石油価格が高騰している。そのせいで、さまざまな物価が上昇したり、漁業で出漁ストライキが起こったりしている。では、この問題に、どう対処するべきか?
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石油高騰が起こってる。これは事実だ。
この事実に対して、「何とかしてくれ」という意見が需要家から起こっている。次のように。
・ 風呂屋の重油が高騰して困った。
・ 船舶の重油が高騰して困った。
・ 飛行機の燃料が高騰して困った。
・ ガソリンや軽油が高騰して困った。
あちこちで、「困った、困った」という合唱が起こっている。そこで、「政府は何とかしてくれ」(補助金をくれ)というような声も起こっている。
これに対して新聞社は、反対の社説を掲げる。
「価格高騰は困ったことだが、補助金を出せというのは駄目だ。むしろ業界の構造改革で対処するべきだ」
というふうに。( → あらたにす または 読売 ,日経 )
しかし、「構造改革」とお経を唱えるだけで、問題は解決するのか? 否。そういう「構造改革」論が駄目だったということは、小泉時代の政策が明らかにしている。
要するに、政府主導で業界を指導しても、うまく行くはずがないのだ。「国家の主導で経済状況を改善する」というのは、一世紀以上前の社会主義的政策である。社会主義的政策を「構造改革」と呼び替えたところで、そんな政策がうまく行くはずがない。
では、正しくは?
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正解を言おう。
そもそも石油高騰は、困ったことでもなく、問題でもないのだ。ちっとも悪いことではない。なぜなら、それは単に「市場原理で価格が決まる」というだけのことだからだ。
「供給が一定のときに、需要が急増すれば、価格は上昇する」
これは市場原理から導かれる当然の結果だ。とすれば、それは、良いとか悪いとかいう問題ではない。単に当り前のことである。
比喩的に言えば、晴れの日には気温が上がるし、雨の日には気温が下がる。それはただの自然現象であるにすぎない。そのことで、メリットやデメリットは生じるが、だからといって、「晴れは良い」とか「雨は悪い」とか言っても、何の意味もない。そんな言葉はただの無駄口にすぎない。それよりは、「雨の日には傘を差す」という具体的な対処を取ることの方が先決だ。
まともな人間は、自然現象に対してぶつくさ文句は言わず、単に対処を取るだけだ。
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以上のことから、次のように言える。
「中国やインドの需要増加にともなって、石油価格の上昇が起こるのは、当然のことである。また、将来の上昇を見込んで、余剰資金が流れ込んで、投機が相場を上げるのも、当然のことである。当然のことに対して、その変化を是正しようなどと考えても、百害あって一利なしだ。」
たとえば、漁業や風呂屋が重油高騰で困っているとしても、だからといって補助金によって人為的に価格を下げても、何の意味もない。それは単に「市場価格を歪める」という意味があるだけだ。「社会主義的な公定価格制度」と同様である。百害あって一利なし。
( ※ 補助金をもらえる該当者は、「一利あるぞ」と思うかもしれない。だが、その分、他の国民の富が奪われているから、国民全体を見れば、一利さえもない。「おれ様さえ一利があればいいんだ、他人のことなんか知ったこっちゃない」というのは、盗人の論理だ。そこには「盗人にも三分の理」さえもない。一理もない。 (^^); )
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「価格高騰が当然だ」ということは、省エネという概念と絡めても、明らかになる。
先にも述べたように、炭酸ガス排出を減らすためには、需要を減らしても駄目で、供給を減らす必要がある。先進国であれこれと省エネをして無駄を減らしても駄目で、産油国全体で石油供給量を減らす必要がある。(そうでなければ炭酸ガスの総排出量は減らない。なぜなら、先進国で減らしたぶん、途上国で増えるだけだからだ。)
そして、需要を減らさないまま、供給量を減らせば、価格は高騰する。これは当然の原理だ。(市場原理。)
だから、「炭酸ガスの排出抑制」とか「化石燃料の使用量削減」とかを唱えるのであれば、「供給量を減らすこと」は必然であり、「価格の高騰」も必然なのだ。
そして、必然として起こる結果に対して、「問題だ、問題だ」と騒ぐとしたら、あまりにも馬鹿げている。それは阿呆のふるまいだ。
( 自分でその厄災を招いておきながら、自分がそうしたと気づかない阿呆。)
はっきり言っておこう。「石油価格高騰」というのは、「高額の環境税」と同様である。地球温暖化論者は、「炭酸ガスの排出抑制のために、高額の環境税(炭素税)を課せ」と主張してきた。そして、それと同じことが、まさしく現実に起こったのだ。
現状では、100%かそれ以上の炭素税がかかっていることになる。そして、その分、需要は抑制される。
だとすれば、「石油価格高騰」という現象を見て、「困った、困った」とオタオタするよりは、「ものすごい環境税がかかったので、炭酸ガス排出の抑制効果が出るぞ」と喜ぶべきなのだ。……少なくとも、炭酸ガス抑制論者は。(もちろん、サミットの面々もそこに含まれる。)
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では本当に、石油価格高騰は、好ましいことなのか?
もちろん、否。そのことで、環境税を課せられることにはなるが、その環境税の収入をがっぽりといただくのは、産油国だけだからだ。
なるほど、価格高騰にともなって、「炭酸ガス抑制」という効果は出るだろうが、同時に、「世界各国 → 産油国」というふうに、富の流出が起こる。それはまさしく困ったことだ。── つまり、
・ 価格上昇による、炭酸ガスの需要の抑制
・ 価格上昇による、富の流出
という二つのことが同時に起こって、このうち後者はまさしく困ったことなのだ。(産油国以外の国々には。)
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では、価格高騰が好ましくないとすれば、どうすればいいのか? 簡単だ。価格を下げるには、需要を減らせばいい。それがつまり、「省エネ」の意味だ。
つまり、省エネが必要なのは、「需要を減らすため」「価格を下げるため」である。それは、「供給を減らすため」「炭酸ガスを抑制するため」ではない!
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まとめて言おう。
「炭酸ガスを抑制するため」ならば、「供給を減らすこと」が必要である。結果的に、価格高騰を招くが、価格高騰は好ましいことだ。
「人々の生活を守るため」ならば、「需要を減らすこと」が必要である。結果的に、価格下落を招くが、価格下落は好ましいことだ。
ここでは、「需要を減らす」か「供給を減らす」か、という違いがある。
そして、大切なのは、需要を減らすことであって、供給を減らすことではない。大切なのは、人々の生活を守ることであって、炭酸ガスを抑制することではない。
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結局、石油価格が高騰するというのは、現実の経済状況に従っただけである。それはそのまま放置して、対処(つまり最適配分)は市場に委ねるのが、最善である。経済学的には、そう言える。
具体的な例を示そう。
アメリカではもともと、石油はとても安かった。そのせいで、ガソリンは湯水のごとく浪費された。(日本や欧州では高率の税がかかったが、アメリカでは税がかからなかった。そのせいでガソリンは水よりも安かった。かくて、浪費された。)
ところが、最近、石油価格が高騰した。そのせいで、ユーザーは石油の節約に励むようになった。かくて、「大型車から小型車へ」という変化が生じた。国民の自動車需要が変化したせいで、アメリカの自動車産業もまた変化した。……そして、こういう変化を通じて、一国全体の石油使用量は低下していくことになった。
ここから得られる結論は、何か? こうだ。
石油価格高騰というのは、たしかに困ったことだ。そして、困ったことだからこそ、ユーザーは少しでも損失を減らそうとして、石油節約に励む。こうして、石油需要の低下が、自然に起こる。環境保護論者が「省エネをしましょう、太陽電池を使いましょう」と言っても、たいして効果がなかったのに、石油価格が高騰すると、とたんに、自動車関係でものすごく莫大な量の省エネが起こる。
( ※ ここで「自動車ユーザーは困っているから、ガソリン代に補助金を与える」という政策を取ると、自動車ユーザーは助かるが、ガソリン節約がなされなくなるので、かえって省エネに逆行することになる。価格上昇を補填する補助金とは、エネルギーの浪費を促進する政策なのだ。狂気的。)
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以上に述べたことは、風呂屋や漁船にも当てはまるはずだ。
人々が「困った、困った」と言うならば、補助金を与えることで、無駄な石油使用を継続させればいいのではなく、放置することで、無駄な石油使用をやめさせればいいのだ。……そして、その結果、石油の総需要は減るから、将来的には石油の価格も高騰しなくなるだろう。
( ※ これはつまり、「市場原理における最適配分」の問題にすぎない。「高い金を払っても石油がどうしても必要だ」という人々のみが、石油を使えばいい。「石油がなければやっていけない」という人々は、効率が悪いのだから、そのような非効率な仕事はやめた方がいいのだ。)
具体的には、風呂屋や漁船は、どうすればいいか?
基本としては、すぐ上に述べたこと(アメリカの自動車産業)と同様である。これは、ただの経済問題であるから、経済の原理に任せればいい。
・ 風呂屋 …… 燃料代の分、価格を少し上げる。
(または、コインシャワー や コジェネ。)
・ 漁業 …… もともと多すぎる船舶を減らす。
このように、経済的に、市場原理に任せればいい。つまり、政府は「何もしない」のが最善なのだ。経済的には。
※ 以下は、細かな話。
[ 付記1 ]
漁業の場合、もともと船舶が多すぎる。あまりにも船舶が多すぎて、漁業資源の取りすぎが起こっている。そのせいで、一回の出漁で、あまり多くの魚を獲れずに、あちこちを走り回って、燃料を浪費することになる。
昔の漁船は、一回の出漁で簡単に多くの魚を獲れたが、今ではあちこちをさんざん走り回って、少しの魚を獲れるだけだ。「魚の獲りすぎで、自分で自分の首を絞めている」と言われながら、大量の船舶を維持してきた。そのツケが回ってきたのだ。
現在の船舶は、非常に能率が高まっている。ソナーやGPSなどを使って、「一網打尽」のような高能率の漁業をなすようになっている。そのせいで、かえって獲りすぎになって、漁業資源の総量が減って、多大な燃料消費が必要になっている。
こういう馬鹿げた状況をなくすには、「船舶を減らすこと」が是非とも必要だ。そして、そのためには、「赤字の漁船はさっさと廃業すること」が必要なのである。
[ 付記2 ]
状況の変動が急激なときには、一時的な激変緩和措置は必要かもしれない。たとえば、「船舶を減らすために福祉資金を出すこと」だ。
これは、経済的な措置ではなくて、福祉的な措置である。つまり、「福祉的に、廃業の面倒を見る」というだけのことだ。これは、「産業体質の改善」というような「構造改革」政策ではないので、勘違いしないこと。
もし「構造改革」ならば、事業継続する業者に金を出すべきだが、ここでは、廃業する方に金を出す。つまり、産業の体質強化のために金を出すのではなく、可哀想な人々に金を出す。
また、「船舶を減らす」というのは、設備廃棄のことであり、設備廃棄カルテルという「独禁法違反の犯罪」のことである。国としてはこれを容認することは可能だが、「経済犯罪を促進するために金を出す」ということはありえない。まして、「経済犯罪を構造改革と呼ぶ」なんて、言語道断だ。
どうも、マスコミの連中は、「金儲けの行為は何でも正しい」と信じて、「経済犯罪も構造改革と呼べば善になる」と思い込んでいるようだ。経済学の教科書を読み直すべき。「貧しければ犯罪は善になる」とは、どこにも書いていないはずだ。
[ 付記3 ]
漁船の廃業を促進するに当たっては、うまい方法もある。次のことだ。
「漁船を買い上げて、その漁船を途上国(アフリカ)へ寄付する」
こうすると、アフリカでは極貧生活者が、漁業を学んで自活できるようになる。
一方、日本人の船主は、船を売り渡して、一時金をもらえる。その金で転職すればいい。場合によっては、途上国への漁業指導者になってもいい。( → シニア海外ボランティア(有給) )
※ よく言われることだが、貧者に魚を与えるよりは、貧者に釣り竿を与える方がいい。魚は一回限りでなくなってしまうが、釣り竿ならばずっと役立つ。……それがここで述べた提案だ。
【 関連項目 】
→ 原油高騰と食糧高騰の解決策
石油高騰の問題に対処するには、「石炭の利用」という方法もある。これは、「炭酸ガスの増加」をもたらすので、嫌われているが、石油の量や価格の問題だけなら、石炭で対処できる。
2008年07月16日
◆ 石油高騰の問題
posted by 管理人 at 20:59
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| エネルギー・環境2
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