【人物】源田實 海軍大佐
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源田實(実)(げんだ・みのる)
明治37年(1904)生まれ。広島県出身。
日本海軍屈指の戦闘機乗りで、「源田サーカス」と呼ばれたアクロバット飛行チームを率いていた。(しかし実戦経験はない)
真珠湾攻撃の計画を立案した事で有名。
また終戦時、残り少ないベテラン搭乗員を集め、「紫電改」を配備した本土防空部隊として名高い、第343航空隊(通称「剣」部隊)の司令でもある。
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1924年 7月 海軍兵学校卒業
1925年12月 少尉
1927年 4月 砲術学校普通科卒業
1927年 7月 水雷学校普通科卒業・海防艦「出雲」乗組
1927年12月 中尉
1929年11月 第19期飛行学生修了・横須賀航空隊付
1930年 2月 空母「赤城」乗組
1931年11月 霞ヶ浦航空隊教官
1932年11月 横須賀航空隊教官
1933年12月 空母「龍驤」分隊長
1934年11月 横須賀航空隊分隊長
1935年10月 海軍大学甲種学生
1937年 7月 海軍大学卒業
1937年11月 少佐
1937年 7月 第2連合航空隊参謀
1938年 1月 横須賀航空隊飛行隊長
1938年12月 英国大使館付武官補佐官
1940年11月 中佐・第1航空戦隊航空参謀
1941年 4月 第1航空艦隊航空甲参謀
1941年12月 真珠湾作戦に参加
1942年 1月 ラバウル攻略支援に参加
1942年 2月 ボートダーウィン空襲に参加
1942年 4月 インド洋作戦に参加
1942年 6月 ミッドウェー海戦に参加
1942年 7月 空母「瑞鶴」飛行長
1942年 8月 第2次ソロモン海戦に参加
1942年10月 南太平洋海戦に参加
1942年11月 第11航空艦隊航空参謀
1942年12月 軍令部第1部第1課部員
1944年10月 大佐
1945年 1月 第343航空隊司令
1945年10月 佐世保鎮守府付
1945年11月 予備役
戦後は航空自衛隊に入隊し、空将、航空幕僚長を歴任
1962年 参議院議員に当選(以後4回当選)
1989年8月15日没(享年84)
343空の紫電改
Posted by nakataka829 at 00:22
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Comments(3)
これも貴重な手記です。
宮崎勇氏と言えば、紫電改・剣部隊で有名な三四三空の搭乗員として活躍された方です。三四三空と言えば、大戦末期に源田大佐が司令を務めた最後の精鋭部隊として有名ですよね。3飛行隊の隊長を務めた人もそれぞれ名の通った人で、戦闘三〇一(新撰組
【書籍】還って来た紫電改/宮崎 勇 光人社【REAL LIFE】at 2005年04月17日 14:46
機密第二六一九一七番電〔軍極秘・親展・緊急〕は、昭和19年10月13日に起案され、10月26日に軍令部から1航艦宛てに発信されている。
通称、「源田電報」とも言われるこの電文は、戦後様々な憶測を呼ぶことになった。最も問題なのは起案日が【10月13日】とされていることで
機密第二六一九一七番電について〓【大東亜戦争:終戦60周年記念Blog】at 2005年05月08日 13:02
ブログランキングから侵入させていただきました。
面白いですねぇ。
大東亜戦争について最近ボクも興味があるので、参考にさせていただきます。
クロスする投稿があったらTBなどさせていただきたいと思います。
がんばって下さい。
コメントありがとうございます。
今後もコンテンツを増やして頑張りますので、応援よろしくお願いします!
ブロンズニストttさんは、戦国時代に興味を持っていらっしゃるようですね。
私も戦国時代は大好きで、弱小国家でも勇敢に戦った真田一族がお気に入りですねぇ。
本も相当読みましたし、真田町や松代へも足を運んでいます。
お気に入りは誰ですか?
お返事ありがとうございます。
ボクは戦国時代も好きですが、じつは南北朝時代が好きです。
郷土愛もいっぱしに持っていますので、
頭山満と玄洋社のこともむちゃくちゃ好きです。
大東亜戦争のこともかなり気になっています。
でも、銅像という観点で見ると、それほどないのが実状なんです。
いずれ、そういう話も書きたいと思って、現在修行中です。
戦国時代は、高橋紹運と立花道雪がいいですね。大友宗麟の家臣ですが、福岡で頑張ったんですよ。宗麟がバカとのでなかったら…。
彼らの銅像もないんですよね。