2008-08-01
池田信夫氏に反論する
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/3de3c4b8b36bf0245bacf46a81f7bc8a
もう一つは、こうした事件に意味をもたせないことだ。「格差社会」や「勝ち組・負け組」といったありがちな図式で、殺人犯を「時代の象徴」に祭り上げることは、病人を増長させ、模倣犯を呼ぶ。この種の「ありがち評論」の典型が、事件の実態もわからない3日後に「容疑者が職場への怒りや世間からの疎外感を長期的に募らせた」とか「社会全体に対する空恐ろしいまでの絶望と怒り」などという見事なステレオタイプで、秋葉原の事件をテロと呼んだ東浩紀のエッセイだ。
(中略)
しかし共産主義の「正義」や「平等」の名のもとに、1億人近い人々が殺された20世紀の教訓を忘れてはいけない。彼らがそれなりにまじめに、格差を是正しようという善意をもっていることは否定しない。しかし、まじめはバカの埋め合わせにはならない。まじめなバカほど、はた迷惑なものはないのだ。
前者の見解はあちこちで批判を浴びてますが、まぁ加藤自身は確かに格差とかテロとか思っていなかったかもしれない。しかし2ちゃんねるを中心に、「英雄視」し、「代弁者」だとしてしまう人々が「大量にいた」事実は見逃してはいけないのではないか。実際に、若年者は怒っているし、絶望している。まぁ人によるけど。絶望と怒りが多くなっているのは事実だと思いますよ。フリーター論壇的に「当事者批評」をしてしまうと、まず僕は怒っているし、絶望していますよ。絶望した末に怒るしかなくなったというのが正しいですが。丸の内でマシンガンぶっ放しで通り魔してやろうかとか、限界ギリギリだと、思っちゃいますよ。そして自殺率、精神病率の明らかな統計上の増加を見るに、「自殺ギリギリ」の人が増えてもいるし、「自殺ギリギリ」の人が、自殺に向かうか社会全体に復讐するかなんてのは確率の問題だと思いますよ。
池田さんの論は、拳銃でたとえると、「引き金を引かせないようにする」ことに過ぎない。その裏にある「火薬がどんどん溜まっている」状況自体はどうもならないと思う。引き金を引かないと、火薬はもっと増えていく。そのときに何かが起こるというのを僕は本当に危惧していて、通り魔の連発、暴動、戦争、などなど、このままだとたどり着くと思う。「希望は戦争」でそれは示唆されていたように思うのだけれど。
そして「共産主義」の話は、僕だって十分承知しているし、東さんだって承知していると思う。というか僕に限っては、そこでものすごく悩んでいる。個人誌的な話を言えば、僕の生まれた北海道は社会主義思想が強く、それが形骸化して、「福祉へのただのり」とか、ろくでもないことがいっぱい起きていたし、「正義」や「平等」がとてつもない問題を起こしたことも知っている。『収容所群島』とかだって知っている。そこで僕自身はマルクス主義に対する疑問を抱いてポストモダニストになったわけだけど、今起きていることは、芹沢一也の意見を借りると、
文化領域におけるポストモダンと、経済領域におけるネオリベラリズム、
両者は共通の敵に対立しながら姿を現わした。共通の敵とは、フォーディ
ズム的な産業社会のロジックであり、いわゆる規律訓練型の権力が支配
する体制である。そこでは生産性を向上させるために、規律訓練型の組
織(家族や学校、企業や工場)によって、画一的で同質的な労働主体がつ
くられる。
(中略)
70年代のアウトノミア運動のスローガンに、「不安定なのは良いことだ」
というものがあったが、それは安定した職と生活を提供していた社会で
こそ可能なものだった。資本主義が規制緩和と労働のフレックス化によっ
て、そのような不安定性を再解釈しつつ領有したとき、不安定なことは
創造的な生を裏打ちする霊泉であることをやめて、生を鈍く不活性化す
るような絶望や自死の淵源となりはててしまった。
そして、わたしたちの眼前に横たわる、すでに見慣れたネオリベラルな
風景というわけだが、要するに、ポストモダンとネオリベラリズムは共
犯関係にあった。ポストモダンにおける差異やハイブリッド性の肯定は、
多極分散型の管理によって生産性を高めようとするネオリベラルな資本
のロジックに回収されたのだ。
ということでしょう。気楽なマルクス主義の正義が犠牲を出したと同じように、僕たちは気楽なポストモダニストに「犠牲」にされている。それでいい生を送れている人間には他人事のようだが、僕は1983年生まれとして、周りの精神病率、自殺率を見ているのが苦しい。学校の「競争」と「成果主義」で、どれだけ人々が追い込まれていることか。非正規社員は貧困で、正社員も「やめたい」と言っている人間が多く、精神を病んで辞めている友人もたくさんいる。正義感をもってNPOに入れば月収14万円で過酷な労働をさせられる。
池田さんの意見は、要するに格差を「我慢しろ」ということだろう。それは有利なところにいる人にはいいが、そうでない人にはどうか。僕はそれは正しいとは思わない。正しいとは思わないが、マルクス主義の嫌さも歴史から学んでいる。その点でフリーター論壇には心情的に賛同しつつも警戒しているのだが、僕らの苦境こそがまさにポストモダニストが準備したというのを忘れないで欲しい。僕らが必要としているのは、マルクス主義とも、ポストモダニズムとも、ネオリベラリズムとも違う、それを乗り越えるべき、新たな思想だろう。僕は「新自由主義」にひどい目に遭わされているポストモダニストとして、そのことを真剣に考えているつもりだ。
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