六十年前の一九四八年七月二十九日、第十四回五輪ロンドン大会が始まった。第二次大戦による第十二、十三回大会中止を経ての開催だった。
日本は大戦の責任を問われ、参加できなかった。国際オリンピック委員会(IOC)理事会で「政治とスポーツは別」との意見も出たというが、開催国の英国が日本とドイツの参加に反対した。
日本オリンピック委員会(JOC)関係者は悔しがり、五輪の競泳日程にぶつける形で水泳の日本選手権を開いた(波多野勝著「東京オリンピックへの遥かな道」)。当時の日本競泳陣は強豪ぞろいだった。
周囲の期待通り、男子千五百メートル自由形で古橋広之進、橋爪四郎両選手が世界新記録を出した。両者とも、ロンドン五輪の同種目で金メダルを獲得した米国選手のタイムを四十秒以上も上回っていた。
八〇年の第二十二回モスクワ大会では、日本が出場をボイコットする事態になった。五輪は再び政治の影響を受けた。旧ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議する措置だったが、出場できなかった選手たちの悔しさは察するに余りある。
二十九回目となる北京五輪まであと十日。日本選手団の結団式と壮行会が開かれた。女子マラソンの中村友梨香選手ら郷土勢への期待が高まる。選手は出場できる喜びを力に頑張ってほしい