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【中国ルポ2007】猛進中国 北京五輪まで1年<3> 強制立ち退き2007年8月7日
小雨が静かに軒をぬらす朝、葉国強さん(46)は「ドンドン」と戸をたたく音で目が覚めた。北京の庶民が暮らす路地裏「胡同(フートン)」にある自宅の周囲には百人近い警官らが集まり、葉さん一家に外へ出るよう命じた。強制的な退去命令に抗議すると、警官らは「騒ぐな。おまえの兄貴と話がついたんだ」と言いながら押し入ってきた。 警官に連れられた作業員らが、家財道具を次々と運び出した。重機まで投入され、巨大なスコップが壁を一撃すると、れんが造りの家は簡単に崩れ落ちた。作業員らが残った壁をツルハシでたたき壊す。日中戦争を経験した母(82)は「旧日本軍よりひどい」とおびえ、恐怖に失禁した。 気が付くと、中庭には残りの家財がごみ同然に捨てられ、兄(51)が集めた骨董(こっとう)書画のほか、葉さんが飲食店経営でためた数十万元の現金がすべてなくなっていた。わずか二時間ほどの出来事だった。 二〇〇三年五月、北京市の宣武区政府は、五輪に向けた道路整備を理由に、葉家周辺の約三千四百戸の住民に立ち退きを求めた。補償金に不満を示した葉さんらに対し、区政府は強硬手段に出た。「兄と話がついた」というのはうそだ。「われわれは見せしめだった」と葉さん。 一文無しで路頭に迷った葉さんは、北京市や中央政府に直訴したが「地元政府の問題だ」と相手にされなかった。絶望した葉さんはその年の国慶節(十月一日)、祝賀行事でにぎわう天安門から飛び降り自殺を図る。一命は取り留めたが、「公共の秩序を乱した」と懲役二年の判決を受け、昨年秋に出所した。 「この国は人権どころか、生存権の保障すらない。死んで訴えるしかなかった」と振り返る。弟の釈放を求めてデモを計画した兄は懲役四年の判決を受け、投獄されたままだ。「民の声と恨みの魂が、北京五輪を糾弾する」−。葉さんは手製のポスターを掲げて、今も抗議を続ける。 × × 国際人権団体の「居住権・強制退去問題センター」(本部ジュネーブ)は今年六月にまとめた報告書で、北京五輪の開催に伴い、市内で百二十五万人以上が強制的に立ち退かされたと指摘した。 立ち退きに伴う暴力や官民の衝突事件も相次いでいる。だが、中国政府は、五輪施設の建設に伴う立ち退きは六千三十七戸のみで「すべて補償金と代替住宅を提供している」と反論している。 一方で、再開発を喜んでいる市民も少なくない。邱振江さん(80)は四年前まで胡同の借家住まいだった。雨漏りがする三十平方メートル余りの部屋に、多いときで十人が暮らし、食事は玄関先にコンロを置いて作った。 市政府は五輪を前に胡同を取り壊し、跡地に高層マンションを建設。邱さんは十三万元(約二百万円)を負担して優先的に入居が許された。広さは以前の三倍近い。“五輪バブル”ともいわれる不動産価格の高騰で、資産価値は一気に百万元(約千六百万円)ほどに値上がりした。 邱さんは「前の住まいはトイレより汚かった。住み心地は天と地の差だよ。政府には感謝している」と顔をほころばせ、「立ち退きを批判する声もあるが、誰が社会の発展を望まないのか」と話した。 庶民の悲しみと喜びをのみ込みながら、北京の街では今日もつち音が響き渡る。(中国総局・新貝憲弘、写真も)
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