昨夜遅く、本<インド見聞2007(20)〜エピローグ仏像発祥の地「マトゥラ(MATHURA)」、安住 るり(2008-07-24 17:00) >を拝見いたしました。
一緒に、ご主人様の田口汎さんの元気なお姿が共に微笑んでいる写真を始め、仏像等の見得ました。御二人の写真で手に持っておられる灯火に、5年前と記憶致しますが、ブッダガヤの大塔での月夜の蝋燭の火の群れをも想い起こしました。
また、<いずれ、私自身のブログを立ち上げて、インドマニアの皆さまに堪能していただきたいと考えている>等、ご期待いたしております。
実は、今朝、コメントしようと思いましたが、すでに本記事が表示からは消えており、貴女のお名前をJANJANのホームページで検索し、改めて見出した次第です。
さて、以前、『能のふるさと散歩上・下』の感想文を2006/11/08 に、掲載して頂きました。
その際、故田口汎氏より,以下のようなコメントがありました。
すなわち、<[22949] 草間四郎大尉の戦死田口汎(梵音)・2006/11/21 09:59>で、
【 「大淀」戦死者264名だかの最先任者(士官次室のケプガンだったと思います)で、「慰霊祭」ではいつも冒頭に「草間大尉以下・・・」と祭文が上げられますので、紅顔の美青年だった草間大尉のことを思い出します。わたしはいつも「艦長代理」として最初に献花しますので、草間大尉のことを想い起こすことしきりです。
わたしが能で「後ジテ」に興味を持ち始めたのは、「霊魂の存在」を信じようと信じまいと、あの方々が「霊魂」でも「怨霊」でも「後ジテ」にでもなって、再び現世に姿を現してくれたらと願うからです 】
実はウィーン在住の若い友人が7月25日に“Nippon Österreichisch-Japanische Gesellschaft-brücke 2/2008”.を同封した手紙を送ってくれました。
彼の父親・レオポルト氏が作ったと存じますが、小劇場で9月19&20日に京都から河村晴久氏一行を招いて能の実演や講演等をするので家内共々,来ウィーンの招待であると存じました(19日は私、彼、家内と夫々5,67月の誕生日)。
私は元気一杯であり何時でも行けるが、種々の事情で、2年以内位に御伺いしたいと言っておきました。
近く、彼には、田口さんの<「後ジテ」に興味>に付き、出来たら独文(多分、英文)で、再び知らせる積りでおります。
彼はウィーン大学出身で、若いときから、宮崎大学(若い時)や東北大学(結婚後)で長年ドイツ語を教えており、私も家内も、一般市民と共に教えて頂きました。
また、主として宮崎で弓を習って15年程前、三十歳半ばで四段を得ておりました。当時、独身の彼が日本で猛練習して弓の段位に挑戦すべく滞在中一月余り彼のアパートに家内と共に住んだ事もありました。
彼を十五年ほど前に虎渓山永保寺の中村文峰老師に紹介した事もあり、さらに円覚寺で参禅したりしておりました。ウィーンにも一人立派なオーストリヤ人の禅僧(現地で座禅会があり一回私も参加)がおりました。
やがて、ウィーン大学に『日本の禅に関する研究』で博士号を取得しております。これは、かなりボリュウムがあり、私は活字のコピーと製本されたものを贈られて持っていますが、中々に難解です。
大分、長くなりましたので、ここらで失礼申上げます。
何時も申している事ですが、「亡くなった方への、最善・最大の供養は、遺された者達が、健康で、自己の信念に基づいて、活き活きと日常を有意義に過す事である」と存じます。
では、皆様のご健康をお祈りいたしております。
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