本文は、2008年1月に朝日新聞に掲載された記事を紹介するものです。
1.深夜まで響く子供の足音。苦情言うにも顔分からず

 夕方から深夜まで、「ドタ、ドタ、ドタ」という音が、上の階から聞こえてくる。千葉県内の賃貸マンションに住む派遣社員の女性(30)が、時に太鼓のようにも聞こえる騒音に悩み始めたのは一作年の12月。上の階に新しい家族が引っ越して間もなくだった。

 直接、事情を説明しまうかと思ったが、付き合いがなく、顔もはっきり分からない。管理会社に伝えてもらうと音が収まったものの、その日だけだった。後で謝罪の手紙が届いたが、小さい子どもは親の言うことを聞かないという弁明が大半で、誠意を感じなかったという。

 夜も眠れず、最近はストレスからか、まぶたがけいれんを起こす。「気軽に話せる関係なら、憂うつになることもなかったかもしれません。このままだと引っ越すしかない」

 国土交通省のマンション総合調査では、生活苦やペット飼育など、居住者間のマナーを巡るトラブルがあった管理組合の数は増え続け、03年度は全体の8割を超えた。首都圏マンション管理士会は居住者問のもめ事の最近の傾向について「近所付き合いが希薄になり、ちょっとした問題が感情の対立に発展する例が多い」とみる。

 東京都練馬区の分譲マンション。冷たい風が吹く中、背理組合理事長の高野道代さん(66)が、玄関先の植木に水をやり、集合ポストをモップで磨く。

「住民同士が顔を合わせる機会に」と3年前、月に1度の住民清掃デーを提案。初めは役員のはか、14世帯から3人が参加したが、次第に減って今は役員3人だけだ。「最低限の付き合いがあれば防災や防犯、トラブルの円満解決にも役立つはず。交流のきっかけを作りたいのですが・・・・」と高野さんは話す。

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国交省の推計では、全国の分譲マンションは06年末で約505万戸、居住者は約1300万人に達した。永住意識が高まってきてはいるものの、付き合いの浅い住人同士のトラブルは少なくない。その解決の手だてやお付き合いの知恵を、5回連載します。  (森本美紀)

2.協力求める姿勢で話して

 国士交通省の外郭団体「マンション管理センター」は、管理組合からの運営などの相談を受けている。トラブルの対処法の問い合わせにも応じる。トラブルで多いのは、楽器から子どもの歩く音まで幅広い音の相談だ。064月から半年のトラブル相談では、騒音を中心とした迷惑行為が25%と、ペットの18%を引き離して1位だった。

 相談の中身を見ると、「騒音で困る」と「騒音を出していると言われ困る」がほぼ半数。同センター主席所究員の廣田信子さんは「音の問題は主観に左右されやすく、解決は容易ではない」と話す。

 騒音は「当事者間で解決するのが基本」と言うのは、月に約80件の相談を受けるNPO集合住宅管理組合センターの常務理事有馬百江さんだ。管理組合などに間に入ってもらっても、主観的な苦痛を発生元に的確に伝えられるとは限らないし、管理組合に話したことで感情を害されることもある。

 ただ、苦痛と感じる音は、管理組合の理事ら第三者に聞いてもらう方が良い。相手に訴えても、過剰反応と片づけられることが多いからだ。話し合いで感情的に対立しないよう、第三者に立ち会ってもらうのも良い。

 廣田さんは「いつ、どんな音で困っているか、客観的事実を正確に伝えること」と強調する。ただし、音の原因が真上の部屋だと思ったのに斜め上で、真上の住人も被害者ということもある。相談して協力を求める姿勢で話し合い、音源や音の種類を突き止めていく。

 音源がわかれば、じゅうたんを敷くなどの対策を話し合う。個人での解決が難しく、明らかにマンションの決まりに反する時は、管理組合に間に入ってもらうのも一法だ。決まりがなければ、「ピアノは○時〜○時」などのルール化を管理組合に働きかけよう。建物の構造が原因なら専門家に相談する。

 有馬さんは「マンションは生活株式が異なる人が暮らす揚。『自分も迷惑をかけているかも』『お互い様』という意識がトラブル解決には欠かせないことも忘れないで」と助言する。

3.ペット飼育 全住民で議論を

「ペット禁止なのに大型犬が堂々と歩いている」「ペット可のマンションだが、ヘビやトカゲも飼育していいのか」

 こんなペットの相談は、騒音間題の多くとは違い、「マンション全体の問題としてとらえること」。そうアドバイスする馬場靖孝さんは国家資格のマンション管理士の一人だ。

マンションの維持・管理やトラブルなどについて主に管理組合に有料で助言や指導をする専門職で、約15千人の登録がある。馬場さんは開業する一方、「首都圏マンション管理士会」の監事を務め、メンバーと相談を受けている。全体の問題とした方が解決しやすい理由は、ペットの問題は廊下など共用部分の迷惑行為の問題、もっと大きく言えば住人の生活環境の問題に発展しがちだからだ。

トラブルが多いのは、マンションの管理規約や使用細則がペットについて定めていなかったり、「小動物は可」などとあいまいな内容だったりするケースだ。馬場さんが勧める一般的な手順は次の通りだ。

@公平な意見が反映できるよう飼育者と飼っていない人からなる専門委員会を作るA住民アンケートで実態を調査B新たなルールが必要なら、管理規約や使用細則の改正案を委員会が作り理事会に答申C理事会が総会に諮る。 

 アンケートではペットを飼っているか▽種類・数、飼育状況▽ペット飼育の賛否などを聞く。使用細則は「種類は犬・猫(成犬時、成猫時の体長が50cm程度まで)・魚類・小鳥・かごで飼える昆虫」など、できるだけ具体的にするのが大事という。 ペット禁止がうたわれたマンションでの「隠れ飼育者」の苦情も多い。@全面禁止A現状を認め、そのペット一代限りの飼育を許可H全面許可――といった解決法があるが、馬場さんによると、Aに落ち着くことが多いという。いずれにしても、「ペットとの共生志向が高まる一方、アレルギーがあるなどで受け入れられない人もいる。被害の状況や住人の意向に即して、十分議論することが大切だ」と話す。

4.交流工夫しトラブル防ごう

 トラブルを未然に防ぐのも、問題が発生した時に摩擦を最小限に食い止めるのも、最大のカギはふだんからの近所つきあい――。マンション問題に詳しい専門家はこう口をそろえる。

 上の階の足音が気になった時、「今走ったのは○○くん」と思えは我慢できたり、下の階の女性が妊娠中と知っていれば「深夜は静かにしよう」と、自然な配慮につながったりする。

 それは分かっていても知り合うきっかけ作り自体が難しい。

 そこで、マンションのコミュニティー作りを手がける「メルすみごこち事務所」代表の深山州さんが提案するのは、管理組合主催のイベントだ。

 昨夏、深山さんが顧問を務めるマンションは花火見物を催した。最上階で見物し、1階エントランスは食事会を兼ねた「交流の場」に。女性の集客を意識したミニバーも功を奏し、35世帯のマンションで、20世帯の40人が参加した。

 注意したいのは「無理に全員を巻き込もうとしないこと」という。人付き合いが苦手など、事情のある人もいるからだ。ただし、終了後には不参加者を含め、騒音や建物の汚れなど迷惑行為はなかったかを聞く。次回の教訓になるし、意見を言うことでコミュニティーの一員という意識を持ってもらえる。

 数百のマンションの取材経験がある不動産ライターの高田七穂さんは「防災訓練はお互いを知り合う絶好の機会」と力説する。防災は家族構成や世代に関係なく関心が高い。救護班などの役割分担や連絡網整備を通じて「助け合い」意識が生まれ、

会話も自然にできるという。管理組合の広報紙や回覧板も効果的だ。広報紙に理事の似顔絵や出身地、特技を盛り込めば親近感が増すし、会話のきっかけを提供できる。

高田さんは「住み心地のいいマンションの条件は、居住性能が高いだけでなく、住み続けたいと思う住人が多いこと。マンションは、もとは見知らぬ人同士が一つの財産(建物)を共有する『運命共同体』。だから、戸建てよりむしろお付き合いが大切なのです」と話す。

5.人間関係 ほどよい距離を保つ

 分譲マンションは、生活空間を共にする点で戸建てとは住環境が大きく異なる。また、「ついのすみか」の意識が高い点では、賃貸マンションと違って長い付き合いが予想される。そんな特徴をふまえ、現代礼法研究所代表の岩下宣子さんは分譲マンションでの付き合いのポイントに、「人間(じんかん)距離を意識すること」をあげる。

衝突事故を起こさないために車の運転で車間距離が必要なように、人と人との間にもほどよい距離を保つことの勧めだ。親しくなるにつれて自己主張が強くなり、親しさと勘違いして相手への思いやりを忘れがちになる。婚姻歴や学歴を無神経に話題にしないのは、親しい間柄でも最低限のマナーという。

ただ、人間距離をはかること自体難しい。「快適な距離を知るには、会話から相手の反応を見て、性格を察してみては」と岩下さん。「笑顔のあいさつ」にひと言、「お天気がいいですね」などを添え、会話の糸口をつかむ。笑顔で答えるか、素っ気ないかで、接し方もわかる。

 期待通りの反応がない時もあるが、岩下さんは「めげずに続けてみる。笑顔であいさつされて嫌な人はいませんよ」。自身、近所の男性にあいさつし続け、半年後に笑顔で返された経験があるという。

「近所同士が反発しやすいのは、職揚のように上下関係がないからです。苦情を言われた相手が、指摘された迷惑行為に気づいていないこともあり、突然の訴えに、気分が落ち込んでしまうこともある。だからこそ、相手の立場に立つ思いやりが大切です。一方的に責めるのは良くありません」、岩下さんは強調する。

 災害や事故など、いざという時に頼れるのは、遠くの家族や親類よりご近所同士。生活様式も考え方も違う人が暮らせばトラブルはつきもめだ。寛容の気持ちを忘れないことが、快適なマンション生活を長続きさせるコツのようだ。(森本実紀)