少年事件のたびに疑問なのは、どうして被害者と社会一般の多くが、子供を責めて親を責めないのかということだ。
あたりまえのことだが、子供のことは親が責任を持つものだ。だから、未成年者に違法行為があった場合、親が責任を問われ、子供は罰するより更生させるようにするというのは世界の常識であり、日本の法律でもそう規定されている。
親の責任を追及したうえ、それでもまだ子供にも責任を問うべき部分があるというならともかく、ほとんどは子供ばかり責める。
光市事件なんてその最たるものだ。親や地域社会や社会制度の問題を充分に追及したうえでの話ではない。
報道は煽りばかりが目立つため知らない人も多いが、犯人の父親は、妻子への暴力が日常茶飯事だった。団地住まいであるため泣き叫ぶ声などから近所中に知られていた。幼い息子の目の前でその母親を執拗に殴り、怯える息子も見かねて止めに入ると今度は息子をぶちのめしたうえ風呂場へ引きずって行き水の入った浴槽に頭を突っ込み押さえつけるなど壮絶を極めた。母親の前に立ちはだかってかばったために、ぶん殴られて失神したこともあった。
耐えかねた母親は自殺し、首を吊って脱力し糞尿を垂れ流してぶら下がる母親の無惨な姿を見ながら11歳の息子は泣きじゃくっていた。そのあたりから普段の言動に異常さが表れてきて、近所で「あの子はおかしい」「かわいそうだ」「父親があれでは」というような噂がささやかれていたところ最悪の事態となり、こうなる前になんとかしてやれなかったかと悔やまれていることが地元紙で報じられたことがある。
こんな状態だから、少年はいつもおどおどしていて、学校ではいじめに遭い、あいかわらず父親の暴力は続き、高校生のときには鼓膜を破られた。最後の暴力は、あの忌まわしい事件を起こしてしまう前々日であった。つまり、逮捕されてやっと父親の虐待から解放されたのだ。
こんな事情があるのになんで最初から裁判で問題としなかったか。そう疑問に思う人たちから、最初ついた弁護士は責められた。けれども、被告が未成年者であるため親の意向に従わないといけなかった。だから言いたくても言えなかった。言えば被害者に知られて親の責任ということで損害賠償請求される。それを父親は恐れたというのだからひどい話である。弁護団を途中で離れた今枝弁護士も、前の弁護士がいいかげんだと最初は思っていたが、あとからこの事情を知って怒れなくなったとインタビューで言っていたほどだ。
後から付いた安田弁護士らも、こんな事情を知って義憤にかられたというなら、そのしょうもない親父を証人として呼び出して厳しく尋問してやるべきだったのに、なぜしなかったのかと批判されている。いまさら遅いが。やはり少年事件であっても、親を吊るし上げることはやりにくかったのだろう。
犯人を極刑にしたところで、亡くなった犠牲者らは生き返らない。だから、再発防止などの観点から、そもそもこの事件は防げなかったかが問われなければならないはずだ。アメリカだったら事件が起きなかった可能性が、日本よりはある。あちらでは児童虐待は刑事事件となり、父親は刑務所、息子は施設入りで、どちらもカウンセリングやセラピーを受けることになっただろう。児童虐待は被害者自ら通報できないので、周囲に通報の義務がある。もしも隣人や教師が見てみぬふりしていたら刑事罰に問われる。
ところが日本では、家庭内の問題だとか、躾のための体罰だとか、そんな言い訳がよく通用してしまう。記憶に新しいことだが、女性がとりあえずDVから逃れるシェルターを作ろうとすると、古い価値観をもった人たちが「家族制度の崩壊につながる」と反対する。イエのためにヒトが居るという考えだ。
家庭裁判所でも、老人それも男性が多い参与員が、DVの訴えに対してしばしば「亭主が女房を殴って何が悪い」と言い、それに同調する判事も時々いる。これでは光市事件の被告の母親など救われるはずがないし、また同じような事件が起きてしまうかもしれない。
被告の親父は、妻を自殺させ、息子を死刑囚にしたのだから、母親と子供を死に追いやったということでは被告と同じなのだが、これも、妻子は家長の所有物という封建的な考えから抜けられない人たちにとっては、他所様ではなく自分の妻子だから同じではないということになる。
このような社会背景がある。だから、親の責任を追及するより子供を責めるほうに熱心なのだ。
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