2008年06月14日

プッテン殺人事件

1994年1月の日曜日、オランダ、ゲルダーランド州のプッテンというところで、23歳のフライト・アテンダント、クリステル・アンブロジウスが森の中の祖母の家で強姦され刃物で刺殺された状態で発見された。事件当時現場付近で青緑色のメルセデスが目撃されていた。

似たような色のメルセデスを所有するゲリット・シュチャードが取調べを受けた。彼は日曜日に義理の息子のハーマン・デュボアとウィルコ・ビエット、それにヴィレム・ベティンクと一緒に付近をドライブをすることがあった。

4人はその後長期間にわたって多数回の取調べを受けた。ハーマンとウィルコは被疑者として身体拘束され、それぞれ67回と43回の取調べを受けた。ゲリットとヴィレムは目撃者として、21回と61回の取調べを受けた。当初は4人とも現場に行ったこと自体を明確に否定していた。しかし、取調べが進むうちに、ゲリットのメルセデスでドライブしていてクリステルに出会ったことを思い出したと言い、さまざまな場面をフラッシュのようなイメージで次々に思い出していった。

最終的にはハーマンとウィルコが順番にクリステルを強姦し、包丁で首を刺して殺したことを自白した。そして、ゲリットとヴィレムはそれを見ていたと供述した。公判ではハーマンとウィルコの自白が採用され、ゲリットとヴィレムは検察側証人として犯行を目撃したと証言した。ハーマンとウィルコは公判の途中で自白を撤回したが、有罪とされ懲役刑を言い渡された。

しかし、DNA鑑定の結果クリステルから採取した精液は4人のいずれのものとも一致しないことがわかった。そして、心理学者のレポートによって、4人に対して虚偽記憶を誘発させる危険を伴う尋問方法――記憶の注入、仮定的に語らせる、偽計、他者の供述の提供、犯行の細部の提供、想像することを求める――が多用されていること、記憶喚起の過程が「記憶回復セラピー」におけるそれと似ていることが指摘された。さらに、家族や知人たちもハーマンたちのアリバイを証言するに至った。

オランダ人間科学高等研究所研究員及びライデン大学教授のヴィレム・ワーグナーによると、本件で使われた、虚偽記憶を誘発しやすい尋問方法は次のようなものであった。

1 記憶があいまいな被疑者に記憶を植え付ける:例えば、ハーマンは現場に行ったという記憶がないと言っているにも関わらず、捜査官は「ゲリットが何でお前は車をそんなに飛ばすのかと聞いてきたとき、お前はなんて答えたんだ」と尋ねた。この尋問がハーマンの印象に残っており、その後、彼はゲリットの供述に符合するイメージを作り出した。

2 被疑者に仮定的な話をさせる:捜査官はウィルコに対して、被害者が刺殺された後、何をすることができたか想像してみることを求めた。ウィルコはこう答えている:「僕はきれい好きなので、掃除をするだろう。被害者の横にひざまづいて、いろいろはものを拭きとるんじゃないかと想像します。……被害者は裸だと思いますので、何か毛布のようなものを掛けてあげるんじゃないかと想像します」。このような想像によって心の中に具体的なイメージが作られ、後にそれが真正の記憶と混同される。

3 あからさまな偽計(ねつ造した鑑定結果を示すことを含む):捜査官はハーマン・デュボアのズボンから発見された繊維が、クリステルの祖母の家の玄関マットの繊維と一致したと告げた。実際には、そのドアマットはどこにでもあるものなので、そのように言うことはできない。この尋問がなされた翌日、ハーマンは「僕はその家に行ったに違いないと思います。だけど、不思議なことに、いまはその家で何が起こったのか全然覚えていないのです。何とか思い題したいです」と供述した。そして、彼はその後熱心に記憶を求めるようになるのである。

4 他の共犯者の供述と対決させる:ハーマンは、ウィルコが「ハーマンはクリステルを捕まえて彼女に襲いかかった」と言っているぞと捜査官に告げられた。ハーマンをこれを否定したが、その後自分の記憶に自信が持てなくなった。実際には、ウィルコはそのような供述はしていなかった。

5 実際に起こった出来事の詳細を教える:予審判事はウィルコに、被害者は首と喉を刺されていることを教えた。これが後の彼の供述に影響を与え、彼が事件について知っていると考えられた。

6 被疑者に推測を求める:捜査官は、ハーマンに凶器はどこにあったと思うか、と推測を求めた。彼は、戻ったとき車のトランクが開いていたので、そこにあったと思うと答えた。また、ナイフはゲリットの家かウィルコの家の井戸に捨てられたと思う、と答えた。このような推測の一つが正しいと、やはり被疑者は事件のことを知っていると思われてしまうのである。

被告人らの控訴は棄却されたが、最高裁判所は有罪判決を破棄した。2002年4月、差戻し後の控訴裁判所はハーマンとビエットに無罪を言い渡した。2人は8年ぶりに釈放された。

そして、事件から14年経過した2008年5月20日、ゲルダーランドの警察は33歳の男をプッテン殺人事件の容疑者として逮捕した。2005年に施行された法律により警察は有罪宣告を受けた者のDNAプロファイルを保管できるようになった。本年4月に男のDNAプロファイルが警察のデータベースにエントリーされた。そして、彼のDNA型がクリステルから採取された精液などのDNA型とマッチしたのである。

参考文献:
Willem A. Wagenaar, False Confession after Repeated Interrogation: the Putten Murder Case, European Review, Vol.10, No4, 519-537 (2002)
Justitie, 23 May 2008, Press release, DNA hit in Putten Murder-case.
DutchNews.nl, Man Arrested for Putten Murder, 20 May, 2008. 


plltakano at 22:40コメント(5)トラックバック(0)冤罪  | 虚偽自白  この記事をクリップ!

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コメント一覧

1. Posted by T.Itou    2008年06月15日 18:45
いわゆる取調べの可視化につながる議論だと思います。
高野先生が目指す甲号証だけの裁判を考えるにおいて避けて通れない問題なんだろうと思います。

これについて、最高検が3月頃にレポートを出したそうですが、検察側は以下のような論調なんだそうです。

長くなるので分けて書きます。

検察庁の思考として伝聞法則があるため、「事実関係を調査する」目的の取り調べと「裁判で立証する」目的の取り調べを明確に区別している。
前者については録画は絶対反対。
理由は
・録画することで供述をしないだろうもしくは供述を変えただろう(さらには現に変えた)と話す被疑者が一桁台のパーセントではあるものの確実にいて、その事案がそろいもそろって凶悪犯(殺人とか強盗とか)で「仮に全部録画したらこれらの案件はそもそも逮捕状すらとれなかったんじゃないか」と検察庁は評価。
2. Posted by T.Itou    2008年06月15日 18:46
・一方「なぜ自白するにいたったか」について録画することは場合によっては、弁護側が任意性や信用性を争うことを録画を見てあきらめたのが(録画した事件数の)10%程度あったこと。さらに4件は実際の法廷で録画を裁判官が見た結果うち3件までは弁護人の主張を退けて信用できるものとしたこと。その証明の過程でも従前は取り調べ担当検事など証人を呼ぶなど大変だったが録画を見せた上でピンポイントで質問することで検察官の立証活動がかえって楽になったと指摘。

3. Posted by T.Itou    2008年06月15日 18:47
もっとも検察官の中には
「録画中、被疑者と談笑していたり笑顔を見せただけでそれだけで不謹慎だなどと批判されかねない。」
ことに対する危惧を述べる者もいたが、全体としては後者についてはむしろいけると考えている。
そしてそう考えると……
警察の捜査はまさに前者な訳だから検察が動いたところで検察が後者だけを対象にしている以上警察は絶対録画化に反対しつづけるだろう。
との評価。

さらに
「そもそも刑法(及び刑事実体法)に主観的な構成要件があって、それも検察官の立証責任だというから自白をとらなきゃいけないはめになるんだからそこを客観化することでそもそも被疑者の供述に頼らないことが可能なはず。」
という一部検事の主張も。

別の検察官の意見;
「国民に対し、全部録画すると、重大犯罪の検挙・有罪率が確実に下がるけどそれでもいいのかってことを問題提起すべきだ」
って話。

いかがでしょうか?
4. Posted by T.Itou    2008年06月15日 18:50
最後の検察官の意見は、検察側として言っていいのか、という感じもしますが・・・

ヤクザから足を洗わせるためには可視化は出来ない、という論調はそれはそれで説得力がある気もしますが、刑務所の中でさらにヤクザの人脈を深めるなどの現状も考えると、果たして捜査の可視化と論理必然に導き出せるのかも疑問です。

ただ、刑法が主観的Tbを持っているという点は乙号証裁判にならざるを得ないという点で非常に説得的だとは思うのですが、この点はいかがでしょうか?
5. Posted by 高野隆    2008年06月20日 22:33
Itouさま
コメントありがとうございます。
刑法が主観的構成要件を持っているから自白だよりの捜査を必要とするという議論が「非常に説得的だ」とのことでsが、私は全然そう思いません。

主観的構成要件のない刑法などというものが此の世に存在するとは思えません。アメリカでは殺人や過失致死罪にさまざまな分類があり、その基準の多くは被告人の主観です。

そして、自白が必要だというのは黙秘権を否定する理由にはなりません。

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