2008年03月17日
川西 N1k2-J 局地戦闘機 紫電21型(紫電改) ハセガワ1/72
紫電改を語る上で、切っても切れない関係にあるのが
第343海軍航空隊、通称“剣部隊”です。
フィリピン攻防戦にも敗退し、敗色濃厚となった昭和19年12月。
劣勢著しい航空戦において、一矢報いる活躍を見せたのが同航空隊です。
「源田サーカス」の異名で知られた軍令部作戦課航空主任、源田実大佐の
着想で編成されました。所属する3個飛行隊長には、
戦闘第301飛行隊長菅野直大尉、同407飛行隊長林喜重大尉、
同701飛行隊長鴛淵孝大尉といずれも一騎当千の強者が抜擢され、
士気を高めるために各飛行隊には「新撰組・天誅組・維新隊」
と名前がつけられていました。
その他の一般搭乗員においても“空の宮本武蔵”こと武藤金義少尉や
杉田庄一上飛曹など各方面から生き残りの精鋭たちが集められます。
また、事前情報入手のために、艦偵「彩雲」を装備する偵察第4飛行隊も
隷属させます。それまでほとんど役立たずだった機上無線を改良し、
編隊戦闘に活用します。そして、最新鋭戦闘機「紫電改」。
近代航空戦を行う、文字通り最後の精鋭部隊でした。
“新撰組”の勇猛隊長こと菅野直(かんのなおし)大尉搭乗機です。
紫電改では最も人気のある機体だと言ってもいいでしょう。
B29などの大型爆撃機に対する攻撃法「反航背面垂直降下攻撃法」
(敵正面上方から接近し、すれ違いざまに背面飛行し、そのまま垂直に降下
しながら、弱点である操縦席や翼の付け根を撃ち抜く捨て身の攻撃法)を
編み出したのも菅野直だと言われています。
まさに遅すぎた救世主です。
「紫電」からわずか1年でこの「紫電改」までこぎつけた
川西のド根性には頭が下がります。
しかし、空襲の激化により生産能力は失われ、
生産されたその数は400機に満たないまま終戦を迎えます。
数々の武勇伝を残し、勇猛隊長で知られる菅野直大尉ですが、
昭和20年8月1日についに還らぬ人となります。
終戦まであと2週間のことです。
その最期を目撃した人はおらず、詳細は不明ですが、
アメリカ軍の戦闘記録(この記録では「紫電改」ではなく「疾風」になっているが、
事実誤認と思われる)によると、筒内爆発(機関砲が弾詰まりを起こし、
翼内で爆発する)を起こし、戦列を離れたところをP51に真上から襲われて、
なす術もなく撃墜されたようです。
少年期にこんな詩を書いています。
「僕の瞳を左上から右下に切り下げたものがある。金星の流れ星だ。
タタッターと一丈ばかり下界に向って突進した。気持ちがすうっとした。
すると亦なんだか悲しいような気持ちが心を占領したらしい。
悲しさに身が小さくなったようだ。あゝその後天空には何もない。
頭を廻らせば東の方に星は仲よく私語いていた。
人生はこれ闌干たる星辰の明滅の間」
自身の最期を予見するような文章です。
享年23歳でした。
《実機データ》
全幅:11.99m
全長:9.35m
全備重量:4200kg
エンジン:誉21型 1700馬力
最大速度:611km/h
武装:20mm機関砲×4
第343海軍航空隊、通称“剣部隊”です。
フィリピン攻防戦にも敗退し、敗色濃厚となった昭和19年12月。
劣勢著しい航空戦において、一矢報いる活躍を見せたのが同航空隊です。
「源田サーカス」の異名で知られた軍令部作戦課航空主任、源田実大佐の
着想で編成されました。所属する3個飛行隊長には、
戦闘第301飛行隊長菅野直大尉、同407飛行隊長林喜重大尉、
同701飛行隊長鴛淵孝大尉といずれも一騎当千の強者が抜擢され、
士気を高めるために各飛行隊には「新撰組・天誅組・維新隊」
と名前がつけられていました。
その他の一般搭乗員においても“空の宮本武蔵”こと武藤金義少尉や
杉田庄一上飛曹など各方面から生き残りの精鋭たちが集められます。
また、事前情報入手のために、艦偵「彩雲」を装備する偵察第4飛行隊も
隷属させます。それまでほとんど役立たずだった機上無線を改良し、
編隊戦闘に活用します。そして、最新鋭戦闘機「紫電改」。
近代航空戦を行う、文字通り最後の精鋭部隊でした。
“新撰組”の勇猛隊長こと菅野直(かんのなおし)大尉搭乗機です。
紫電改では最も人気のある機体だと言ってもいいでしょう。
B29などの大型爆撃機に対する攻撃法「反航背面垂直降下攻撃法」
(敵正面上方から接近し、すれ違いざまに背面飛行し、そのまま垂直に降下
しながら、弱点である操縦席や翼の付け根を撃ち抜く捨て身の攻撃法)を
編み出したのも菅野直だと言われています。
まさに遅すぎた救世主です。
「紫電」からわずか1年でこの「紫電改」までこぎつけた
川西のド根性には頭が下がります。
しかし、空襲の激化により生産能力は失われ、
生産されたその数は400機に満たないまま終戦を迎えます。
数々の武勇伝を残し、勇猛隊長で知られる菅野直大尉ですが、
昭和20年8月1日についに還らぬ人となります。
終戦まであと2週間のことです。
その最期を目撃した人はおらず、詳細は不明ですが、
アメリカ軍の戦闘記録(この記録では「紫電改」ではなく「疾風」になっているが、
事実誤認と思われる)によると、筒内爆発(機関砲が弾詰まりを起こし、
翼内で爆発する)を起こし、戦列を離れたところをP51に真上から襲われて、
なす術もなく撃墜されたようです。
少年期にこんな詩を書いています。
「僕の瞳を左上から右下に切り下げたものがある。金星の流れ星だ。
タタッターと一丈ばかり下界に向って突進した。気持ちがすうっとした。
すると亦なんだか悲しいような気持ちが心を占領したらしい。
悲しさに身が小さくなったようだ。あゝその後天空には何もない。
頭を廻らせば東の方に星は仲よく私語いていた。
人生はこれ闌干たる星辰の明滅の間」
自身の最期を予見するような文章です。
享年23歳でした。
《実機データ》
全幅:11.99m
全長:9.35m
全備重量:4200kg
エンジン:誉21型 1700馬力
最大速度:611km/h
武装:20mm機関砲×4