人間本来の性質は生まれながらにして善であるという「性善説」の孟子に対し、荀子は、いや、利益に左右されたりするのが人間だ、と「性悪説」を唱えた。
ともに中国・戦国時代の思想家のよく知られた考え方だが、ぼくはよくは知られていない「性弱説」というのが気に入っている。
以前、笑いの研究の第一人者である織田正吉氏が「笑いとユーモア」を著した際、ユーモア感覚とともに述べたもので、なるほど、こういう考え方もあるのか、と心に残った。
実際、人間なんて弱いものである。先日も友人が「がんかもしれないんだ」とつぶやいて、小さく笑ってみせた。いつも豪快に笑って、積極果敢に生きてきた男だけに、その落ち込みようを見て、人間の弱さを改めて実感した。
「診察の医者が欠伸(あくび)でひと安心」とは、毎日新聞(大阪)の「健康川柳」に寄せられた作品だが、ほんと、精密検査の結果を待つ時は看護師の呼ぶ声一つが気になるし、医師の表情などにも一喜一憂するものだ。普段、いくら前向きに!ポジティブに!と言っていても、である。
そんなことを今さらのように思ったところで、ふと頭をかすめたのは親鸞の「悪人正機説」である。「善人だって往生できる。まして悪人ならなおさら往生できる」という言葉に示される悪人は、はてさて弱者と言えるのかどうか。
文献ではよくわからず、本願寺津村別院(大阪)の知り合いにたずねてみたところ、こんな説明があった。
「悪人というのは仏から見ての悪人なのです。仏は真実です。真実から見れば人間はみな不真実です。心もころころ変わります。一定していません。おっしゃるように人間ドックの検査一つで落ち込みもします。仏から見れば、みな限界があります。そんな悪人だから、救われるのです。弱者、そうですね、弱いという点では悪人と通じ合うものがあるかもしれませんね」
ところで織田氏は、先の著書で「性弱説」にふれて「他人の弱点をあたたかい笑いでつつみ、いたわることによって、まっさきに自分が救われるのです」と笑いの効果を述べている。
「悪人正機説」のありがたさは、ぼくら凡夫には最上のものかもしれないが、日々、自覚的に生きる上ではユーモアと一体の「性弱説」もいいものだと思う。(専門編集委員)
毎日新聞 2008年7月30日 東京夕刊
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