーツの大ファンなのですよ」
「また大げさなことを」
「あら、その大ファンの一人が言うのですから間違いありませんわ」
「ミスルヴィアゼリッタ、あまり人をからかわないでください」
「失礼な方ですわね。私、本気で言っておりますのよ」
「しかし、私が作っているものは、ごく普通の、家庭料理のたぐいばかりなのですが」
「あら? では先日いただいたカステラというスイーツも、日本では一般家庭で作っているのですか?」
「い、いえ、あれは専門店でないと……」
「その、専門店でないと作れないようなスイーツをたくさん作って持ってこられるミスタエミヤの作られたものが、『ごく普通の、家庭料理のたぐい』なのでしょうか?」
「ミスルヴィアゼリッタ……」
困惑しきった士郎の声に被さるように、お茶の用意を調えたライラが押すカートの音が聞こえてきた。
「お嬢様、お茶をおもちしました」
言いながら、テラスに姿を見せる。
軽くうなずいてみせるルヴィアの脇に立ち、二人のお茶の用意をする。
「ところでミスタエミヤ、そろそろその『ミスルヴィアゼリッタ』というのはやめて、『ルヴィア』と呼んでいただけませんかしら?」
「……ミスルヴィアゼリッタ?」
「ル・ヴィ・ア」
「……ルヴィア」
よろしい、とうなずくルヴィア。
「それでは、私も、これからミスタエミヤのことをシロウと呼ばせていただきますわね」
これが、士郎がルヴィアをルヴィアと、そしてルヴィアが士郎をシロウと呼んだ初めての時だった。
その4
ここまでの論戦は互角、手元に残る宝石は後三つ。
この三つを持って、論敵を撃破しなくては、わたくしは今日の勝ちを収めることができません。
故に、残り三手を過たず差し切る必要があります。
五手先であればわたくしの勝ちは間違いないところなのですが……。
いえ、ないものねだりなどと言うはしたない真似を、このわたくし、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトが行っては、わたくしはもう、一族の者達に顔向けができなくなります。
故に、やや強引とは言えここで押し切る手を……。
見れば論敵も覚悟を決めた様子。
どうやら、最後の勝負所のようですね、ミストオサカ。覚悟なさいませ!
おもむろに、双方、次手の構えに入ったところに、割り込んでくる声がありました。
「えー、本日の講義の時間は終わりました。従いまして、この論争はここで打ち切り……です!」
期せずして、わたくしとミストオサカが同時に視線を向けたとき、なぜか舌が痙攣を起こしたかのように言葉をとぎらせた方は、この宝鉱石学科の教授です。
見れば、確かに教授が盾のようにして持つ時計--なぜかこの論争の最中にあっても、傷一つつくことなく、壊れずに動いているのですが--が本日の講義時間終了を示していました。
「本日もわたくしの勝ちは揺るぎないところでしたが、時間内にこの論争を納めることができなかったのですから仕方がありません。今日のところは、あなたに花を持たせて引き分けと言うことにして差し上げます」
「あら、KO負け寸前だった方が、随分と大きく出ましたわね。けれども、後少しとは言え、あなたを論破仕切れなかったのは私の手落ち、今回は大負けに負けて、引き分けにして差し上げますわ」
一瞬、互いににらみ合いはしたものの、ここは矛を収めると言明した以上は、論争を続けるわけには参りません。
互いに視線を外すと、ミストオサカは教室の前から、そしてわたくしは後ろから出ようと……、
なぜ私の行く手を遮るように、後ろの出口前に瓦礫が落ちてくるのでしょう?
兎も角、ガントを放って、障害物をどけると、わたくしは部屋から出ようとしました。
ええ、そこでシロウと出会うまでは。
「あれ? ルヴィアさん、何でこんなところに?」
「それはわたくしの方こそ伺いたいですわ。なぜあなたがここにいるのですか? シロウ」
「俺は、とある事情から、このクラスで、修理が必要なトラブルが起きた際には、俺が直すことになってて……」
「その言い方では、シロウもこちら側に関わりのある人のようですわね?」
「えっ!? それじゃ、ルヴィアさんって、こっち側の人?」
「ええ、わたくしは、ここで学ぶ学生です。シロウは?」
「お、俺は師匠の世話役としてついてきた学徒なんだ」
「シロウ、あなたはわかってて私の元に近づいたのですか?」
「へ? 何が?」
「とぼけるおつもりですか?」
「へ? いや、だから、いったい何のことだかホントに判らないんですけれど……」
「何を怯えていらっしゃるのかしら? 後ろ暗いところがなければ、そのように怯えるはずはないでしょう?」
「だ、だって、今、ルヴィアさん右腕光らせて、なんか、すごく魔力漲らせていて……」
「あら、これは失礼。でも、わたくしがエーデルフェルト家の次期当主と知った上で近づいたのではなくって?」
「へー、ルヴィアさんって、次の当主なんだ。メイドさんとかたくさんいるからお金持ちの家なんだなとは思っていたけど」
「まだとぼけるおつもりですか?」
「なんのこと?」
「今ならまだ許して差し上げます。ですから、なんのつもりで、我が名門、エーデルフェルト家に近づこうとしたのか正直におっしゃってくださいな」
「いや、だから何のことだか……、って、ルヴィアさんのところって、そんなにすごいんだ? 俺、一昨年の冬まで独学で修行してたから、そういうことなんにも知らないんだけど」
「独学で? 師についていたのではないのですか?」
「師って言うか、俺の親父は七年前に死んで、それから五年間はずっと一人でやってたから」
「お父上からはいったいどのようなことを学ばれたのですか?」
「魔術回路の作り方と、魔術師の心得とかそんなあたり」
「それ以外は何も?」
「ああ、今の師匠に出会って、いろいろ教えてもらえるようになるまでは」
「お父上から協会の魔術師を紹介してもらえなかったのですか?」
「親父は協会に属してなかったし……。実際、俺たちの住む街に他の魔術師が住んでいるかどうかすら知らなかったから……」
「ハァ……、よくそれで工房の管理ができましたね?」
「いや、俺、工房なんて持ってなかったし……」
絶句……
シロウは工房すら持たずに修行を重ねていたのですか。
「今はどうなのですか? ご自分の工房は持っているのですか?」
「こっちに来たとき、それ用の場所は貰ったけれど……まだきちんとした処理ができてないから……」
「それでは素人と変わりないではないですか」
「う……それを言われると返す言葉が」
「シロウ、いっそわたくしの弟子になりません? わたくしならば、工房の管理の仕方から何から教えて差し上げることができますし、何よりも、協会でも有数の名門、エーデルフェルト家の傘下に属するとなれば、相応の扱いをしてもらえますわよ?」
「うー、申し出はありがたいんだけど、ルヴィアさん、俺、今の師匠の元を離れる気無いから」
「そうですか、仕方がありませんね。けれど、今いるところで行き詰まりを感じたら、遠慮無くわたくしの元にいらっしゃいな。正直、シロウが料理やスイーツを作ってくれるならば、その代価としてシロウに魔術を教える価値は十二分にありますわ」
「ありがとう。でも、俺決めてるから」
「そうですか、残念ですわ」
「ごめん」
「なぜ謝るのです?」
「いや、折角俺のことを気にかけて、師になると申し出てくれたのに、断ってしまったから」
「いえ、考えてみれば、すでに師事した相手がいるのに、一方的な都合で他の相手に乗り換えるような不誠実な方は、弟子にとるにはふさわしくありません。むしろ、そのような裏切り行為をシロウに強要しようとした私が悪かったのです」
「いや、ルヴィアさんは悪くないぞ。元はといえば、俺が無知だったのが悪かったんだから」
「いえ、わたくしもおのが家名を自慢するような、淑女にあるまじき振る舞いをしたと反省しております。どうか、このようなことで私を軽蔑なさらないでくださいね」
「いや、だからルヴィアさんは悪くないんだって、悪いのは俺だったんだから」
「では、これからも、今まで通りうちに遊びに来ていただけますか?」
「いいのか?」
「ええ、むしろ、学園の外でも魔術のことを隠さずに話をできるお友達がいるのは、とても嬉しいことなのです。ですから、今まで通りに振る舞っていただけると大変嬉しいのですが」
「そうなのか、俺も、ライラさんに紅茶の入れ方を教えてもらえてありがたいし、エレナさんと料理のレパートリーの教えっこするのは楽しいから、今まで通りにしてもらえるとホントに嬉しい」
「あら? 私とお茶をするのはお嫌いなのですか?」
「そんなことはないぞ、ただ、俺なんかと一緒にお茶してて、楽しいのか?」
「ええ、身分だなんだと考えずに話をできる方というのは、わたくしにとって、非常に貴重なのです。ましてや、魔術のことについても自由に話して大丈夫な方は、今まで父や祖母以外にはおりませんでしたから」
「ふーん、そうだったんだ。うん、判った。俺なんかでよかったらいくらでも相手させてもらうよ」
「そうですか、楽しみにさせていただきますわ」
「いや、こっちこそ」
これが「魔術師」ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトと、「魔術使い」衛宮士郎の初めての出会いだった。
その5
「それで、なんでシロウが修理をすることになったのですの?」
「う、うん、まぁその……いろいろあってね。それに俺、壊れたもの直したりするの得意だし」
「修復の魔術が得意なんですの? ですけれど、魔力を持って破壊されたものは魔力を持って直すことは出来ませんわよ?」
「ああ、違う違う、俺がやるのは、壊れたところをチェックして、必要な資材の手配を頼んで、それが届いたら手をうごかして直してく事だよ。もちろん、魔力無しで壊されたところは修復を使うけどさ」
おかげで、全然使えなかった修復が今じゃ得意な魔術の一つになったよ……なんて、笑いながら言う。
えっと、わたくしとしてはどう反応すればよいのでしょう?
わたくしが呆然としている間に、シロウは、先ほどわたくしがガントで破壊した瓦礫を見ると、
「うわ、これこないだ直したばっかりなのに……」
と、悲痛な表情を浮かべながら脇にどかし、なにやらノートに書き込んでいます。
……どうしましょう?
わたくしが壊したなんて事を言ったら、シロウはやっぱり怒るのでしょうね。
でも、エーデルフェルト家の者としては、人に迷惑を掛けた以上、きちんと謝り、相応の償いをしなくては……。
そう思い、改めてシロウに話しかけようとしたのですが、シロウは携帯電話を取り出し、どこかとの話を始めていたので、それが終わるまで待つことにしました。
聞くとはなしに聞いていた会話からすると、どうやら、修理に必要な資材の手配をしている様子です。
そして、電話が終わるのをまって声を掛けようと……。
「今回は、こっち側が物理的破壊中心、あちら側が魔術的破壊中心か、最近はこのパターンが多くなってきたな」
と、わたくしが立っていたところ(こっち側)と、ミストオサカが立っていたところ(あちら側)を見比べつつひとりごちました。
……ひょっとして、そうなると?
ふと思った懸念は的中しました。
わたくしが立っていた方、つまりミストオサカの論述の影響で壊れた箇所は、シロウが唱える修復の魔術でみるみるうちに直っていきますが、ミストオサカが立っていた方は、わたくしが論述したため、魔術を用いた直接の結果として壊れたところですので、すぐには修理が始まりません。
もっとも、直せる物に「修復」を行っている間に資材が届き、シロウは慣れた手つきでそのまま修理を続けていったのですが。
……そして、士郎が苦労しながら部屋の修理をしていることを知ったルヴィアは、少しでもその労力を減らせればと思った。
すなわち、論戦のため魔術行使をする際の、広範囲な魔術攻撃をやめることで、周りの物/者に被害を与えないようにすることを。このことで、士郎にかける迷惑を減らすことを、この日初めて決意した。