大分県の教員採用汚職事件を受け、文部科学省は全都道府県・政令市の64教育委員会の採用試験実態アンケートをした。
選考基準の公表をしているか、成績の本人開示はどうか、など9項目にわたって尋ねた。回答に共通傾向もばらつきもある。その中で特に気になるのは、答案や面接判定の元データと確定データを突き合わせた最終チェックをしているところが、37教委にとどまっていることだ。さらにその大半が外の目を入れず教委事務局内ですましている実態だ。
大分の事件では、これをきちんとしていなかったことが不正をやりやすくした要因の一つに指摘されている。チェックするにしても、それが教委内部で行われていたのでは心もとない。大分の場合は教委の中枢的人物が不正に関与していた。データや答案廃棄などわけないことだろう。
今回の調査結果について文科省は「不十分」とし、さらに改善を求めて1カ月後に再調査をするという。それはいい。しかし、こうした調査だけでは必ずしも実態の細部は見えない。不正行為についてはどこの教委も「ない」と答えたが、検証・点検をいったいどこまでしたのか。すんなり受け入れることはできない。
仮に金品が介在していなくても、コネと口利き、学閥など、実力とは別の「力」が作用しているとの指摘や疑惑は多くの地域で絶えない。さらに採用(入り口)だけでなく、その地域の教育界での昇進までそれは絡んでくる。まさに大分の事件はそれを実証してみせたといわざるをえない。
だが、今回の文科省の調査は、各教委が「不正」に対しいかなる対策をしているか、つまり「戸締まり」具合の点検をしているふうで、不正、不公平を生む土壌を掘り下げるものではない。それは各教委が自らにメスを入れる覚悟でやらなければならないことだ。
この事件では教育委員会制度が問われている。そういう危機感を抱いている教委はどのくらいあるだろうか。自治的に地域の公教育に責任を担い公正に運営するはずの組織が、なれ合いの身内意識に漬かっていたのでは、公教育も首長の直轄にすべきだという教委廃止論さえ強まりかねない。
全国でいじめ自殺が相次いだ時も、教委が迅速な対応ができないことが問題になり、権利侵害などが深刻なケースでは文科相が教委に是正要求できるよう法改正された。今回は「怠慢」どころではなく、教育行政をつかさどる人物や教員の資質の「偽装」ともいうべき実態を露呈したのだ。
教育改革、学力向上の論議も、その土台であり動力であるはずの教員や教委に疑念を持たれては、いかにも空疎ではないか。
厳しい自己点検を避けていては、信頼回復はおぼつかない。
毎日新聞 2008年8月2日 東京朝刊