2008年7月28日(月)
痛み
☆「ねえ、歯痛ってどんなかんじ?」
○「どんなって、痛いんだよ。」
☆「痛いってどんな風に痛いの?」
○「キーンって神経に何かが触ったように痛いんだよ」
☆「・・・ふーん」
この会話は、幼稚園児と大人の会話ではない。
一度は神経が腐るほどの虫歯にもなり、またその他にも何度も歯医者で金属を被せたりしたことのある、
52歳のおばさんである、私の妻と私の会話だ。
私は、小さい頃は、叔父やいとこまで一緒に住んでいたことがあるから、姉妹含め多くの人間と暮らしていた。
その中で、ある程度の表現方法、自分と他人の対比と言うことをしてきたが、
7つ上の兄と両親と暮らしてきた妻は、対比の能力がすこぶる低い。
これを捉えれば、「自閉症が重い」と表現したくなるね。
とにかく、「痛い」の表現が一つしか無いのが面白いと言うか、困ると言うか、トラブルの元にもなる。
例えば、ちょっと二の腕に書類の角が当たっただけで、「痛い!」いつもの大声がする。
こっち(或いは職場の仲間)は、それほど痛いわけ無いのに、大げさなと考える。
ところが、
足の指を何かにぶつけ指の靱帯が切れる。それでも同じ「痛い!」。
こっちは尋常じゃないと思って大変だと言っても、「平気」だという。ところが靱帯が切れて、指が左右に振れる様になっちゃってんだな。
実は、人間社会を観察すると人は痛みの度合いを、それぞれの度合いで表現している。
少し痛いときは、「少し痛がる」本当に痛いときは「大きな声で痛がる」
深刻に痛いときは「声が出ない程痛がる」
同じ痛みでも、その表現の度合いは違うのが普通だ。
ところが、妻の痛みの表現は「痛い!」の一つしかない。
だから、歯痛の始め「しくしく」中「ずんずん」終わり「キンキン」はいそれまでよ、という普通の流れが当てはまらない。
「ねえ歯痛ってどういうの?」と聞き出す頃は、歯医者に行って当然の状態だ。
分かりやすい歯痛でさえこうなんだ。
「気持ち悪い」を的確に表現、つまり「相手が自分の状態を想像できるように表現する」事は無理なんだなー。
これは、自閉症を育てている親からすれば、思い当たる節があると思う。
自閉症と病院の関わりと言うのも難しい問題だね。
わたしは幼少の頃から「痛い」を言わない子供だったそうです。自分でもおぼえているのですが。
痛いと黙ってしまう。
タイミング悪く話しかけられると、答えない。
何を言われても返事もしない。
とうとう話しかけた方(だいたいは親)は怒りだす。
機嫌が悪いか、何かのわがままか、それで返事をしないのだと決めつけられて、叱られていたように記憶しています。
小さい頃のわたしにとっては、痛いのも、怒られてこわいのも、どちらも同じようなものでした。
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