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help リーダーに追加 RSS 【A Gay's Mumble】 ボーイズ・ラヴ作品の可能性

<<   作成日時 : 2007/12/26 19:01   >>

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 これまで数回、僕は、このブログの中で、いわゆるBL=ボーイズ・ラヴ作品について言及してきた。
 辿れるところまで簡単に穿り返してみると、だいたい次のようなことを書いていた。

 実は円山、ボーイズラヴの作品には大層疎い。

 ―――だから、もしかするとボーイズラヴを誤解しているかも知れない。

 笑われるのを恐れずに敢えて無知を晒すが、私の印象するところ、ボーイズラヴ作品の中で愛し合う少年たちは、ことごとく美少年ばかりのような気がする。如何だろうか。誤解していないだろうか。

 どうして、ボーイズラヴ作品に一定のファン層が備わっているのか、私にはよく分からない。耽美的という言葉があるが、ボーイズラヴには耽美の妙があるから、根強いファンがおられるのだろうと、とりあえず理解しておこうと思う。間違っていたら、どうかご指摘を頂戴したい。

 美少年が愛し合うから耽美の欲を満たしてくれる。ゆえに、ボーイズラヴは、いわゆるゲイとは一線を画すものと見なされている。これで合っているだろうか。

【ゲイ想】ゲイは「気持ちが悪い」のか?
http://tapten.at.webry.info/200702/article_5.html

 腐女子の皆さんが、ファンタジーの世界を満喫されるのはご自由ですし、また、そもそも彼女たちが、現実のゲイ世界を受け入れようと思っておられないだろうことは、容易に想像がつきます。BL=ボーイズ・ラヴ系の書籍・ゲーム、そして映画が、彼女ら腐女子の皆さん方の夢想こそを満足させるために作られている以上、もとより、僕ら本物のゲイが、これらに温かい視線を投じるわけがありません。
 ………………
 世の”腐女子”の皆さん方は、おそらく、現実のBL=ボーイズ・ラヴ、……男の子たちの同性愛を卑下してなどいないとおっしゃることでしょう。むしろ、若い男の子たちのゲイネスを賛美しているのだとさえ、おっしゃりそうな気がいたします。もちろん、それならそれで結構です。

 しかしながら、夢想の世界を愛する、その度が過ぎて、結果的に現実の少年ゲイたちを不愉快な思いに陥らせているとするなら、ひどく無責任な話だと、憤らざるを得ない場面も生じようというものです。

 腐女子の皆さんが浸るファンタジーの世界とは全く相容れない現実の苦悩が、本物のゲイたちのあいだに満ちてしまっているかも知れないとの想像力を持つこともまた、欠かすべからざることだと申し上げておきます。

【A Gay's Mumble】幻夢としての”ボーイズ・ラヴ”
http://tapten.at.webry.info/200709/article_11.html

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       ●BL作品のひとこま
        北別府ニカ 『未亡人。』より

 今にして思うと、僕はBL作品について、そのごく表層的な部分しか見てこなかったのだろうと反省している。表層しか見ずに、BL作品に違和感を感じ、冷たい視線を投じてきたことへの反省である。
 これを偏見と言わずして、何と言うべきなのだろう。
 日頃、ゲイに対する偏見を繰り返し指摘しておりながら、BL作品への偏見を堂々と語っているようでは、この円山、大きな顔はできない。

 もちろん、僕が”突然”BL作品を好きになることは、まず、ないだろうと想う。そもそも、あまりコミックには馴染みがないからだ。
 しかし、これまでの偏った<BL観>をあたらめ、BL作品が持つ、べつの可能性を模索することに、何らかの意義を見出したい―――と考えるようになってきた。

 すでに、僕の無知無明を察する切っ掛けはあった。
 上述の拙文<幻夢としての”ボーイズ・ラヴ”>に、”karlさん”と仰る方が長大なコメントを付けて下さっているのだが、そのご指摘が、僕の間違いを全て洗い出しておられたように想う。
 以下に、そのときkarlさんさんから頂戴したコメント文章を、抜粋してみた。

 まず一点目として、BLは何もことさら「絵になる美少年」のみを描こうとするものではないです。ゲイメディアにおける表現とはそれは多少異なるにしても、屈強な肉体美の男性のセックスを描くようなBL漫画だって結構存在します。そもそも漫画は大体なんでも美化して描く傾向がある(わけです。※)

 二点目です。次に、たとえBLが現実のゲイ男性を疎外するような性質を持っていたとしても、だからといって「絵空事」だとか「空々しい」とか「痛々しい」といったように評価することには違和感を感じます。
 それはなぜかといえば、こうした評価は、BL的ジャンルがどういったコンテクストの中で生まれたものなのかを無視しているように感じられるからです。

 日本においては、異性愛者の女性が漫画という表現媒体で男性同性愛を扱うことは、おそらく『トーマの心臓』や『風と木の詩』といった一時期の高く評価される少女漫画によって始められたものだろうと思います。

 …………女性が性表現をすることがこれだけ広範に可能になったこと自体が、どれだけ社会の自由を増幅させているかということです。

 三点目ですが、ゲイへの配慮を感じさせるような表現を通して、優れた芸術的表現を行っているBL作家も存在します。
(※BL作家・藤たまきの『ホライゾン』という作品の例を挙げられています。)

 確かに、ネットなどを見ると、現実にゲイが普通に存在し、普通に生活していることに無神経なような腐女子はいくらでも目に付きます。しかし、それはこの社会一般についてもそうだということができます。それなのにゲイがしばしば腐女子をあたかも差別者の急先鋒のように取り上げるのは正直解せません。
 そもそも BL漫画が普通にポルノグラフィーとしても、また物によっては真面目な芸術表現として好きなゲイとしては、読んでもいないで批判しているだけでは? と感じさせられることもしばしばです。

 僕は少年時代(数年前高校生だったくらいの頃とか)『グラビテーション』というBL漫画を読んで非常に面白いと思いましたが、それはその作品が男同士の恋愛を話の中心に据えた 10巻近くある漫画であったからです。とりわけ子供のうちはゲイの表象を目にすることにも面倒が伴うわけで、あれだけストレートな男同士の愛の表現は稀なものでとても励まされました。こうしたポジティブな可能性があることも知ってほしいと思います。

 現在漫画が急速に受容されている諸外国において、何事もシニカルに見て住み分けの対象とする傾向の強い日本と異なり、無論多くの場合異性愛女性のために作られたジャンルであることを前提としつつも、BLはゲイにポジティブな可能性を秘めていないかとマジに議論されている……。

(※は、円山)

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       ●BL作品のひとこま
        十文字グリコ 『そのスピードで』より

 以前の僕が忌避していた部分は、BL作品とその愛好者たちが、本物のゲイを差し置いて、自分勝手な男性(美少年〜美青年)同性愛の世界を作り出し、その”有りもしない”偽物の同性愛世界の中で、自分勝手に心をときめかせ、耽美の妙に浸っているのではないかとの、それこそ、僕のほうが勝手にこだわった要素であった。 もしかすると、BL作品とその愛好者の意想には、しっかりと、そうした要素があるのかも知れない。
 でも、いたずらにそれを批判してばかりいてもつまらないことではないかと、今の僕は考えるようになった。ただし、さほど強烈に批判していたつもりもないのだが。
 批判と言うよりも、僕自身には関係のないものだと、頭から決めつけていたようなところがあった。

 最近、”lucindaさん”と仰る方が、僕の書いた記事、

【A Gay's Mumble】男子校カフェ/萌えたいのに萌えない/世間さまのデタラメ
http://tapten.at.webry.info/200711/article_1.html

 ―――に、コメントとTBを付けて下さっている。

 コメントの中で、lucindaさんは、
 >>>ネットでゲイや同性愛の様々な情報が手に入るようになり、BLもその影響を受けて、わずかながらでも変わっているのではないかと思います>>>
 との、ご意見を示された。

 TBして下さった記事の中では、
 >>>「ゲイじゃない人たちは、どこかでゲイとBLを結び付けている」=「ゲイじゃない人たちは、腐女子を嘲笑しながらも、ゲイの表現手段としてまず思い浮かべるものがBLである」ということか。
 同時にこれは、ゲイじゃない人たちが現実のゲイを知らない、知る機会がない、あるいは知ろうとしない証ということかもしれない>>>
 との、ご見解を述べられている。

ブログから考えるBLとゲイ
http://mid30s.blog70.fc2.com/blog-entry-352.html

 僕は、現実のゲイを知って欲しいと考える。
 いっぽう、ゲイ/同性愛者でない人たちは、現実のゲイと接する機会に乏しい。ゲイを積極的に知ろうとしない面もあるだろうが、きっと知る機会があれば、強い興味を示すことだろうとは想っている。問題は、その興味の示し方だが、最初のうちは次元の低いことからだろう。しかし、いずれは、ゲイがどれだけ辛らい思いをしながら生きているか、現実の世の中が、どれだけゲイの存在に配慮を欠いたシステムで出来上がっているかなど、次元の高い理解へ進んで行かれることを希望している。

 また、これは僕のべつの記事に寄せられたコメントだが、”yoshiさん”と仰る方は、
 >>>私自身は異性愛者だと自覚していますが、1月前に好奇心で立ち読みしたBL漫画がきっかけで、同性愛が普通の愛だと知りました。敬遠していた世界でしたが、本当の愛ってなんだろうと考え込み、人を困らせるほどに……、本当に眼からうろこな瞬間でした。以来、同性愛者の権利について真剣に考えるようになりました>>>
 と書いて下さっている。
http://tapten.at.webry.info/200712/article_14.html

 僕が、これらのお考えに接し、真っ先に感じたのは、BL作品が、ゲイ/同性愛者ではない人たちにとって、ゲイとはどういうものなのかを知るための、実は有力な情報源の一つになりつつある(なっている)のかも知れないことと、先述したkarlさんからいただいたコメントと併せ、BL作品自体にもまた、さまざまな形に分派発展して、よりリアルなゲイ世界を描こうと、変容し続けている部分があるらしいとの、新鮮な印象であった。

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       ●BL作品のひとこま
        十文字グリコ 『そのスピードで』より

 実際問題として、本物のゲイが営むであろう、あられもないセックス・シーンを、BL作品のテイストの中へ露骨に描いてしまうのも、一定の美意識、耽美の妙、夢想願望、こうした元来の趣きに反するものであろうことは、僕のような者にも想像がつく。
 どうせゲイを描くのなら、リアルな表現も盛り込むべきだなどと要求し、BL作品の中で、例えば男同士がむさぼるアナルセックスの肉弾戦を事細かに描写させたところで、では本物のゲイである僕が満足するのかと言えば、べつにそういうことでもない。ゲイ・ポルノをBL作品の中に求めようとは思わないのだ。
 なぜなら、ゲイ・ポルノはゲイ・ポルノで、立派なものが他にいくらでも流通しているからである。
 BL作品は、BL作品として描かれ続ければ、それで充分だろうとの気持ちになってきた。

 同様なことは、TVドラマにも言える。
 日本でもアメリカのように、ゲイ/同性愛者が普通に登場するTVドラマ(や映画)を、もっと当たり前に放映しても良いのではないかと、僕はかねがね思っている。
 しかし、放送倫理というものもあるのだろうから、ゲイの生々しいセックス・シーンなど、とてもTVでは放送できませんと―――言われれば、それはそうだろうなと素直に引き下がる。無闇に、何もかもリアルに表現させれば、それで満足だとは、ちっとも思わない。

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       ●BL作品のひとこま
        十文字グリコ 『そのスピードで』より

 BL作品には、それなりのスタイルがあるのだろう。
 しかし、サンプルは少ないものの、僕が読んだことのあるBL作品(コミック)を思い起こしてみる限り、BL作品は紛う方なく、ゲイの世界を明瞭に描いている。違和感があろうとなかろうと、どのようなスタイルで描かれておろうとも。
 そして、BL作品を、誰がどのような気持ちで読んでいても、それをいちいちあげつらうこともないのだなと、僕は最近、ようやくこだわりが解けてきたのである。

 BL作品があって、読者がいる。
 そして、たぶん十人の読者がいれば、十通りの感じ方、思い入れが生じるのだろう。
 それで良いではないかと、素直に受け入れることができるように変わってきたというわけだ。

 それもこれも、BLファンのご意見に接し、僕が抱いていた偏見に、自ら気付いたからだと想う。

 BL作品のあり方が、これからますます、夢幻としての、ちょっとあり得ないようなゲイ世界を描くに留まることなく、多様なスタイルで、ゲイの抱える難しい問題にまで言及するように変わってゆくことを期待しつつ、ゲイ/同性愛者でない人たちがBL作品を通じ、本物のゲイを知り、本物のゲイに真摯な興味を抱き、ついには本物のゲイの存在や苦悩、また幸福までをも現実社会の中に意識するようになって下さるのであれば、僕は、<BL作品のポジティヴな可能性>を、むしろ訴える側に廻っても良いとまで、考え方が転回することだろう。

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コメント(35件)

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こんばんは。lucindaです。トラックバックとリンクを許可してくださったこと、そして拙文へのトラックバック、改めてお礼を申し上げます。厚かましくお願いしたものの、思っていたことをきちんと書けるか不安も感じていたので、本当に嬉しかったです。そして、この記事を拝見して、私が自分のブログではうまく盛り込めなかったこと↓
>BL作品が、ゲイ/同性愛者ではない人たちにとって…情報源の一つになりつつある(なっている)のかも知れない
が触れられていたのも感激でした。実際、BLにハマってからゲイ・同性愛について興味を持ち、ネットなどで調べるようになったという方を何人か知っているので、BLがゲイについて興味を持つきっかけとなる可能性を、感じないではいられません。
lucinda
2007/12/28 20:26
思えば私がBLを読むようになったきっかけも、自分が同性を好きだと気がついてからで(気がつくのが大概遅かったのですが)、(1)日本人が主人公で、(2)同性愛が描かれているものかつハッピーエンドなものを読みたい(自分の恋愛はハッピーではなかったので)と思っていたところ、(3)最初に読んだ小説がかなり面白かった…のが大きいのではないかと思っています。
過去記事のkarlさんのコメントも非常に興味深く拝見したのですが、確かにBLジャンルのマーケティング方法について、私も疑問を感じる部分があるなぁと気付きました。私はどちらかというと小説派なのですが、小説もマンガも、BLジャンルは毎月ものすごい数の新刊が出ているため、はっきりいって玉石混交、シビアに見ると「石」の方が多めかもしれません。でもその中でゲイ・同性愛に配慮していると感じられる作品のピックアップなど、自分のブログで今後、取り上げていきたいと思います。
lucinda
2007/12/28 20:27
またしても、コメントが長くなってすみません! 円山さんの、柔らかい語り口ながらも鋭い視点やご考察に、いつもいろいろなことを考えさせられ、刺激を受けています。これからも楽しみにしております。
※同性愛者が普通に登場するTVドラマ、日本でも作られるようになればいいのに、と私も心の底から思います。
※拙文にお送りいただいたトラックバックなのですが、どうも送信されていないようでした。サーバーの調子が良くなかったのかもしれませんが…。もしご面倒でなければ、大変恐縮なのですが、もう一度トライしてみていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。
lucinda
2007/12/28 20:27
>lucindaさん
 玉石混交で磨かれ、優れたBL作品が生まれると良いですね。もし、これはという秀でた作品をご紹介いただけるときは、コメントなど、お寄せ下さいね。それがもし、可能性のあるものなら、僕も良いレヴューが書けるかも知れません。
 と言うか、僕自身がBL小説を書けたら良いのですが、どうもテイストが違うようです。これからの、BL市場の変化に期待したいところです。
 それから、TBのほう、再々度こころみたのですが、どうも反映されないようです。スパムなどを弾く設定になっていないとするなら、どうしたことでしょう。残念ですね。まあ、仕方ないでしょう。またの機会で。
円山
2007/12/28 21:32
先日は小ブログへのコメントありがとうございました。
明日、久しぶりにカレシモドキと逢うことになっておりますが、実はカレシモドキは以前から一種のBL小説を書いており、年末には確かビツグサイトでその大規模な全国大会(コミケ)が催されるので、自分の作品を発表するために上京してくるのです。
彼の作品、たまには読ませてくれますが、ふだんは、いろいろ言われそうだからとなかなか読ませてくれません(笑)。
ということで、私がカレシモドキと逢うときの大きな共通話題はコミックです。
これだと年齢が離れていても、あまりそれに関係なく話すことができますからね。
闇太郎
2007/12/29 11:40
円山さんがBLコミックや少女漫画をあまり読んでおられないのなら、私のお薦めは、小ブログに感想を書いている吉田秋生作品です。吉田作品のすばらしさについては、かつて『バディ』にも小文を書いたことがありますが、その考えは今もかわりません。というか、最新作を読んだ今の方が、彼女への評価は高まっているといえるかもしれません。まあ、吉田作品は、「正統な」BLコミックからははずれるとおもいますが…。
ところで、小ブログにそのまとまった感想をあげようとして、今吉田作品をいろいろ読みかえしているところなのですが、とりあえずの一番のお薦めは『ラヴァーズ・キス』(小学館)ですね。この作品、何度読んでもどうやったらこんな作品を書くことができるのか、信じられない超傑作だとおもいます。
それに、これだと短いから読みやすいとおもいます。
闇太郎
2007/12/29 11:53
>闇太郎さん
 喰わず嫌いで、恥ずかしい思いをしております。BL作品を嫌悪しているわけではないのですが、どことなく違和感を覚えるまま、時を過ごしてきました。ここで偏ったことを書いたために、方々からたしなめられまして、自分の了見の狭さを思い知っているところです。ご紹介下さった作品も、機会を設けて読んでみます。好きになるかどうかは判りませんが、何かを感じることがあれば、ここで感想を書くことにもなるでしょう。多種多彩なBL作品があるようですから、こうして愛好者に教えていただけるのは本当にありがたいです。カレシモドキさんについても、どのような作風なのかと興味を持ちました。上述の理由から、僕は、とても自らBL作品を書こうなどとは、想像したことすらなく、書けること自体が凄いと思ってしまいます。でも、需要の大きな世界でもあるようですので、何か考えてみることも必要なのかと、いやしい心も、また少し、なきにしもあらず……なのかどうか? よく判りません。カレシモドキさんと、愉しい休暇をお過ごし下さい。来年も、どうぞよろしく。
円山
2007/12/29 14:57
初めまして。梧桐と申します。 
丸山さんと同世代の主婦というか腐のようなモノです。
自分達が萌えるものを書(描)いているのがBL
であって、彼女らは男性同性愛者ではない。
この二つが相容れる日はくるのでしょうか?
(配慮しておられる作家さんがいるのは初耳です。)
同性愛への理解もBLを読まない人でも出来る人はするだろうし、駄目な人にはなかなか難しいと私は思っています。
しかしこれだけBLがハバを利かせる世の中だと何とかなりたいですね。   
梧桐
2007/12/31 22:17
>梧桐さん
 BL作品の新しい可能性を念頭に、このブームを見詰めることができたらな―――と思っています。
 あいにく詳しくないもので、皆さまからのご意見が参考になっています。
 あとは、メディアの取り扱い方でしょうか。
 どんな方法であれ、同性愛が受け入れられる世の中作りに役立つなら、偏見なく評価するべきだと考えるようになりました。
円山
2008/01/01 10:54
ご返事有難うございます。ブログ読み始めたばかりですがこの記事で止まってしまいました。BL好きだけど考える部分もあって、それに対して初めて何らかの応えに巡り合えて非常に興味深かったです・以前よりBLの性表現は実際と違うのではないかと勝手な想像をしていました。そしてBLにはまり出す年令が小学校高学年からもありと知り、我が子ぐらいで!?とショックを受けました。人の嗜好は他人を傷つけたり迷惑をかけなければとやかく言うものではありません。が、若いうちから何か間違ったような情報をインプットされてる気がしてずっと不快でした。(私個人の思い込みでしょうか?)
丸山さんや他の方のブログを読ませていただいて単にBL好きで終わらない方がいらっしゃることがとても嬉しく有難いです。そして実際の同性愛者の立場とのことまで考えが及んでいなかったのは浅はか以上の何者でもありません。本当に失礼いたしました。
梧桐
2008/01/05 15:09
>梧桐さん
 BL作品とは、おそらく一定の雰囲気や趣き、テイストを重んじた上で、少年〜青年同士の同性愛を描こうとするものなのでしょうから、僕も当初は違和感を感じていましたが、今では、BL作品にゲイ的リアリティーを要求することに、あまり意味を感じなくなりました。BL的なるものは、BL作品そのものの自然な変化に自身を委ねれば良いことで、そこに、僕みたいなゲイがいちいち立ち入ることもないのだと。その上で今後は、空想だけに留まらず、生のゲイに取材し、生のゲイが共感を抱けるようなBL作品が増えてくれるのであれば、目下のBL人気も手伝い、社会一般のゲイ理解に貢献することもあり得ると想われ、むしろ期待されるべきものかも知れません。
円山
2008/01/06 12:20
はじめまして。僕は異性愛者の男性で、BLではなくGL(百合)を嗜好する者なのですが、「異性愛者が同性愛をテーマにした作品を愛でる」という共通項から、BLムーブメントにも関心を寄せています。

円山さんのように理解を示してくださる当事者の方がいらっしゃるのはとても嬉しいです。けっきょくのところ、世間のBL/GLに対するバッシングは、そのまま同性愛者に対して向けられるものがほとんどなので、僕にとって同性愛者差別の問題は他人事ではないのです。

僕は現在「なぜ男が『百合』にハマるのか?」というサイトを運営しております。BLに置き換えて読むこともできると思いますので、円山さんがBLを理解する上で何らかのヒントになれば幸いです。

http://www.zakuro-no-mori.jp/yuriyarou.htm

宣伝失礼いたしました。
Ossie@柘榴ノ杜
2008/01/25 01:07
>Ossie@柘榴ノ杜さん

 僕はBL作品に疎い以上にGL作品を知りません。ですから一般論になってしまいますが、BL作品の可能性と同様、GL作品がレズビアンを正しく描き、ひいては同性愛理解へ繋がることを切に希望いたします。
 僕は、男性がGLにハマることに何ら疑問を感じません。しかし一般的風潮として、<レズビアンは許せるがゲイはキモい>と、しばしば語られることには当然、ゲイとして納得できません。
 この点、同性愛者差別の問題は他人事ではないと仰ってくださるOssie@柘榴ノ杜さんには、ご理解いただけるものと思いますし、また心強くも感じます。
 今後とも、GL作品そしてBL作品を通じ、本物の同性愛理解への足掛かりを築くための橋渡し役となって下さいますよう、どうぞ宜しくお願いを申し上げます。
円山
2008/01/25 02:25
>BL作品の可能性と同様、GL作品がレズビアンを正しく描き、ひいては同性愛理解へ繋がることを切に希望いたします。

そのことについては同意なのですが、ただ、そのための手段として、上のコメントにある、

>その上で今後は、空想だけに留まらず、生のゲイに取材し、生のゲイが共感を抱けるようなBL作品が増えてくれるのであれば、

……という意見については異論があります。BLやGLはあくまでも「娯楽」であって、ドキュメンタリーやルポタージュの類ではありませんし、また当事者といっても色々な考えの人がいるわけだから、すべての当事者を共感させる作品を作るのは不可能でしょう。また実際問題として「取材に応じる」ということ自体がカミングアウトになってしまうわけだから、協力してくださる当事者の方を見つけることも難しいのではないでしょうか。

いくら「リアル」を謳い文句にしたところで、それがあくまでも作者にとっての「リアル」でしかない以上、ことさらに「リアル」を強調しすぎるのは、それはそれで新たな“偏見”を生み出すことにつながるような気がします。
Ossie@柘榴ノ杜
2008/01/26 00:21
それよりも、同性愛をテーマにした作品を作るのであれば、作家には同性愛に関する正しい知識(「嗜好」と「指向」の違いとか)をじゅうぶん身につけてもらいたいと思います。しかし、実際は「BL小説の書き方」なんて本を読んでみても、“小説の書き方”については書いてあるんですが、同性愛そのものに関する情報にはまったく触れられていなくて、それでは世間の無責任な俗説や迷信(たとえば同性愛を「思春期における一過性の擬似恋愛」と決め付けるような)に迎合した作品を作ってしまいかねないのではないかと危惧しています。
Ossie@柘榴ノ杜
2008/01/26 00:22

僕が思うに、「当事者の痛み」はあくまでも当事者にしか共有できないものであって、非当事者がたかが漫画や小説を読んだくらいで安易に理解した気になるのはかえって危険な気がするんですよ。もちろん、理解できないからといってないがしろにしていいということではなく、「当事者の痛み」について語る資格があるのは当事者だけだと思うのです。

でも、「知識」なら当事者/非当事者問わず誰もが共有できるわけですし、また自分自身のセクシュアリティを理解するうえでも役に立つから「他人事」ではなくなりますよね。僕はそういう目的でBLやGLを活用できればいいと考えています。
Ossie@柘榴ノ杜
2008/01/26 00:23
>しかし一般的風潮として、<レズビアンは許せるがゲイはキモい>と、しばしば語られることには当然、ゲイとして納得できません。

それは「一般的風潮」というより、ヘテロ男性の感覚であって、ヘテロ女性の場合は逆になるようですけどね。

その問題についても僕のサイトで言及していますので、お時間がありましたらぜひご意見をください→http://www.zakuro-no-mori.jp/yuri_anti_gay.htm

連投失礼いたしました。
Ossie@柘榴ノ杜
2008/01/26 00:24
>Ossie@柘榴ノ杜さん
(1)BL/GL作家に、同性愛に関する正しい知識を身に付けて頂くためにも、しっかりした取材を心掛け、少しでも本物の同性愛者が共感できる作品作りを目指して欲しいと思います。貴方のご意見と、僕が言いたいこととは同義だと思いますよ。とは言え、僕はゲイとしてゲイが出てくる小説を書いている人間の端くれですが、やっぱり全てのゲイが共感してくれるような作品など、易々と書けるものではありません。ヘテロが書いた作品のほうが、かえって共感を与える場合もあるかも知れませんよ。僕の場合は、ゲイ/ヘテロに関係なく読んで欲しいと思って書いています。当事者でなくとも、読んで何かを感じて下されば良いと念じつつ。それが、痛みの共有であろうと、知識的理解であろうと、何かを感じて下されば大成功でしょう。(2)につづく。
円山
2008/01/26 08:49
(2)<レズビアンは許せるがゲイはキモい>については、貴方の文章を読みました。ゲイがキモいと感じられることを、僕らゲイが快く受け取るはずがありません。僕は、滅多にキモいなどと言うべきではないと考えます。キモいなどと言わなければ良いのです。もし、どうしてもキモいと言うのなら、異性愛のセックスも大いにキモいわけです。そも、セックスほどグロテスクな行為はありませんから。貴方が、そうした観点をお持ちなら意見の相違はありません。ただ、貴方の結論を読むと、差別意識を持つことは仕方がないと仰っているように感じますが、かなり物足りない印象を受けます。差別は差別意識から生じます。やはり、貴方はあくまで異性愛者という多数派の立場で同性愛者を観ようとしていると感じます。なぜなら、僕ら同性愛者は、異性愛者を異質なものとして排除しようという意識を働かせることはありませんから。質問ですが、貴方は同性愛者と直に接して、いろいろ話しをされたことがありますか?
円山
2008/01/26 08:50
実を言うと、サイト全体から1ページだけを抜き出して紹介するのは誤解を招きかねないので躊躇いがあったのですが、やはり案の定でしたね。それにしても、もう少し冷静に話し合いができる方だと勝手に期待していただけに、貴方のヒステリックな反応はとても残念です。

>(2)<レズビアンは許せるがゲイはキモい>については、貴方の文章を読みました。

その部分「だけ」しか読まれていないのでは? 貴方が抱いている疑問はすべて他のページで回答済みです。サイト全体に目を通した上でご意見いただきたかったです。

>僕は、滅多にキモいなどと言うべきではないと考えます。キモいなどと言わなければ良いのです。

これは完全な誤読ですね。僕は「キモい」という言葉を用いることを正当化した覚えはありません。そもそも冒頭からして『「キモい」という言い方はたしかに乱暴ですが、』と書いてありますけど? 
Ossie@柘榴ノ杜
URL
2008/01/26 20:35
>ただ、貴方の結論を読むと、差別意識を持つことは仕方がないと仰っているように感じますが、かなり物足りない印象を受けます。

差別意識そのものを無くすことは不可能です。そんなものは自己欺瞞でしかありません。というか、差別意識はおうほうにして本人が自覚していないものなので、「オレは偏見はもってないよ」などという“自己申告”はまったく当てにならないです。

差別が悪いなんて小学生でもわかります。でも「なぜ差別意識が生じるのか」という根源にまで遡って考えることなしに、ただ闇雲に相手の差別意識をあげつらったところで問題の本質から目を背けることにしかならないのでは?

そのことについても、『「差別意識」そのものが罪なのではない。「差別を許すこと」が罪なのです。』と書いているのですが、きちんと最後まで読まれていないのでしょうか? 論旨を理解しようともせず、漠然とした“印象”だけで物を語るのはやめていただきたいです。
Ossie@柘榴ノ杜
URL
2008/01/26 20:36
>やはり、貴方はあくまで異性愛者という多数派の立場で同性愛者を観ようとしていると感じます。

「異性愛者」であることと「多数派」であることはイコールではありません。

僕自身はたしかに異性愛者という立場に立っていますが、それはあくまでもセクシュアリティのパターンの一つにすぎないと認識しています。「異性愛=ノーマル、同性愛=アブノーマル」という異性愛中心主義に対しては、サイトの中でも真っ向から批判しています。

その意味で、僕は同性愛者が異性愛に対して「キモい」と感じることを否定しません。同性愛者が異性愛を拒絶するのは、異性愛者が同性愛を拒絶するのと同様に、当然の権利と考えています。だから「多数派の立場で同性愛者を観ようとしている」という指摘は完全に的外れです。
Ossie@柘榴ノ杜
URL
2008/01/26 20:37
>なぜなら、僕ら同性愛者は、異性愛者を異質なものとして排除しようという意識を働かせることはありませんから。

はたしてそうでしょうか? 同性愛者の側にも異性愛者に対する敵対心や嫌悪感はおうおうにして存在すると思いますが。それが「排除」という方向に向かわないのは、たんに社会的な力関係に差があるだけのことです。

さらに言えば、ゲイの中にもレズビアンを含めた女性全体を蔑視している人はいますし、その逆も然りです。

貴方がそうでないからといって「僕ら同性愛者」と安易に括ってしまうのは、都合の悪い現実から目を背けているだけとしか思えません。
Ossie@柘榴ノ杜
URL
2008/01/26 20:38
>質問ですが、貴方は同性愛者と直に接して、いろいろ話しをされたことがありますか?

「直に」接する機会はありませんが、ネット上では僕の主張を支持してくれるゲイの友人もいますし、mixiの同性愛関連のコミュニティにも入っていますので当事者の方とも頻繁に議論します。同じ問題について論じても当事者によって見解が正反対だったりして、「色んな人がいるんだな」という当たり前のことを常に再認識させる次第です。だから、貴方の意見もあくまで「一当事者の意見」として受け止めておきます。
Ossie@柘榴ノ杜
URL
2008/01/26 20:39
補足。

>同性愛者が異性愛を拒絶するのは、異性愛者が同性愛を拒絶するのと同様に、当然の権利と考えています。

同性愛者(異性愛者)が「異性愛(同性愛)」を拒絶することは、「異性愛者(同性愛者)」を拒絶することと同義ではありません。
Ossie@柘榴ノ杜
URL
2008/01/26 20:46
>Ossie@柘榴ノ杜さん
 僕は、いたって冷静に、しかも紳士的に書いておりますので、どうか落ち着いてコメントをお寄せ下さい。僕は単に、貴方から<ご紹介された>ページを読み、そして読後感を率直に述べたまでです。サイト全てに目を通せと仰られましても、なかなか、そうもゆきません。貴方も、僕の記事を全部お読みになった上でコメントをお寄せ下さったわけではないでしょう? 決して、貴方のお考えを全て否定しようと手ぐすねを引いているわけではありませんから、ここはどうぞ大人になって、冷静にお願い致します。ネットバトルの態は、過去に散々経験して、懲り懲りしております。今後、もしも穏やかなネットコムにならない場合は、コメントをお断りすることになります。もちろん、そのようには、したくありませんので。
円山
2008/01/26 21:49
>Ossie@柘榴ノ杜さん
 貴方のサイトで書かれてあるように、<ゲイをキモいと感じること自体に罪はない>などと仰られてしまいますとね、僕は一人のゲイとして、大いにガッカリするのですよ。貴方が、どれだけ<ネット上で>ゲイに接しておられるのかは判りませんが、機会があったら、ゲイに面と向かって「ゲイをキモいと感じることに罪はないんだよ」と仰ってみて下さい。貴方には、たくさんの知識があると感じます。しかし、貴方の諸々のお言葉には、人と人とが接して語る際に必要であろう優しさを感じません。いっぽう、貴方が持ち前の豊かな知識を以て同性愛者に思いを馳せて下さるのだとしたら、それはとても有り難いことです。今後、仮に<ネット上で>ゲイと語る際にも、でき得れば、面と向かって、そこに相手がいるつもりで、お言葉を連ねるようになさって下さいませ。
あくまで、一人の当事者の意見に過ぎませんので、どうぞ悪しからず。
円山
2008/01/26 22:03
>僕は単に、貴方から<ご紹介された>ページを読み、そして読後感を率直に述べたまでです。サイト全てに目を通せと仰られましても、なかなか、そうもゆきません。

なにも「今、この場で」感想を述べろと言っているのではなく、サイトにはメールフォームも掲示板も用意していますし、全てを読み終えた後で感想をいただければよかったのですが。

最初にレスをいただいた時点では読まれていなかったようなので、とりあえず興味をもっていただけそうなページから紹介してみましたが、それがかえって返答を急かす形になってしまったのであればお詫びします。

>貴方も、僕の記事を全部お読みになった上でコメントをお寄せ下さったわけではないでしょう? 

それでも貴方が「BL」について書いた記事はコメントも含めてすべて読みましたよ。
Ossie@柘榴ノ杜
URL
2008/01/27 00:10
>貴方のサイトで書かれてあるように、<ゲイをキモいと感じること自体に罪はない>などと仰られてしまいますとね、僕は一人のゲイとして、大いにガッカリするのですよ。

それを言うなら、かつての貴方だって「腐女子」に対して差別意識をもっていたわけですよね? またその際も、<現実の世界で>腐女子とコミュニケートした印象を述べたわけではないですよね? 少なくとも、「生のゲイ」に接するよりは「生の腐女子」に接するほうが簡単なはずですけど。

もちろん、そこから脱却なされたことに関しては敬意を表します。しかし、ある差別の被害者が、別の差別では加害者になることだってありうるわけです。ようは「お互い様」だってことです。差別を許してはなりませんが、かといって目を背けるのは自己欺瞞です。
Ossie@柘榴ノ杜
2008/01/27 00:11
>貴方が、どれだけ<ネット上で>ゲイに接しておられるのかは判りませんが、機会があったら、ゲイに面と向かって「ゲイをキモいと感じることに罪はないんだよ」と仰ってみて下さい。

何のために? 何の必然性もなくそんなことを口にしたら、人間関係が破綻することくらいは目に見えています。そのくらいのソーシャル・スキルは貴方が嫌悪するオタクにだってありますよ。

どうも貴方の文面からは「オタク」に対する偏見をひしひしと感じますね。「オタクはロクに人付き合いができず、現実と空想の区別もつかない社会不適応者なのだ」という偏見が。

<ネット上で>という点に拘泥しているところにもそれが顕著です。しかし、「ゲイであるから」という理由でゲイの友人を求めるのは、ゲイを「特殊視」することになるから不快だ、というゲイの方もいらっしゃいます。そうなると、実質的に<現実の世界で>ゲイに接することは不可能なわけで、たまたま自分の周りに当事者がいたというごく限られた非当事者を除いては、ゲイについて語ることができなくなってしまいます。
Ossie@柘榴ノ杜
2008/01/27 00:12
それに、僕は「差別を許すことが罪」だと言っていますよね? 差別意識を外側に向けて表現した時点で、それは「罪」になるのだと。『ゲイに面と向かって「ゲイをキモいと感じることに罪はないんだよ」と言う』のは「差別を表現」することになるのだから立派な「罪」です。

とはいえ、当事者の方から差別問題に関して意見を求められたなら、そのように発言します。当事者の顔色を伺って、綺麗事ばかり並べていたら議論が成立しないので。それは「必然性」があると判断するから口にするのであって、いたずらに相手を不快にさせることはありません。
Ossie@柘榴ノ杜
2008/01/27 00:13
>しかし、貴方の諸々のお言葉には、人と人とが接して語る際に必要であろう優しさを感じません。

綺麗事の社交辞令ばかり並べたって何も得るものはないからです。べつに馴れ合いごっこをしに来たわけではないので。そういうことをするための場だというなら引き下がります。

マジョリティとマイノリティの間で意見が衝突した場合、どうも傍目には「弱いものイジメ」に見えてしまうらしく、そうなると一方的に僕が悪者にされてしまうわけです。マイノリティであるからといって常に「弱者」であるとはかぎりません。僕自身はできるかぎりフェアに議論を交わしたいと考えておりますので、貴方にもそうした「権力性」を自覚していただきたいです。
Ossie@柘榴ノ杜
2008/01/27 00:25
レスが前後して申し訳ありませんが、

>(1)BL/GL作家に、同性愛に関する正しい知識を身に付けて頂くためにも、しっかりした取材を心掛け、少しでも本物の同性愛者が共感できる作品作りを目指して欲しいと思います。

これは僕も勘違いしていたかもしれませんが、「取材」とは具体的にどういったものを指しているのでしょうか? <直に>当事者と対面しなくても、当事者の手記を読んだり、mixiの同性愛関連のコミュニティに入ったり、「生の声」に触れる機会はいくらでもあるわけですよね。裏を返せば、だからこそ僕はBL(GL)に「リアル」を求める必然性を感じないです。
Ossie@柘榴ノ杜
2008/01/27 00:28
補足。

><直に>当事者と対面しなくても、

これは「当事者と対面する必要はない(したくない)」と言っているのではなく、もしそうした機会に恵まれなかったとしても、非当事者として最大限の努力をすることはできるということです。

……以上、努めて「紳士的」かつ「冷静」に言葉を連ねたつもりですが、それでも不快だとおっしゃるならレスは不要ですので黙って排除してくださって結構です。
Ossie@柘榴ノ杜
2008/01/27 01:25
>Ossie@柘榴ノ杜さん
 いろいろ書いて下さいまして、どうもありがとうございました。どうも、感情的なコメントになってお出でのようですから、これ以上はやめておきます。ここまでの貴方のコメントは、せっかくですから消さないでおきますね。読んでいただいた方々に、考えていただきましょう。どうぞ、これからもLGBTうち揃って、生きやすい世の中が成り立ちますように、お力添えをお願い申し上げます。重ねてお礼を申し上げます。ありがとうございました。
円山
2008/01/27 01:29

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