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2008年7月30日

◎浅野川水害の教訓 堤防の切れ目どこまで必要か

 浅野川のはんらんで金沢市浅野川大橋周辺では「切り欠き部」と呼ばれる両岸の堤防の 切れ目から大量の泥水があふれ出し、浸水被害が拡大したことが分かった。計四カ所の堤防の切れ目は川面に近づきやすい配慮として一九九〇年代に整備されたが、せっかくの親水空間も今回のような洪水では「浸水空間」に変わりうる危うさも浮き彫りになった。

 河川整備は治水一辺倒から利水、親水を重視する流れが強まった。犀川、浅野川は金沢 市の眺望景観保全地域にもなっている。治水と親水の両立は、浅野川のように上流にダムがない河川ではとりわけ慎重に考える必要がある。

 浅野川全体の水害被害では部分的なことかもしれないが、親水景観が裏目に出たことは 都市河川の維持管理や整備に見直しを迫る貴重な教訓を含んでいるようにも思える。それは全国的に多発する短時間集中豪雨によって治水と親水のバランスも変化しているという点である。河川や景観行政、さらには県、金沢市が行政の縦割りを排して認識を共有し、今回の教訓を役立ててほしい。

 浅野川の梅の橋―浅野川大橋間では県が河川景観を重視し、スロープや石積みを含めて 親水空間が整備されてきた。堤防の切れ目から火災時に消防車が河道に入り、取水も可能である。

 堤防の切れ目は洪水時には鋼材で閉鎖させる仕組みになっていた。だが、今回は水位の 上昇が早く、後手に回った。洪水対策を最優先する立場からすれば、堤防が切れていては治水の意味をなさないだろう。かといって、コンクリートに覆われた無粋な整備も考えものである。大事なのは親水、利水空間にしても、安全性の確保が大前提になるという点である。

 洪水の予報に即して人間がその都度、切れ目をふさぐソフト面で対処可能なのか。それ とも、人に依存せず、構造的に災害を食い止めていくのが望ましいのか。流域住民も含めて官民一体で問題意識を共有したい。ハードとソフトを上手に組み合わせた「減災」対策は浅野川のみならず、二つの河川と用水網を含めた豊かな水系を抱える金沢全体の課題といえる。

◎竹島は「主権未指定」 納得できる米の表記変更

 米政府機関の地名委員会(BGN)が、日韓双方が領有権を主張している竹島(韓国名 ・独島)の帰属に関する表記を「韓国」から「主権未指定」に変更した。

 この変更を韓国のマスコミが大々的に取り上げ、政府の対応不足を激しく批判し、背景 に日本のロビー活動があるとの尾ひれをつけて日本を非難し、与党のハンナラ党も同調しているようだが、BGNの表記変更はそれなりに納得できるものだ。

 日本にしても竹島を固有の領土と主張していることから、主権未指定という表記には受 け入れ難いものがある。

 が、それはさておき、帰属先を韓国とせず、中立的な表記に変えた点で評価できるのだ 。竹島の所属について、日本は韓国の主張をことごとく論破し、国際法に基づく審理で解決しようではないかと国際司法裁判所への提訴を韓国に申し入れてきた。相手国の同意がないと提訴できないからだが、ずっと韓国に無視されてきた。BGNの表記の変更は、紛争の現状に即したものともいえる。

 さらに今度の表記変更は、日本に肩入れしたものではなく、米国が所有する竹島関係の 資料に一貫性を持たせるために行われたと説明されている。

 これによって韓国の不法な実効支配が終わるわけではないが、国際社会への好ましい影 響が期待できるのではないか。

 韓国では、実効支配が長くなれば国際社会から領有権が認められるなど、法理論による 「武装」も進められているといわれる。日本が指をくわえて何もしなければ、竹島は韓国領になってしまう可能性を否定しきれない。

 中学校の新指導要領の解説書に日本の領土であると記述したのは遅きに失したともいえ るのだが、当然の措置だった。

 「固有の領土」との表現を控えたことへの批判が一部にはある。が、偏狭なナショナリ ズムを鼓舞するような表現を避け、韓国の主張にも言及したことは非難されるべきではない。むしろ、反日感情をあおることの抑制を韓国のマスコミや与党に求めたい。


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