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 さて雑音は気にしないで私はジャイアンの心理の本質を見つめる作業を続ける。

 「かわいそう」という都合の良い考え方もある。「見下す」というほど露骨でもなく、ある意味合理的な必要があるようなニュアンスも含む巧妙な考え方だ。

 しかし実は完全に合理的な自己突っ込みからすると、「見下す」も「かわいそう」も全く変わらないことは誤魔化せない。

当たり前のことだ。言葉が違うだけで、「見下す」ことで、自分自身の中心志向が反応しないように盾の後ろに隠れている。 

 しかし実はもう一つの要素が絡むと実は自分を巧妙に誤魔化せるということに気が付いた。

 その要素とは、「共依存」だ。

 つまり、「かわいそう」=「見下す」+「一見合理的風」+「共依存感情」 ということになる。

 相手を「見下し」た上で、「その相手にとって自分が必要だ」と思うことで、自分の不安も解決しようとする。そしてその構造全体をいかにも合理的な必要であるかのようにカモフラージュする機能まである。実に巧妙な誤魔化し装置になるのだ。

 だからジャイアンにとって「かわいそう」は落とし穴の一つであるといえる。姿を変えた共依存の落とし穴である。

 別にいろいろ考えなくても、私は単に他人から自分が「かわいそう」と思われたくないので自分もしないのだが。

 ついでに書いておくと、ジャイアンはKYであるので、「見下し」ていることが必ずバレてしまうというのがあまり笑えない落ちになっている。

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