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ネット言論規制を誘発する愚かな行為
Dox様、はじめまして。
ちょちょんまげと申します。
お記事を拝読して、基本的に共有する危機感は私も同じなのですが、少々違和感を持ちましたのでコメントさせていただきます。
>かつて自由と人権を重視した人たちは、「冗談で権力者に対して死ねなどと悪口を言っても、逮捕される時代」を恐れて「凶暴罪」に反対したものだが、
こちらで言われている「冗談」は権力側に向いています。
しかし、引用なさった新聞記事はともに市民→市民の方向を向いた「冗談」です(「爆笑問題」の太田さんは有名人かもしれませんが、権力者とは言えないでしょう)
私が憂慮するのは、こういう行為が「自分で自分の首をしめる」結果になっていることです。
今回のDox様のお記事はブログを通じて権力によるネット言論規制の動きに対して警鐘を鳴らされていることと、「市民どうしのチクリ合い」への批判であると読みました。
しかし、市民→市民への提言としては、それ以前にもう一段階あると思うのです。
それは市民に対して「自らの首を締める」ような行為を市民がいましめること、です。
Dox様のお記事及び、コメントでは「小女子」氏を擁護しているように私は感じたのですが(誤読でしたらご指摘ください)、私は「逮捕」そのものには極めて不快、かつ、危険なものとは思いますが、「小女子」氏の行為はやはり極めて愚かだったと考えます。
ネットで予告して実際に犯罪を行った例は残念ながらあるわけです。
そして、「小女子」を焼き殺すと名指しで書かれた学校当局が緊張するのは当たり前であり(学校からの通報だったのかどうかは知りませんが)、緊張しなければ無責任、と、さえ言えると思います。
また「小女子」を「こうなご」と読める人は、現代においてマジョリティだとは思えませんし、ご紹介のリンクを読んでいる人が(日本人全体からすれば)多数だとも思えません。
推測にすぎませんが、「小女子」氏は恐らくDox様ご指摘の通りアイデアをパクってきて、スリルを楽しみたかったのか、「残念でした。こうなごでーす」と言いたかったのか、のようなレベルであったのではないかと思います。
残念なのは、そのようなレベルの行為のせいで「ネット言論」の自由度が狭められ、かつ包囲網を広げるための口実にされていることが明らかだということです。
私の知る限り、「言論の自由の規制」はほとんどの場合、Dox様のおっしゃる「良識人」が支持する例を口実として始まっていると思います。(性表現に対する規制もそのうちでしょう)
言いたいことは、「良識人が支持したくなるような言論規制を誘発しうる、市民→市民のベクトルの、低レベルな言説は慎むべきだ」ということは、「市民⇔市民」の間で常に確認されるべきことではないか、ということです。
「小女子」のような「受け狙い」の愚かな行為はやはり市民から批判されるべきで(私の言っている文脈でです。念のため)、おそらくは、今回のような行為を賞賛あるいは、認めるような言説があるから、「受けたい」連中が後を絶たない、ということもあるのではないでしょうか。
繰り返しになりますが、規制を誘発することだけで終わる以外になんの意味もない権力に対する挑発的な行為に一体なんの意味があるというのでしょう。
その行為が権力サイドに向かった言説ならともかく、市民に対する殺害予告や、「ひっかけ狙い」の挑発行為のせいでネットの自由度が下がる、などということは、私はごめんこうむります。
相手は、プロです。
様々な手練手管を使って言論統制をしてくることは、歴史が証明していると考えます。
「自ら檻に入る国民性」は私に言わせれば、市民側の意識、知識、認識の低さが結果的に招くものだと考えます。(最終的には保身のために自ら檻に入るのではないでしょうか)
当初はDox様のブログにコメントしようと考えていたのですが、長くなってしまって失礼かと思いましたので、こちらでエントリーにいたしました。
ちょちょんまげと申します。
お記事を拝読して、基本的に共有する危機感は私も同じなのですが、少々違和感を持ちましたのでコメントさせていただきます。
>かつて自由と人権を重視した人たちは、「冗談で権力者に対して死ねなどと悪口を言っても、逮捕される時代」を恐れて「凶暴罪」に反対したものだが、
こちらで言われている「冗談」は権力側に向いています。
しかし、引用なさった新聞記事はともに市民→市民の方向を向いた「冗談」です(「爆笑問題」の太田さんは有名人かもしれませんが、権力者とは言えないでしょう)
私が憂慮するのは、こういう行為が「自分で自分の首をしめる」結果になっていることです。
今回のDox様のお記事はブログを通じて権力によるネット言論規制の動きに対して警鐘を鳴らされていることと、「市民どうしのチクリ合い」への批判であると読みました。
しかし、市民→市民への提言としては、それ以前にもう一段階あると思うのです。
それは市民に対して「自らの首を締める」ような行為を市民がいましめること、です。
Dox様のお記事及び、コメントでは「小女子」氏を擁護しているように私は感じたのですが(誤読でしたらご指摘ください)、私は「逮捕」そのものには極めて不快、かつ、危険なものとは思いますが、「小女子」氏の行為はやはり極めて愚かだったと考えます。
ネットで予告して実際に犯罪を行った例は残念ながらあるわけです。
そして、「小女子」を焼き殺すと名指しで書かれた学校当局が緊張するのは当たり前であり(学校からの通報だったのかどうかは知りませんが)、緊張しなければ無責任、と、さえ言えると思います。
また「小女子」を「こうなご」と読める人は、現代においてマジョリティだとは思えませんし、ご紹介のリンクを読んでいる人が(日本人全体からすれば)多数だとも思えません。
推測にすぎませんが、「小女子」氏は恐らくDox様ご指摘の通りアイデアをパクってきて、スリルを楽しみたかったのか、「残念でした。こうなごでーす」と言いたかったのか、のようなレベルであったのではないかと思います。
残念なのは、そのようなレベルの行為のせいで「ネット言論」の自由度が狭められ、かつ包囲網を広げるための口実にされていることが明らかだということです。
私の知る限り、「言論の自由の規制」はほとんどの場合、Dox様のおっしゃる「良識人」が支持する例を口実として始まっていると思います。(性表現に対する規制もそのうちでしょう)
言いたいことは、「良識人が支持したくなるような言論規制を誘発しうる、市民→市民のベクトルの、低レベルな言説は慎むべきだ」ということは、「市民⇔市民」の間で常に確認されるべきことではないか、ということです。
「小女子」のような「受け狙い」の愚かな行為はやはり市民から批判されるべきで(私の言っている文脈でです。念のため)、おそらくは、今回のような行為を賞賛あるいは、認めるような言説があるから、「受けたい」連中が後を絶たない、ということもあるのではないでしょうか。
繰り返しになりますが、規制を誘発することだけで終わる以外になんの意味もない権力に対する挑発的な行為に一体なんの意味があるというのでしょう。
その行為が権力サイドに向かった言説ならともかく、市民に対する殺害予告や、「ひっかけ狙い」の挑発行為のせいでネットの自由度が下がる、などということは、私はごめんこうむります。
相手は、プロです。
様々な手練手管を使って言論統制をしてくることは、歴史が証明していると考えます。
「自ら檻に入る国民性」は私に言わせれば、市民側の意識、知識、認識の低さが結果的に招くものだと考えます。(最終的には保身のために自ら檻に入るのではないでしょうか)
当初はDox様のブログにコメントしようと考えていたのですが、長くなってしまって失礼かと思いましたので、こちらでエントリーにいたしました。
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Comments
ちょちょんまげさん、筋が悪いです
永田さん
ご意見ありがとうございます。
実はこのエントリーを書いた時には、永田さんがおっしゃるような批判は織り込み済みのつもりでおりました。
しかし、実際にこういうご批判を受けてから、また考えてみたのですが、少々自信が揺らいでいるところがあります。
とりあえず、当初予定していた反論への反論を書いてみますので、よろしければ再評価していただけますでしょうか。
1.まず私の立場は「言論規制」には絶対反対です。
2.そして、よく引用される、「俺はあんたの意見を反吐が出るほど嫌悪しているが、あんたがその意見を言う権利を侵害されることがあったら、死に物狂いでその権利を守ろうとするだろう」という立場に完全同意です。
3.よって
>「徹頭徹尾賛同できない意見」であっても、その意見表明への妨害には断固として戦う、が言論の自由を守る定跡と思います。
という永田さんのご意見に完全同意です。
で、当初から描いていた私のシナリオを、ご紹介いただいた天羽先生のリンクから借りてきた天羽先生御発言の「ゲロ以下のあの言論」という言葉を使って開陳するならば、
「ゲロ以下のあの言論」に対して何らかの圧力かなんかが権力サイドからあった場合の私の立場は、
1.「対権力当局」:断固として戦う立場
2.「対発言者」:
a.ゲロ以下であることに対する批判
b.「対権力」に対する市民側の「戦略」(というか、意識として低いのではないか、ということでしょうか)としておかしいという批判
になると思うんですが、ここまでいかがでしょう?
やはり、筋悪でしょうか。
実はこのエントリーを書いた時には、永田さんがおっしゃるような批判は織り込み済みのつもりでおりました。
しかし、実際にこういうご批判を受けてから、また考えてみたのですが、少々自信が揺らいでいるところがあります。
とりあえず、当初予定していた反論への反論を書いてみますので、よろしければ再評価していただけますでしょうか。
1.まず私の立場は「言論規制」には絶対反対です。
2.そして、よく引用される、「俺はあんたの意見を反吐が出るほど嫌悪しているが、あんたがその意見を言う権利を侵害されることがあったら、死に物狂いでその権利を守ろうとするだろう」という立場に完全同意です。
3.よって
>「徹頭徹尾賛同できない意見」であっても、その意見表明への妨害には断固として戦う、が言論の自由を守る定跡と思います。
という永田さんのご意見に完全同意です。
で、当初から描いていた私のシナリオを、ご紹介いただいた天羽先生のリンクから借りてきた天羽先生御発言の「ゲロ以下のあの言論」という言葉を使って開陳するならば、
「ゲロ以下のあの言論」に対して何らかの圧力かなんかが権力サイドからあった場合の私の立場は、
1.「対権力当局」:断固として戦う立場
2.「対発言者」:
a.ゲロ以下であることに対する批判
b.「対権力」に対する市民側の「戦略」(というか、意識として低いのではないか、ということでしょうか)としておかしいという批判
になると思うんですが、ここまでいかがでしょう?
やはり、筋悪でしょうか。
Re: 永田さん
> 「ゲロ以下のあの言論」に対して何らかの圧力かなんかが権力サイドからあった場合の私の立場は、
インターネット以前の時代は主要な言論の場はマスメディア(出版・放送etc.)でした。
そしてマスメディアに圧力をかけられる存在を"権力"と呼んで差し支えありませんでした。
言論の自由は"圧力の出どころを問わず"守られるのが原則であるが、実態として「対権力当局」だけを考えておけば充分だった、ということです。
しかしインターネット上では、言論の公表が容易になりましたが同時に言論の抑圧もまた容易になっています。
天羽さんが「ゲロ以下のあの言論」を(泣く泣く)擁護した事例は言論の自由に対する、まさに市民による圧力の一例として挙げました。
またローレンス・レッシグはその著書CODE(山形浩生/柏木亮二訳)においてインターネット空間の規制手段として『法律』『規範』『商業』『コード』を挙げています。
(『法律』は法律、『規範』はコミュニティーの不文律、『商業』は価格/お値段、『コード』は同書の主題でプログラムコード・コンピュータネットワークのアーキテクチャ;安直な例では"ポルノ"という単語を表示しないblogプログラム等・・・)
このような状況では"言論の自由"の原則に戻り、他者の言論の自由は"圧力の出どころを問わず"守る。しかるのちに自らの言論の自由を行使して反対意見を述べるべきだと私は考えています。
("言論の自由"は「あなた」の意見と「私」の意見に同量の支持が得られることまでは保証していません。要は「問題ある言論の蔓延」を防ぐためには「より説得力のある論」を対抗言論として提示し世に広めれば良いのです)
"市民に対して「自らの首を締める」ような行為を市民がいましめる"、即ち「私達」の言論が制限される可能性があるから「あなた」は黙りなさい、は『規範』による言論の抑圧であり、発言の自粛を求める根拠としてまったく不適当なもので受け入れられません。
突き詰めていくと、「私達」の中の一人である「私」がいつのまにか「あなた」になってしまわない保証が無いことが分かります。
永田さん
いや、実際そうなんですよね。
永田さんの
>突き詰めていくと自己矛盾にぶち当たります。
を拝見してから、用意していた上記反論を再度考えているうちに、矛盾に行き着くのには気がつきました。
そして、永田さんがおっしゃる
>このような状況では"言論の自由"の原則に戻り、他者の言論の自由は"圧力の出どころを問わず"守る。
から充分考えていなかったかもしれません。
>筋が悪いです
のご指摘は認めざるを得ないようです。
ですが、もうひと抵抗すると、
>私達」の言論が制限される可能性があるから「あなた」は黙りなさい
「黙りなさい」でなく、「考えなさい」だと思っているのですが。
永田さんの
>突き詰めていくと自己矛盾にぶち当たります。
を拝見してから、用意していた上記反論を再度考えているうちに、矛盾に行き着くのには気がつきました。
そして、永田さんがおっしゃる
>このような状況では"言論の自由"の原則に戻り、他者の言論の自由は"圧力の出どころを問わず"守る。
から充分考えていなかったかもしれません。
>筋が悪いです
のご指摘は認めざるを得ないようです。
ですが、もうひと抵抗すると、
>私達」の言論が制限される可能性があるから「あなた」は黙りなさい
「黙りなさい」でなく、「考えなさい」だと思っているのですが。
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永田です。
言論の自由を守るために"市民に対して「自らの首を締める」ような行為を市民がいましめる"、という論立ては筋が悪いです。
突き詰めていくと自己矛盾にぶち当たります。
「徹頭徹尾賛同できない意見」であっても、その意見表明への妨害には断固として戦う、が言論の自由を守る定跡と思います。
最近の実例として天羽優子さんが論陣を張られた件をリンクします。
"記事引用しておく"
http://www.cml-office.org/ehold/12094118469177.html