トマス・アクィナスだよ。周りの人たちには「アッキーナ」って愛称で呼ばれてるから、みんなも街で見かけたら気軽に「アッキーナ!」って声をかけてね。
今日からはじまったこの「トマス・アクィナスですがなにか?」は、みんなの素朴な疑問に、天使みたいなドクターこと、このアッキーナが、どんどんお答えしちゃう、そんなコーナーだよ。
じゃあ、まず最初のメールから、えっとなになに「異端とかで教会から離れちゃった司教が叙階することがあるけど、あれって有効なの? ペンネーム・牛男爵さん」。ふむふむ。こういう疑問って確かにあるよねー。じゃあ、さくっと答えちゃおうかな。
まずそうだね、だいたいこれについては四つくらいの種類の考えがあるんだよね。まず一つ目は、「異端でも教会にとどまっている内は叙階の力はあるけど、教会から離れた途端、力がなくなる」って考え。でも、こんなのありっこないんだよね。聖別された時の力って、聖別された物が残っている限りは、無くならないんだもん。祭壇だってそうでしょ。だから、叙階されたら一生叙階されっぱなしなの。その人が罪を犯そうが教会から離れようが信仰を捨てようがね。
で、二つ目は、「教会から離れた司教には確かに叙階する力はあるけど、その司教に司教聖別された人にはその力がない」っての。ちょー受けるんですけど。教会で叙階された人に叙階や司教聖別の力が伝わっているなら、その人がその力を使って叙階した人にも、それとおんなじ力が伝わってるに決まってるじゃん。
三つ目は逆の極端ね。「異端とかで教会を離れた司教に、教会にいた時に伝えられた力が残っているのだから、司教は秘跡を与える力があるとともに、恩恵も与えることができる」。残念! 古いか。異端で教会を離れた司教や司祭から秘跡を受けるって罪だよね。罪ってことはふさしくない状態で秘跡を受けたことになるよね。そう、そういうこと。そういう場合は恩恵は受けられないんだったよね。まあ、緊急時の洗礼とかは別だけど。
四つ目はこう。「異端とかで教会を離れた司教による秘跡はたしかに有効だが、恩恵は与えない」。これが正解。
みんな、分かったかな? 巷では「破門されたら叙階は無効」とか言ってる変なおじさんがいるみたいだけど、みんなだまされないように気をつけてね。
じゃあ、今日はここまで。また次回。
アリヴェデルチ!
*当記事はSumma Theologica Suppl.Q.38 A.2を元に、私が編集・構成したものです。文章の責任はすべて私、金田一輝にあります。
(文責・金田一輝)
On the contrary云々なんて堅い文章読まなくても、アッキーナが要点がすっと飲み込めるように教えてくれるから楽チンです。第二弾に続くのをわくわくして待っています。
アッキーナ様>
ええと、スレ・・いや、エントリ内容と関係ないんだけど、トンンマーゾ・アッキーナ?
・・・出身地名を愛称にするってぇのはなんか変じゃないか?トマシー君てば。どうなん?
某伝統原理主義結社への対抗言論だけでなく、カト批判によくありがちなシロモノもアッキーナ様にやって欲しいです。
つーか、結社のはもういいやっていうか。付きあうだけエネルギーの無駄な気がするよ。アッキーナ様の賜物は有効利用して欲しい気ガス。
アイドル評論家だからこその命名だから、アッキーナのほうが、ここのブログ主らしくて良いですよ。
またいくら金田さんでも、仮想敵とは戦いづらいでしょうから、ピチピチはねてるくらいの生きたアンチカトリックをさがしてあげないと、そっち方面には発展しにくかも。
>On the contrary云々なんて堅い文章読まなくても、アッキーナが要点がすっと飲み込めるように教えてくれるから楽チンです。第二弾に続くのをわくわくして待っています。
Summa Theologicaの破門や叙階に関する箇所を読んでいて、それ自体面白くて紹介しようと思っていたのですが、夜中にふと「チャオ!」という挨拶言葉が思い浮かんで、あとは一気に内容・構成が書く前に固まりました。
まあ、私は見切り発車で終わることも多い(「斜め読み神学大全」とか(汗))のですが、こちらはいちおうフォーマットは決まっているので、ネタがあれば書けるとは思います。ただ、内容をちゃんと咀嚼しなくてはならないので、そんなに簡単な作業ではないです。
気長にお待ちください。
>ええと、スレ・・いや、エントリ内容と関係ないんだけど、トンンマーゾ・アッキーナ?
>・・・出身地名を愛称にするってぇのはなんか変じゃないか?トマシー君てば。どうなん?
それより気になっているのが、本家アッキーナの南明奈の方がどれくらい持つか。あんまりメジャー感がないからなあ。
>某伝統原理主義結社への対抗言論だけでなく、カト批判によくありがちなシロモノもアッキーナ様にやって欲しいです。
まあ、ネタは豊富にあるのでそのうち。
>つーか、結社のはもういいやっていうか。付きあうだけエネルギーの無駄な気がするよ。
伝統原理主義の問題については、私より知識と能力のある人がいくらでもいるでしょうから、そういう方が現れて、私のやってることをやってくれたら、いつでも手を引くつもりです。
しかし、今のところ日本語圏で、この問題についてこれほど集中的組織的にやっている人は私しかいません。一度手をつけた以上は責任がありますから、私個人の意志ではやめられないです。
つーか、知らないし。笑)
ぐぐっちゃいました。ネタありだったのね。アッキーだと元ファーストレディを連想しますよ・・・というネタははてなの方のネタだな。
>まあ、ネタは豊富にあるのでそのうち。
個人的にはそっち読みたいなぁ。でもまぁ元ネタの唖牛親父はカトリックの伝統的原則に攻撃を加えるものに対する鉄壁の対抗言論としてのスンマだから、師匠の方向性は聖なる親父の意志と同調はしてるといえばしてるか。
>私個人の意志ではやめられないです。
あああ。どんな啓示が下ってしまったんだ?師匠の守護聖人はトンマシーだったのか。まぁ、師匠ほどオタク的(<褒め言葉ね)に探求出来る脳力のある人は実はいないと思うよ。
ただ、ギョーカイ内のプロなんかだと、そういう能力を別のところに注いでる人の方が多いんではないか?そこだけに向くわけにはいかんだろうとおもわれなのです。だから市井の人で元文献読めるような人がやればいいとは思うんだけどね。
んでも、わたしはやらないです。元文献なんぞ読めんし、言論の人じゃないんで、ロジカル探究にすこぶる厭きやすい性格なんで。
たしかにおっしゃる通り、論として一応対抗的な落とし前つけとく必要はあるか。ただ既に要点は繰り返しになっている感が否めないかな?尤も、それが通じてないのが問題なんだろうけんど。まず結論ありきだから、永遠に通じなさそう。
落とし所の目標はどの辺りで考えてるんで?
あ。これ今行われている別エントリの議論とは関係ないからね。実は師匠にゃぁ悪いんだけど、某結社に興味失せてたんで前エントリまで読んでなかったんだな。アッキーナちゃんが出てきたから来た。笑)
このエントリの前のエントリも今迄の総括というか結論のまとめになってるんで。繰り返してんなという感想。
んで、新しい論客さんがいるからだったのかと今、納得した。
ただ、pinpinkororiさんのコメ、気持ち判らなくもないトコはあるかな?全議論を読んでないんだが、なんつーかカトリックって矛盾すら包括してしまう軟体細胞みたいな組織だったりもするからなぁ・・・。ただ、師匠の方法論はその視点で観ちゃうと理解出来ないと思う。だからズレが生じてるようで。
しかし、今のところ日本語圏で、この問題についてこれほど集中的組織的にやっている人は私しかいません。
どうも金田さんは、失礼かもしれませんが井の中の蛙ではないでしょうか。いくらでもいます。ただインターネットの世界にでないだけです。
聖トマスの神学大全はドミニコ会では全員読みますし、読まないと誓願もできないし叙階まで進みません。ヘブライ語もギリシャ語も必要です。I修道司祭が有名です。若手研究者もいます。「伝統原理主義の問題」が何を指すのか不明ですが学会名簿で専門家をご紹介しましょうか?
少しいやみかもしれないのでここでは金田さんの大義名分のうぬぼれ?を冷やすしかないですね。
どこかの誰かさんの支離滅裂で意味不明な文章と違い、
金田氏の見識の深さにはいつも脱帽です。
おバカな私には、非常に分かりやすい。
ところでその井の中の蛙にすらなれないどこかの誰かさんは、
神学云々言う前にカトリック要理を一から学んだ方がいいかもね。
自分は大海は知ってるからと飛び込んだら溺れちゃった・・・って
事になるからね。(笑)
知ってるつもり、分かってるつもり、否、否、知ったかぶりは、
あなたの救霊すら怪しくする。
あっ、ただの独り言です。気になさらずに。
2)ルフェ―ブル破門事件自体が、聖トマスの教義を超えてしまっていないか。もし超えているとすると聖トマスをあてはめることは範疇エラーとなるのではないか。
こういうところからふつう出発するのですが。
しかし金田さんは当てはまっていればそれでよいぐらいの無邪気な水準のようですので何を言っても無用でしょう。(見事なマンガになっています。)
しかしいずれにしてもあまりに単純にしかも性急に結論を出して聖ピオ十世会に足をすくわれないようにしたいものです。
つっても、お互い様状態と化してるようなんで極力そういうのはお互いやめるようにした方がいいと思われ。無駄は省こうや。
pinpinkorori 様>
ネットというツールでやる人がいない。それが問題だ。
こういうポピュリズムの時代にきちんとそれなりの対抗言論をする人が出てこない。正教会の人から西方教会は俗っぽすぎるとやすされるほどのローマカトリックがその俗も利用して今に到って来た面目躍如を為すなら、やはりネットは無視出来ない媒体であると思うのだな。
タコ壺篭ってないで出てこい。という時代ですよ。
つってもマジプロは色々背負うものがあるんで難しいものがあるだろうけどね。
>西方教会は俗っぽすぎるとやすされるほど
↓
西方教会は俗っぽすぎると揶揄されるほど
ドメニコ会が神学大全読むのは当り前だろうが、しかしここでは伝統主義者(・・つまりピオ十世会のことだろ?)についての話であって、きちんとした学びの過程を経た誰がどこで語っているか?という問題ですから。
ドメニコ会が叙階前に神学大全読む?だからナニ?それがどーした?とか思ってしまいますです。
そういう無駄話してるから皆さまがおかしな方向に行ってしまうんだと思う。言をつくそうという姿勢では誠意ある方とお見受けはしたんで、変な方向にスパイラルしてるのはよろしくないですよ。
全く人格攻撃はしておりませんがどこが人格攻撃なのかご指摘くださいませんか。
しかしわたしは「ネットというツールでやる人がいない。それが問題だ。」という非難は多少ともネットという非現実空間を前提にした安易な非難だとおもいます。
何故ツールを使わなければならないのでしょうか。必要性は全くわかりません。
言語体系がまったくわかりません。ネットという自閉空間で言語体系が仲間うちでしか使われない隠語化しています。「マジプロ」とはなんでしょうか?
「つっても、お互い様状態と化してるようなんで極力そういうのはお互いやめるようにした方がいいと思われ。無駄は省こうや。」
何とか理解しましたが、「そういうのはお互いやめるようにした方がいい」と。ありがとうございます。
おしゃるとおりお開きとしましょう。感謝。お元気で。
「お開きとしましょう」といいながら質問もしてるって?こちとら、どうすりゃいいんだ?笑)
●人格攻撃について
まぁコメント諸氏の「人格攻撃」はpinpinkororiさんだけに言った言葉ではないのですが、pinpinkororiさんの場合は、「井の中の蛙」とか、「大義名分のうぬぼれ」などといった余計な修辞がそれに相当するでしょう。まぁ、こういう修辞は金田さんもするんでお互い様だとしかいいようはないです。金田さんにも以前にやめた方がいいと申し上げたことがあるんですが。
●ネットについて。
「非難」という見解の意味が不明ですが、非難って・・批判というなら判るけどすごい認識で受け止められたようで。笑)
「ネットという非現実空間」「ネットという自閉空間」という認識が既にネットに対する姿勢の差異を感じますね。そしてネットに対してはイエズス会なども最近積極的に利用しようという結論に達したようですよ。
そもそも文字媒体(かつてはは書簡だったり書籍だったわけだが)を通じて様々な神学議論をしてきたカトリックの神学界が純粋な文字媒体としてのネット空間を利用しない手は無いでしょう。
私のようにカトリック教会もない離島在住の人間にとっては、神学学会とやらにも足を運べませんし、そもそも教会すらいけないわけで、しかしネットのお陰で様々な司祭の霊性についてや聖書解釈の書き物などを読むことが出来るわけです。その空間をして「非現実空間」という認識は改めた方がいいでしょうね。
現にピオ十世会に関して迷いを生じせしめている人がいくつか見られる中で確固たる見識をあげる人がいない。しかるべき能力のあるだろう人間がそれをしていない。というのは問題だと。金田氏のはそういう指摘でしょう。
まぁ補足として、無駄の例を挙げるなら、私に対するコメントの例では、隠語がどうたらみたいな揚げ足取りなんぞに文字列費やすような労力は話がねじれる要因になっているでしょう、趣旨にストレートに応答した方がいいですよ。pinpinkororiさんの今迄のコメント読んで、同感な部分もありますから、なんだかこじれていってるのがもったいないです。
>どうも金田さんは、失礼かもしれませんが井の中の蛙ではないでしょうか。いくらでもいます。ただインターネットの世界にでないだけです。
>聖トマスの神学大全はドミニコ会では全員読みますし、読まないと誓願もできないし叙階まで進みません。ヘブライ語もギリシャ語も必要です。I修道司祭が有名です。若手研究者もいます。「伝統原理主義の問題」が何を指すのか不明ですが学会名簿で専門家をご紹介しましょうか?
「伝統原理主義の問題」というのは、ほぼ「聖ピオ十世会の問題」と同じことです。文脈で分かるでしょうに。「神学大全」はそれとは直接は関係ないですよ。この記事は「遊び」でやってるの。他の読者はみな分かってるのに、貴殿だけ「井の中蛙」のようで。
で、なんだ、「伝統原理主義の問題」を他でやってる人がいると。そりゃ、小さな学界やサークルでちょこちょこやることはあるでしょうが、今の所、本一冊すら出てませんよ。基本的なプライマリーソースの翻訳すら見かけません。私のところで始めて読んだ、という方々は多いです(メールをいただいてます)。
どっちにいろ、そういう方々がいたとしても、ネット上で対抗言論を張るのでないなら、残念ながら私の役目は終わりません。
>たしかにおっしゃる通り、論として一応対抗的な落とし前つけとく必要はあるか。ただ既に要点は繰り返しになっている感が否めないかな?尤も、それが通じてないのが問題なんだろうけんど。まず結論ありきだから、永遠に通じなさそう。
>落とし所の目標はどの辺りで考えてるんで?
まず、まだプライマリーソースの翻訳・紹介が残ってます。その後、主要な二次文献も翻訳・紹介する必要があります。もともと、ネット上で議論する場合の資料の蓄積が目標でしたから、その点でまだまだ仕事は終わってません。
それと「対抗言論」は、常に張り続けていないと意味がないと思います。途中で休止すると相手が安心してしまう(笑)。変なこと書いたらやられる!という緊張状態に置くことも、「対抗言論」の役目だと思ってます(でも、これはしんどいわ。ほんと言うと)。
>どこかの誰かさんの支離滅裂で意味不明な文章と違い、金田氏の見識の深さにはいつも脱帽です。
おバカな私には、非常に分かりやすい。
「分かりやすい」と評価していただくのは、率直にうれしいです。
でも、可能なかぎりのぎりぎりまで分かりやすく書いても、まったくわからんちんな方(笑)もいるようなので、もっと修行せねば、と思ってます。