麻生太郎が、首相の福田康夫から電話を受けたのは7月31日夜。山形・かみのやま温泉で妻と2人で静養中のことだった。
「幹事長を引き受けていただけないですか…」
福田の言葉に麻生は「何をいきなり…」と口ごもったが、予感はあった。福田の後見人である元首相、森喜朗から内々に打診されていたからだ。その際は「そんな話は軽々にお返事できない」とかわしたが、もはやごまかしはきかない。
「せっかくのお言葉ですが…」と麻生は断ったが、福田は「何とかお願いしたい」と食い下がった。内閣支持率の低迷が続く中での初めての内閣改造。しかも公明党が年内解散にかじを切り、政権と距離を置き始めており、人事の失敗は許されなかったのだ。
中でも麻生を政権の中枢に取り込むことは必須要件だった。国民的に認知度が高く人気のある麻生は「自民離れ」を食い止めるにはうってつけだからだ。
党内情勢を見ても先の総裁選のシコリは大きい。福田陣営は8派連合で麻生包囲網を構築したが、若手・中堅が麻生支持に回り330票対197票まで詰められた。反主流となっても麻生支持層の結束は固く、政権への脅威となっていた。
一方、麻生も軽々に幹事長を受諾するわけにはいかなかった。これまで「福田内閣とは思想・哲学が違う」と公言しており、自らの支持層の期待を裏切ることになりかねない。次期総裁選をにらむと首相と一蓮托生(いちれんたくしょう)となる幹事長への就任はリスクが大きい。先の総裁選で福田の出身派閥である町村派に「クーデター説」を流された苦い思い出もある。
とはいえ、麻生は福田には遺恨はなかった。日銀総裁人事などで福田が苦境に陥った際は自ら電話し励ましたこともあった。
麻生「こんな話を電話ですべきじゃないですよ」
福田「では明日11時、公邸でお待ちしています」
翌1日、首相公邸で待ちかまえた福田は40分あまり麻生を口説いた。
「自民党は存亡の危機だ。力を貸してほしい。党総裁としてお願いする」
この殺し文句に麻生はついに折れた。粘り腰の勝利だった。
■役員人事紛糾
麻生の幹事長受諾に安堵(あんど)した福田だが、党役員人事はギリギリの段階で紛糾した。
福田は選対委員長の古賀誠と総務会長の二階俊博は代えない腹づもりだった。「道路族」の重鎮2人を味方につけなければ、道路特定財源の一般財源化は不可能だと踏んだからだ。
だが挙党態勢構築には、前回党四役入りを逃した第2派閥の津島派からの起用が不可欠。そう考えた福田は政調会長、谷垣禎一の後任に元文相の保利耕輔を充てた。政策通の上、国対委員長経験者の保利は政調会長に適任に映ったようだ。
ところが、津島派が元首相の森喜朗らを介して福田に求めていたのは衆院議運委員長、笹川堯を総務会長に起用することだった。津島派幹部は福田が内諾したとの感触を得ており、津島派事務所では幹部が笹川を囲み、福田の連絡を待っていたのだ。
福田はギリギリの段階で保利の起用を思いついたようで保利に電話したのは1日昼前。党四役への抜擢(ばってき)を思ってもいなかった保利はゴルフの真っ最中だった。
しかも保利は郵政民営化で造反し、平成18年暮れに復党後は津島派には戻らず、無派閥だったことも福田は失念していたらしい。
「保利が党四役に起用されるらしい」
津島派は騒ぎになった。「保利氏は津島派にはカウントしない。もう倒閣だ」との声も上がった。
会長の津島雄二は福田に電話で「このままならわが派から閣僚を出さない」と通告。
結局、福田は笹川を総務会長に起用、二階は閣僚で処遇することになった。二階は福田の要請に応じたが、面白いはずがない。「二階総務会長留任」と報じた新聞社幹部からわびの電話が入ると、二階は仏頂面でこう応じた。
「気にしなくていい。誰でも間違うような状況だったんだ」
■「自前の内閣」?
泥縄の人事は夜まで続いた。福田は谷垣を防衛相に起用を考えたが、拒否されたため、国交相に横滑りになった。このあおりを受け、他の閣僚ポストもコロコロと入れ替わった。大量の入閣待機組の初入閣も見送られた。
終わってみれば、目新しいのは麻生の起用だけといえなくもない。ある閣僚経験者は首をかしげた。
「首相は『自前の内閣』を持ちたかっただけなんじゃないか。そもそも総選挙を打つ気はあるのか…」(敬称略、続く)
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