目の前で母が消えた「駒の湯温泉」経営者次男が証言

土石流にのみ込まれた「駒の湯温泉」の写真を手に、被災時の状況を説明する菅原昭夫さん=31日午後5時20分ごろ、栗原市役所
 「ごう音とともに土石流が迫るのが見えた」。岩手・宮城内陸地震で5人が死亡、2人が行方不明になった宮城県栗原市栗駒の旅館「駒の湯温泉」。九死に一生を得た旅館経営者の家族が31日、被災後初めて報道陣の取材に応じた。土石流が旅館をのみ込んだ時の様子を生々しく証言、犠牲者を悼む思いを吐露した。

 栗原市役所で記者会見したのは経営者菅原孝さん(86)の次男昭夫さん(53)。震災で胸の骨などを折る重傷を負い、市内の病院に入院していたが、30日に退院した。
 地震発生時、昭夫さんは本館の事務室にいた。揺れが収まると、沢に近い離れにいた宿泊客の麦屋弥生さんと岸由一郎さんが「山が崩れた」と叫び、駆け込んできた。

 迫り来る土石流が見えた。慌てて離れと反対側の洗濯室に逃げ込んだ。1階がみるみる間に押しつぶされ、建物自体も流されていると分かった。
 目の前で、母チカ子さんが逃げ惑っていた。「転倒した母の上にがれきが落ち、姿が見えなくなった」。最後の瞬間を思い起こし、悲痛の表情を浮かべた。

 昭夫さんは偶然、倒れた壁のすき間に体がすっぽり入っていた。「揺れか土石流がもう一回来たら、終わりだった」。2階にはい上がり、外を見る。辺りは泥の海。住民に助け出された。
 孝さんとは、搬送先で再会した。「ショックで一時は放心状態だった。回復が遅れている」と父の様子を説明した。

 従業員2人の行方が分からないまま捜索は打ち切られた。会見の冒頭、「家族の気持ちを思うと、いたたまれない」と頭を下げた。最後も「入院中もずっと、早く見つかってほしいと考えていた」と声を詰まらせた。

◎一問一答/救出は奇跡犠牲者を供養

 記者会見で菅原昭夫さんの主なやりとりは次の通り。

 ―現在の心境は。
 「奇跡的に救出され、今ここにいることが信じられない。土石流で2人のお客さま、従業員、家族を亡くした。『駒の湯』が見える場所に慰霊碑を建て、犠牲者を供養したい」

 ―土石流が押し寄せるまで、従業員や宿泊客はどう行動したのか。
 「父と母、従業員の安藤(みい子)さんはいったん外に避難した。母は洗濯室に戻った。安藤さんは裏口に向かい、父は車から荷物を降ろそうとした時に土石流が来た」
 「麦屋(弥生)さんと、岸(由一郎)さんは驚いた様子で玄関に来た。わたしが外の様子を見て戻った後は見かけていない。すべての人を確認する余裕はなかった」

 ―土石流で沢はどのように変化したのか。
 「旅館から30メートル低い所を流れていたが、目の前に迫ってきた。病院で入院していた5階の部屋まで水が上がってきたような感じだった」

 ―旅館は再開するのか。
 「源泉の辺りは10メートル以上、土砂に埋まっている状態。再開は難しい。温泉も止まっているかもしれない。今は、もう一度あそこでやろうという気になれない」


◇「駒の湯温泉」の捜索経過
6月14日 岩手・宮城内陸地震発生。沢を下った土石流が旅館「駒の湯温泉」の建物をのみ込む。経営者の菅原孝さん(86)と次男昭夫さん(53)は救助されたが、従業員、宿泊客ら7人が行方不明に。
  15日 菅原さんの妻チカ子さん、宿泊客の麦屋弥生さん(東京都葛飾区)と岸由一郎さん(東京都北区)が遺体で見つかる。
  16日 菅原さんの長男孝夫さんが遺体で見つかる。
  18日 従業員の安藤みい子さん(栗原市)が遺体で見つかる。
  22日 自衛隊の捜索活動が終了。
7月16日 従業員の高橋恵子さん(栗原市)と佐藤幸雄さん(同)が行方不明のまま、捜索が打ち切られる。
2008年08月01日金曜日

宮城

社会



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