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【橋下徹研究】(3)恵まれた私学を拒む“美学” (3/3ページ)
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「公立エリート校」構想を掲げながら、学校そのものには過大な期待を寄せていない橋下。ただ、母子家庭で決して裕福とはいえない環境に育った彼に、「私学」という選択肢は当時もなかったはずだ。
東京からの最初の転居先だった吹田市から大阪市東淀川区へ引っ越すことになった小学6年当時、同じクラスだった渋谷耕作(38)は、橋下が見せた寂しそうな顔を今でも覚えている。「家の家賃が払えなくなってん。次は家賃8000円くらいの安いところや。仕方ないわ…」
4年後、高校の進路決定で、担任の臼井一昭(50)から別の地元高を勧められた橋下は、強い口調でこう訴えたという。「僕だって、本当はみんなと同じ高校に行きたい。でも僕はどうしても勉強したい。勉強ができる環境にいかなあかんねん」
同じ子供の中でも、自分ではどうにもならない“差”があることを、幼くして痛感していた橋下。ただ、そうした環境が、結果的に自らのサクセスストーリーにつながっていったことは、実は彼自身が一番よく分かっているのではないか。だからこそ、すでに恵まれた存在ともいえる「私学」は、彼の“美学”が受けつけないのではないか。
弁護士時代、出身中学で講演会をした橋下は、真っ赤なポルシェで現れ、生徒らにこう訴えたという。
「努力すれば、誰だってはい上がれるんです」
(敬称略)