いま何ができるか
ナツさんとこ(電脳ポトラッチ)のエントリで、児童養護施設で育った女性のブログが
紹介されていました。そして何気なくリンクをクリックした私は、そこに異世界を
覗き見ることになりました。
指先のクリックひとつで、それまで自分の考えも及ばないものを見ることになったり、
生きている環境の違いから、おそらく互いの人生がクロスオーバーすることはないだろう
人たちの綴った生活史や主張を読むことになる・・・
まえから考えていたけれど、ネットは本当にブラックボックスだなぁと思います。
私は普段、こういう「重いテーマ」を扱ったブログは、わざわざ読もうとしませんしね。
そのブログの名前は「Mariaの戦いと祈り」といい、これまでのアーカイブを読むと、
執筆者のMariaさんが、同じ児童養護施設育ちのLeiさんと、数年前からそれぞれに
ブログを立ち上げ、共に「子供は里親の元で育つべき」と訴えかけると同時に、
お互いの幼少時からこれまでの体験を通して受けた心の傷(というにはあまりに痛ましい)を
癒し合い、この理不尽な社会に生きる辛さを分かち合い、支え合っているようです。
Leiさんのブログ「Firedragon戦記/絆なき者の記録」も読ませてもらいました。
私には、Mariaさんの書くものもLeiさんの書くものも、自分とは異世界にいる人のものですが、
だけど、二人、目的は同じでも、文章のスタイルや性格は結構ちがうんですね。
私には、どちらかというとMariaさんの思いや感情のほうが、まだ感覚的に馴染みやすく、
Leiさんの「無愛着」というテーマは、たぶんMariaさんのブログを先に読んでいて、
コメント欄などでの彼女たちの対話を読んでいなければ、よくわからなかったと思うし、
今も、頭ではなんとなくわかるけど、本当にわかることはないのかもしれないと感じます。
それほど、私自身の世界観と、彼女たちのそれはかけ離れている、ということです。
彼女たちの主張の主な根拠となる体験、Mariaさんに言わせれば「施設は子供の地獄」、
これは私がここでまとめきれないことであり、ぜひ直に彼女たちのブログを読んで、
そこから汲み取れるものを、ご自分で汲み取っていただきたいと思います。
私は、この二日ほどかけて彼女たちのブログの大半のエントリに目を通しました。
正直、「こんな世界が、この現代日本にあったのか」という気持ちでした。
なぜそこまで時間をかけて読みふけったのか、自分でもわかりませんが、
たぶん、私自身が幼少時から今まで、どこにおいても虐待や遺棄を受けたことがなく、
両親(共働きでしたが)の元で愛されているという事実さえ、空気のように当たり前に
己の糧にしてきたので、そうでない人の考え方というのがよくわからず、
その考え方や感じ方のズレに、ただひたすら純粋に驚いてしまったのです。
大変に不適切な言い方かも知れませんが、それはまるで「ファンタジー」のようです。
シンデレラが継母や姉たちに、ひたすら苛められる、それでも腐らず健気に生きている、
その部分を読んでいるかのよう。私にとってストレートな感想は、そんなふうです。
もうだいぶ昔のことですが、私は大学を出てから数年、教職についていました。
一年目は中学でした。一年生を受け持ちました。まだ小学校からあがってきたばかりの彼らは
親戚の子供や近所の子供との接点がない暮らしをしていた私には、大層可愛らしく見え、
自分もこんな気持ちになるのか、と思うほど、彼らによって母性的な愛情を呼び起こされて
いたことを思い出します。
牧歌的な時代でしたし、そんな荒れてもいない普通の公立中学でした。それでも、やはり
「問題児」はいました。よりによって、一番の問題児は、私の担当しているクラス在籍。
私は常勤講師なので担任はもちませんが、副担任というかたちで担任を補佐します。
一年生担当の教員会議で、まず持ち上がったのは、彼への対し方でした。
まだ中学一年なのに、幼い顔立ちでありながら、非常に暴力的なんです。
そういう生徒の傾向や生活環境は、公立なので、小学校から「申し送り」があります。
中年男性の担任の先生は、彼についての情報を会議で公開し、彼が家庭で父親から
日常的に暴力を受けていると報告しました。そして、自分が父親をたびたび訪問して、
よく話し合ってみるので、彼に対しては当面、少し配慮してやってほしい、と言いました。
私はまだ22才の小娘でした。生徒たちにとっては「先生」というより「近所のおねえさん」に
見えたでしょうし、私の態度も「歳の離れた弟妹の面倒をみる」という感じだったと思います。
何しろ、「教師としての正しい振舞い方」など体得していませんから・・・
私には、教科を教えるよりも、そこから離れた問題に立ち向かうほうが困難でした。
そして、かの「問題児」は私にとって一番の厄介者でした。
こちらが強圧的にでると彼の中の暴力性に火をつけます。
かといって甘い顔をすると増長して授業を妨害されます。
他の先生に言わせると、
「あの子はアンタに甘えてるだけよ」
というのですが、こっちはその甘えを受け流す裁量もなく、神経が消耗するだけでした。
二学期の半ばになる頃には、彼だけが私のなかで「どう対処していいかわからない生徒」に
なっていました。私は多少の私語やおふざけは大目に見て、肝心の授業では彼を
無視していました。つまり、当てない。当てても答えられないか、ふざけられるだけなので、
他の生徒の手前もあり、無意識に彼を授業から閉め出すようになっていたのだと思います。
職員会議で報告される彼は、仲間と家出をしたりしたこともあったようです。
まだ子供の顔つき身体つきをしているくせに、仲間とコンビニのまえでたむろし、
弁当を買って、建設現場の土管のなかで食べていた、などと聞くと、涙が出る思いでした。
なぜこの子は暖かい家できちんとした食事もできないのか・・・
世間知らずもいいところな私は、それまで、そんな子供がいるとは知らなかったのでした。
なんだかんだ言っても、子供だって自分の社会的立ち位置を知っています。
私がそんな立ち位置に関心がなくいられたのは、両親のおかげで優位な立場にいられた、
それだけの話です。私の努力でなんとかなったことじゃない、だから無関心なのでした。
私にとって親とは、巨大な温室でした。今もそうかもしれません。
高校生のとき、子供の誘拐事件がありました。家族でそのニュースを見ていたとき、父が、
「おまえがもし誘拐されたら、どこまででも、世界の果てまででも駆けずり回って、
絶対に探し出してやるからな。よく覚えとけよ」
そう言いました。今の父にそれだけの力があるかは知りませんが、当時は、
その言葉が実現されることを、まったく疑いもしませんでした。
(お父さんなら、そうしてくれる)
空気を吸い込むように、当たり前に、とくに感謝するでなく、愛情とはそういうものだと、
私は刷り込まれて生きてきたわけです。
私が固定された濃い人間関係を好み、流動的で軽妙な人間関係に満足できないのは、
私自身の個性プラス、こういう家族関係の影響があると思います。
そんな私が目の当たりにした初めての異世界。それが、かの問題児君でした。
小娘の私にも、彼が欲しくて欲しくて仕方がないものが、うっすらとわかりました。
だからこそ、彼を嫌ったり憎めませんでした。それどころか、家に帰っても、
「あの子はどうしているだろう」と、思ったりしたものです。
彼も、私が憎くて授業妨害しているわけでなく、私に対する、それは一種のアピールでした。
ある日、授業中の態度が目に余るので、他の先生に相談すると、彼を別室に呼んで、
一対一で話してみたらいいと言われました。私はそうしました。
「どうして授業を真面目に受けないの?やかましくしていたら他の子にも迷惑でしょ」
そう言う私の顔を、彼はじっと見ていました。
そして、そこからのことが今、思い出せません。
何か言葉にされない重要なやりとりがあったと思います。
私は終始、防衛的な態度で接していて、彼はそれが気に入らない様子でした。
「はいはいわかりました、先生」
「これからはちゃんとしてね」
私は、失敗したと悟りました。彼に対して本気でぶつかれなかった。あくまでも、教師面で
表面をなでるだけの小言を繰り返したにすぎない。
そして、さらにやっかいなことに、今度は女子の一部グループが私に反抗的になりました。
三学期だったと思います。私が彼女たちに、「どうしてそんな態度するの?」と訊くと、
「先生は、ひいきしてるから」
「ひいき?誰を?」
「あの男子グループを。あの子たちには注意しないもん」
私は驚きましたが、正直に言いました。
「私が注意すると面白がって余計にふざけるでしょう?皆の迷惑になるし・・・ごめんね、
ひいきしてたわけじゃなくて、先生も困ってるんだけど、どうしたらいいか、まだ
よくわからないの」
彼女たちは成績もよく、素直で、特に問題のない子たちでした。
私が、私の至らなさを認めて、決して「ひいき」しているわけじゃない、と言うことで、
納得したようで、それからの態度は元に戻りました。
私と問題少年の関係は良くなりませんでしたが、その学校を一年で後にするとき、
私が一番心にかけていたのは、その子のことでした。周りのベテランの先生方にも
私の気持ちはお見通しだったらしく、
「あの子に花束を持たせてアンタに渡す役をやらせようと思ったのよ〜」
なんて言っていました。
私は「あの子がそんなことするわけない」と思いましたが、今なら、
「センセー、もう最後やな。これ、センセーにやるわ」
と、ぶっきらぼうに茶化して花束を差し出す彼を想像できます。
私は、ストレスで身体も壊したというのに、校門を出てから涙がとまりませんでした。
彼と会えたから辛かった。彼にどう接すればいいかわからないから辛かった。
彼を嫌ってたんじゃない、むしろ好きだったから辛かったのかもしれません。
ベテランの担任の家庭訪問のおかげか、彼は少しずつ暴力を受けなくなったようで、
私が学校を去るときには、表情も心なしか明るく変わってきていました。
私は彼に教わることばかりで、何も教えてやれなかった先生でした。
ごめんね、ごめんね、ごめんね・・・私は泣きながら家路を急いでいました。
その後の数年の間に、私はそういう厄介な「問題家庭」の生徒たちを見る機会が
何度かありました。だから、家庭での親子間虐待のことなら多少わかるし、
反応もできるのです。しかし、そもそも親に捨てられて顔も満足に知らない状態で
施設で育つ子供、そういう崩壊した家庭のありようなど、知らなかったのです。
愛して欲しい、わかって欲しい、信じさせて欲しい、と自己破壊的な行動で訴える子供は
多少知っていても、そんな欲求を生れ落ちたときから封じ込められたら、
どんな人間になるのか、そんなことは考えたことなかったんです。
施設での虐待や暴力が、どの程度か、それはその施設にもよるし、個々の経験は
みな違うでしょう。私が驚いたのは、そこに暴力があったということでなく、
MariaさんやLeiさんの訴えをなぞれば、そこに「絆」がなかった、ということなのでした。
職員や子供が頻繁に入れ替わる施設では、虐待ですら「誰でもいい」。
たまたまそこに居合わせた、他人同士の間で何の情もなくなされること。
家庭育ちで、決まった誰かから虐待を受け続けたことと、同じ心に残す傷でも、
そこには決定的に違うものがあるように感じられます。
「何の絆もない」
いや、むしろ絆をつくってはいけない、みんながそれを持たないことで、かろうじて
平衡を保っている世界・・・
普通の学校ですら、子供は「もたないことの正義」をぶつけてくるのです。
「先生は、ひいきしてる」と。みんな、甘やかされてないのに、なぜあの子だけ?と。
みんながもっていないのに、あの子は先生の優しさを独り占めにしてる、と。
あの子はずるい、先生はずるい、と。
「ひいきする先生はずるい」
裏を返せば、「私にはそれだけかまってくれないくせに」ということ・・・
これが教室のなかだけでなく、家に帰っても、朝から晩までそんな調子なら、
いや、実際に、大勢の性格も年齢も微妙に違う子供たちを少ない大人でなんとか
生活させようと思ったら、ひとりひとりと絆をつくっている暇なんてないし、
また、それをしてもいけない。あやうい平衡が乱れるから。
「後追いさせる保母は失格」
この言葉も、よくわかります。
そして、施設育ちが長いほど、家庭を知らなければ知らないほど、
人との絆の作り方、絆というものの価値がわからなくなっていく・・・
こんな問題があったなんて、と私はMariaさんやLeiさんのブログを読んで絶句したのです。
私としては、雨露しのげて、ひもじい思いをせず、清潔で、勉強する環境があって、
暴力や虐待もなくて、教育を受け、やる気のある職員が充分に配置されていたら、
孤児たちには、そこが「家庭」というものでしょう、そう漠然とイメージしていました。
「無愛着」の問題など、彼女らのブログを読むまで、そんな発想もおきませんでした。
愛の問題というと、「愛されない」ことだけがクローズアップされがちですが、
「愛せないこと」も充分に問題ではないですか?
いや、私にはそのほうがより根深い問題に思えます。
愛してもらえない、それは辛いことですが、さらに進んで、
「自分が誰にも、何にも、自分自身にさえも、愛をもてない」状態、
これは相当に危険だと思うのです。
愛する、誰かを、何かを。特別に大事だと思う、愛着を持つ。
他のものとそうやって区別して、人は誰かと、何かと精神的な「絆」、
歴史的な「絆」、物質的な「絆」をつくりあげていく。
その絆、それこそが、私たちの生命を、この地上に繋ぎ止めている銀の糸です。
魂が身体から浮遊せず生きるための、錨です。私はそう思います。
ただ愛されないから、それだけで人は死ぬんじゃない。
自分のなかに、ひとかけらの愛も見出せなくなったとき、この地上に生きる意味が
失われてしまうのです。
Mariaさんいわく、
心を通わせる相手がいない世界で、心を通わせることを学ばなかったから、
心を通わせる発想もない。
そして、一人で生きていくことが当然となり、誰とも何の絆も持とうとしない・・・
そんな子供が「手がかからない」と賞賛され、社会に出ると、「一人ではできない」
周囲とのコミュニケーションや、結婚、子育てなどで混乱する。
こんな施設教育が、子供の発達にいいわけがない。
里親には、里親ならではの問題が確かにあるけれど、少なくとも、
「施設という『システム』が子供を育てるのは間違っている」
「子供は人間(里親)の元で育てられるべきだ」
という彼女たちの主張には、うなずけるものがあります。
簡単じゃない。
人の命をあずかること。
オコタンだって、猫だけど、私はオコタンが十五年、十八年、生きることを想定して、
絶対に捨てないし、寒くてひもじい思いもさせない、病気をしたら病院に連れて行く、
そう心に誓って引き取りました。毎日、「可愛いね、オコタンはなんでそんなに可愛いの」
とか、馬鹿みたいなこと言ったり、買い物に行くときは「オコタン、ちょっと出かけるからね」
なんて、言い続けてます。わからないのに。人間の言葉。
でも、オコタンは猫だから、反抗期もないし、あまり病気もしない。
勉強をみてあげる必要もない。お金もかからない。
簡単じゃない。
人の心を育てること。
今の私にはできない。
だから何も言えない。
ただ、世の中は理不尽だとしか。
ただ、こんな現実があるとわかって驚いた、としか。
そして、いま私に何ができるかと考えたとき、
それは、「伝える」こと。
彼女らの主張を、自分の言葉で伝え紹介すること。
間違って解釈してるかもしれない、迷惑かもしれない、だけどちゃんと読解力のある人は
私のページから彼女たちのブログへ飛んでいき、生のメッセージを解読し、何かを感じ、
そこでまた私よりもっときちんと、考えてくれるかもしれない。
「いま何ができるか」
誰かのためじゃない。パワーゲームや言葉遊びじゃない、
なにが正しいことだとか、間違っているからだとかじゃなく。
自分の気持ちがおさまらないから、だから、人は考える。
この状況で、この現実で、
いま自分に何ができるのか、と。
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