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ぶらり街さんぽ

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高幡不動  門前町の風情と豊かな自然 再開発で駅周辺は大きく様変わり

 新宿から京王線の特急で約30分。関東三大不動の1つとして知られる高幡不動尊の最寄り駅「高幡不動」周辺は、駅前の再開発や多摩モノレールの開通、さらには京王線駅舎の新築工事などにより、その景観が急速に変わりつつある。

 しかし、乱立するビル群によってスカイラインが大きく変貌しても、高幡不動尊へと続く参道が醸し出す門前町ならではの雰囲気や、多摩川の支流の豊かな自然はこれまでと変わることなく、訪れる者を和やかな気持ちにしてくれるはずだ。

京王線は橋上駅舎が完成 モノレールと直結し利便性向上

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周辺の再開発と新駅舎建築で、すっかり景観の変わった京王線の高幡不動駅前。右手奥に見えるのが多摩都市モノレールの高幡不動駅

 橋上駅舎が完成した京王線・高幡不動駅の2階改札口を出て、新宿方面から見て左に折れ、エスカレーターで地上に降りると、タクシー乗り場やバス停などが並ぶ駅前ロータリーが眼前に広がる。

 高幡不動駅の周辺は、2000年12月の多摩都市モノレール開業と前後して、再開発の工事が絶え間なく続けられ、駅前ロータリーを取り囲む景観も一変した。以前は、駅ホームを結ぶ地下道を抜けて地上レベルの改札口を出ると、右手に見える高幡不動尊の参道アーチが何よりも目立っていたが、現在は再開発で建築された大きなマンションビルに続く正面の広い道路や、多摩都市モノレールの高幡不動駅方面へ伸びる左側の道路にも商店街が形成されており、賑わいは全方面へと展開している。

 さらに今年3月には、京王線・高幡不動駅の新駅舎建築工事が最終的に完了し、隣接する京王ショッピングセンターのビルと直結される予定で、すでにショッピングセンターとつながっている多摩都市モノレールの高幡不動駅とも連絡する形となることから、京王線とモノレールの乗り継ぎが格段に便利になる。ショッピングセンターも地上の商店街の賑わいも、さらに増すことになりそうだ。

 のどかな門前町の駅前広場といった趣きの強かったロータリー周辺は、大きなビルの林立する躍進著しい地方中核都市といった様相に様変わりしながら、住んでいる人たちだけでなくここを訪れる人たちにも、高い機能性を提供していくのだろう。

 それはそれで良いことには違いないはずなのだが、以前の高幡不動駅周辺を知る者としては、一抹の寂しさも禁じえなかったりする。

参道の両側に軒を連ねるお店 甘栗と甘酒、白い湯気の誘惑

 中年オバサンの感傷を引きずりながら、「あけましておめでとうございます」とオレンジ色の電飾文字が躍る高幡不動尊参道のアーチをくぐって、三が日が過ぎたとはいえ、まだまだ混雑が続く人ごみへと分け入ってゆく。

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「恭賀新年」の文字が掲げられた高幡不動尊の山門に通じる参道。両側には紅白の提灯がびっしりと並ぶ

 アーチから高幡不動尊の山門まで、およそ100メートルほどと思われる参道の両側には、紅白の提灯がびっしりと並んで、初詣の客を歓迎している。

 参道に軒を連ねるラーメン屋さんや甘栗屋さんからは、白い湯気がもうもうと立ち上り、お蕎麦屋さんの前には、甘酒をふるまうテーブルも出されていた。テーブルの上には「千寿庵の特製糀(こうじ)甘酒 200円」という看板も立てられていて、思わず甘い香りに引き寄せられてしまう。

 和菓子屋さんの前では、出来たてのお饅頭がほかほかと並んでいるし、寒い中を山門へと急いでいるつもりなのに、ついついのぞき込んでしまう食いしん坊の性が、我ながら情けない。

 冬の午後は陽が傾くのも早く、油断をしていると、あっという間に薄暗くなって写真も撮れなくなってしまうので、モロモロの文字通り「甘い誘惑」を断ち切って何とか参道を通りぬけ、参道の前の横断歩道までたどりついた。

歴史を誇る関東三大不動の一つ 200年がかりで往時の寺観を復元

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出店で埋め尽くされた高幡不動尊の境内。正面に見える朱色の建物はお札所の宝輪殿

 正月も既に4日だったのだが、さすがに関東三大不動の一つに数えられ、多摩地区では最も古い歴史を誇る寺社の代表格だけあって、山門に入る前から、不動堂やお札所の宝輪閣へと長蛇の列が続いている。

 古文書などによると、この地に寺が開かれたのは、8世紀初頭の大宝年間以前とも、奈良時代の名僧・行基の手によるものとも言われるそうだが、高幡不動尊が所蔵する重要文化財の鰐口(わにぐち)には、今から1100年余り前の平安時代初期に、慈覚大師円仁が清和天皇の請願によって山中に不動堂を建立し、関東から北の平和を守る霊場と定めたことなどが刻まれているという。

 現在の不動堂は14世紀半ばに再建されたもので、高幡不動尊の資料によると、関東地方ではまれに見る古文化財で、続いて立てられた山門の仁王門とともに、重要文化財に指定されている。

 江戸時代には門末36か寺を従え、関東屈指の大寺院となったものの、18世紀後半の大火で、大日堂をはじめ大師堂、山門、客殿、僧坊などを一挙に消失したという。

 現在は五重塔や大日堂、鐘楼、宝輪閣、大回廊、奥殿などが立ち並び、往時を凌ぐほどの寺観を呈しているが、いずれも昭和50年代以降の建築というから、200年がかりで復興を果たしたことになる。

 総重量が1100キロを超える巨像で、昔から日本一と伝えられた重要文化財の丈六不動三尊は、1997年から京都国立博物館の国宝修理所で、1000年ぶりという修復作業が行われ、2002(平成14)年にお帰りになったばかりだ。

3万坪に及ぶ広大な敷地 四国八十八ケ所霊場を再現

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四国八十八ケ所霊場を模した高幡不動尊・山内八十八ケ所の第八十八番
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高幡不動尊の境内に建立された幕末の新撰組副長・土方歳三像

 その正式名称を「真言宗智山派別格本山 高幡山明王院金剛寺」という高幡不動尊の敷地は、とにかく広い。境内地だけで四千数百坪もある上に、隣接する山林を合わせると、その面積は3万坪にもなるという。その広大な境内を効率良く歩けるように、「山内一周」の散策コースが用意されているほか、隣接する山林には、四国八十八ケ所霊場のうつしである「山内八十八ケ所」も作られている。

 この「山内八十八ケ所」は、徳島県鳴門市坂東にある「本四国第一番 竺和山(じくわさん)霊山寺(りょうぜんじ)」に始まり、香川県さぬき市にある「本四国第八十八番 医王山(いおうざん)大窪寺(おおくぼじ)」に至るまで、境内に隣接する山林に四国八十八ケ所霊場が再現されたものだ。山内には、本当に四国を訪れる「四国八十八ケ所霊場巡拝者募集中」の看板も掲げられていた。

 高幡不動尊は、幕末の新撰組副長・土方歳三の菩提寺としても知られる。土方とともに、六番隊長だった井上源三郎も日野市の出身であり、近藤勇や沖田総司などが剣の技を磨いた日野宿本陣をはじめ、土方歳三資料館や新撰組のふるさと歴史館など、数多くの新撰組関連施設のある日野市では、毎年5月の第2日曜日とその前日に、日野新撰組祭りを盛大に開催している。

 高幡不動尊の境内には、土方歳三像と新撰組両雄の碑が建立されており、年間を通じて根強い新撰組ファンが訪れる聖地の一つだ。

無料お休み処でいっぷく 美味しい饅頭にこだわりの秘密

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元祖高幡まんじゅう「松盛堂」の無料お休処・いっぷく亭
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茶色がつぶあん、白色がこしあんの高幡まんじゅう。1個105円(消費税込み)

 高幡不動尊の広い敷地を歩き回って、さすがに疲れてしまったので、川崎街道をはさんで山門のハス向かいに見えた「無料お休み処 いっぷく亭」で一休みすることにした。

 この「いっぷく亭」は、壁面に「元祖高幡まんじゅう本店」と大書され、土方歳三の似顔絵まで描かれている「高幡まんじゅう松盛堂」の一角にあるものだ。

 小さなテーブルの上に、お湯の入ったポットと茶筒、急須と紙コップが置かれていて、お店でお饅頭を買った人が、自由にお茶を入れて、飲みながら食べることができる。

 私はつぶあんの茶色いお饅頭と、こし餡の白いお饅頭を1個ずつ買った。消費税込みで1個105円、2個で210円。つぶあんもこしあんもほど良い甘さで、暖かいお茶をいただきながら、とても美味しくいただいた。

 お店によると、いつも北海道帯広産小豆100%を目標にしているが、小豆は天候の影響が大きく、作付け面積も限られているため、天候不順の年などは良質の小豆確保に一苦労しているという。0.1%にも満たない塩も、あんこ全体の甘さを決めるため、天然塩にこだわっているのだそうだ。

 「饅頭の命とも言うべきあんは自家製でなければ」というお店のポリシーを守り、自家製だからこそ、あんの風味を逃さない美味しいお饅頭ができるのだろう。

浅川にかかるおしゃれな白い橋 夕日に映える富士山のシルエット

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浅川にかかる「ふれあい橋」。白いおしゃれな外観が印象的だ

 せっかく高幡不動まで来たので、駅から歩いて数分とかからない多摩川の支流・浅川べりまで出てみようと、参道を駅の方へ逆戻りする。

 京王線の新しい高幡不動駅舎は橋上に作られているため、高幡不動尊のある南口だけでなく、浅川のある北口にも階段とエスカレーターがつけられたが、以前は南口側にしか改札出口がなく、浅川に行くにはいったん南口を出て、線路の下をくぐる横断地下道を通らなければならなかった。

 橋上駅のコンコースを通って北口へ出ることもできたのだが、地下道がどうなっているのかも確認したくて、わざわざ遠回りしてみる。地下道の入り口には張り紙があり、去年の8月から歩行者専用となり、車両の通行はできなくなったそうだ。

 地下道をくぐり抜け、細い道路を数分歩いて、浅川の土手に出る。戦前までは水田地帯だったという場所は、現在埋め立てられて小学校になっており、その小学校の裏手には、通称「ふれあい橋」というきれいな白い橋が架けられている。この辺りの浅川の景観にアクセントをつけると同時に、散歩やジョギング、サイクリングなどの際には、一つの目標となる橋だ。

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夕日に映える富士山のシルエット。曇り空で霞んでいるのが残念

 橋の上で、浅川の鉄橋を渡る多摩都市モノレールの写真を撮っていたら、橋の上のベンチで一服していたおじさんに「富士山もきれいだよ」と声をかけられた。後ろを振り返ってみると、赤い夕日に富士山の美しいシルエットが映えている。思わず「わーっ、きれい!」と声を上げてしまった。

 特に冬の晴れた日などには、京王線のホームや電車の窓から、遠くに富士山が見えることは珍しくないのだが、赤い夕日に映えた富士山のシルエットはとりわけ大きく見えて、何か得したような気分になっていた。

 教えてくれたおじさんにお礼を言おうと振り向いたら、おじさんはもう帰ってしまった後だった。気がつけば、辺りは既に夕闇が迫り、川面の風も一段と冷たくなっている。私もコートの襟をたてて、高幡不動の駅へ向かうことにした。

プロフィール
鈴木不二子  すずき・ふにこ
 日野市在住のフリーライター&編集者。主なテーマは旅行と教育、家族など。昔話を語る市民サークルでも活動している。


(2007年1月9日  読売新聞)
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