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球児にエール 上地雄輔さんのメッセージ2008年07月12日
横須賀出身で、高校時代は横浜の捕手だった俳優の上地雄輔さん(29)が、12日に開幕する神奈川大会に臨む球児たちにエールを送った。 松坂大輔投手(現レッドソックス)の1年先輩だったが、けがに苦しむなど決して順風満帆ではなかった。当時を振り返り、高校野球への思いを語った。 (伊藤雅哉) ―横浜高時代、背番号2をつけました。 「中学時代は軟式の横須賀スターズで、全日本にも選ばれました。『この人の球を受けてみたい』という先輩が横浜にいて、決めました」 ―入学後、レベルの高さに驚かなかったですか。 「入学してすぐ、エースの横山(道哉=現横浜ベイスターズ)さんたちの球を受けさせられ、普通に捕れたんです。今考えればうぬぼれていたんですが、『いけるわ』と思いました」 ―ところが、けがに苦しんだそうですね。 「右ひじです。2年の夏の神奈川大会の試合中でした。回の始め、二塁に送球したときに『ブチーン』と。神経を痛め、頭ももうろうとして……。でも3年生は負けたら終わりだから、歯を食いしばってプレーを続けました」 ―そのチームは甲子園に出場。けががなければメンバーに入れたと思いませんか。 「それは言い訳で、出られなかったのは実力です。ひじが治れば、ということで大阪にも帯同させてもらいましたが、練習で足のじん帯も切って、それで完全にアウト。新幹線で帰らされました」 ―3年の春、松坂投手とバッテリーを組んで関東大会で優勝しました。 「足はすぐ治りましたが、ひじが治らなくて。地獄でしたね。どこの病院に行ってもだめだった。ゴールが見えなくて、走っても痛むから何もできない。野球がすべてだった生活が、意味がなくなっちゃって、毎日泣いてましたね。手術してくれる病院が見つかって、ゴールが見えてからはリハビリも楽しくてしようがなかったです」 ―神奈川大会が12日に開幕します。球児たちにかけたい言葉はありますか。 「努力すれば夢がかなうとは言わないけど、努力しないと甲子園には行けない。野球に限らず、夢を持って努力しないと何もつかめない。『どうするかを決めるのは君自身だよ』と言ってあげたい」 ―野球が今につながっていると思うことは。 「小さい頃からボールを取ってもらったら、近所のおじさんにも帽子を取って『ありがとうございました』と頭を下げる。ほかのスポーツにはないし、これはめちゃくちゃ大きいですよ。今の僕があるのは野球のおかげです」 ■かみじ・ゆうすけ 79年4月18日生まれ。横須賀市出身。中学時代、軟式野球の横須賀スターズで全日本に選ばれた。横浜では捕手を務め、3年夏は神奈川大会で4強。 99年に俳優デビュー。テレビドラマ「ROOKIES(ルーキーズ)」などに出演。クイズバラエティー番組にも出演し、ユニット「羞恥心(しゅう・ち・しん)」で歌手としても活躍中。30日に初のフォト&エッセー「上地雄輔物語」(ワニブックス)を発売
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