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柔道家・井上康生のおやじ 明さん:3 呪文のように「1番は康生」

2008年7月22日

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 高校3年生の高校総体神奈川県予選、康生(30)は決勝で敗れた。前年は2年生ながら全国優勝している。県レベルでまさかの敗退だった。

 明(62)と妻かず子は2階席から応援していた。接戦になった決勝、康生は攻めに攻めたが、一本がなかなか決まらない。判定となり、1―2で負け。県代表はひとりだけなので、2連覇は夢と消えた。

     *

 その直後、明は信じられない光景を目にする。表彰式が終わった康生にかず子が近づき、表彰状をひったくるやいなや、「あなたに2位は似合わない」と叫んで、破ってしまった。

 かず子の言い分はこうだった。

 「前年優勝したことで油断があった。こんなときこそ、しっかり一本で決めないとだめ。人任せの判定に頼らず、攻めて、投げて、一本勝ちしてこそ康生なの」

 康生は生まれてからずっと母親っ子だった。小学校入学まで、出歩くときはいつもかず子のスカートの裾(すそ)をつかんで離さなかった。寝るのもいっしょ。いちばんの楽しみは、試合に勝ったあとにかず子が作る大型ケーキだった。

 こんなこともあった。

 小学校の駆けっこで、康生は3着だった。しかし、康生は「僕が1番だった」と言って聞かない。明が「お父さんとお母さんは(3着で入ったのを)ゴールのところで見ていたぞ」と話しても、「僕が絶対に1番」と言ってきかなかった。

 それからである。かず子が「康生は1番が好きなのね」と口癖のように言うようになったのは。大会で優勝するたびに、「1番は康生」「康生には1番」。それこそ呪文のように唱えていた。

 「2位の賞状を破ったことでもわかるように、康生に勝負の厳しさを教えたのは、かず子です。私と康生の師弟関係は、かず子という母親がいて初めて成り立っていた。私と康生は、かず子というお釈迦様の手の上にいたわけです」

     *

 1999年6月、かず子がくも膜下出血で急死する。だれも死に目に会えない、51歳の突然の死だった。

 明と康生の盤石の師弟関係が崩れるのは、くしくもかず子の葬儀の日である。

 (敬称略・石川雅彦)

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