2008年7月30日(水)
実体
今月は、自閉症の体について気づいたことを書いた。
書くと、同じ様な症状、奇形、を持つ人たちからも貴重なデータを貰った。
医者でもないので、私のサンプルは私たち夫婦だけと、あとは専門書による情報だけだ。
しかし、その情報が、本筋を外れず、裏付けがとれたとき、本当にうれしい。
どんな分野でもそうだし、私の仕事でもそうなんだけど、
情報っていうのは、多くあればいいってモノではない。
情報は集めるよりも、捨てる方が遙かに難しい。
捨てるには、その情報が役に立ちそうもないと、全体を理解してなければならないし、
将来的にどの様に流れていくか、その大局観も無ければ、むやみに捨てることは出来ない。
捨てることを放棄すれば、現実にあるゴミ屋敷と同じで、ただの情報のゴミの集積所になってしまう。
ここに来てくれる人の情報は本当に役に立つ。
有意義な情報みなさんありがとう。
捨てることを放棄しているわけではないのですが、間違って必要なものまで捨ててしまうという不安と
捨てることによってレイアウトが変わると、必要なものの場所がわからなくなる、という問題があるのです。
わたしの場合、これは頭の中も部屋の中も一緒なのですが・・・。
実は、必要なときに即見つからずに使えない事と、
モノが無くて使えない事は同じ事なのであーる。
しかし、捨てることで精神的に健康になることはまた別。
ある日突然納得できるかもしれないし、一生納得出来ないのかもしれない。
実は。そういう不安を抱えているのは変わりないのですが、
実際にモノを捨てても困らないということは経験上知っています。
そう、見えないものはないのと同じ。なのに捨ててしまうまでは、捨てるのが不安…。
全くあてにならないのです、自分が。
そーなんです。 決断をした自分が恨めしかったりするんです。
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