2008-07-30
■[ルポ]弾氏への応答

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前半「女。京大生の日記。」に関する説明
後半「弾氏への応答」From 「没落エリートの出現」ー女。京大生の日記。to 「学校ってバカを治療してくれんのか」ー404 Blog Not Foundー
好きな方からお読みくださいませ。
前半
先日の私のエントリーはそれなりにセンセーショナルだったようで、多くの人々からコメントを寄せていただいた。「就職先に不満でもおありなんですか?」というような私、個人の心配をしてくださった方もいたようですが、心配ご無用!
「女。京大生の日記。」のブログ主ペンネームMGは2007年11月11日にはてなデビューをしたのですが、デビュー作品は覚えていらっしゃる方はいらっしゃいますでしょうか?
そう!梅田氏の「ウェブ時代をゆく」の書評でありました!そこで私は、けものみち。なんて素敵な道なんでしょう!なんて書きながら「私もモッチーみたいに生きるぞー」と若さと情熱のあまり支離滅裂になりながらも心より思いを込めてはてな初エントリーを投稿したのでした!
ということで、当ブログの昔からの読者の方は、私がどんな性格を有しているかどんな思想を有しているかということは十分承知してくださっているでしょう。
このブログ初めてみるよー♪でMGてどんなやつやねんて思う人は他のエントリーも読んで見てください。
私は、まさに梅田望夫の言うけものみちを念頭に置きつつこれから仕事に挑んでいこうとしている、「終身雇用じゃなきゃいやー」「京大出たのに就職できなかった」というタイプではまったくないのです。就職活動なんてものはたかが手段であり、会社主義なんてものはポストフォーディズムの時代には時代遅れであり、私はそんな世界はまっぴら御免だと思って、いかに自らの専門性を高めるか、あるいは、会社に勤めながらもウェブ上で自らの見解を世の中に問い続け、開かれた社会に対峙していこうと意気込んでおる社会の恐ろしさを知らないからこそ、恐いもの知らず、の若人なのです。文句あっか、笑。
その私が、なぜあのようなエントリーを書いたのか、そのことを実は考慮に入れてほしいと思ったのだが、あのエントリーだけを見ると私の意図したこととはズレた意見が生じるのは致し方ない、というか、大歓迎だよー!そんなの当然だよな。
それに、今PCの前に座ってる私と、MGがあちらの世界に送りだした文章は、分けて考えられるべきものだ。
どんな批評も、反論も、熱烈なラブコールもすべて私は大歓迎だ。マジだよ、コレ。
後半
で、前置きが長くなったが、弾氏が、私の記事を基にして、弾氏ならではの理論を展開してくれた!
とうとう来ましたよ、ハレの時間が、お祭りの時間が。ワッショイ!ワッショイ!
夏休み、祇園祭もいいけれど、弾様とのお祭りもまたゆかしかな。
弾氏への応答
弾よ!君は強い。だからよろしい。あえて君はそうふるまってるのかもしれない。
しかし、弾の言葉に煽られ、そうだそうだ!弾は神だー!高学歴でコミュ能力なくて、いまだに就職できないって?バカっじゃねーの?って吹き上がっている者がいるとしたら、それは本当に悲しいかな、愚かだ。
なぜなら、おそらく高学歴、非コミュを叩く者は、弾のような、社会的な地位も名誉も金も手に入れ、悠々自適な生活をしているものではないからだ。
「私だって恵まれない。なのに高学歴の貴様らがなに甘えたこといってんだよーバカじゃねーの。」と言ってる人がもしいるとしたら、もっとかしこくならなければならない。世の中は本当にうまくまわっているのだ。そのような態度が多くの既得権益層に甘い汁を吸わせることになっていることを知らなければならない。
弾は、才能もある。そして個人としても成功した。私はそんな弾が大好きだ。マジかっこいい。
しかし、弾よ聞いてほしい。君はあえてブログで強者を演じているのか?君のことを神だと奉り、毎日弾の記事をブックマークしていく人々を知りながら・・・。
弾の成功は、たしかに弾自身の力による。彼は京大も東大もそんな学歴なんてまったく関係ない世界で生きてきて成功した。家も火事になった!これに嘘偽りはない。すばらしい。
しかし、個人から一歩引いて、社会や共同体について考えてみるブレイクタイムをここでしてみようじゃないか。
私は本当に個人としてこの世界に生れてくるのだろうか?
気がつけば、私だった。しかし、この世に生を受け言葉を一番身近にいる人々から与えられ、大切に育てられてきた、私は、本当に、私なのか?他者と切断されたまったき個人といっていいものなのか?
否。私は、共同体の中で私になったのだ。共同体なくして私はない、ましてや個人なんてものは存在できない。
弾が嫌う学校教育の話をしよう。
学校教育は、私が社会に出ていくための規範を身につめるための近代における権力装置だった。
権力装置なんて言葉は大袈裟かもしれない、社会でなんとか生きていくための術を学ぶためのフォーディズム資本主義時代の寺子屋だったのだ。
しかし、弾もいうように、この寺子屋は時代遅れなのだ。この寺子屋で教えてられていたことといったら、もっぱら官僚主義、会社主義的な人材を育てるに適合的なものだった。
しかし、見落としてはならないのは、日本における近代黎明期この制度はしごく全うに機能したし、そのために今の日本がある。しかし、制度は時代遅れになるのだ。
ポストフォーディズム資本主義の時代、雇用は流動化し、組織に依存しないけものみちを生きる人生が選択肢の一つとして十分に有効性を持ち、むしろかっこいいという生き方になった時代には、今の学校制度はダメなのだ。
したがって、私は、世界のNO1を目指せるような抜きん出た人々だけでなく、一般の普通の人々でも、主体的な生き方あるいはこの社会に居場所を感じられるような教育内容が用意された学校制度を新たに生み出す。あるいは、学校なんて制度をいったん捨て去って代替となる制度を新たに作り出し、ポストフォーディズム資本主義社会に適合できる、人間を今後作っていくべきではないのか?と主張したかったのだ。
弾のいうようにバカに褒美を出すような社会は私も、もちろん賛成しない。
しかし、バカになった背景に、個人の問題だけでなく、社会構造が大きく変化したという要因もあったということを議論の俎上からまったく消し去ってしまうことは断固として私は許さない!
ロストジェネレーションは個人の問題だ!と言うのと同じ構造がここにはある!
ロスジェネも今回私が紹介した就職できない京大生も、ポストフォーディズム社会に適応し損なった人々であるという議論を消し去ってはならない!
弾は強い。だから、社会を変える前に自分を変えた方が早いよーと言うだろう。
私も、私の主張を変だと言ってきた先生がいる学校が「は?」て感じで、個人として主体的に生きていくためにいろんな行動をしてきた。
しかし、弾の言葉をマジに受ける愚昧を、たとえば政治家や社会の仕組みを創っていく側がするのはバカげている。
弾の言葉は、個人がある程度個人の努力で幸せにスグなるための 処方箋 にすぎない。強者の言葉は時に劇薬だ、それを心得てあえて弾に賛成するのならばよろしい、しかしあなたがもし弾のような人間ではないのだとしたら???
社会を大局的に捉え、弾もいうバカに優しい社会をマジで創るには、弾の処方箋は単なるなぐさめごと、気晴らしごとにしかならない。
私は、処方箋ではなく、大局的な視点にたった社会のトータルデザインを考えていく。
そのために、これから社会に出てたくさんのことを勉強したい。
本を読んで知識をためこむのはいいことだ、しかし、その知識を私は必ずや社会に還元するべく行動者になるつもりだ!
なんだか真夜中ということもあるが、熱くなりすぎたか?
しかし、思考する機会を与えてくれた下さった弾氏にそしてブクマコメント、コメント、トラバをして下さった皆様方に心から感謝致します。すべて目を通させていただいております。
そして、ここまで読んで下さった読者の皆様に心から感謝の気持ちを表明致します。
■[ルポ]没落エリートの出現―ビジネス社会から疎外される高学歴就職難民たちー

京大は出たけれど・・・・・
主要な企業における2009年新卒採用活動はほぼ終了し、2010年新卒採用の動きが活発化している今日、就職活動は一生懸命しているにもかかわらず、就職先が見つからない、あるいは、希望の就職先に内定をもらえず不本意な企業に内定し悶々とした日々を過ごしている高学歴大学生がここ京都大学に存在する。
超売り手市場と言わる新卒就職市場においても、就職するのに四苦八苦する高学歴就職難民たち。これは、個人の問題ではない社会の問題である。
格差格差と言われるけれど・・・
ロスジェネ
ロスジェネという言葉がニートやフリーターなどの言葉と同じくらいに人口に膾炙するようになった。超左翼マガジンと銘打った「ロスジェネ」という雑誌も新たに刊行された。
ロスジェネとは、ロストジェネレーションの略であり、就職超氷河期(1990年代という「失われた十年」)に社会へと送り出された20代後半から30代半ばの世代を指す言葉だ。ロスジェネは、産業構造の変化、ソ連崩壊、グローバリゼーションの影響、など様々な社会要因によって新卒就職に失敗し、非正規雇用に甘んじ、ワーキングプア、フリーター、ニート状態となっている。雨宮処凜を筆頭とした人々が、「生きさせろ!」と大声張り上げて、ロスジェネを主体とする階級闘争を、正社員などの既得権益層や、年長世代に挑んでいる。
エリートの再生産
佐藤(2000)は、『不平等社会日本』において、もはや日本は総中流社会ではなく、出身階層によって学歴や職業が規定されてしまう傾向があり、エリートの再生産構造、社会格差の再生産構造があることを指摘した。
没落エリートの出現
様々な格差論がある中で、二つの格差論を限定して紹介したのにはわけがある。というのも本ルポにおいて私が、提起する「没落エリート」という概念に、ロスジェネ問題、エリートの再生産問題も関連するからである。
没落エリートとは高学歴でありながらも、ビジネス社会において疎外される人々を指す言葉である。没落エリートが欠如させているある能力に関してロスジェネにも関連性が見出せる、そしてこれは今後社会の大きな問題になる可能性がある。また、没落エリートは、佐藤の分析では見えてこない。というのも出身階層が高くその結果、高学歴を取得した後に、ビジネス社会に適応できるかできないかで2極化がおこっている現状があり、佐藤の分析では、ビジネス社会に適応できた人々だけに焦点があてられているゆえ、没落エリートの存在が隠されてしまっているのだ。
以下において没落エリート出現の背景にあるものを分析する。
没落エリート出現の背景
武士の商業が揶揄されたのはいつだったか?歴史を紐解けば、それは明治維新の時代であった。明治維新をきっかけとして、武士は従来の特権を剥奪され、四民平等が推し進められた。刀、丁髷から商売へと、多くの武士が慣れない商売ゆえに商売を失敗させて没落していった。明治維新以降、身分などの属性ではなく、人々の能力による業績によって社会的位置づけを行う社会が誕生したのだ。そのような社会をメリトクラシー社会と言う。
しかし、昨今メリトクラシー社会における社会的位置づけ機能としての「能力」の内容が変質してきているのではないか?という問題提起を行い、メリトクラシーからハイパーメリトクラシーへと社会が変化していると述べたのは、本田(2005)である。
本田は、その変質を明らかにするために、近代型能力とポスト近代型能力の二つを紹介している。
『近代型能力』基礎学力、標準性、知識量、知的操作の速度、共通尺度の比較可能、順応性、協調性、同質性
『ポスト近代型能力』生きる力、多様性、新奇性、意欲創造性、個性、能動性、ネットワーク形成力、交渉力
本田によると、ハイパー・メリトクラシー化とは、消費化、情報化と文化や価値の多様という社会的背景のもとで、それ以前のメリトクラシーのもとで重視された「近代型能力」に追加される形で、意欲や創造性、コミュニケーション能力などのより不定形な「ポスト近代型能力」が、個々人が社会を生きる上での重要度を増大される現象を指す。
まさに、フォーディズム資本主義からポストフォーディズム資本主義への以降において、能力を測る物差しが変質していたのだ。本田の言うメリトクラシーからハイパーメリトクラシーは、IQからEQへ、官僚タイプから起業家タイプへ、京大から慶応SFCへの流れとまさしく対応するのである。
高学歴就職難民現象の顕在化
学歴とコミュニケーション能力の有無によって4つの類型を取り出してみよう。
A学歴もコミュニケーション能力もある。
B学歴は高いが、コミュニケーション能力が低い。
C学歴は低いが、コミュニケーション能力が高い。
D学歴もコミュニケーション能力も低い。
就職活動において個人の思い通りの結果を手にし、終身雇用が保証されない社会でありながらも自在に自らのキャリアを主体的に構築してける人々は以下のような順番にその可能性が高くなるのではないだろうか。
A>C>B>D
そして高学歴就職難民は、Bの類型に分類される人々だ。
しかし、彼、彼女らを自己責任だといって、見てみないふりをしてもはたしていいのだろうか?高学歴就職難民が生じる背景には、資本主義がポストフォーディズム資本主義へと移行しているにも関わらず、教育内容が、時代遅れであるという大きな1つの原因があるように思う。
Bに分類される人々は日本においてかなりの数存在していると思われる。ロスジェネの人々の中にもBやDに分類されるような人々が多くいるに違いない。仮にロスジェネの運動が成功し、彼ら、彼女らが正社員になれる日が来たとしても、今度は、ポスト近代化能力の有無によってまた新たな格差が広がるのではないだろうか?
また、ポスト近代化能力は、非物質的生産を行う場合に必要なコミュニケーション能力などの情動的な能力を必要とする。したがって、肉体的なレベルのみならず精神的、人格的なレベルにおいても経済活動に取り込まれることになるのだ。その時、ただならぬ疎外感を味わう人々が出現するのは目に見えている。
これらの問題をどう解消していくのか、とても重要な課題であると考える。
没落エリートという現象は自己責任の問題ではない、変化の激しい時代には必ず生じる社会問題なのである。没落エリート、ロスジェネ、ポスト近代化能力の育成問題、これらは同じ地平を共有する問題なのだ。
続きはこちら→弾氏への応答
参考文献
多元化する「能力」と日本社会 ―ハイパー・メリトクラシー化のなかで 日本の〈現代〉13 本田 由紀 NTT出版 2005-11 売り上げランキング : 131820 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
生きさせろ! 難民化する若者たち 雨宮 処凛 太田出版 2007-03 売り上げランキング : 5350 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
不平等社会日本―さよなら総中流 (中公新書) 佐藤 俊樹 中央公論新社 2000-06 売り上げランキング : 53309 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
BもDも他者から見て区別がつかない。
ハイパーメリトクラシー化が現状をちゃんと説明できるくらい進んでいるのならむしろ問題は起きづらいのですが、過渡期の場合は高学歴難民のみならず特有の問題系が発生してしまいますね。近代とポスト近代の能力が優劣を競い合うというだけでなく、並存していること自体が大きな問題になってしまいます。
例えばお受験などはまさにそうですね。近代型能力をベースにものを考える親は、子供の能力に関わる際に近代型能力自体が必要とされていないことを理解できず、何か劣った部分があった場合近代型能力がないせいだと考え、近代型能力の増強(あまり意味がない)に力を入れるという、あまり良くない事態だと思われます。高学歴が再生産されるのではなく、高学歴難民も再生産される可能性が示唆されます。
また、ポスト近代型の能力に「多様性、新奇性、意欲創造性」が含まれるのに、なぜ博士がアレだけ冷遇されるかという問題もあります。本当に新奇なものは人に伝えにくく、ともすれば意思疎通の失敗の原因が新奇性に内在する難しさではなく「プレゼン能力がないため」と取られる危険性が非常に高い。どんなことでもプレゼン能力さえあれば伝えられるみたいな風潮が国内にあるように見えますが、実際にそれが成り立つためにはまさに近代型の能力である「共通尺度の比較可能」が前提とならなければならないという、本末転倒な事態も。ともかく、博士でなくても現在本当に新奇性のあることをやりたければ相当の風当たりは覚悟しなければなりません。
最後に、私の経験ですが、就職活動に関してはリクナビよりも底辺飲み屋の方がよほど役に立ちます。
いや、単純に個人の問題だと思う。
ぶっちゃけTOEICある程度とっといて、ESネタになること何かやったらよっぽど酷いのじゃない限りどっかにはひっかかるかと。
ついでに言うと、学生時点で理想と思う就職先に入ることが長い目で見て人生のプラスになるかはわからない。会社が同じでも始めの数年間の上司が誰かってだけでかなり違う人生になるしね。
というか、どっかのメガバンクとか、どっかの重工とかは、最後までいてくれるなら、君らの大学なら絶対内定出すと明言してました。
非コミュで、合コン連れてったら、女の子とうまくしゃべれなくて、いい年して泣きだしてた人とか、ふざけているのか「御社を志望する理由は給料がいいからです」とかESに書いて出してた人とかでもいわゆる一流企業から内定出てたので、一流企業から内定がないということが考えられません。
もっとも一流大である京大生様の脳内では、「不本意」の幅が広くて、いわゆる一流企業でも、業界一位じゃないとダメとか思ってるのかもしれませんが。
三菱商事ならいいけど三菱電機は不本意とか、経産省ならいいけど、東北電力は不本意とか。
ただそういうぜいたくな悩みは、社会問題ではないですよね…。
もはや運レベルの話だと思ったりも。
「教育内容が、時代遅れであるという大きな1つの原因があるように思う。」とまで断言するのなら(僕も結構同意ですが)
出来ればiammgさんの大学教育論も読んでみたいです。
読んでいて、よくわからなかったところが。
京大生の希望の就職先がどこなのか、というのがまずひとつ。
四苦八苦すると言う表現が現実の就職状況とかみあわないように思えるのがふたつめ。
類型を取り出すときにコミュニケーションはいいとして、学歴を採用しているのは、学歴=なにがしかの能力という認識なんだろうかというのが三つ目
就職厳しいっていうのは、人のせいにはできないことだと考えています。隣の人に勝つために何が必要か考えて、動けるか。できなければ負ける。受験のときに対策考えたでしょう?あれと同じなんじゃないですか?
まぁ、そうまでして今の社会に執着する必要もないと思いますが。もっと自由になって、やせ我慢をしながら自分のやりたいことをやりなさいよ、と思う今日この頃です。
京大法や文は特にそうだったぞ。
うまく就職できない京大生の比較調査でもあるんかいな。
弾くんもあなたも何か勘違いしてるのかもしれんけど、昔も今も「高学歴は必ずエリート」じゃなくて「エリートは必ず高学歴」ってことなんじゃないカナー
管理職、役員、政治家、弁護士、医者、官僚、経営者、まあなんでもええわ中卒と京大卒とどっちが数が多いか年代別に誰か調査してくれ(笑
ただ、
>バカになった背景に、個人の問題だけでなく、社会構造が大きく変化したという要因も
っていう「社会構造を新たに構築する側」に立とうとする根性はイイ
弾くんはいつもこれができんネ。
論調がいつも「社会は■▲だ!だからお前らも○×せよ。オレも○×してきた」
イヤ日本も民主主義社会なんだし・・・・そーんなに敗北主義的(ウィンプ?)にならんくても・・・・・と思う
エリートかエリートでないかは確かに学歴じゃ決まらんが、弾くん側の発想は明らかにエリートとはちゃう
iammgちゃんはこれからも、弾くんのよーな経験哲学(〜できる10の方法がどーたら)からしか発想できん人に影響されんでくれ
「売れてる」本からじゃなく実証主義的見地から学術的にモノを見てくれ
新らしい日本を「あたしが創る!」側から社会とか世界をいつも相対化して考えてくれ
そして、その人は「エリート」なのでしょうか?
学歴それ自体は、高校時代にそれだけ努力をしたということでしょうから立派な話ですが。多少緊張する程度のことなら、企業は何も言いませんし、そんな所まで求めません。すなわち、まともに話にならないレベルに緊張するとか、志望する意気込みが見えないとか、頭の回転が鈍いとか、そういう理由で落とされているわけで(京大なら学歴が原因で落とされることはまず無いでしょう)
それなら、初対面の人と、ある程度は緊張しつつも一通りしゃべれないと分かってるなら出来る様になるか、そもそも、そんな事を気にしない企業、職種にするとか。意気込みの問題なら、なんでこれをしたいのか説明出来る様にしておくとか企業研究してみるとか、コネ使って会社の事聞いてみるとか、コネがないなら、折角京大に居るんだからコネを作る努力をするとか。頭の回転が鈍いなら想定問答でも作って、それを感じさせない様にするとか
少なくとも、問題を定義して、それの解決法を考えられる人が京大卒で意中の企業に就職できない状況というのはほぼ考えられないので、馬鹿な人が企業に見破られて落とされている。
そして、そもそも面接ってのはその為にやっている以上、当然の話、つまり「没落エリート」はエリートではなく暗記が得意なだけの馬鹿である書いているようにしか見えないのですが
分析概念にやたら思念的な意図を感じて攻撃する人が多いけれど、実はその思念の攻撃こそが逆説的に学歴の社会的価値を押し上げている源泉であることを自覚する必要があるのではないかと思う。
要は内容のレイヤーが全く噛み合っていない。分析のための客体化の意図をブックマーカーはよく理解できていない。だから問題を掘り下げられていない。「中学生レベルで書けば採用になるよ」などは最たる例。大学の学部の教育課程で学術方法論を学んでこなかったのかな。
少なくとも学生である間は充電期間であり、細かな活動を除いて社会に対してなんら価値を生み出している訳ではない。
極端な言い方をすれば社会に出た時点では大卒も中卒もスタート時点の剰余価値は等価である。
企業がスタート地点で差を付けるのは将来を買ってのことであり企業の見込みDCFに過ぎない。
つまり社会というステージでなんら成功すらしていない高学歴な人々は没落エリートではなく単なる落ちこぼれでしょう。
にも関わらず、高学歴というだけでエリート意識を持つ学生が未だにいるのは本当に利口なのかバカなのか分からない。
結局、ハイパー・メリトクラシー化に対応できないどうのこうの言い訳するのは優秀な学生たちの根底にアリストクラシー的な意識があるからではないでしょうか?
高学歴だから「俺は歩んできた道が違う」「俺はその程度の仕事はしない」「間違っているのは俺じゃない、周りだ。」
そこらじゅうでお荷物扱いされている天下りは典型的な例である。
高学歴就職難民の一番の解決方法はそのプライドを捨てることにある。
しかしその目の前のプライドが捨てられないのは、費用対効果など反って変な部分に頭が働いているからだろう。
外資系金融や一流企業でなければならない理由などはない。
アメリカと日本の優秀な大学生の大きな違いは日本の学生は一流企業を目指す傾向が高いのに対し、アメリカの優秀な学生は裁量権の大きいベンチャーを目指す傾向が高いという。
これも肩書に乗らなければ不安な日本の学生と自分自身の実力に自信を持つアメリカの学生の違いかもしれない。
本当に優秀なら引かれたレールに乗れないことに足掻くのではなく自らレールを敷いていくでしょう。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080726-OYT1T00385.htm
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20080729/155655/
それが悪いって訳でもないけど、僕達大卒はある程度社会正義を追求すべきですよね。コネとかでそれが可能な位置にいるわけだしね。僕達がエリートだからってわけじゃなくて、役割の問題として。
まあ、誰に何言われても、より良い社会作っていきましょう!
それにしても人文科学適性のないひとが多いな。
あと、
> 弾の言葉をマジに受ける愚妹
すまん、脳内妄想が暴走して萌えた。
女とかうぜぇwww