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18年度「少子社会を生きる!」>読売新聞社賞

読売新聞社賞
 〜「一人っ子親子」〜
今村 匠実
職業 高校生
住所 千葉県
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 一人っ子の私は、同じく一人娘の母から生まれた。

 「産めよ、増やせよの戦時中だったら、我が家は非国民って言われるわね」 と、母はよく冗談に言う。しかし、少子化が大きな社会問題となっている現代、冗談では笑えない深刻な問題として受け止めなければならないのではないかと考え始めた。

 幼いころ、よく友人宅に遊びに行くと、兄弟で仲良く会話している姿を見る度、うらやましくて仕方がなかった。いや、兄弟げんかさえ、経験のない私にとっては新鮮で、一度でいいからあんなに思い切り取っ組み合いをしてみたいと思ったものだ。

 ところが、兄弟の多い友人は、一人っ子の私のことが、すごくうらやましいと言うのだ。おもちゃを独り占めできる、お下がりの服を着ないで済む、好きなテレビ番組を好きなだけ見られる、親の目が自分だけに向けられる等が主な理由のようだ。結局、皆、「隣の芝生は青く見える」「無い物ねだり」なのだ。

 私は、一人っ子に対する世間の目は、かなり厳しいといつも感じてきた。泣けば弱虫と言われ、怒ればわがままだと一人っ子特有のレッテルをはられる。だから、そのような色眼鏡で見られないためにも、家の中で兄弟という集団生活を味わえない分、同級生のみではなく先輩・後輩等、できるだけ多くの人たちと接し、友達を大勢作り、その中で自分が皆とどのようにかかわっていくかを常に考えながら生きてきた。

 我が家は三世代同居の家族である。そういうと大人数でわいわいにぎやかに暮らしている大家族のように聞こえるかもしれないが、若くして夫を亡くした祖母と、単身赴任の父に代わり一家を支える母と、私の、たった三人の家族である。もしかしたら核家族よりも少人数の、一世代に一人ずつしかいない家族なのだ。

 数年前、祖母が認知症に認定されてしまった。仕事を持っていた母に代わり、家事一切を切り盛りするしっかり者の祖母だった。祖母の症状は日に日に進行し、もの忘れはもちろん、季節、昼夜、時間の区別が付かなくなり、大量に同じ物を買い込んできたり、手当たり次第に物を人目に付かぬ場所にしまい込んだり、情緒不安定になって泣いたりわめいたり……。常にその行動を見張っていなければならないほど、ますます深刻な事態になってきてしまったのだ。

 家族の生活は一変した。徘徊(はいかい)の始まった祖母を、母は二十四時間態勢で介護しなければならなくなった。祖母にとっては娘として介護者として、私にとっては父として母として、時には世帯主として、そして主婦として……、母の疲れがピークに達しているのを見る度、私は本当につらかった。

 もちろん私も、出来る限りの協力はした。サッカー部の大事な試合を控えていた朝、ちょっと目を離したすきに行方不明になってしまった祖母を、母と二人で捜し回った。母は自分一人で大丈夫だから試合に行くようにと再三私を促したが、行く当ても分からぬ祖母を母一人で捜し出すのは、まさに至難の業である。二人で手分けして、ようやく祖母が見つかった時には、既に試合は終わってしまっていたが、祖母の元気な姿を見て、母とホッとしたものだ。

 また、母が急用でどうしても家を空けなければならない時、私が祖母を連れて買い物に行き、簡単な食事を作って一緒に食べる。突然外へ飛び出して行かないように、常に祖母の姿を目で追っていなければならない。そして、何十回となく繰り返す同じ質問に、心の中ではあきれ返りながらも、嫌な顔をせずに同じ回数答えなければならない。わずか数時間一緒にいただけでこんなにもストレスのたまることを、母は毎日たった一人で頑張っていたのかと胸が熱くなった。

 気丈でめったに弱音を吐かない母が、先日ポツンと、

 「私に兄弟がいれば、この苦労を少しだけでも分かち合えるのに」 とつぶやいた。そして私にも、

 「あなたにもほかに兄弟がいれば、一人に負担を掛けずに済むのにねえ。ごめんね」 と、半ば泣き笑いの顔で私に謝った。

 母は、自分が一人っ子で寂しい思いをしたので、自分の子は野球チームが出来るほどたくさん欲しかったとよく話している。ところが、あいにく私一人しか子どもには恵まれず、その分私にたっぷり愛情を注いでくれて、私も兄弟がいなくても特に寂しさを感じることもなく育ってきた。しかしこのように、祖母の認知症という予期せぬ事態が発生した時、我が家には絶対的に人数が足りないことを、いやが応でも思い知らされた。

 先日母が、最近では珍しく明るい笑顔を見せていた。偶然出会った友人に疲れ切った表情を問われ、今の苦しい胸の内を涙交じりに一気に吐き出したそうだ。

 「どうして今まで話してくれなかったの? 一人で抱え込んだら絶対にダメ。困っている時はお互いさまなんだから、一緒に乗り越えて行こうよ」

 友人の温かい言葉に、母は気持ちがスーッと楽になるのを感じ、自分は一人で生きているのではない、みんなに支えられながら生きているんだと実感したそうだ。そして、片意地を張らず、そういう好意には甘えてもいいんだと考えるようになったと言う。

 友人からほかの友人に話が伝わり、母の元に最近よく温かい励ましの電話やメールが届くようになった。母が疲労で腰を痛めて動けない時は、友人から夕飯のおかずが届けられる。母の外出時は、入れ替わり別の友人たちが祖母の話し相手をしていてくれる。

 「私たちは兄弟はいないけど、かけがえのない友達がたくさんいるんだよね。匠実も小さいころから友達を大切にしてきたけど、私たちにとっては、友達が何よりの宝物だね」

 母の言葉に私は大きくうなずいた。

 人間、どんなに頑張っても頑張り切れないことはある。頑張り切れなくなった人を、その時支えてあげられる人がみんなで助けてあげる、そしてまた別の人が困った時は、今度は自分が支えてあげる番になってご恩返しをする。実に単純な繰り返しだが、この繰り返しで、どれだけの人の心が安まり、救われることだろう。現に、私たち一人っ子親子は、そういった心ある周りの人たちの支えで、明るい明日を迎えられるようになったのだから……。

 二○○六年、六年ぶりに出生数が増加したというニュースをテレビで見た時、なぜか自分のことのようにうれしかった。将来の年金問題のような国を挙げての社会問題は、私には難し過ぎて実感できないが、喜びや苦しみや楽しみや悲しみを共に味わう家族は、やはり少ないよりは多い方が絶対に良いのだと、心からそう感じたからだ。

 私は将来結婚したら、子どもは出来るだけたくさん欲しい。母は野球チームができるくらいと言っていたが、私はサッカーチームができるくらいと、少し欲張っておこう。そして子どもたちに伝えたい。

 「家族みんなが支え合い、友達みんなが支え合い、そして社会全体が支え合ったら、怖い物無しなんだぞ」と。


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