シドニー五輪の表彰台。金メダルの康生は、かず子の遺影を掲げた
1999年、くも膜下出血で急死した妻かず子(享年51歳)の通夜・葬儀は3日3晩続けて執り行われた。
火葬場から自宅に戻った明(62)は康生(30)の雰囲気がおかしいことに気づいた。庭に出るときもトイレに行くときも、ずっとあとをついてくる。
明は最初、康生が父親の自殺を心配しているのでは?と思った。そして、こんな会話が始まった。
「康生、おれは子ども3人をおいて、お母さんのあとを追うようなバカなまねはしない。安心しろ」
「いや。実は……。実は、おやじ、きょうこれから、東京に帰らせてほしい」
「なに、帰る?」
「全日本の大学柔道大会があるんだ」
絶句した明は、怒鳴りつけた。
「母親の葬儀の日に、なにを言い出すんだ。そんな大会やめろ。そんな大学も、いますぐやめろ」
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康生は当時、3年生ながら東海大学のエースである。監督として康生を育てた山下泰裕(51)も葬儀に出席し、一足先に空港に向かっていた。山下が康生をそそのかしたと考え、明は激高する。
なだめたのは、長男将明(6年後に32歳で急逝)だった。
「上手に言うわけです。康生がここで嘆き悲しんでいるのと、大会に出場して勝つのと、母親はどっちを喜ぶかと」
最後に折れた明は康生を空港に送って行く。車を降りた康生が横断歩道を渡り空港ビルに入る。すると、康生の大きな背中に突然もう一つの大きな背中が近づき、肩を抱くではないか。山下である。
「抱き合う二つの背中を見て思いました。山下先生には負けたと。康生を信じて、先生はずっと空港で待っていた」
明が康生の親離れを確信し、いっさいを山下に任せようと決めた瞬間だった。
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それ以降の康生の活躍は改めて述べるまでもない。アジア大会の金、シドニー五輪で金、世界選手権3連覇……。
「私と康生の師弟関係は、かず子の葬儀の日まで。そのあとは全部、康生自身の努力、努力。私はなーんにもしてません」(敬称略・石川雅彦)
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次回から棋士の羽生善治さんです。