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2003年4月 インド旅行
プロローグとソウル
デリー初日(このページ)
アグラ前半
アグラ後半

デリー実質初日

デリー初日

翌朝はややゆったり目に起床、まず日本からインターネット( www.irctc.co.in. ) で予約していた鉄道の切符を引き替えに行くのが任務がある。インターネット予約はサーバーの反応が異様に遅く、時間がとてもかかるものの、日本を出発する前に席が確保できるのは大きい(当時はまだe-ticketに対応していなかった)。宿の前と駅とを結ぶ通りに引換所はあるのだが、最初は恐る恐るといった感じで街歩きを始め、慣れることもかねて敢えて別の道で遠回りし駅に出てみることにする。日差しは強く、気温は40度近いと思われるが空気は乾燥しているせいか風はひんやりしており、日陰に入れば涼しい。

ニューデリー駅はへは裏口から入る形になったが、ホームこそ12番線まであるものの、十億の首都のメインターミナルとしてはちょっとした建物と跨線橋があるだけで貧弱である。ただし膨大な荷物を抱えた乗降客や客引きでごったがえしているところへ、駅頭にたむろしたり地べたに寝ていたりするホームレスや物乞いが加わり熱気が渦巻いている。駅の正面口を出て駅前の道をホテル方向へ戻る所に目指す引換所がある事がわかり、その方向へ向かうのだが、駅前広場を出るまでに何人の客引きに声をかけられただろうか。無視していれば良いので害はないのだが、うっとうしいことには変わりない。
ニューデリー駅
ニューデリー駅ホーム。膨大な量の荷物が積み込まれるのを待つ ニューデリー駅駅舎

引換所は前売り切符の販売の専門の建物である鉄道予約センターの中に入っており、そこで無事次の日のアグラまでの往復のシャタブディエキスプレスの切符を手に入れることができた。

無事切符を手にしてコンノートプレースに戻る。お昼前だが朝から何も食べていないので、何か口にしたい。しかしまだインドには慣れていないことと、今回は帰国後体調を崩すわけにはいかないので、衛生面で不安があるところで食べるわけにはいかない。適当な所を探していたところ、丁度マクドナルドがあったので入ってみる。インドのマックは牛を神聖視するヒンズー教徒への配慮で、牛肉を使用していないとは聞いていた。またベジタリアンが多いお国柄を反映してメニューの半分はベジタリアンメニューであるのでそれも試したい。ノン・ベジの最高峰マハラジャマック(Rs59)とベジタリアンの一番安いマック・ベジサプライズ(Rs20)を注文。マハラジャのほうはスパイシーなチキンのパテ、ベジサプライズの方はハッシュドポテトがパテの代わりをしている。両方ともなかなかいける。 

マックを出てコンノートプレースを歩く。古い扇型の建物がロータリーを取り囲み、その外側もロータリーになっている。昼間歩いてみるとさすが銀座に例えられるエリアだけあってベネトンとかナイキの店などが並んでいる。ロータリーの真ん中は公園になっているが地下鉄の建設工事が行われて囲いがしてあり近づけない。

やがて、紳士風の身なりをした男に声をかけられた。いつ来たとか、どこにいくというおきまりのやりとりをした。彼は今昼休みなどでお茶しようとか言いだしたが、私の本能が怪しいと知らせたので断る。すると、デリーは暑いからバスのツアーに参加した方がいいだとかタージマハールに行くにはバスのツアーがいいと言いだした。結局正体はバスツアーを売りつける客引きなのだが、本題を切り出すまでが回りくどいというか大がかり。こっちは疲れてしまう。

銀行や航空会社のオフィスが連なるビル街を歩くとアメリカ文化センターがあった。ここはテロで襲撃された「実績」があるそうで警備は厳重。日本のように電話ボックスのような簡単な詰め所ではなく、土嚢を積んで銃を横に構えての臨戦態勢だ。

デリーとかニューデリーとか今まで使ってきたが、イギリスはインド植民地の首都をカルカッタからムガール帝国の首都であったデリーに1911年に遷都し、その南側に20年かけて新たな都市計画によって官庁街を建設した。その二つの「デリー」の境目がニューデリー駅に位置する。ニューデリーのエリアは道は広く、緑があふれているが生活臭はしない。印象としては満州国の首都として同時期に建設された新京、今の長春に似ている。



ニューデリーの街並み インド門
緑が多いニューデリーの街並み インド門はニューデリーの都市計画の基本点

そんなニューデリーの街並みをインド門まで歩く。インド門は第一次大戦やアフガン戦争にインド独立を約束して(その後反古に)参戦させたインド兵の霊を祀るパリの凱旋門似の構造物である。これを見てインド人はなんと思うのだろうとふと思った。ここまで歩くとさすがに暑さのため疲れてきた。オートリキシャーに乗って南部郊外にあるクトゥブミナールに向かうことにした。

クトゥブミナールはデリーを初めて征服したイスラム教徒の朝廷が記念にたてた塔を中心にした遺構。この日は金曜日入場無料なのでそのままはいるが、入り口でガイドと称する男が寄ってきた。タダだから案内させろという。暑い気候とゆっくり雰囲気に浸りたいこともあって断るが、勝手についてきて勝手に説明を始める。あきれてそのままにするが、次の場所に行こうと促したりして非常にうざったいのではっきり断る。するとさっきまで「ノーマネー、イッツフリー」と繰り返していたのにチップくれとのたまう。インドの観光地はガイドをするという者につきまとわれるのが少々鬱陶しい。
クトゥブミナールのミナレット アラーイーの塔
有名な鉄柱 モスクの遺構

参観すべきメインの塔や、その2倍の高さの塔をたてようともくろんだものの未完のまま放置された「アラーイーの塔」やモスクの遺構を見物したあと二番目の観光地であるフマユーン廟へ向かう。こことクトゥブミナールの二つがデリーにある世界遺産であるくらいなので有名な観光地であるはずだがオートリキシャーのドライバーは皆わからないという。ただまっすぐ行ってLodi Rd.という大きな道で曲がって突き当たりといったいたって単純な道筋なのだが地図をみせても地図の読解能力がないらしい。。集まってきた他のドライバーとあーだこうだとさんざん言い合ってやっと出発。無事Lodi Rd.で曲がったのであとはまっすぐ行くだけなのに何度も周りのオートリキーシャードライバーや歩行者に道を聞いている。ちょっとあきれてしまった。


フマユーン廟
オートリキシャーからの眺め フマユーン廟正面
実際のではないが安置されている棺 四分庭園


フマユーン廟はタージマハールの原型となった言われる廟である。赤砂岩の赤茶と大理石の白とのコントラストが美しい。建物の中に入ろうとすると警棒を持った警官に制止される。だれか政府のお偉方が見学に来ているようだ。お偉方の見学が終わりやっと中に入ってみる。といっても棺桶に見立てた大理石の箱が安置されているだけだ。

夕焼けに映える廟を堪能したあとオートリキシャーでニューデリー駅へ向かい、駅前のメインバザールを冷やかす。街並的には整ったニューデリーのエリア外に出るので雑多な雰囲気である。人もあふれているが、道路にはゴミがあふれている。しばらく行くと牛がいた。おおーこれがあのインドの路上の牛かとちょっと感動。一日近く今まで歩いていてもニューデリーの整った街には牛は一頭も見かけなかったが、オールドデリーの雑然とした街には牛が闊歩している。

一言で牛と言っても肉付き毛並みともに良い物もいれば、あばらが浮き出ていてやせ細った牛もいる。ノソノソ歩くだけで直接は害はないのだが、巨体だしとがっている角で一突きされたらひとたまりない。そんな牛にびくつきながら更に歩く。すると少年に声をかけられる。こいつも色々質問をしてくる。正直うざったい。日が暮れてきたので宿に向かおうと通りを曲がろうとするとそちらではないという。頭に入っている地図では私が合っているはずである。しかるにこの少年はこちらだとしつこい。推測するにこの先の道に彼の店でもあってそこに引き入れようと言う魂胆なのだろう。このようにインドでは色々な人々に声をかけられる。しかも殆どが外国人相手に儲けようとたくらんでいる連中なのでその面では疲れてしまう。


ニューデリー駅前から伸びるメインバザールの通り 安宿が集まるため客引きも多い
メインバザール裏の路地の様子 信号待ちをする牛などいるので歩いていて楽しい街だ

ホテルの方向へ戻ったはいいのだが、泊まっているホテルは小さいのでレストランを併設していないため近くのホテルのレストランに適当に入る。このレストランはベジタリアンレストランであった。ここで定食である「ターリー」を頼む。Rs290也。スープに始まりカレー三種、ナンと豆を炊き込んだご飯、サラダにプリン、アイスクリームがつく。おかずや主食はいくらでも追加してくれるのでおなか一杯食べた。ベジタリアンの料理とは言えカレーの中に肉が入っている替わりに豆腐のような物が入っているほか、赤飯に入っている小豆をすりつぶしたような味のペーストになっているカレーで、ベジタリアンという名前から連想されるような、食べたいものを我慢しているような食事とは違って豪華で満足がいくものであった。

考えてみると現代の日本の食事にはなにかしらの肉や魚がついているのが普通であって、脂肪や動物性タンパク質をとりすぎている気がする。満腹になったところで宿に戻る。明日は朝6:00発の列車なので床に早めにつく。

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