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2005-09-24 前回の3連休は休めなかったが、今回は休む。
■[歴史][反日] 浄土真宗本願寺派の左傾化(1)
私の家の宗教というか、宗派は浄土真宗本願寺派であり、身内の葬儀や墓なんかはこの形式にのっとったものだ。浄土真宗は日本でもおそらく最大級の数の信者(浄土真宗の場合は「門徒」と言う)を抱えている宗教団体なので、私の家が浄土真宗でもさして珍しくはないと思う。ちなみに、妻の実家は真言宗である。浄土真宗と真言宗は、同じ仏教でもずいぶんと違うので、比べてみるととても面白い。浄土仏教と聖道仏教、他力仏教と自力仏教、鎌倉仏教と平安仏教などなど。まあ、それは今回は書かないが。以下、しろうとの私が書いているんで、仏教に詳しい方からみると拙い内容だと感じられるかもしれないが、気にせず書いてみることに・・・。
↓仏教の歴史や各宗派の教義などをおおまかな知るのに手頃な本。
仏教全般の話はとりあえず置いて・・・。
もし、あなたの信仰している宗教は何か?と聞かれたら私は回答に悩む。なんとなく仏教かなという気もするが、神社にお参りする事もあるし。まあ、神仏習合で信仰心のごく薄い普通の日本人というところか(しかし、以下で書くが浄土真宗は神仏習合ではないのだが)。ようするに、宗教の思想一般については多少興味・関心はあるものの、自分の信仰心をつきつめて考えた事はない。
宗教の個人的な好みで言うと、排他的な宗教や宗派(一神教や、仏教でも日蓮宗系の一部団体など、他カルト宗教全般も)はあまり好きではないし、信じなければ救われないとか世界は滅びるから信じろなんてやつは論外である。また仏教全般にはそれなりの関心はあるものの、仏教団体というか宗教教団というレベルになると、どうにも信用できない。たとえば浄土真宗の開祖である親鸞は立派な人だと思うが、宗教団体としての浄土真宗○○派などとなると、どうも好きになれない部分がある。
一方、神道というか神社に関しては、私としてはあんまり宗教「団体」臭さがないので、好感を抱いている(神社本庁というのがあって、さまざまな活動をしているが)。もともと神道にはああしろこうしろみたいな戒律や教義など無いに等しいし、もっと素朴で率直な信仰心が現れたものであるような感じがする(個人的な印象として)。
浄土真宗も、他力本願(阿弥陀仏の本願力によって救われる)であって、特別な修行によらなくとも、誰であっても(悪人こそ)救われると説いている事から、我々にたいして厳しい戒律をあれこれ求めるような宗教では無い点に好感を抱いてはいる。しかし、これは開祖である親鸞の教えなのかどうかわからないが、現在の浄土真宗では結構あれこれとタブーみたいなものがあるようである。中にはあまり共感できないものもある。
浄土真宗は、それまで平安仏教に見られる神仏習合の路線とは一線を画して、わりとはっきり神仏を分けた宗派である。そのためかどうかわからないが、浄土真宗の出している「門徒の心得」というのを見ると、家に神棚は祀らないとか、位牌をおかない(位牌はもともと儒教由来)など、仏教以外の要素を排除しようとする傾向がある。
(参考)浄土真宗でのタブー
日の吉凶や墓相を否定したり、葬儀の日取りに「友引」の日を避けるのはナンセンスなど、結構合理的な事も言っている。しかし、年忌法要や季節の墓参りなどの仏事は先祖供養のためでないとか、お盆に先祖の霊が返ってくるという日本人の伝統的な死生観や習俗・習慣を否定しているように見える部分もある。
たとえば、何故仏壇を拝むか。浄土真宗的に言うと、
「お仏壇では、ご先祖を拝むというよりは、ご先祖が還られたお浄土を偲び、ご先祖をお救い下さった阿弥陀如来のご本願のお心を味わわせていただく。」
という事になるらしい。
すべての人々は、阿弥陀仏の本願により(それのみによって)救われる(救われている)という親鸞の教えに忠実に考えた結果なのかもしれないが。
従って、葬式も墓参りも年忌法要も、浄土真宗的に極言すれば、死者を供養するためのものではなく、亡き人を偲びつつ、身内の死を縁にして、仏法の教えに触れ、阿弥陀仏(阿弥陀如来)に手を合わせる機会という事のようだ。このあたりは、死者のためにお参りするのではなく、自分自身のために阿弥陀仏を信仰せよと言っているように私には聞こえてしまう。
浄土真宗の開祖である親鸞は素晴らしい人だと思うし、彼の言っていることは当時にすれば画期的だったと思うが、現在の「浄土真宗」という宗教団体が言っていることには、ちょっと疑問を感じる。それは、上でも書いたように、もともと開祖である親鸞(もしくは親鸞の師匠である法然あたり}が、浄土仏教以前の神仏習合的な平安仏教に疑問を抱き、本来の仏教(=釈迦の教え)と無関係な要素を排除したからだと思っていた。
しかし、最近では私は必ずしもそれだけでないのではないかと思うようになった。どうも日本人の伝統的な死生観や習俗・風習などを意図的・能動的に変えようとしているようにすら感じてしまう。なぜそう思うようになったかと言うと、戦後にこの宗教団体は、ある団体の影響を強く受ける事によって、急激に左傾化したからだ。
今日はこれ以上書く時間も元気もないので、そのあたりの事は、明日にでも・・・。
ちなみに、私は宗教関係の本をそれほど読んだ事があるわけでもないし、たいして詳しくもないのですが、井沢元彦の以下の2冊は、読みやすいし、彼独特の斬新な視点からものを言っており、参考になると同時に、とても面白かったので、宗教全般に興味がある方にはオススメです。
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