「人妻」という単語を男性週刊誌や広告などでやたら見る。人妻ってそんなに男性の気持ちをそそるものなのかな」なんて女の友人に聞くと、
「いや、女だって結婚している男性にそそられる」 と言われてしまった。「それって、隣の芝生は青いっていうんじゃないの」と言うと「いや、世の中、いい男はみんな結婚しているのだ」と言われて少しだけ(?)納得した。 けれど、そこで、ふと疑問がわいた。他人の妻は「人妻(ヒトヅマ)」だけれど、他人の夫はなんて言うのだろうかと。「人夫」と書けば、「ニンプ」と呼び、大辞泉によれば「土木工事・荷役などの力仕事に従事する労働者の旧称」「昔、公役に徴用された人民」とある。 別の言葉も考えてみた。頭をひねってやっと思いついた言葉は「妻帯者」や「女房持ち」など。けれど、これらは、艶かしい言葉ではないし、あくまで男性側の視点による言葉だ。 そんなときに、ふと思い出したのが、歌の世界での話だ。俳句などでは「妻」も「夫」も「ツマ」と詠む。だとしたら、他人の夫も「ヒトヅマ」というのではないか。 再び、大辞泉で調べると、あった あった! 他人の夫も「他夫」と書いて「ヒトヅマ」だった。もちろん他人の妻も「他妻」と書いて「ヒトヅマ」とある。 なんだか、今世紀最大の発見をしたような気持ちになって興奮してしまった。 また、「他夫」という言葉が出てくる万葉集を見つけた。 つぎねふ(山城路の掛詞 植物のフタリシズカのこと) 山城路を 他夫(ひとづま)の 馬より行くに 己夫(おのつま)し 歩(かち)より行けば 見るごとに 哭(ね)のみし泣かゆ 其(そ)思ふに 心し痛し たらちねの 母が形見と わが持てる 真澄鏡(まそかがみ)に 蜻蛉領巾(あきづひれ) 負ひ並め持ちて 馬替へ わが背 泉川 渡瀬深み わが背子(せこ)が 旅行き衣ひづちなむかも 真澄鏡 持てれどわれは験(しるし)なし 君が歩行よりなづみ行く見れば 私流に意訳すと「山城の道を他人の夫は馬に乗っていくけれど、私の夫は馬がないので歩いている。それを見るとひどく泣けてきて、心が痛い。だから、私の母の形見である澄んだ鏡と領巾(ショールのようなもの)を持っていき、馬に換えましょうよ、あなた」 「川を渡るときも水は深いから、あなたの旅の洋服もぬれてしまうでしょう」 「綺麗な鏡を持っていても今の私には必要ないし、あなたが歩いている姿を見るくらいなら馬に変えましょう」 これは、あの有名な山之内一豊のツマの話ではない。1200年以上前の名も無き「他妻 ヒトヅマ」の話だ。自分の夫のことを「己夫 おのつま」と呼ぶことも初めて知る。「ヒトヅマ」の反対は「オノツマ」だった。 この歌は夫の返歌へと続く。 馬買はば妹(いも)歩行ならむ よしえやし石は履むとも吾は二人行かむ (意訳) 馬を買ったら、私は馬に乗れるけど、あなたは歩かなくてはならなくなるでしょう。だったら石を踏もうとも私はあなたと二人で歩いて行くつもりだよ なぜ二人で馬に乗れないのかは解らないけれど、オ・ヘンリーの「賢者の贈り物」を超えると思う。 そもそも「ツマ」という言葉は、「端 ツマ」から来ている。男と女、むかいあったもの同士の端っこと端っこ。だから男から見ても女から見ても、結婚した相手はツマなのだ。 ただ古代の夫婦関係はゆるやかで、異性のきょうだいの信頼感には劣っていた。だから、「イモ(妹)、セ(背=兄)」と呼び合って、壊れやすい関係を言葉によって互いに強化しようとしていた。 ◇ 先月、新聞をぱらぱらめくっていたら、新聞の隅のほうに「6月23日~6月29日は、男女共同参画週間」という内閣府の広告が出ていた。平成22年(2010年)までに「男女共同参画社会」という言葉の周知度を100%にしようと目指しているそうだ。それを聞いたとき、個人的には「言葉じゃないでしょう」と思っていた。 でも「ヒトヅマ」という言葉をめぐり、古代の男女関係を調べて改めて気づいた。古代、男女は対等だったと。 参考: 総合女性史研究会編集「日本女性の歴史 性・愛・家族」角川選書 万葉集13巻 3314~3317
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