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社説

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内閣改造―まず政策で腹を固めよ

 福田首相は内閣改造をやるのではないか、と永田町がざわついている。場合によっては、総選挙の時期や政権の命脈にも影響しかねない。そんな見方が政界では強まっている。

 いずれにせよ、衆院議員の任期が切れる来年秋までに総選挙はある。首相がここで閣僚を入れ替えるとすれば、その新しい陣容で総選挙を戦うという意思表示をするに等しい。政策を掲げた選挙マニフェストと同等の意味があると言っていいだろう。

 であれば、その顔ぶれは首相の基本的な政策路線を映し出すものでなければならない。だが、肝心の首相が自ら目指す方向を明確に打ち出せないようでは、どんな人材を布陣すればいいのか決めようがあるまい。

 首相はきのう、来年度予算案の概算要求基準を決め、医師不足対策や子育て支援策を盛り込んだ「五つの安心プラン」をまとめた。国民の暮らしの安全、安心を守るという、首相がかねて唱えてきた政策の骨格を示す狙いなのは分かる。

 しかし、では国民の安心に直結する基礎年金の財源をどうするのか。現在は3分の1を国庫負担しているのを、来年度から2分の1に増やすことになっている。この財源をどう工面するのか、結論を急がねばならないのに、先送りしてしまった。

 財政再建の見通しが狂ってきたことを政府自身が認めているのに、そこには何も答えようとしていない。

 新規財源としてあてにされる消費税をめぐって、与党内では増税に積極的な与謝野馨前官房長官ら「財政再建派」と、慎重な中川秀直元幹事長ら「上げ潮派」の対立がある。両氏はともに首相が信頼する相談相手で、内閣改造するとすれば有力な入閣候補だ。

 首相の考えは与謝野氏に近いと見られているが、景気後退が心配されるいま、増税は言いだしにくい。総選挙が近いとなればなおさらだ。かといって、「上げ潮派」にかじを切るのも難しい。そんな事情が首相の対応を鈍らせているのだろう。

 首相が迫られているのは、そこをはっきりさせることなのだ。必ずしも二者択一である必要はない。財源確保の具体的な行程表を示すなどのやり方もあるのではないか。

 内閣を改造するというなら、そこで首相の決断を示し、有権者に明確なメッセージを発するべきだ。それなしに、意味のある内閣改造ができるとは思えない。

 朝日新聞の世論調査では、内閣を支持しないと答えた58%のうち、6割の人がその理由に「政策の面」をあげている。政策の基本方向をあいまいにしたまま、人気のある政治家を看板に取り込むだけの改造では、とても総選挙を戦う態勢はおぼつかない。

川の惨事―「親水空間」の落とし穴

 一瞬の増水が、夏休み気分を押し流してしまった。

 六甲山から流れる神戸市の都賀(とが)川で、突然水かさを増した流れに10人以上がのみこまれ、川遊びをしていた子どもらが亡くなった。

 昼ごろは日が照り、近くでバーベキューをする家族もいた。ところがその後、空模様が一変した。わずか10分間で子どもの背丈ほど水位が上がったという。川の表情の急変に驚かされる。

 海に迫る六甲山ろくの川筋は傾斜が急だ。都賀川は、支流を入れても全長3キロ足らず。二つの支流が合流した後、一気に流れ下る。局地的な豪雨に急傾斜という条件が重なったことが惨事を招いた。

 同じ日には金沢市でも川がはんらんし、約5万人に避難指示が出た。川は暴れるもの、ということを痛感させる被害があちこちで起こっている。

 豪雨が多発する原因ははっきりしない。それより今回、心に刻みたいのは、水辺の楽しさと水辺の怖さは背中合わせだということである。

 最近は都会でも、水際に近づいて遊べるようにする川がふえている。都賀川の現場も自然石を敷き詰め、そんな「親水空間」にしていた。こうした工夫そのものは、都市生活を豊かにする動きとして歓迎できる。

 だが、そういう川をふやすなら、「親水」がはらむ豪雨時の危険にまで思いを致すべきだろう。

 国内の河川改修は、降った雨をどう川へ集め、早く海に流すかという視点で進められてきた。川沿いの家々を堤防で守るという発想だ。見方を変えれば、豪雨のとき、水流の膨大なエネルギーが川に集中することになる。

 都賀川も、兵庫県が100年に1回の大雨に対応できる河川改修を終えた川だった。そのこともあって今回も、堤防から水はあふれなかった。逆に、川べりの親水空間にいた人々が激しい水流の直撃を受けたのである。

 神戸市の別の川では、河原で遊ぶ人たちのために、水位上昇を知らせる回転灯やスピーカーを設置していた。

 急な増水を起こしやすい川で親水の試みをする以上は、こうした設備を整えることは欠かせない。

 「雨をすぐ海へ流す」という発想そのものを見直し、水のエネルギーを分散させる方法を探る必要もあろう。

 遊水池をたくさんつくる方法がある。学校の運動場や公園に浅く水をため、一時的なダムにする方法もある。荒廃した森林を手入れして保水力を高めることもできる。

 その地域に最も適した選択肢を流域住民と話し合って探るべきだ。そのことによって、住民も水害のリスクを知ることができる。

 夏休みの川を、これ以上悲劇の舞台にしたくない。

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