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3番3度の死球に耐え2008年07月22日
◆城西 柿間勇佑選手 「内角攻めだ」。初球を見て確信した。 初戦の学習院戦では満塁本塁打、次の試合でも三塁打を放った強打者は、この日徹底的にマークされていた。最初の打席も次も死球。この回も、ぎりぎりのコースを突いた投球で攻めてきた。 内角の直球を狙って、とにかくつなぐ打撃をしようと思った。だが、内角を中心に攻められた6球目が左足のすねの上を直撃した。この試合、3度目の死球だった。 代走が出た。「なんでもいいから返してくれ」。ベンチからとにかく祈った。だが、次打者は遊ゴロに倒れた。 「打ちたかった」。試合後、ベンチ裏の壁に両手をつくとしばらく動けなかった。 「3番打者」の座は、楽々つかんだものではない。入部当時は、そんなにうまい方ではなかった。「おれは不器用。人より練習しないとうまくなれない」と、練習後も一人残って打撃練習を続けた。あるとき、スイングのコツをつかんでから、ぐっと伸びた。チームで「29年ぶりの甲子園」を目指す機運も高まっていた。 この日は悲運が重なった。8回には、鋭い左前安打で出塁。次打者のときに二塁に滑り込むと、送球を飛び上がって捕球した二塁手が、左足首に落ちてきた。激痛が走った。監督に「代走を出すか」と言われたが、首を振った。 最後まで打たせてもらえなかったのは悔しかったが、試合後、悲運の強打者は後輩に言った。「努力でここまで来た。あきらめずがんばってほしい」。(岩田知久)
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