|
維新運動の本流をさぐる
島津書房編『証言・昭和維新運動』1977 島津書房(仮面社発売)所収
1960年8月
影山正治・三上卓・毛呂清輝
初出:新勢力誌昭和35年8月号 |
|
維新運動の源流としての浪人運動 |
毛呂 これは私見ですが,いわゆる“昭和維新”の運動は,敗戦と同時にその前期的役割を終ったのだと思います。
戦後,いわゆる右翼団体というものが復活し,今日,その団体の数も随分沢山あるようですが,維新運動とか維新陣営という名に値するものは未だ再建されてはいないと思うんです。
成程,二十八年でしたか,水戸の「救国懇談会」を契機に「維新運動関東協議会」が結成され一時,ジャーナリズムで“右翼の復活”などと騒いでいましたが,あれだって,八年間の追放というブランクがあって,往年,国家主義運動に従事していた人が,集ったという丈で,いわば一種の同窓会的意味はあったとしても,間もなく,それは分裂し,「国民総連合」という名でその後,運動を続けてきてはいますが,殆んど名目だけのものになっているのが現状です。尤も,分裂したのはそこにいういろいろの原因もありますし,中でも経済問題乃至は生活問題ということが直接の動機になっている点も無視できないと思われます。
それはそれで分るのですが,結果的にみて,何故今日,民族運動が延びないのか,澎湃として燃え昂らないのか,それは単的にいうと,いわゆる右翼,左翼に対する右翼でしかない,そこに問題があると思うのです。即ち進歩性がないと思うんです。何故進歩性がないか。それは敗戦という大きな民族の歴史の関節を経ながら,即ち社会基盤,国家内容(従って嘗て国家主義運動の主柱をなした“国体”というものも徹底的に時代の波に洗われている時)も根本的に変化し,次元が変っている時,昔と同じ,感覚,様式,でやっている。これでは若い層の人もついてこれないと思うんです。
客観的には,今日,民族運動というものは新しい形で発生する条件は相当成熟していると思います。
その条件を巧に逆用しているのが左翼陣営だと思うんです。占領中,真先きに“民族独立”を唱えたのは,共産党だったし,最近だって“愛国と正義”という立場を彼等は使っているわけです。
そして逆に岸さんや,保守党を“売国奴”と呼ぶことによって純真な青年や学生を引きつけているわけです。
いつか,「新日協」の阿部源基氏(元警視総監)が,昔は“革新陣営といえば,愛国陣営のことを指した”と云っていましたが今の愛国団体は,共産党のいう“売国政党”の院外団みたいな立場におかれて,一つの自主的立場を失っているように思うのです。
だから,今後の民族的革新運動はいかにあるべきかを考える前に,その道統というか,本流というか,これを闡明することが,その立遅れと混迷を取戻す先決要件ではないかと思うのです。その意味で影山さん一つお願いします。
影山 今の毛呂氏の話に関連して申しますと日本の近代国家主義運動というものは,大体,明治六年の征韓論あたりから出発しているのではないか。単的に明治十年が一番大きな線ですが,要するに明治維新の純粋な精神というものが,明治建設期に入って欧米的な文明開化という方向へ大きく向けられた。
要するに一種の日本近代化で,それがプラスかマイナスかは問題ですが,一般的には日本資本主義化ということで,それが文明開化という形をとって明治維新の純粋精神,民族の伝統に基く民族統一,民族の自主性の確立ということが急速に失われゆく方向に進んでいった。
そこでその先頭に立ったのが,大久保的勢力で一般には文治派といわれていますが,要するに維新前までは尊皇攘夷でいながら,建設期に入るや欧米文明開化の先頭に立った。その局面を打破して明治維新の純粋精神を守ろうとする行き方,或いは第二の維新をやろうとするゆき方,これが武断派といわれているわけで,征韓論によってこのゆき方が,西郷党と二つに分れたわけです。
その西郷党の維新派の中で一番最初に起ちあがったのが,三上氏の出身地である佐賀の江藤新平先生等の佐賀の変,続いて萩の変,神風連の変,秋月の変等を経て十年の西南戦争になったわけで,一応文明開化派というものが,明治建設期の完全な主流になって,地下水にもひとしい反主流という形で底流をなし,後,板垣あたりの自由党という形で一つは起っていった。
かくて日本の近代化乃至は資本主義化という道を辿っていったが,その間に維新勢力というものはなくなったわけではなく,一つは自由党という形で,一つは浪人勢力として起って行った。それは西南戦役というか西郷党の生き残りとして頭山満,平岡浩太郎の玄洋社となって,西南戦争直後に結成されているし,明治三十三年頃に至って黒竜会が結成され,これが日清,日露の両役に大きな推進力になっている。
日清,日露の戦争は,レーニン自身もはっきり,指摘しているように,世界史的には日本は進歩的役割を果している。即ち日清戦争の場合は清朝を打倒する契機をつくり,アジアの目覚めの一つの契機になったし,日露戦争は,ロシアのロマノフ王朝を打倒する直接の契機になり,国際的には,アジア解放の大きな契機となった。その両面からレーニンは戦争には反動戦争と進歩戦争がある。即ちマイナスの戦争とプラスの戦争がある。日清,日露戦争はその進歩戦争の範疇に入ると言っておりますが,この戦争の推進力となったのが,明治維新派というか力であって,これが,明治天皇という巨きな御存在があったために,文明開化派と維新派とが必要の場合には一体化し,主流,反主流を超えて一致するという形がみられるわけです。
このゆき方,この精神が,明治四十三年の日韓合邦を実現したのです。
この精神は矢張り,西郷党の維新派の精神が結実したのであって,それは,亜細亜の連帯というか,共栄というかそういう理念の第一の基盤としての日韓合邦であって,そこには侵略的意図とか,帝国主義的野望というものは全然なく,それが,明治天皇の御精神により,民間維新派の浪人勢力と朝鮮民間有志の結合によって日韓合邦の形で実を結んだが,それが間もなく明治天皇が崩御になられ,金融資本主義の段階に入り始めたこと,それから間もなく大正六年,一九一七年のロシア革命が起り,その影響もあり,日韓合邦も出来上ってから非常に違ったものとなり,合邦ではなく,韓国併合という考え,侵略的,搾取的色彩が濃化されていった。従って資本主義日本が,日韓合邦の精神を汚辱してゆくのに対し,日韓両国の浪人,志士達は泣いて悲憤慷慨したのであった。
大正に入り,特に大正五,六年頃,国際的にはロシア革命の頃に,丁度明治十年に西郷党が企図したような第二維新をもう一度やらねばならないという民族的必要に迫られた。それは“大正維新”という言葉で呼ばれたわけだが,大正六年にロシア革命,七年に米騒動,その間にシベリア出兵と外で大きな争いが行われていながら,即ち大陸で日本軍が大きな作戦を展開しておる時に,国内で全国的な米騒動が起った。警察力では鎮圧できない事態,それこそ非常に民主主義的事態が起った。これまで浪人勢力は大陸政策に多くのエネルギーを費したが,この時期に,結局国内を改めなければ,大陸に正しく進出できない,アジアの正しい結合は日本国内が改められない限り出来ないことを痛感した。その玄洋社黒竜会の言葉が,新しい形として,北一輝,大川周明等の近代的な教養を身につけた有志の間から現れはじめ,これらも“大正維新”の形で六,七年頃大きく動き出し“第二幕府”を倒さねば,日本の運命は暗い,大川周明の友人,フランスの大哲詩人ポール・リシアルもこのことを日本に忠告したのであった。
その空気の中に現れたのが朝日平吾の安田善次郎暗殺事件であり,中岡良一の原敬暗殺事件,特に朝日先生の斬奸状には大正維新の具体的思想として反資本主義,反共産主義が明確に現われているわけです。それの発表は直ちに禁止になったが,その精神は有志の間に滲透してゆき,一方,ロシア革命の影響で,社会主義運動は,明確な目標をもった形で進展してゆき,関東大震災の年十二年には日本共産党も結成されたのです。
|
近代国家主義運動の精神 |
それから大正十二年のワシントン条約,昭和の初めのロンドン条約,この頃に至って,国内の諸矛盾がいろいろな形で表面化し,国際的には,英米並びに革命ロシアの力が日本を包囲攻勢するという形をとってきたので,この窮地から何とか脱却しなければならぬという空気や意向が一部有志の中だけでなく,国民的規模における革新的決意となりつつあった。
そこに起ったのが満事州変〔引用者註―満州事変〕である。これは日韓合邦の精神を新しく満州にもってゆくアジア解放というか東亜共同体というか,高い理念で満州事変は推進された。特に青年将校の高い情熱と道義心は今日でも充分認められるべきで,決して,民族エゴイズムではなかった。しかるに,軍閥,財閥,重臣,官僚,政党等いわゆる幕府的勢力はこれを阻止しようとした。それで,これらの幕府的存在を打倒しなければ,第二の維新,昭和の改新は出来ない。日本が救わねば,アジア解放もできないし真の世界平和もこないということで起ったのが,血盟団事件であり,五・一五事件であったわけです。
かくて,自覚的,意識的な昭和維新運動には国民運動の規模をもって,時には流血を見,いろいろな努力が重ねられてきたが,未だ,維新体制不整備のまま,昭和十六年の大東亜戦争に突入しなかればならなかった。
それは結局,維新運動者の無力の結果でもあったろうが,それとは別に,幾多の諸情勢というものが綜合されて,人間力では図り知るべからざることもそこに加味されて結局,幕府体制,資本主義体制のままで大東亜戦争に突入した。国内維新を前提とした戦争であれば,道義的にも高く,それこそレーニンの進歩的戦争たり得たが,一種の修正幕府体制の儘で入ったから,全国民の力を動員できなかった。そのために,自らに敗れたようなもので,マイナス面が多かった。
そして昭和二十年の敗戦となり,昭和維新運動は司会者がいわれるように前期を終ったわけです。
問題は,“昭和維新”はこれからだ。しかし昭和二十年八月の前と後では,国の内外の諸事情,諸条件が全く違うから,精神は一貫していても,その行き方,進め方の点では大きな違いがあると思います。
そして戦後十五年を経て,今日の事態に直面しているわけですが,戦後の総決算,大祓いの時期です。いづれは経なければならぬ時期です。これを共産革命の導火線とするか,民族維新の導火線にするかは,日本民族の英知と,これに先駆する維新運動者の決意の問題だと思います。
毛呂 大体において今,いわれたことに同感です。客観的には,特に経済,産業面での戦後は終っているわけですが,政治,思想面の立遅れから,現在,その矛盾を総決算すべき段階にあり,混乱が生じているのではないでしょうか。
ジャーナリズムは,嘗ての青年将校と今の全学連とを対比して論じていますが,或る意味では確かに共通のものがあると思います。青年将校は,歴史的意識においては,高いものがあったと思いますが,社会性においては若干欠けるものがあり,今の学生は,純粋であり,社会意識はあるが,歴史的意識は欠けている。
三上さんも公判廷で,自分達の思想をファシズムでない,即ち,反資本主義,反共産主義,反ファツシズム〔引用者註―反ファシズム〕という思想基盤に立っていたと思うのですが,戦後,五・一五や二・二六事件を,侵略戦争のつゆ払い的事件として片づけているのは,アメリカ的解釈とソ連式解釈と両方から,民族運動抹殺が行われた結果であって,われわれの立場から,運動史的に五・一五事件の再検討がなされなければならぬと思います。
二・二六事件だって「叛乱」の作者が,“善人ばかりの革命”といって,いわば純粋というか,あとは誰かがやってくれるという単純性を衝いていますが,組織性,計画性乃至一貫性のないことが失敗の原因ではないでしょうか。
|
青年将校と全学連 |
影山 今の全学連の運動は気持の上では純粋なところがあり,それは明治維新でいうと攘夷精神であるが,勿論尊皇攘夷ではないから,攘夷のための攘夷に堕していること,又ソ連に対しては従属的で,ソ連悪に対しては大目にみており,アメリカに対しては苛酷に走る,これは戦後の教育や政治の結果でもあり,伝統と歴史を抹殺された土壌に育ち,ソ連共産主義に対する正しい教育がなされておらぬ(逆にソ連の浸透工作が不断に行われている)結果でもあろうが,これをどう民族路線に切り替えて一部の職業革命家を浮び上らせるか,新しい学生運動,民族運動をどうもりあげるか,私共も,昭和初期以来,ずっと努力してきたその情熱と経験を今一度び,燃やすことによって,そのくさびとなり,ベルトとなり,埋め草とならねばならぬと思います。五・一五はじめ幾多の行動は,軍閥の手先とかファッシズムといわれていますが,実際O!$73$N0]?7!$=M73$r9M$(!$=E?C!$:bH6!$41N=E*!$O"9gKkI\$rBGE]$9$k$H$$$&9M$(J}$G$9$,!$F|K\<+?H$b!$1?F0<+?H$b
三上 それはその通りです。五・一五の場合は戒厳令というものを一つの契機として,目的は天皇の軍隊,天皇の政府というものを確立する。
なるほど,その当時だって一応,形の上では,天皇の軍隊であり,天皇の政府ではあったが,実質的には,天皇の御稜威(みいず)にかくれて,財閥や官僚や,軍閥が,その特権を行使し,国民を搾取し先程,影山氏の云ったように,資本主義的,金権幕府体制を確立していたわけで,明治維新の精神は全く没却されてしまっていたわけで,共産党の連中や,進歩的と称する学者共は,ふたこと目には絶対主義的天皇制などというが,こん竜の袖にかくれて,政治家や役人が財閥が横暴を働くから,国民の側からみると恰も天皇制が悪いようにみえるが,いや,国民だって,天皇の存在は別に考えていたと思う。われわれの思想は,真の天皇の姿,乃至は,正しい国民と天皇のあり方,一君万民の国体の社会を理想として画いていたのだから,その当時の御用的国体論,天降り的天皇論に対する一つの批判であり,是正論であったと信じています。
そういう幕府的体制の上に天皇が観念的,形式的に乗っかっている中で,革新を行うという場合,特にわれわれ軍人の立場としては,いろいろ方法も考え,手段も尽したが,結局ああいう形しかとれなかった。
私達の行動が,議会政治の否認ファシズムだといわれるが,決して,議会政治を否認するのではなく,真の民意とは,国民と天皇を直結し,大御心を政治に反映し,具体化することだと信ずる故に,形の上では一旦,否定したようなことになったが飽く迄過渡的手段であるし,新しい社会,国家体制をつくる突破口をつくるため先駆的にやったことで,軍や政党に反省をしてもらうためで,しかも,私共の行動だけで,直ぐに国家の政治が,よくなるとは毛頭考えていませんでした。
大きな国家改造計画即ち昭和維新運動の一分担としての行動がああいう形となったわけです。
勿論,実際政治は人間がやることだし,いかにも立派な制度組織をつくっても,それを運営するのは人間なんだから,よりよき社会へ一歩でも近ずくことを念願するその主体精神こそが建設だと思うのです。
毛呂 いわゆる国家主義運動の人達は,人間中心に考える傾向が強く,例えば財閥の巨頭を倒せばいい,政党の首領を倒せば世直しできるという考えが強かったし,反対に左翼の考え方は,組織を変え,制度を革めれば,いい社会が出来るという傾向が強いのではないですか。
影山 しかし,結局は破壊と建設は関連があるし,ロシア革命だって人間が根本ですよ。レーニンが指導していた時と,スターリン,トロッキー(これは途中消されたが)の段階とフルシチョフ路線と,同じマルクス主義の路線に立ってもそれを行う人間によって変ってくる。
ドイツのマルクス・エンゲルスの運動の歴史を顧みて,又イギリスの,ロシアの,或は中国の,或は日本の共産主義運動を決定するものは人の問題だから,或る特定の人間さえやっつければ,革命ができるという点については,これは戦術の問題であって,あの当時と今の時代とは時代が違うからその点は充分考えなければならぬと思う。人間という点では,三上氏が言われたように正しい政策や,望ましい行き方をやり得る人間を出さなければならんと思います。例へば今度の場合でも,政策は第二で,岸が退陣することを迫るその根本は“人心の一新”という点で,次にどういう人を望むかというのもあの人が出れば何か新しいものを打出すのではないかという期待ですね。
|
維新運動とテロリズム |
毛呂 それから戦争の様式が複雑に変ってきていることに関連して,革命の様式も変貌してきていると思うんです。又“平和革命”をいってる社会党だって暴力も振うし,現に実力を行使してますしね。
三上 それは,その時の時代環境や,社会的条件によって違うと思う。テロがいいとか,非合法はいけないとかいっても相対的な問題で共産党側からいうと資本主義国家機構そのものが暴力なんだから,資本主義機構下には暴力であっても,革命が勝利を得れば,非合法は合法になるわけで,今度のデモでも,法律的に違法であってもそんなことは無視してゆくわけだ。
影山 今はテロリズムの観点からいうと,一種の社会的テロリズムの段階に入っていると思う。単的に,全学連や総評の集団暴力をみると明らかにそういうことが言える。
五・一五や神兵隊,二・二六等の形のテロリズムがいいか悪いかは充分検討を要するし三上氏の言うように,その歴史的,社会的諸条件によって決まる面もある。
手榴弾こそ使っていないが(そして終戦までのテロリズムはそれを使ってはいたが)石を投げ,こん棒を振り廻すというテロリズムの時代に入ったことは注意を要する。そして,テロにはテロで対抗するのか,それとも別の新しい方法をとる方がいいのか検討すべき段階ですね。
三上 悪質な暴力時代に入っていることは事実だ。
影山 この集団テロリズム,社会テロリズムは責任をもたぬ,誰が投げたか分らぬ,闇から相手をやっつける,卑怯なやり方である。昔のテロリズムは身を以て全責任を負うという形で所在を明らかにし,そこに個人的憎悪も怨恨もなかった。
毛呂 その点,玄洋社の来島恒喜の場合は立派だと思いますね。
影山 ソ連の革命にしても,フランスの革命にしても,もっと責任感と道義感が高かったのではないか。
毛呂 現実の問題として,対立する二つの勢力,大きくは米,ソであり,それが政府と全学連,自民党と社会党,日経連と総評等の形になり,いろいろな現象,最近では安保改定をめぐって闘っているのですが,どちらにも責任はあると思うんです。
これに対して,もう一段高い立場からどう見るべきか,どの方向に行動すべきかという点に就いてお伺いしたい。
影山 現在の対立は結局,階級的対立乃至派閥的闘争だと思う。日本民族の真に熱望している所は,階級主義を超えて民族的理念に立ってその普遍的理想,万世に太平を開くという道義的な使命をもった方向でなければならぬと思います。
結局は,西欧文明の行詰り,人類そのものの苦悩というか,内的矛盾に根源する現代の混乱と対立を打破するために,何人も反対できない,平和と国際正義を基本にした強烈な理想主義の使命観に立つ以上,単なる民族主義だけでもだめだと思うのです。神と人が合一であり,一体であるという原理,精神というか,それを国の自覚として,現実的な社会情勢,世界情勢の下で自覚させてゆくわけで,偉大なる世界的民族理念を掲げ,そこに日本の青年の拠り所と誇りをもたせてゆくことが大切だと思うのです。
|
(おわり)
|
Jump to
|
[Top Page] [BACK]
|
ご意見をお待ちしております。
|
電子メールにてお寄せください。
前田年昭 MAEDA Toshiaki
[E-mail] t-mae@@linelabo.com
|
| |
|