頂上が見えかけていただけに、残念でならない。世界貿易機関(WTO)の閣僚会合が9日目に決裂した。これにより、目指していた年内の最終合意は極めて厳しくなった。再開のめども立っていない。
7年近い交渉は、関税や国内生産者への補助金の大幅削減などを通じて、貿易や国境を超えたサービスを活発化させようというものだった。日本では、農産物の市場開放を強いられる損な交渉といった印象があったかもしれないが、それは正しくない。
農業分野についていえば、どのみち必要な国内農業の競争力強化を促す好機となり得たはずだし、何より食糧価格が高騰する中で、消費者が安く購入できる輸入産品の選択肢が広がる可能性があった。製造業の分野では、途上国などの関税引き下げにより、輸出の拡大が期待された。
だが、それ以上に大きな意義があった。活発な貿易を通じた世界経済の発展である。日本が輸出主導の成長を遂げられたのは、まさに貿易自由化の恩恵によるものだ。交渉はこの流れをさらに進めて、今は貧しい途上国にも経済発展の機会を与え、日本も含む世界全体で利益を享受しようというものだった。
貿易自由化はしばしば、自転車に例えられる。ペダルをこいで前進していないと倒れる。その場に静止してはいられない。自由化も推進の努力をやめると、保護主義の圧力に押されて、後退する恐れがある。インフレと景気悪化の同時進行により、世界経済は今まさに保護主義の脅威にさらされようとしている。交渉はいったん休止となるが、各国には、自由化の自転車が倒れてしまわないよう、早期再開に全力を挙げてもらいたい。
今回の挫折は、多国間交渉の枠組みが重大な試練に直面していることも鮮明にした。世界経済における米国の相対的地位は低下を続け、住宅バブルの崩壊と金融不安が追い打ちをかけている。自国経済を脅かしかねないインドや中国に歩み寄る余裕などもはや備えていないようだ。
一方、地球温暖化対策でも明白になったことだが、21世紀の世界的な課題は、中国やインドの協力なくして解決困難だ。しかしその中国、インドは、国際的な負担を受け入れる用意がまだなさそうだ。農業分野での米国とインド・中国の対立をきっかけに交渉が壊れたことは、こうした新しい現実を浮き彫りにした。難局を乗り越えるには新しい発想と工夫が必要だろう。
国内の農業に目を転じれば、WTO交渉に関係なく、体質強化が待ったなしだ。交渉による外圧が薄れたからといって、必要な改革を先送りするようでは、日本の農業が衰退に向かうのを止めることはできないだろう。政治や行政はその点を心しておくべきだ。
毎日新聞 2008年7月31日 東京朝刊